
2003/2/6
第31回 イレッサ報道による薬剤を取り巻く諸問題について
肺癌治療薬イレッサ(一般名;ゲフィチニブ,アストラゼネカ社)をめぐる報道が過熱している.話を論じる前に,まず,今回のイレッサについて説明する.イレッサとは,本コーナーでも第9回のグリベックを取り上げた際に少しだけ触れている(第9回 グリベック・インパクト).通常の2つのEGFRが対になってくっつき,二量体となり,さらにATPが結合することでシグナル伝達が始まり,癌細胞が増殖する.従来の抗癌剤が正常な細胞も殺してしまうことが多かったのに対し,イレッサは膜内部分のチロシンキナーゼのATP結合部位に結合し,ATPが結合するのを阻害し,癌細胞の増殖メカニズムを狙い撃ちすることから分子標的薬剤ともよばれる.臨床試験では,既存の抗癌剤が効かない患者の約半数に対して,進行が止まり,約2割では「癌」の大きさが半分以下に縮小したとの報告があった.この結果をふまえ,厚生労働省は肺癌にはほかに有効な薬が少ないという緊急的な状況も背景にあり,昨年7月,世界に先駆け,異例のスピード承認をした.
その後,市販後に494例という予想以上の副作用が発覚,すでに国内だけで販売3カ月で14,000人以上に投与され,12月の段階では20,000人に投与されているといわれている.そのうち,間質性肺炎などの死亡例は2002年10月23日の段階で因果関係不明のものも含め39人,12月13日当時には124人にのぼっていた.わずか半年間でこれだけの症例に投与された背景には,前述のように,ほかに有効な薬剤がないという事実もある.通常,イレッサが効いた場合,レントゲンをとると,肺から肺癌がなくなり,すっきりとした画像になる.ところが,間質性肺炎を招いた場合,筆者も拝見させてもらったが,肺炎によって肺全体に白いモヤがかかったような状態になってしまう.亡くなった患者には,血液が肺胞のなかに染み出して固まり,呼吸がうまくできなくなってしまう「びまん性肺障害」がみられるという.ただし,ある呼吸器科の医師はほかの抗癌剤や放射線治療に比べ,イレッサだけが特に際立って間質性肺炎の発生率が高いわけではないという.
一連の報道では承認審査の早さとその死亡例の多さがやり玉にあがっている.死亡をともなう判定は癌によるものか,副作用によるものかの判定が難しい.しかしながら,そうだとしても,いうまでもなく製薬会社が副作用を添付文書に記載しなかったことなどは重大な問題であり,ある医師によると,製薬会社はできる限り因果関係を否定しようとしているという.さらに,ある病院の医師によると,MR個人の責任かもしれないが,製薬会社のMRはイレッサのメリットばかり強調したり,副作用について情報提供を求めても,音沙汰がなかったり,かなり古い資料をもってきたという.本当であれば,使用に対する指導不足は否めないだろう.また,医師個人も副作用情報などについてもきちんとインフォームド・コンセントしていたのか,適正使用していたのかという問題も無視できない.
また,抗癌剤の臨床試験(治験)は,通常の薬剤とはかなり異なり,フェーズ2の段階で申請されるなど非常に特殊であるのに,いっしょくたに論じている報道も多い.さらに,今回のようなケースでは専門の医師であってもその機序が新しいだけに勉強しなおさなくては正確には理解できないだろう.そうした背景もあってか,イレッサの効果については医師によって評価がはっきりしなかったり,評価が分かれているようだ.また,有効性についても5年生存率については5年以上継続フォローする必要があり,イレッサに限らず,申請時にはそうしたデータはない.そのため,まだまだ分からないところが多いのである.しかも,自宅でも簡単に服用しやすい錠剤タイプだったこともさらに状況の悪化に拍車をかけたようだ.現在,厚生労働省では服用4週間までは入院処置として,副作用の早期発見に注意するようよびかけている.びまん性肺障害が早期に発見された場合にはステロイドを大量に投与するパルス療法が効果的だといわれており,現在検証作業が続いている.
もちろん,海外で200例もの副作用報告ならびに55例もの死亡者をだしながら,販売後の副作用のフォローが不十分であった医療機関,特に製薬会社の責任は重いものだろう.しかしながら,薬害AIDS事件などとは事情が異なっている.しかも,末期の肺癌患者にとっては,おそらく1年販売が遅れていたら,亡くなっていた方も多数いたことは事実だろう.こうした患者にとってイレッサは「最後の希望」であったに違いない.通常,今回のように臨床関連も含めた問題は単に医療やアカデミック的な問題だけでなく,社会も巻き込んで非常に複雑な議論となる.また,本誌でもとりあげた特許などの知的財産についても,インドやブラジルのAIDS薬販売を巡る問題からわかるように,たとえ特許を取得していても,ある程度を超えてしまうと,単に法的解決だけでなく,社会的問題となって,政治的決着に持ち込まれてしまうのである.
すでに日本の厚生労働省に相当する米国FDAではイレッサの終了審査期間を2月5日から3カ月間延長し5月5日まで伸ばしており,世界で初めての承認となった日本の症例に大変注目しているらしい.アストラゼネカは12月中旬,乳癌患者に対するフェーズ2の結果を発表した.患者は34〜80歳の乳癌患者,63人を対象に投与を行い,病態の安定や骨の疼痛の緩和といった効果を確認できたという.また,その他の胃癌,前立腺(せん)癌などに適応拡大ついても,よりいっそうの科学的裏づけとなるデータを収集している段階である.FDAでは2002年9月に生物学的製剤を承認する生物学的医薬品評価承認センター(CBER:the Center for Biologics Evaluation and Research)が整理統合され,医薬品評価センター(CDER)に吸収された.バイオベンチャー業界からの意見としては予定通り審査が迅速化されれば望ましいものの,統合に伴う各種問題に加え,CBER職員の流出などが懸念されている.そのため,バイオ分野の審査は専門性が高いだけに,新薬がきちんと評価されなかったり,審査が遅れたりする悪影響を懸念する声があがっている.また,連邦医薬食品化粧品法と複雑なバイオ製剤を対象とする公衆衛生法が一本化していないことも心配の1つである.特に市民団体からは現行の審査体制でも不安があるのに加え,新体制では一層,安全性が確保されないという.さらに,製薬業界から FDAへのロビー活動などによる圧力に屈してしまうのではないかとの議論もされている.2年弱空白だったFDAの長官に39歳の医師であり,経済博士の経歴をもつマーク・マクレラン氏が就任した.新薬の早期承認を公約にかかげており,これに対して反対するものは少ない.ただし,マクレラン氏に官僚経験がないため,FDAという巨大な組織を無事,運営できるかどうか手腕が試されるところである.
こうしたなかで,再生医療や遺伝子関連ビジネスなどの最先端医療と密接な関係をもつバイオベンチャーがとるべき姿としては,積極的な情報開示と患者や医療機関への教育・啓蒙活動である.欧米の外資大手の中には,臨床試験にまつわる試験概要をインターネットで全世界的にオープンにしようという製薬企業もある.生命倫理も時とともに変化していくが,その根本となる判断基準は「自分の家族」が対象だった場合に投与するかどうかであろう.今回のイレッサについても,癌であるこということはおそらく患者本人が知っているだろうから,イレッサを薦めていたのだろう.実際,癌にかかった場合,データ的裏づけとしても,癌告知を受けた患者の多くが闘病を希望しており,たとえ,副作用で亡くなることになっても癌と闘うことを選ぶことが多いというアンケート結果がでている.
また,1月9日,厚生労働省の厚生科学審議会生殖補助医療部会では不妊治療について中間報告案をまとめたが,結局,ルールを1本化できず,国民の意見を募集している.こうした医療問題の政治的決着の方法に結論をだすのは,新しい治療法に希望を見出したい患者と,薬害,副作用というキーワードに過敏に反応する関連患者団体やマスコミなどに加え,製薬会社の利害関係なども絡むため,感情的にならずに中立な結論をだすのは非常に難しいが,その議論の方法について2つのケースを紹介しよう.先日杉並の山田区長と話をする機会をもてた.その際,各種行政問題について当事者同士,関係者やNPOも含めた議論の重要性は認めるが,結論が出るまであまりに多くの時間がかかってしまう.そのため,ある程度,トップダウンアプローチ的に解決策を提示し,それに対する意見を募集するというものであった.当然,これだけは譲れないという覚悟をもって臨んでいるとのことであった.最近では区の職員の意識も高まり,率先して自ら問題意識を持ち,みんなで解決にむけて取り組んでいるということであった.一方,米国の場合,司法が陪審制という歴史的背景もあるだろうが,決定の過程も含めて,透明な議論を前提としており,住民だけでなく,専門家やNPOなど関係各位を巻き込んだオープンな場を提供している.当然,結論がでるまで時間もかかるし,結論がでないことも少なくないが,様々な人が議論に関わり,その過程をオープンにすることで,民主主義を保っているのである.
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