序にかえて
構造を解く時代から活かす時代へ
加藤英明
(東京大学先端科学技術研究センター)
はじめに
百聞は一見にしかず(Seeing is believing),という諺が日本語にも英語にもあるように,直接“見る”ことが物事を知るうえでいかに強力か,という認識は古くからわれわれ人間に共通して存在していた.John Kendrew,Max PerutzらがX線結晶構造解析を用いてはじめてタンパク質の構造を決定してから60年以上経った現在1),構造生物学者達はX線結晶構造解析のみならず,クライオ電子顕微鏡単粒子解析(SPA:single particle analysis)や核磁気共鳴(NMR:nuclear magnetic resonance)などさまざまな手法を組合わせて,タンパク質や核酸の構造を明らかにすることが可能となっている.また,2021年に生まれたAlphaFold2やその類縁プログラムはタンパク質の構造予測を実用レベルまで押し上げ,構造生物学者のみならず,これまで構造生物学に馴染みのなかった研究者達にまで影響を与えることに成功している.急速に実験科学・計算科学が進歩し,構造生物学が民主化しつつあるこの時代において,われわれはどのようにタンパク質構造を見て,それを活かしていけばよいのであろうか.
本書の構成
こうした問題意識をもとに,本書は4章立てでポストAlphaFold時代の構造生命科学を論じていく(図).まず第1章では,主に生命現象に潜むメカニズムを原子・分子のレベルで理解するために先端の構造生物学を利用するというアプローチを紹介していく.例えば第1章-1〜4では,SPAを用いて,いまだ構造予測の精度が十分ではない領域,すなわちタンパク質複合体の構造解析やタンパク質のダイナミクス解析を行った実例を紹介する.その対象分野もクロマチン複合体,転写因子複合体,回転型ATP合成酵素,胆汁酸トランスポーターと多岐に渡っており,現状のSPA技術によりどこまでタンパク質・核酸機能の詳細に迫ることが可能なのか,その一端を垣間見ることができる.加えて,第1章-5〜7では構造予測が困難なもう一つの領域,すなわちタンパク質のin situ構造解析において,クライオ電子顕微鏡トモグラフィー解析(cryo-ET)を適用することで何が見えてくるのかが,実例を交えて論じられている.一方,第1章-8〜11ではタンパク質構造予測技術の発展的利用法が,すなわちタンパク質複合体の構造解析やタンパク質のダイナミクス解析においても実験科学と計算科学の高度な融合が可能であることが記されている.特に,第1章-10で紹介されている複合体構造予測を利用した in silicoでのインタラクトーム解析は,構造生物学の枠を超えてタンパク質構造予測技術を活用している好例であり,これからの構造生命科学の方向性を示唆しているように思われる.また,第1章-12では,de novoタンパク質とハイスループットのアッセイ技術を組合わせることでタンパク質の構造安定化に重要な配列要素を網羅的に同定するという,de novoタンパク質のユニークな利用方法が紹介されており,新たなタンパク質研究の兆しを感じさせられる.第1章-13では,タンパク質構造情報を分子動力学シミュレーションや位相的データ解析法と組合わせることで,アミノ酸変異がタンパク質構造・動態に与える影響を評価する手法が紹介されている.本稿では実構造ベースにモデリングされた点変異体構造を用いての実例が記されているが,言うまでもなく本手法は高精度な予測構造と組合わせることで真価を発揮するものであり,ポストAlphaFold2時代に入った今後の世界において,より一層活躍する手法と言えるであろう.
第2章では,タンパク質構造情報の活用法の1つとして,分子エンジニアリングに焦点をあてていく.第2章-1〜4では,ゲノム編集技術とかかわりの深いCasタンパク質やリコンビナーゼ,光遺伝学技術に利用されるチャネルロドプシン,環境プラスチック分解への応用が期待されているPETaseを対象に,構造情報がどのように分子メカニズムの理解や分子改変に生きてくるのか,その応用例を紹介する.また,第2章-5,6ではde novoタンパク質に焦点を移し,複雑なde novoタンパク質の設計法やその技術を活かした機能的de novoタンパク質の開発例を見ていく.特に第2章-5ではAlphaFold2以前のタンパク質デザイン,第2章-6ではAlphaFold2以降のタンパク質デザインを中心に研究の歴史や実例が紹介されており,両者を合わせて読むことで,同分野に対する理解が一層深まると期待される.
第3章では,タンパク質構造情報のもう1つの活用法として,創薬に焦点をあてる.具体的には,章の前半(第3章-1〜3)では企業による構造情報の活用例を,後半(第3章-4,5)ではアカデミアによる活用例を概観していく.その手法についても,構造認識タンパク質言語モデルを利用した化合物―タンパク質相互作用予測や,大規模な化合物ドッキング計算,生成AIを用いた化合物のde novoデザインなど多岐に渡っており,幅広いトピックを俯瞰することができる.
第4章では,主に第1〜3章では焦点を当てきれなかった,新たな構造解析技術に手を伸ばしていく.第4章-1では超解像顕微鏡,第4章-2では高速原子間力顕微鏡(高速AFM),第4章-3ではX線自由電子レーザー(XFEL)を用いた時分割シリアルフェムト秒結晶構造解析(TR-SFX),第4章-4ではNMRの原理を学ぶとともに,同手法を用いたタンパク質動的構造解析研究の実例について見ていく.さらに,第4章-5ではより専門的な内容として,構造解析におけるデータ解析プログラムの中身やその発展について深く掘り下げていく.
おわりに
筆者が膜タンパク質の構造解析分野に飛び込んだ2009年は,ちょうど脂質キュービック相法とよばれる特殊な結晶化法を用いてGタンパク質共役型受容体(GPCR)の構造解析がなされるようになった直後の2),いわば膜タンパク質X線結晶構造解析の全盛期であった.しかし,その後2013年にSPAによるTRPチャネルの構造解析がなされると3),しだいに膜タンパク質構造解析の中心はX線結晶構造解析からSPAへと移行していった.当初は対称性が高く,分子量の比較的大きな膜タンパク質を対象としていたSPAであったが,ABCトランスポーター4),GPCR-Gタンパク質複合体5)とそのターゲットは徐々に拡張され,近年では分子量50k程度の膜タンパク質についてもSPAによる構造決定例が報告されている6).また,X線結晶構造解析時代と比較して,複数状態の構造決定が容易になったという点も特筆すべき違いの1つであろう.無論,X線結晶構造解析も決して使われなくなったわけではなく,創薬現場で多数の化合物との複合体構造を迅速に決定したい場合(本書の第3章),1Åを切るような超高分解能で構造決定を行いたい場合7),あるいは刺激直後の反応中間体構造を決定したい場合(本書の第4章-3)などには,今でも大いに活躍している.
そして2021年のAlphaFold2の開発をきっかけにタンパク質構造予測の時代を迎え8),構造生命科学は再び大きく変容しようとしている.実験的な構造決定は,より難易度の高い「複合体」「ダイナミクス」「in situ」をキーワードにさらに高度なものへと進化し,構造予測技術や大規模データ測定・解析技術と有機的に結びつくことで,これまでには到底成し得なかった高いレベルの研究が散見されるようになった9)10).1つのタンパク質構造を解くだけで精一杯だった時代は終わりを告げ,構造を解く前,あるいは解いてからが本番,というエキサイティングな時代がわれわれの眼前には広がっているのである.
クライオ電子顕微鏡(cryo-EM)や構造予測技術は天然タンパク質の研究にだけ用いられているわけではない.タンパク質のde novoデザイン研究もまた,cryo-EMや構造予測技術の進歩によって大きく影響を受けた分野の一つであろう.複雑なトポロジー,アーキテクチャを有するだけでなく,さまざまな分子機能を有したタンパク質や,de novoデザインしたタンパク質バインダー,タンパク質リガンドが次々と生まれるようになってきたのはここ2,3年のことであり,その技術は日進月歩の勢いで進化し続けている11)〜13).
本書は2025年現在における最新のトピックを集めたものとなっているが,おそらく10年後には全く違った技術が生まれ,全く新しいサイエンスが行われているだろう.このわくわくする時代の変わり目に立ち会えたことを感謝しつつ,私自身もその一員として先端を拓くサイエンスを続けていきたいと考えている.本書を手にとっていただいた読者の方々に,そうした高揚感と期待の一部が伝われば,編者としてこれ以上の喜びはない.
文献
- Pellam JR & Harker D:Science, 138:667-669, doi:10.1126/science.138.3541.667(1962)
- Rosenbaum DM, et al:Science, 318:1266-1273, doi:10.1126/science.1150609(2007)
- Liao M, et al:Nature, 504:107-112, doi:10.1038/nature12822(2013)
- Oldham ML, et al:Nature, 529:537-540, doi:10.1038/nature16506(2016)
- Liang YL, et al:Nature, 546:118-123, doi:10.1038/nature22327(2017)
- Gulati A, et al:Nature:, doi:10.1038/s41586-025-09069-w(2025)
- Hirano Y, et al:Nature, 534:281-284, doi:10.1038/nature18001(2016)
- Jumper J, et al:Nature, 596:583-589, doi:10.1038/s41586-021-03819-2(2021)
- Mosalaganti S, et al:Science, 376:eabm9506, doi:10.1126/science.abm9506(2022)
- Gonzalez-Lozano MA, et al:Nature, 643:252-261, doi:10.1038/s41586-025-09059-y(2025)
- Vázquez Torres S, et al:Nature, 639:225-231, doi:10.1038/s41586-024-08393-x(2025)
- Zhu J, et al:Nature, 640:249-257, doi:10.1038/s41586-025-08598-8(2025)
- Glögl M, et al:Science, 386:1154-1161, doi:10.1126/science.adp1779(2024)
<著者プロフィール>
加藤英明:東京大学先端科学技術研究センター教授.2014年東京大学大学院理学系研究科(濡木 理教授)にて学位取得(理学博士).Stanford大学大学院医学系研究科(Brian Kobilka教授),におけるポスドク勤務を経て,’19年より東京大学大学院総合文化研究科准教授.’24年より東京大学先端科学技術研究センター教授.現在に至る.現在の研究テーマは生体における多様な物理化学刺激受容システムのメカニズム解明と利活用.趣味:美術館巡り・釣り・美味しいご飯とお酒(ただし最近は多忙により前者2つは全くできていない).
