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レジデントノート Vol.4 No.11掲載

若い人には外を見せなさい!
グローバル・情報化社会での医師の進路選択
東海大学教授
黒川 清 先生
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── 黒川先生はアメリカへの研究留学から10年して内科教授になられるというユニークなご経験をされているわけですが、
本日は、その体験談や、若い方へのメッセージなどをいただければ幸いです。
まずは、黒川先生は若い頃、どのような医師を目指しておられたのでしょうか?
黒川 私は代々医者の家に生まれ、しかも長男だったので、
当然医者になるものだと「洗脳」されていたような気がします。
その頃は、どんな医者を目指そうなどとはあまり意識していませんでした。
医学部を卒業しインターンを終え、腎臓を専門としてやり始めた頃、
立川の米軍病院で診療する機会がありました。
当時、ベトナム戦争のバックアップで、
急性腎不全の患者さんが大勢運ばれてきていたので、
大変に勉強させてもらいました。
── そのような環境でグローバルな感覚を身に付けられていったのでしょうか。
そしてアメリカ留学のきかっけにもなったのでしょうか?
黒川 そうですね、グローバルなものの考え方は自然に身に付いたと思います。
それにとてもおもしろかった。
私たちより上の年代では、アメリカに臨床留学した人が結構いましたよ。
そして経済成長が進み、研究で留学する人も増えてきました。
私も同じように2〜3年ほど留学しようかなと、
そんなに高い志はなくアメリカへ渡ったのです。
ペンシルバニア大学の生化学のラボへ2年間留学しました。
そこで出会ったのがラスムッセン教授、すばらしい人でした。
教授に最初にこう言われました。
「自分で考え、自分が好きなことをやればいいんだ。
一番大事なのは2年後、自分の力でやっていける独立した研究者になること。
また、ここには上下関係はない、僕は教授だけれど日本の教授のように偉くはない。
私とあなたは対等だ。
言いたいことは言いなさい。遠慮はいりません」と。
頑張ろうという気持ちになるじゃないですか。
だけど、それまでほとんど実験をした経験がなかったので何をしたらいいのかわからず、
最初の3カ月くらいは毎日図書館に通っていました。
それを教授はだまって見ているのです。
ずっとほったらかし。
そしてそのうち様子を見にきて、
おもしろそうなことやってるなと思ったら声をかけてこられる。
ダメだなと思う人には廊下で会っても見向きもしない。
冷たいんだけど、意欲のある人は育つ、
独立心をもつことができるという教育方針だったのです。
ここで私の独立心、自分の力でやらなければならないという意識が養われたと思いますよ。
このラボで2年間の研究を終え、
日本に帰る前に内科でもやろうかなと、UCLAに行きました。
1年で帰ろうと思っていたのですが結構おもしろくて、
もう1年、もう1年と帰国が延ばし延ばしになったんです。
気がつくと渡米して5年もたってしまい、
「日本の“ムラ社会”ではこんなに留守にしては受け入れてはくれない、
帰れないならこっちで医師免許をとらなきゃ」と決心したんです。
研究の成果が出なければ1年先の契約は危ないですから、
昼は研究、夜は試験勉強、あの頃が一番勉強しましたね。
結構大変でしたが、カリフォルニア州医師免許をはじめ、
アメリカの内科専門医、腎臓内科専門医など、
とれる資格はすべてとりました。
だって、アメリカの医師は誰もがもっているんですから。
その間、大学で教育や診療もしているうちに、
だんだんそういう面でも評価されるようになりました。
アメリカはフェアで、
しばらくしたらいろいろな大学からオファーがくるようになりました。
セミナーをやりにいったり、回診したり。
そうこうしているうちに内科教授になってしまいました。
家も買ったし、プールはあるし、
子供ものびやかに育っているし、ハッピーだなと思っていた。
そんなときに、日本に帰って来ないかという話が突然来たのです。
── アメリカの医療、医学教育を体験されての帰国ですが、当時、日本の印象はいかがでしたか?
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黒川 東大で教えるようになり、まずシステムに問題があると気づきました。
入学してきた学生は皆目が輝いている。
しかし、医者になって7〜8年もすると、
目がどんよりしてくる人達が目立ってくる。
アメリカと比べてみると、
大学入学後に全然外との交流がないことに気がつきました。
大学に入ったら外を見せないようにしている、
そうじゃないですか?
日本では他と交わらないで純粋培養されて、
学力は18才の序列のまま。
偏差値教育とはいっても、
選ばれてきた優秀な人であるはずなんです。
東大を出た人は外に出たり、
世界にうって出るという社会的責任があると私は言い続けているのですが、
日本の官僚や大銀行と同じで、
既得権をとったら離さないんです。
冒険心がない。
こういう人たちはみんな普段威張っていますが、
いざとなったら真っ先に逃げる、
ということになりかねない。
これが日本のエリートだとすると、
国は滅びますね。
その点アングロサクソンのエリートは、
普段威張っていてもいざとなったら先頭に立って闘うでしょう。
フォークランド紛争のときもアンドリュー王子が先頭に立って戦地へ飛んで行ったのが、
その良い例ですね。 |
── 日本のシステムが悪い原因は何でしょうか?
黒川 日本がバブルの時期、
皆が「Japan as No.1!」と言われて、
いい気になっていた。
「政・産・官の鉄のトライアングル」などと言っていた。
私はそこに「学」が入ってこないのは非常に異常な世界だと思ったのです。
しかし、最近になったら「産・官・学」と言っている。
なぜでしょうか。よく考えてください。
日本の「エリート」にはたいした自覚がなかったんです。
なぜなら、外で何が起こっているのか知らない、
近代日本の歴史を知らない、
過去の歴史の延長を知らない、
グローバリゼーションの正体がわからないからです。
日本の歴史を知らないなんて言い訳にはなりません。
だって自分の国のことなんですから。
歴史観や世界の現状を知るために、
若い人にはもっと本を読んでもらいたいですね(メモ1)。
日本からたくさんの人が海外留学しています。
ビジネスマンもたくさん行っています。
しかしそれは日本の会社の人事で行っているわけだから、
へその緒を切って自分の力で行っているわけではないんです。
真水では泳いだことがあるのだけど、
海水で泳いだことがない。
海水で泳いだとしても、
実際には浮輪につかまっている。
その浮輪も「ヒモ」で陸につながっている。
そして、海水はしょっぱい、浮く、
波があるなどと知ったかぶりする。
本当のことを知らないのにわかったような顔をするのが、
一番罪が重いのです。 |
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歴史観と世界の現状を知るのに役立てるために、このくらいは読んでくださいね(黒川)
●レクサスとオリーブの木−グローバリゼーションの正体(上・下)
トーマス・フリードマン(東江一紀・服部清美 訳),草思社,2000
●犬と鬼−知られざる日本の肖像
アレックス・カー,講談社,2002
●名誉と順応−サムライ精神の歴史社会学
池上英子(森本醇 訳),NTT出版,2000
●学問のすすめ
福沢諭吉
●菊と刀−定訳
ルース・ベネディクト(長谷川松治 訳),現代教養文庫,社会思想社,1967
●文明の衝突
サムエル・P・ハンチントン,集英社,1998
●坂の上の雲(全8巻)
司馬遼太郎,文春文庫,文芸春秋,1999 |
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私の場合もそういうつもりだったんだけど、
途中でうっかり浮輪から手を離してしまったというだけの話です。
しかし、そういう経験をしたからこそ、
皆さんに伝える義務があると思い、いろいろ言っているのです。
私が帰国してからいろんなところで発言する。
終始一貫同じことを言ってるから、
誰も最初は見向きもしませんでした。
「雑音だ」「日本の権威を汚すのか」と言われたものです。
'90年にバブルがはじけてから、
日本はおかしくなってしまいました。
なぜおかしくなったのか、
根本的な理由をみんな理解していない、
つまり歴史観がないんです。
近年、内閣府、文部科学省、
厚生労働省などいろいろな委員会に招聘されるのですが、
私が発言していたことの意味に皆が気付き始めたかなと思っているんです。
「ああ、あの人の言っていたことはそういう意味だったのか」と。
そういう機会は忙しくてもできるだけ引き受けるようにしているんです。
もし私が断ったら、代わりに権威まる出しという人が行くかもしれない。
それでは困りますからね。
── 東大の定年前に東海大学の学部長として移られましたが、
そのことについてお話しいただけますか?
黒川 東大で改革の必要性を繰り返し訴えていたのですが、
なかなか変えられないことがよくわかったんです。
変わらないままで10年たったらどうなりますか?
20歳だった学生が30歳になってしまいます。
これは大変なことです。ということは、
今までのように既得権のある人とやってもだめ。
これから変わる可能性のある人に言わなければならない。
東海大学では前進しようと努力しているのが見えていましたから、
変われる可能性はあるなと思っていました。
そんなとき、全く偶然ですが、
東海大学から医学部長として来ませんかと言われて、
すぐに行きますと返事をしました。
行くと決めたら3カ月で行きました。
定年前に、しかもよその大学から学部長を呼ぶなんて日本では極めて珍しい。
アメリカでは全然珍しくない。
ですから、日本で異例だということが、
世界的にはいかに異常なことなのか、
それを見せたかったのもあります。
メディアでもその点については書かれませんでした。
なぜなら、何が大事なポイントなのかを理解していないからです。
── 東海大学で実際にどのようなことをやっておられるのでしょうか?
黒川 若い人にたくさん外を見せる。
外には高い山がたくさんあることを教えています。
アメリカでやっているような臨床講義やセミナーをしますと、
学生のなかにも「おっ、違うな」と思う人がいるわけですよ。
今まで日本では情報が閉ざされていた。
批判的に物を見ない。
例えば医学部でもどこでもそうだけど、
特に学生さんはうぶだから、
東大の教授がその分野で一番偉く、
相当なレベルだと思っています。
教授を山の高さに例えてみましょう。
富士山が3,800メートルだとすると東大、京大、
阪大あたりはみな3,000メートルくらいあるんじゃないかと思っていますよ。
でももしかすると本当は1,500メートルしかないかもしれないのに。
それが今、情報化社会のために雲が晴れてきて、
本当の高さがわかるようになってきました。
臨床留学に興味をもつ若い人が増えているのも、
「今までの認識はどうも違うのではないか」と思うようになってきているからです。
外国にはもっと高い5,000メートル級、
8,000メートル級の山があると知り始めたのです。
また同じ3,000メートルの山でも、
緩やかなものもあるし、きついものもある。
そうしてたくさんの選択肢を見せることで、
自分のやりたいこと、選択肢がだんだんわかってくる。
これが次の世代に大事なことなんです。
ある日、1人の東大の学生がやってきて、
「自分はアメリカに行って臨床研修をやります。
先生がいろんなものを見せてくれて、
やっぱり違うなと思ったからです。
先生は先生が思っている以上に学生に大きなインパクトを与えているんですよ」と言われました。
とてもうれしかったです。
黒川 今、東海大学では、5年生の15人くらいがアメリカ、
イギリス、オーストラリアに3カ月〜6カ月の臨床留学をしています。
彼らは毎週メールでレポートを送ってくれます。
そうすると2、3週間で彼らの目がぐんぐん広がっていくのがまざまざと感じられる。
そして私は忙しくても少しだけでも必ず返事をしています。
また、東海大学の市村くんのつくったメーリングリストがあります(メモ2)。
全国の医学生、研修医、医師が参加していて、
その中でいろんなことが議論されています。
外国にいる研修医も参加しています。
もう1,800人以上もの人が参加しています。
このメーリングリストで若い人たちの視野が広がってきています。
一昨年の医学教育学会は私が会長をやりましたので、
メーリングリストの会員たちに「医学教育学会においでよ」と呼びかけました。
会員には名札に青いシールをはってもらい、
「ブルードッターズ」と名付けました。
学会場でそのシールをみたら、
「あなたもブルードッターズ? 誰?」という会話が始まるわけです。
以来、私がいろんなところに講演に行くと、
来てるんですよね、その人たちが。
「今日ブルードッターズどこにいるの?」と声をかけるとあちこちで手をあげるんです。
楽しいですよ。 |
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●東海大学の市村公一さんがコーディネートするメーリングリスト
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黒川 また、私の講義を聞いたらそれをメールで流しなさいと言っています。
そうやって皆で情報を共有しなさいと。
海外に行っている人から私にメールが来たときも、
ときどき本人の許可を得てからこのメーリングリストに流します。
そうすると世界でどんなことが起こっているかわかるじゃないですか。
それを見て、「私もやろうかな」という気になる人が出てくる。
みんながそうなる必要はないんですよ。
8,000メートルの山に上ろうとしている人もいるんだよ、
と教えてあげることが大事なんです。
── 先生ご自身もホームページを開設されていますが、
こういう情報発信や対話の目的で始められたのでしょうか?
黒川 こういった話や情報は、
医学界のサークルの雑誌などにしか出てこない。
だから誰でも見られて参加できる、
ホームページを作ったんです(メモ3)。
ちゃんと宣伝しておいて下さい(笑)。
私はたまたまアメリカで教育をし、診療をし、
研究もし、内科の教授にもなる、
という貴重な経験をさせてもらいました。
他にこういう経験をした人は少ないから、
自分には次の世代にむけて発信する責任があると思っているんです。 |
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日本の財産は「日本人」しかありません。
将来を担う若い人たちに、
たくさんのものを見せてあげたい。
人それぞれ個性や特性があるので、
たくさんの選択肢のなかから、
自分にあった道を探してもらいたいんです。
純粋培養の、「タテ社会」の「上」しか見ないヒラメ人間にならないように、
どんどん外を見て、広い世界を知って欲しいのです。
── 黒川先生のお話はとてもエネルギッシュで、
豊富なご経験あってこその説得力を感じました。
若い方々へ強いインパクトを与えておられるというのも納得いたしました。
小誌の読者の方にも、外にも目をむけていろいろな選択肢を知ったうえで、
ご自分に合った進路を選んでいっていただければと思います。
それでは、このへんでインタビューを終わらせていただきます。
本日はお忙しいなか、誠にありがとうございました。(編集部 久本容子)
| Profile |
黒川 清(Kiyoshi KUROKAWA)
東海大学教授
1962年東京大学医学部を卒業後、同付属病院インターン、大学院進学、助手を経て、'69年ペンシルバニア大学医学部生化学教室へリサーチフェローで留学.その後アメリカで教育,臨床,研究を経験し、'80年UCLAの内科教授に就任.'83年帰国,東京大学の内科助教授となる.'89年同大学内科教授.'96年には定年を前に東海大学に医学部長としてスカウトされその職に就く.アメリカでの経験で養われた手腕を、日本の医学教育の現場でいかんなく発揮している. |
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