
おかげさまで「実験医学」は,2012年で創刊30年を迎えます.これもひとえに,長年にわたりご愛読いただいております読者の皆さま,そして厚いご指導をいただいております先生方のお力添えの賜物と,心より感謝申し上げます.
30年分の感謝を込めて,「実験医学」編集部はさまざまな特別企画を開催いたします.毎月新しい更新情報が飛び出しますので,ぜひご期待ください!
1983年の創刊以来,実験医学はバイオサイエンスの発展とともに歩んでまいりました.30年にわたる長い期間にいただいた,全ての執筆者・ご企画の先生方のご厚情に深く感謝申し上げます.本コーナーでは,創刊号から現在にわたる「実験医学」誌面を振り返りながら,駆け足ではありますが,バイオサイエンスの歴史を見直してみたいと思います.
※現在,随時更新中です.今後の追加をお待ち下さい.

1983年9月,実験医学は年4回の季刊誌として創刊いたしました.創刊号の特集は,「DNAから個体へ」というきわめて象徴的なもので,これは現在の実験医学の根幹をすでに指し示していたように感じます.創刊号の巻頭では,当時大阪大学総長でおられた故 山村雄一先生に「創刊に当って」のお言葉をいただきました.また座談会では「分子と生命をつなぐバイオメディカル・サイエンス」というテーマで,村松正實先生,森脇和郎先生,大沢仲昭先生,古沢満先生が生命医科学の進むべき方向を示されました.
当時,創刊に至る道のりはなかなか険しいものでした.生まれたばかりの小さな出版社がはじめて出版する雑誌ですから,編集会議も座談会も,原稿の執筆依頼も何もかもがはじめてです.とにかく手探りで,そして全力投球で先生方のご指導を仰ぎ,「実験医学」の誌名を村松正實先生に命名していただいての発足でした.
その後,第2号は「老化制御の実験医学」,1984年には第3号「発癌のメカニズムを探る」,第4号「免疫と生体調節」,第5号「腸内フローラと生体」,第6号「遺伝子工学と医学」と刊行いたしましたが,今振り返ってみても,全てのテーマが現在につながる重要な研究課題であることがわかります.
翌年の1985年に「実験医学」は年6回の隔月刊となり,そして続く1986年には月刊誌として新たなスタートを切りました.

創刊4年目の1986年に「受容体研究の最前線」の特集を竹縄忠臣先生にご企画いただきました.当時,情報伝達研究は緒についたばかりの時期でしたため,どのように読者の方に受け止められるのか不安を感じながらの出版でしたが,結果は大反響をいただきました.その後に続くシグナル伝達研究の著しい進展ぶりを,私ども編集部の面々はただ目を丸くして見守っていたような気がします.
翌年の1987年には,宇井理生先生にご企画いただき「GTP結合蛋白質」を特集いたしました.その後も,毎年定期的にシグナル伝達のテーマを取り上げてまいりましたが,分子から現象へ,そして生体のネットワークへとシグナル伝達研究が広がって行く様子を,過去のタイトルの軌跡から感じ取っていただけるかと思います.

はじめての増刊号は1987年の「遺伝子工学総集編」でした.新しく台頭してきたバイオテクノロジーを村松正實先生に,その原理の解説からプロトコールまでをまとめていただいたのですが,じつに多くの読者に活用されました.その後も刷りを重ね,版を重ねて,現在は「改訂第5版 新 遺伝子工学実験ハンドブック」として刊行されています.
さらに遺伝子工学は,PCRという画期的な技術を得て大きく展開しました.1990年には,榊佳之先生,村松正實先生,高久史麿先生のご編集のもと,「PCRとその応用」と題して増刊号を刊行いたしましたが,その増刊号も思い出深いものです.分子生物学研究は,まさにこれらの技術革新によって大きく躍進してまいりました.

創刊8年目の初頭を飾った1月号は,記念碑的な特集でした.1990年,二重らせん構造の発見者であるJames Watson博士の呼びかけに応じて,壮大な「ヒトゲノムプロジェクト」が発足しましたが,まさに同じ年,日本側のリーダーを務められた榊佳之先生にご企画いただき,「ヒトゲノム全解析プロジェクト」の特集号を刊行しました.「ヒトゲノムプロジェクトがヒト遺伝情報の複雑なネットワークを解き明かし,その創造のすばらしさを再認識させてくれるのはいつの日であろうか」という榊先生の言葉に,ゲノム解読への挑戦にかけた当時の強い志を感じます.
その後1996年に出芽酵母,1997年に枯草菌,1998年に線虫,2000年にシロイヌナズナのゲノムが立て続けに解読され,2001年にはヒトゲノムのドラフト解読が宣言された経緯は,皆さまも強く記憶されていることと思います.

1981年にマウス胚盤胞からES細胞が樹立されてちょうど10年目の1991年,「ES細胞を用いた発生工学 ~ジーンターゲティングとキメラマウス」の特集を近藤寿人先生にご企画いただきました.当時の急速な遺伝子工学の発展により多くの遺伝子が単離され,さまざまな組織から株化した細胞にその遺伝子を導入して発現制御や機能解析をする技術が盛んになりました.それまで,均一な培養細胞を用いた研究が中心となっていましたが,実際の細胞社会全体を見渡すためには,マウス受精卵やES細胞など発生全能性をもつ細胞を対象にする必要があるという議論を背景に,キメラマウスやジーンターゲティングマウスの作製法が確立されていた中でのいち早い特集でした.当時の発生工学技術の発展が,20年を経た現在の幹細胞研究に繋がっているのだと実感いたします.

1991年10月号で,実験医学は通巻100号を迎えました.特集は野本明男先生に「ウイルスレセプター」をご企画いただき,また記念特別企画として,故 江橋節郎先生と野田亮先生に「医科学を語る 研究する楽しみ」というテーマで,細胞生物学の現状から科学研究費までの広いテーマを語っていただきました.当時岡崎国立共同研究機構の機構長でおられた江橋先生の「研究をやってますと,しばらくうまくいかないことが,方向を変えてみたらスパッとうまくいくことがあったりして,それ自体は学問の流れの中ではたいしたことじゃないのに,案外そういったことがものすごく嬉しいものなんですよ.外からみて格好の良い抽象的なものは,あまり駆動力にならないですね.そういう意味で私は,よっぽど偉い人でない限り実験しろというんです.そうでないと興味が続かないから」というお言葉は,現代に通じる科学者の原点を指し示しているように感じます.

1992年の特集「アポトーシス ~細胞死のシグナル伝達」は長田重一先生にご企画をお願いしましたが,まさに本邦初のいち早い特集だったと思います.そのときはまだアポトーシスという呼び名も確定しておらず,アポプトーシスと「プ」の音を入れて発音すべきかどうかという議論がありました.「細胞死はあらかじめプログラムされており,“programmed cell death”と呼ばれる.アポトーシスはギリシャ語で,apo(離れて)とptosis(下降)からなっており,(中略)ptosisのpは本来,黙音であり,アポトーシスと発音すべきであるが,欧米人の中にもアポプトーシスと発音している人がみられる.日本でもまだ統一されていないことから,本特集ではアポトーシスを用いた」という長田先生の序文からも,研究のスタート時の緊張感が伝わってくるのではないでしょうか.
翌年の1993年には,増刊号「アポトーシス ~細胞死の機構」を長田先生,橋本嘉幸先生,井川洋二先生にご企画いただき,その後も定期的に特集を刊行してまいりました.現在までのアポトーシス研究の輝くばかりの展開は皆さまご存じの通りです.

1997年1月号に,「実験医学」は通巻200号を迎えました.この節目を記念して,それまで黒基調の学術的だった表紙デザインを一新し,「実験医学」のロゴもリニューアルしました.デザイン性に富んだロゴに,当時は「タイトルが読めない」という意見もいただきましたが,号を重ねるごとに受け入れられ,現在に続くイメージとして定着しました.
200号記念特集のテーマもまた,「20代・30代の生命科学者」というチャレンジングなものでした.21世紀を目前に迎え,新時代を担う若手研究者の在り方とオリジナリティに焦点を当てようと,平野達也先生,豊島秀男先生,高井俊行先生,船津高志先生,高山晋一先生,杉本亜沙子先生,江成正人先生,四方哲也先生,近藤滋先生といった,いずれも現在第一線でご活躍されている先生方にご執筆いただきました.
また特集の冒頭では,故 大野乾先生と養老孟司先生,森脇和郎先生のお三方に「分子から生物へ ~オリジナリティとは勇気である」というテーマで鼎談いただきました.当時米国のCity of Hope研究所でご研究をされていた大野先生には,1986年から実験医学で「大いなる仮説」の連載を長年にわたりご執筆いただいておりましたが,先生は遺伝子を音楽化する試みに挑戦され,まさに希有壮大な,オリジナリティに溢れた科学者のお一人でした.実験医学に掲載された偉大な科学者達のメッセージに,当時強く心を動かされた方も多くいらっしゃったのではないでしょうか.

1998年から2001年にかけて,ゲノムプロジェクトの成果が立て続けに報告された,まさに激動とも言える時期でした.ゲノム解読後の戦略を多くの研究者が模索し,「ポストシークエンス時代」がキーワードとして取り上げられました.
実験医学の誌面上では,1998年1月号に五條堀孝先生に「ゲノムプロジェクトの新世紀」,1999年1月号では小笠原直毅先生に「ポストシークエンスの展望と新技術」,そしてヒトゲノムのドラフト解読がホワイトハウスで宣言された2000年には,実験医学増刊号「ゲノム医科学とこれからのゲノム医療」を中村祐輔先生,浅野茂隆先生,新井賢一先生にご企画いただきました.増刊号の序文での「生命の設計図であるヒトゲノム配列の決定を目前にして,従来の医科学は大きなパラダイムの変革を迎えている」という新井先生のお言葉は,その後バイオサイエンスの方向性が,ゲノム情報を用いた多様性解析や個別化医療の応用へとシフトして行った流れを明確に指し示しているように感じます.
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