Smart Lab Life

〜あなたの研究生活をちょっとハッピーに〜

実験医学別冊『あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる』の概論より

それはユートピアか,ディストピアか? 第4回

著/夏目 徹

AIロボットの使い方を間違えてはいないか?

親が家族の絆を高める時間と余裕がなく,少子化となってしまった社会の生産性を回復するためにまず,AIロボットを社会実装しようという提案をしたい.簡単に言えば,ドラえもんは,家や近所ではなく,生産現場で労働しなさいということだ.友達・親としての仕事は相変わらず「人間」が分担するべきで,機械ではない.もしそれができない状況があるとするなら,それを解決するためAIロボットを活用するべきではないだろうか.

料理ロボットを,あなたは欲しいか? 料理が好きな人間には,釈然としない.また,料理がコミュニケーションの一つの手段であり,コミュニケーションは人間の仕事だとするならば,家庭に料理ロボットは要らない.しかし,料理ロボットの市場が生まれるという考えは,仕事が忙しく料理が負担になっている家庭が多いという単純な分析だろう.それでも,料理を楽しむ余裕がないほど,忙しい(個人生産性が低い)という状況をAIとロボットで解決するべきで,料理をする時間がないから料理ロボットが要る! というロジックを鵜呑みにしてはならないと思うのは私だけであろうか?

誓って言うが,私はこれまでファミリー愛にあふれる大家族に育ち,人との絆を第一に生きてきたりはしていない.どちらかと言えば研究者にありがちな,個人の興味に埋没し,人とのかかわりを,ややこしい家族の問題を避けて通って生きた人間である.

それでも私は,人の身振り手振りでしゃべるAIロボットを目の当たりにして強く思う.家族の一員としてドラえもんを必要としない世界を実現したい.

擬人化イコールAIロボットの進化ではない

人と機械の役割分担を明らかにし明確な線引きをするとするならば,感情表現や創造をする(音楽や芸術・小説を書くなど)ことは人間の仕事であり,AIロボットの仕事ではないというスタンスをとることもできる.だから感情表現ができたり,美意識をもたせ機械を人間に近づけていく,すなわち擬人化がロボットの真の進化の方向性だとも,私には思えない.もちろん,人間を理解するために研究をするというのは…部分的には理解できるが.

役割分担をするために,人間がもちえない機能をもつAIロボット,すなわち擬人化とは真逆が進化の方向性だと言える.例えば,ドローン等がわかりやすい事例かもしれない.

ロボットとAIは人間の機能拡張として役割分担を明確にすべし,というのが現状,私の意見だ.しかし,賛否両論はあってしかるべきで,別に強要するつもりもない.しかし,どのような未来を実現したいのか,そのビジョンを共有することの重要さは強く主張したい.なぜなら,共有されるビジョンがあってこそ,テクノロジー・イノベーションの社会実装への戦略が生まれ,またポジティブなレバレッジが生まれるからだ.

例えば,自動運転.そのイノベーションが耳目を集めて久しいし,部分的には社会実装されはじめているようだ.しかし,自動運転が,社会をどう変えようとしているのかが一向に見えてこない.少なくとも私には理解不可能だ.居酒屋で酔っぱらいへべれけになっていても,無人運転で安全に自宅に送り届けてくれるようになるのだろうか? それと有人タクシーはどう価値が違うのか? そもそも,運転自体が楽しみであるエンスーはどうするのか? 議論は全く深まらず,衝き動かされるような技術への期待も高揚感も生まれない.

ビジョン無きイノベーション

例えばである.田舎に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんが,高齢のため運転免許書を返上したが,孫に会いにいくには公的交通機関では負担が大きすぎる.両親が休みをとって,遠い実家へ孫を連れて行く以外に,孫にあう方法がない.しかし,自動運転の車が手に入るなら,どんなに高くても手に入れたい…孫に自由に会うために.そんな話を小耳に挟んだことがある.このような遠隔地の後期高齢者が自由に移動するために,まずこの技術を届けよう,という発想は生まれないのだろうか? 無人運転で社会を豊かにできそうな,最もわかりやすい,ある意味素直な発想だと思うのだが.多分,年金生活者にまで,イノベーションが普及するまでを待つことができない,高齢者にはかなわない夢となるから議論されないのだろうか.身体の不自由な方・後期高齢者には,新しいイノベーションの担い手としての,経済的な余裕がないと判断されてしまう.その結果,最もイノベーションを享受するべき階層が,最もイノベーションから遠い,という矛盾が生まれる.自動運転によって,不要となった駐車場スペースなどの有効利用で生まれた収益を高齢者に分配する.そんな,わかりやすい,多くの人間が共感できるビジョンがあれば,自動運転にかかわる,さまざまな障害や,実装するうえでの具体的な技術のデザインが可視化され,多くの人間がかかわって解決していけるかもしれない.限界集落での試験的な運用等,アイデア・戦略はビジョンがあって生まれる.イノベーションの社会実装は,常に矛盾の同時成立に挑戦することを意味している,と思うのだが.

そうこうしているうちに,GM社がニューヨークでの自動運転の試験的走行を行うと発表した.さらにアナリスト等によると,向こう数四半期以内にGMが無人自動運転車サービスを提供するという見方を示した.これはUberやLyftといった相乗り大手を「かなり混乱」させうるサービスであり,タクシー運転手にとって大きな脅威になるとみている7)

ほら,はじまっている.弱い立場の切り捨てが.

そして透けて見えるのは,企業収益と企業エゴで突き進むイノベーションの絵姿ではないか.何も企業が利益を得ることを否定しているのではないし,企業にエゴはあるべきだ.しかし,ビジョンなきイノベーションは社会を豊かにしない.結局は企業の事業としても大成功しないように思えるのは私だけか.同じ理由で,ソーシャルロボットでどんな社会を実現したいのかは,よくわからない(そんなことを言っていると,携帯にカメラなどつけても「誰も使わない」という多くの人の予想が完全に外れたことを指摘されそうであるが).

そしてビジョンが生まれたとしても,イノベーションを実装する上で生じる一過性の問題を解消するしくみづくりが重要であることは言うまでもない.ライフサイエンスにAIロボットを活用する上でも,少なくとも以下のようなことは議論されるべきだろう.

ロボットをラボに実装した場合に,研究者やテクニシャンを解雇してはならないというような規制が限定的には必要かもしれない.また作業しかしてこなかった人間が,あらたな職種へ移行可能とする育成プログラムを設ける.また効率化と人置き換えのためにAIロボットを導入することは原則許されない,あるいはそのような目的で導入する場合には,ロボット税を徴収する.また,文部科学省は研究開発の生産性が向上したことを,「効率化」と解釈し,科学研究費を減額してはならないのは自明.効率化と,生産性向上の判別は往々にして困難であるので,基本的にAIロボットの導入前後で,交付金や競争的外部資金の削減はあってはならないし,サイエンスから生み出された生産性による経済波及効果を考えれば,科学研究費の財源を心配する必要等は皆無だろう.教育の現場では,手作業による実験の実習が必要か? 多分必要であろうし,ロボットによって可視化したパラメータは初学者のよい手本になるだろう.また,苦労して最適化したプロトコールを生み出した研究者をどのようにクレジットするのか? プロトコールがダウンロードされ使われた回数が現在の論文引用回数のように,ネットワーク上で公平かつ透明性をもって管理されれば,研究者がプロトコールを公開するインセンティブになりえるし,研究者のレイティングとして活用可能.論文による評価は,知名度やエディター・レビュアーとの人的ネットワークの影響があるため,プロトコールダウンロード数の方が公平.また,企業が事業化のために,プロトコール未公開でも許される,あるいは,知財化可能であるべきか? 自身の個別研究のアドバンテージを担保するため,プロトコールを一定期間研究グループ外でのダウンロードを制限できる等のしくみが必要か? 必要だとしたら,その基準・ガイドライン作りも必須だ.

AIロボットが社会全体に与えるインパクト(一時的に生じる負のインパクト)を予測し最小化するために,科学者のみならず,社会学者・経済学者,政策関係者を含め幅広い議論がもっとあるべきだ.

文献

  1. 「GM to Test Fleet of Self-Driving Cars in New York」,10月18日 11:38 JST,WSJ電子版,2017

あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる
概論「それはユートピアか,ディストピアか?」 目次


本記事は以下の書籍からの抜粋です.

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あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる
編集:夏目 徹
出版社:羊土社
発売日:2017年12月05日

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