第1章 麻酔科研修に入る前に
麻酔とは/麻酔科とは
Point
❶麻酔を行ううえで必要な3つの要件を理解する
❷麻酔の3要素と4条件
❸麻酔科の仕事を理解する
❹臨床研修の基本を実践する
麻酔に求められる3つの要件
『麻酔とは単に眠らせる技術のことではない.麻酔とは,手術などの侵襲を与える行為に先立って,安全に肉体的かつ精神的苦痛をとり除くことであり,その作用は可逆的でなければならない.肉体的,精神的苦痛をとり除くのであれば安楽死が比較としてあげられるが,麻酔では元の状態に戻す必要がある.麻酔の安全とは患者の生命を守る(合併症から守る)ことが最低限の条件である.このことを忘れてはならない』
上記の言葉は,筆者が麻酔研修を始めるとき,麻酔の本質として習ったものです.
麻酔を行うとは具体的には以下の3要件を満足させる必要があります.
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1)患者の生命を守ること(周術期※の合併症を予防すること) 2)患者の肉体的かつ精神的苦痛をとり除くこと 3)術者が手術しやすい条件をつくること ※)周術期:手術を中心とした時期のことで,手術前,手術中,手術後を包括した呼び方.周手術期と呼ぶこともある |
一般人には,麻酔というと「眠っているうちに手術が終わる」と考えている方が多いのですが,その「眠っているうちに手術が終わる」の本質は上記の3要件を満たして,何事もなかったかのように元通りにすることにほかなりません.しかし,患者自身も術前から合併症をもっています.また,手術操作による侵襲が加わっていることを忘れてはなりません.
麻酔の3要素と4条件
麻酔に求められる3要件の1)を満たすためには,①手術に伴う合併症・事故の予防と管理(術前合併症対策と手術操作への対応),②術中の呼吸循環管理,③輸液・輸血管理が必要となります.2)を満たすためには,十分な鎮痛と鎮静が必要です.3)のためには無動状態と十分な筋弛緩が要求されます.
そこで,麻酔の3要素をあわせて手術侵襲(有害反射)を抑制することが求められます(図1-1-1).麻酔管理中には,患者状態,手術侵襲,麻酔薬の作用の3項目を常に考えるべきで,それらを動的に捉えることが求められます(図1-1-2).
鎮痛,鎮静,筋弛緩の3要素をうまくコントロールすることにより手術侵襲(有害反射)を抑制することが,全身麻酔の最低条件(4条件)であると言える.鎮静=意識低下を含む.
モニターで表示しているのは,何もしていない時の状態ではなく手術侵襲が加えられ,麻酔でコントロールしている状態である.患者の状態のみをモニターが反映するのではなく3要素を合わせたものを表示するため,それぞれの要素を考える必要がある.
ここまで書くと賢明なみなさんはすでにおわかりかと思いますが,「麻酔」を行うために学ぶべきことの多さに気づくでしょう.生命維持の要となる呼吸・循環管理の知識や手技,麻酔薬や緊急薬剤の知識,術前から存在する内科的合併症への周術期対策,外科系各科の手術内容や手術により生じる病態の知識など.また,これらの知識や手技の習得に加えて,手術室で働く看護師,臨床工学技士や手術を担当する術者,主治医,さらには患者とのコミュニケーションの大切さを学ぶことができるでしょう.手術室内での麻酔科の仕事は,「麻酔」という行為を通じて個々の患者の疾患について広い観点から学ぶことであり,臨床医として大きな経験となるはずです.どの診療科を専門とする場合も,基本診察能力の習得と病態把握は大切で,「麻酔」を実践することで,その基礎を築くことができます.
現在では麻酔科の仕事は,手術室内の仕事だけではないことはご存じでしょう.手術後の鎮痛を専門に行う術後鎮痛サービスや手術直後の患者の管理を行うPost-Anesthesia Care Unit(PACU)なども麻酔科の仕事になってきています.また,手術室での呼吸や循環管理の知識,重症患者の病態把握や管理技術を応用した集中治療方面への応用や,緊急事態への対応技術を応用した救急医学方面への展開,手術室内での硬膜外麻酔をはじめとするブロック技術や鎮痛薬などの薬理知識などを応用したペインクリニックや緩和ケアへの展開があります(図1-1-3).
Column 攻めの麻酔と守りの麻酔
「攻めと守り」というのは,囲碁や将棋だけではなく経営や姿勢などにもよく使われる表現である.麻酔においても「攻めと守り」がある.守りの麻酔とは,麻酔をかけておくということだけしか考えずに,麻酔薬を漫然と流しておくことを指す.攻めの麻酔とは,患者の状態の変化,手術侵襲の変化を的確に捉えて,あるいはあらかじめ予測して積極的に輸液管理,循環管理,呼吸管理などを行い,適切な麻酔状態を作り出すことを指す.
別の意味では,守りの麻酔とは手術侵襲が加わって患者の状態が変化してから麻酔深度を変化させる「後手の麻酔」を指すこともある.麻酔チャートのバイタル記録がギザギザになっていることを「後手に回る」とも表現する.
