ゲノム・オデッセイ 診断のつかない患者を救う、ある医師によるゲノム医療の記録

ゲノム・オデッセイ 診断のつかない患者を救う、ある医師によるゲノム医療の記録

  • Euan Angus Ashley/著,佐藤由樹子/翻訳
  • 2022年11月15日発行
  • A5判
  • 444ページ
  • ISBN 978-4-7581-2125-5
  • 定価:3,960円(本体3,600円+税)
  • 在庫:あり
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第1部 ゲノムシークエンシングの夜明け

第1章 発 端

今日、我々は神が生命を創造した際に用いた言語を学んでいるのだ。

アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン

我々は遺伝子の51%を酵母と、98%をチンパンジーと共有しているヒトを人たらしめるものは遺伝子ではない。

ドクター・トム・シェイクスピア、ニューカッスル大学

絶対に何かがおかしいリン・ベロミの疑いは確信へと変わっていた。2011年8月のことだった。絶景を誇るカリフォルニアの海岸線にほど近いアロヨ・グランデの町に住むリンは、立派な男の子を出産したばかりだった。出産直後は、パーカーもごく普通の赤ん坊に見えた。しかし生後数週間で、リンは異変を感じるようになった。ミルクを飲むとか眠るといった、たいていの赤ん坊がたちまち学習するようなことを、パーカーはまだうまくできずにいた。夜は数時間しか眠らないし、よく泣いた。2012年3月、生後半年の段階で、いくつか発達の遅れが見られた。周囲のモノに興味を示さないし、寝返りも打たない。もちろん座ることもできなかった。発育の専門家に相談し、眼科医を受診し、脳の専門医にも診せ、最後に遺伝学者のもとを訪れた。さらに困ったことに、生後9カ月になるころには頻繁に発作を起こすようになっていた。いくつもの画像診断や、何十という検査を受けた。痛々しい血液検査も受けた。それなのに、いっこうに診断がつかなかった。「次から次へと医者を予約しては車で連れ回る日々でした」。母親はこう回想してい*1。「まるで何の目的もなく、ただ忙しくしているような気分でした」。そのまま数年の時が流れていった。

スタンフォード大学の未診断疾患センターを訪れたリンと5歳になるパーカーに、私たちが初めて出会ったのは2016年のことだ。このセンターは、最も困難な症例の解決を目指す医師たちの、全国的ネットワークに属している。多くの場合、成功は家族のゲノム解析によってもたらされる。ゲノムとは、我々の細胞や器官のすべてを記したレシピともいえる遺伝情報だ。2016年6月28日、私たちもまた、パーカーの血液を採取した。白血球からDNAを取り出し、全ゲノム配列を解読するためだ。パーカーの両親からも同じように血液を採取し、ゲノムを調査した。

およそ3カ月後の10月4日、遺伝カウンセラーのクロエ・ロイターとエリー・ブリンブルはリンを呼び、パーカーの遺伝子に遺伝的変異が見つかったこと、それはリンや、パーカーの父親から遺伝したものではないことを伝えた。パーカーに現れた独自の遺伝的変異で、FOXG1と呼ばれる遺伝子の機能を損なうものと思われた。同じようにFOXG1遺伝子に変異を持つ患者が、パーカーとよく似た問題を抱えていた。診断は間違いなさそうだった。5年前にパーカーの発育に疑問を抱いて以来、初めてリンは敵の姿と大きさを知ったのだ。リンはすぐに、FOXG1症候*2を患う世界中の患者家族グループの支援を受けるようになった(フェイスブック上のFOXG1のグループには最新のデータで650人の親が登録している)。何より、病気の原因がようやくわかったおかげで、パーカーを運動障害の専門家に診せることができた。専門家はすぐに投薬を変更し、パーカーの症状は劇的に軽減した。「今でも発作は起きるものの、頻度は大幅に減りました」。母親は最近になってこう報告している。「定期的に通院する必要はありますが、それ以外はとても幸せな男の子です」。

パーカーと両親は、今や新しい可能性を見出した。医師や科学者や世界中の何百という家族たちとともに、あらゆる角度からこの病気に挑み、経験を分かち合い、知識を普及させ、いつの日か治療法を見つけるという可能性だ。ゲノム研究の進歩なくしては、そのような未来を思い描くことはできなかったかもしれない。ここ数十年で科学者たちは多くの発見をし、病気の診断、治療にも絶大な影響を与えてきた。彼らの偉大な業績をたどるには、まずは2009年まで遡らなければならない。

ごく普通の一日だった。午前のミーティングを済ませた私は、ランチを摂る代わりに未来の友人のオフィスを訪ねようとしていた。スタンフォード大学の物理学教授にして生物工学者の、スティーヴン・ “スティーヴ” ・クエイクだ。スティーヴはマイクロ流体工学の分野における画期的な研究で知られていた。彼の発明した生物学的な回路基板は、鉄道の “ポイント” のようなスイッチを備えていて、分析に使う細胞や分子を特定の微小な目的地へと導くことができる。この日、スティーヴと私は遺伝学部のアフターヌーンシンポジウムを企画するつもりだった。彼のオフィスは、スタンフォード大学内の、ジェームズ・H・クラークの名を冠した建物にあった。ジェームズ・H・クラークは電気技師で、シリコンバレーでシリコングラフィックス社やネットスケープ社などを創業した人物だ。クラーク・センターはイギリスの有名な建築家ノーマン・フォスターによる設計で、対になった腎臓を思わせる形状と、躍動的な赤のライン、そしてふんだんに使われたガラスが印象的だ。夜になると建物は煌々とライトアップされ、まるでキャンパスのど真ん中にエイリアンを乗せた宇宙船が下りてきたかのようだ。ある意味、そうなのかもしれない。このセンターは、生物学と工学の出会いから発生した生物工学という全く新しい専門分野を世に送り出すために建てられた。カリフォルニアの象徴ともいえる青い空と太陽、ヤシの木を背景にした建物は、医学部と工学部のあいだに位置し、スタンフォード病院は目と鼻の先だ。通りがかりに窓から覗けば、明るく照らされたカウンターの列が見える。細胞や微生物を扱う分子生物学の実験台のすぐ隣に工学のツールが並ぶ光景は、ロボットとピペットの異種交配だ。そして昼間に、一風変わった複雑な並びの部屋番号をたどって行けば、運が良ければ3階にあるスティーヴのオフィスにたどり着くことができる。

スティーヴは典型的な物理学教授だつまり、スタンフォードとオックスフォードで学んだ華々しい経歴を持つ異端児だ。幅広く多様性に富んだ知性の源ともいえる頭脳は、いかにも教授然とした、ひと昔前なら彼の想像力と同じくらい伸び放題に伸びていたであろう豊かな髪に覆われている。実際、スティーヴのオフィスは、私がイメージする彼の頭の中を覗き見たかのような有様だ。部屋の隅という隅、壁という壁には、無秩序に “整理” された学術論文が山のように積み重なっている。その真ん中にデスクがあり、彼は身をかがめてキーボードをたたいている。スティーヴのクリエイティブなエネルギーは、周囲のすべてを圧倒する。やり手が集うキャンパスにあっても、スティーヴはずば抜けている。あの日は、学内の人類遺伝学者をひとつにつなぐセミナーの企画で訪れた。が、結局その話はお預けとなってしまった。

「ちょっとこれを見てくれ」とスティーヴは言った。私が雑誌の山のあいだにどうにか腰を下ろすと、彼は画面を見るように促した。最初は、彼が何を指差しているのかよくわからなかった。ブラウザが立ち上がっていて、上部にTrait-o-matic*3と書かれた表が画面いっぱいに広がっていた。初期のウェブサイトによく見られた飾り気のない必要最低限の表計算ソフトだった美しさは皆無だったが、私の興味を惹いたのは美意識の問題ではなく、その中身だった。そこには、何列ものデータが表示されていた。遺伝子の名であり、遺伝子のシンボルでもある、A、T、G、そしてCの文字、ゲノムの構成要素が並んでいたのだ。

私は訊いた。「で、これは?」。

このときの彼の返答は、後に、私にとってもスティーヴにとっても大きなターニングポイントとなる。まるで当然のごとく、彼独特のいかにも控え目な口調で、その低いトーンとまるきり反比例するようなとびきり革命的な返答が返ってきた。

「僕のゲノムさ」。

念のために説明するが、これは2009年前半の出来事で、当時全ゲノム配列が解読された人は世界中でも片手で数えられるほどしかいなかった。全ゲノム解読のコストは、回を追うごとに1桁ずつ、あるいはもっと大幅に減ってはいた。ちなみにヒトゲノム計画には、エネルギー省とアメリカ国立衛生研究所(NIH)が30億ドルの予算を投じ*4。続くプロジェクトでは毎回コストは大幅に削減されたものの、当時はまだなかなかの額だった。公共プロジェクトのヒトゲノム計画に対抗し、世界初のヒトゲノム全配列解読を目指し*5型破りな起業家のクレイグ・ヴェンターは、自身の全ゲノムをおよそ1億ドルかけて解読した。2008年には、匿名の漢民族男*6の全ゲノム配列がおよそ200万ドルで解読された。また、フランシス・クリックとモーリス・ウィルキンスとともにノーベル賞を受賞し、ロザリンド・フランクリンとともにDNAの構造を解明したジェームズ・ “ジム” ・ワトソンの全ゲノムが、2007年前半にベイラー医科大学のグループによって解読されてい*7。このときも、他の事例より控え目とはいえ100万ドルかかっている。いずれのプロジェクトにも何百人という科学者が関与し、何千時間もかけ、少なからぬ血と、汗と涙が流された。そんな状況の中で2009年、スティーヴは自身の研究室で、自分で開発した技術を使い、博士研究員のノーマ・ネフと博士課程の学生ドミトリー・プシュカレフの手を借り、たった4万ドルで自身のゲノムを解読し*8。それも1週間で。

私自身、研究室でもクリニックでも、シークエンシングには馴染みがあった。遺伝性心臓病の原因を突き止めるため、患者の血液を医療的な遺伝子検査のDNA解析に出す例はよくあることだった。こうした検査では、心臓病の原因として知られている5個から10個の遺伝子のATGC塩基配列を調べ、病気の犯人である(たいていは)文字の置き換わりを見つける。当時、この5個から10個の遺伝子のシークエンシングにかかる費用はおよそ5千ドルで、結果が戻ってくるまでには2カ月から4カ月かかった。病気と遺伝子を結びつけるという試みがまだはじまったばかりだったこともあり、検査で診断がつくのは3回に1回ほどだった。つまり、当時の私の状況はこの程度だった。そんな私にとって全ゲノムを解読できるということは5個ではなく、500個でもなく、5千個でもなく、全2万の遺伝子が解読可能で、しかも遺伝情報のあいだにある残りの98%のゲノムも解読できるということは……そう、まったくもって驚異的だった。

シークエンシングのコストが急激に下がっていたこともあり、いつの日か患者が文字どおり、あるいは比喩的な意味で “自分のゲノムを握りしめて” 診察室を訪れるなんてこともあるかもしれない、と考えはじめる仲間もちらほらいた。シリコンバレーでは何でもコンピューターと比べたがるのだが、シークエンシングのコストの急激な下落と、演算能力のコストの急激な下落の様がそっくりであるという事実は、カリフォルニアのベイエリアのみならず多くの人にとって魅惑的なメタファーとなっていた。科学者たちは当たり前のように、シークエンシングのコストの下落をムーアの法*9になぞらえるようになった。ゴードン・ムーアはベイエリア出身の物理学者で、ロバート・ “ボブ” ・ノイスとともに集積回路の開発に基本的な貢献をした人物だ。とりわけ、シリコンバレーの半導体企業の先駆けであるインテル社を創設した功績は大きい。ゴードン・ムーアは1965年に書いた論文の中でテクノロジーの進化のスピードに触れ、集積回路に構成できる部品数はほぼ1年ごとに倍増しており、よって演算能力のコストは同じ期間で半減していっていると指摘した。後に、実際には2年ごとが妥当であると修正したが、それでもこの “法則” は急速な技術革新と同義となった。そして、シークエンシングのコストが同じように驚くべき比率で減少しているという指摘は、ごく普通に聞かれるようになっていた少なくとも、2008年までは。この年、シークエンシングのコストは一気に下落し、ムーアの法則は置き去りにされてしまった。アメリカ国立ヒトゲノム研究所は断崖絶壁のようなグラフを公表*10、状況をわかりやすく可視化した。私もこのグラフを気に入り、多くのゲノム研究者と同じように自身のプレゼンテーションでたびたび引き合いに出した。しかし、やがて私はコストの下落をもっと具体的で直感的に示す方法を見つけた。当時、私は毎朝の通勤で、アサートンシリコンバレーの中心部、億万長者のテリトリーの近くにあるフェラーリとマセラティの販売特約店の前を通っていた。信号待ちのたびにショールームの車体を横目で眺めたものだ。そしてある日、私は赤信号を待ちながら、人がよくやるように頭の中でざっくりとした計算をしてみた。もし、あのフェラーリの価格が、ヒトシークエンシングのコストと同じようにヒトゲノム計画のドラフト配列発表からの8年間と同じ下落率で下がったとしたらどうなるか?そうなると35万ドルのフェラーリが、40セントで買えることになる。フェラーリが40セント!100万分の1の値段だ。前代未聞と言ってもいい。以来、私はこのイメージをスライドショーに加えることにした。プレゼンテーションを聞いた人からは、このくだり以外は何も思い出せないと言われることもあった。

もちろん、2009年の時点では、スティーヴのゲノム解読ですらコストは4万ドルだった。患者が自分のゲノムを握りしめてクリニックを訪れるなど、私がフェラーリの購入を考えるのと同じくらい、非現実的で時期尚早に思えた。しかし、未来志向はクリエイティブな思考の強力な原動力だ。今からでも、その日に備えるべきではないのか?確かに、計算速度の問題もあるし、知識もまだまだ足りない。それでも、単にゲノム配列を解読するだけでなく意味のある解析ができたらどうだろうか。ただ本を読むのではなく、実際に理解できたら?データを知識に変換し、その知識を患者に適用できるとしたら?これはすごいぞ。

そんなことを考えながら、私はスティーヴの話を聞いていた。彼はさまざまな遺伝子について私に質問し、スクリーン上で自分のDNAが標準ゲノム配列(あるいは参照ゲノム配列、その由来を含めて第6章で詳細を説明する)と異なる箇所をいくつか指摘した。「きみにわかる部分はあるかな?」と彼は訊いた。私は彼が指摘した遺伝子名に目を通し、自分のよく知る遺伝子を見つけた。心筋ミオシン結合タンパク質C。この遺伝子は、心臓の分子モーターの重要な部品となるタンパク質をコードする。科学者たちはこの遺伝子の働きを長いこと解明できずにいたのだが、今ではこの遺伝子の変異が、遺伝性の心臓病である肥大型心筋症心不全や突然死を引き起こす疾患の最も一般的な原因であることがわかっている。スティーヴは、まさにこの遺伝子の変異を指差していた。彼の遺伝子に見られる変異が命取りになる可能性はあった。当然のことながら、心臓専門医の私は彼の既往症についてあれこれ質問をしはじめた。持病はある?気になる症状は?胸の痛みは?動悸とか、息切れは?科学者として同僚のオフィスを訪れた私だが、今や患者を診察する医者になっていた。研究者であることに変わりはないが、一個人の真実を追求する研究者だ。幸いにも、スティーヴにこうした症状は一切なく、病気にかかったこともなかった。

そこで今度は、彼の家族歴を尋ねた。医者によって “家族歴” の意味するところは全く違う。場合によってはチェック項目のひとつに過ぎない。「ご家族に同じ病気の方はいませんね?」。これで終わりだ。だが遺伝学者や希少疾患の診断医にとって、家族歴は宝の山だ。そこには謎を解く鍵が詰まっている。隅々まであさり、ばらばらに分解し、調査し、また組み立てる。この種の診断医は、まるでシャーロック・ホームズが犯行現場でするように、家族歴を調べ尽くす。詳細にわたり、あらゆる角度から調べ、根掘り葉掘り尋ね、そして熟考する。とはいえ、家族の病歴を本当の意味で知っている人などめったにいない。試しに自分の家族歴について考えてもらえばわかる。親族が発症した疾患のリストを作成し、各疾患について発症した親族の名前と、初めて診断を受けた年齢を当てはめるのは簡単ではないはずだ。私がスティーヴに家族歴を尋ねると、彼はほとんどの患者と同じように「いや、家族歴なんかないさ」と即答した。だが続いて、キャビネットの奥深くに眠るほこりまみれのファイルを引っ張り出すように言った。「待てよ、確か親父が、心臓に何かあったような気がするな。リズム異常の……心室……」。

「頻拍?」。それが当たっていることを期待したというよりは、本能的に最悪の事態を想定したのだ(医者の職業病でもある)。心室頻拍は、肥大型心筋症でも起こり得る不整脈だ。

「そう、そんな病名だった気がする」。

こうなると、好奇心に交じって心配が頭を持ち上げてきた。心室頻拍になると、上下に分かれた心臓の統制された正常な動きは失われ、危険なほどに統制を欠いた速い拍動に置き換わる。血液を送り出せなくなる可能性もある。脳へ送られる血液の量が減れば、意識を失い、たちまち死に至る。心室頻拍はほぼ例外なく緊急事態だから、たいていの医者はこの拍動を心底恐れている。患者が心室頻拍を起こしていると聞いたら、医者は走り出す。まるで心室頻拍と聞いただけで、モニターに映し出される激しく不規則な電子信号のような狂ったリズムが医者の身体に刻まれるかのように。その狂ったリズムは「走れ!」と叫ぶ。それは不意に襲い掛かり、恐怖をもたらし、ときに命取りとなる。

まとめると、私は遺伝子セミナーを開催する相談で世界に名をはせる科学者のオフィスを訪れたのだが、その結果、新たな友であるスティーヴの父親が突然死を招くことすらある心室頻拍だったかもしれないという話になった。それはこの時、突然死を招く遺伝性心臓病を専門にする心臓医である私が友のゲノムの、肥大型心筋症と関係する特定の遺伝子に生じた特定の変異を凝視していたからだ。「それじゃ、親族で突然死した人は?」。この質問は、ほぼ間違いなく最も有効なツールだ。我々にとって、こうした質問とその追跡調査は、外科医にとっての手術道具のようなものなのだ。外科医にはそれぞれ好みの手術道具がある。特注品の場合すらある。気に入りの道具は手に馴染む。バランスがいいからだ。彼らは、手にしたメスが自分の動きにどう反応し、どう切れるかを知っている。外科医は、患者の組織の反応を本能的に理解する。正しく使えば、こうした質問は診断医にとってのメスとなる。

「ええと、言われてみれば……いとこの子どもが最近、原因不明の突然死をしたな」。

やっぱりだ。

見つけたぞ。家族歴に、原因不明の突然死。危険を報せる真っ赤なフラグがその姿を現し、目の前で打ち振られている。私は頭の中で、いとこの子どもとスティーヴが同じ遺伝的特質を持つ確率を猛スピードで計算しつつ、できるだけさりげない口調で訊いた。「なるほど。それは何歳ぐらいで?」。

「それがさ、まだ19歳だったんだ。空手をやっていて、確か黒帯だった。寝込んだことすらない子だったのに」。

私はいよいよ身を乗り出した。若者の突然死の最も一般的な原因は、心筋症などの遺伝性心臓病だ。つまり、肥大型心筋症などの心筋症だ。私はスティーヴに、検査のために私の外来を受診するよう誘った。そしてその瞬間から、スティーヴは単なる同僚でも友人でもなく、私の患者となった。そしてほぼ同時に、この事態にどう対処するべきか手遅れになる前に彼の心臓の検査をするには、どれくらい素早く動くべきか、どんな支援が必要かと考えを巡らせていた私は、あることに気がついた。彼は今、自分のゲノムを握りしめて医者の診察を受けにくる、世界初の患者になろうとしているのだ、と。

それも、完全なゲノムを持って。

そして医者はこの私だ。

私は自分のオフィスへと引き返した。頭の中では、何が可能で何が不可能なのか、目まぐるしく交錯していた。そもそも、どうやってゲノムを分析しようというんだ?当時、ヒトの全ゲノムを解析しようなどという考えは、非常識であると同時に時期尚早でもあった。公開された一部のゲノムは、主に統計的な手法で分析されていた例えば、1文字変異がこれくらい多く見つかった、といった分析だ。ベイラー医科大学のチームはもう少し踏み込んで、ジム・ワトソンのゲノムの中で医学的な意味を持つ遺伝子の変異を調査した。しかし、医学的なアプローチを全ゲノムに、あらゆる遺伝子のすべての変異に拡大するとなると、そんな手立てを持つ科学者はいまだ存在しなかった。

そこで、私は心臓病学の研修医、マシュー・ “マット” ・ウィーラーに声をかけた。長きにわたる協力者であり友でもあるマットは、非常に才能ある臨床科学者だ。ニューヨーク州北部の出身で、スタンフォードに来る前はシカゴで学んでいた。背が高く、がっしりとした体格でボートを楽々と漕ぎ、スキーをすれば私などとは比べ物にならないほど軽快な動きを見せた。私たちが出会ったのは、実は互いの妻のお膳立てにより、彼女たちが所属するボートクラブのパーティーで紹介されたのがきっかけだった。話してみると、私たちはともに心臓病学、遺伝学、スポーツ、そして遺伝性心臓病に強い関心を抱いていることがわかった。そして出会ったその日に、遺伝性心血管疾患センターの構想について話し合った。それから5年後のこの日、私のオフィス(後に彼のオフィスになった部屋)でマットと顔を合わせた私は、スティーヴについて、彼のゲノム、家族歴、そしてオフィスに戻って以来ずっと頭にあるアイディアについて語った。ヒトの全ゲノムをすべての配列、遺伝子、変異を臨床的に解析する、というアイディアだ。彼の反応は例によって控え目だった。無表情で、ほとんどささやくような声だった。それでいて、これから私たちが乗り出すことになる冒険を予見するかのようだった。

「嬉しいね。ここには大きな志を持つ人間がまだいたってことだ」。

◇  ◇  ◇

ヒトゲノムは体中ほとんどすべての細胞内に存在する。なぜ “ほとんど” すべてなのかというと、核を持たない細胞が一部あるからだ。例えば赤血球は、より多くの酸素を運搬するために、成熟の過程で核を失う。ゲノムは細胞内の “金庫室” ともいうべき核に収められている。実は、細胞の “動力装置” 、ミトコンドリアにもゲノムは存在する。先に述べたように、ゲノムは非常に長いDNAの分子でできている。DNAの鎖は、ヌクレオチドと呼ばれる分子が細長く連なってできている。ヌクレオチドは、特殊な糖に4つの塩基のうちの1つが結合したものだ。塩基にはアデニン(adenine)、チミン(thymine)、グアニン(guanine)、シトシン(cytosine)があり、これら4つの塩基の頭文字ATGCが、60億文字の遺伝コードとなる。ゲノムを構成するDNA分子は非常に長く、たったひとつの細胞から取り出したDNAでも、全長およそ2メートルにもなる。これを細胞の核に収めるには、小さくたたむ必要がある。そこで、DNAはヒストンと呼ばれるタンパク質の周囲に巻きつけられ、さらにこれが集まってクロマチンというコンパクトな構造をつくる。染色体はこのクロマチンが凝縮されたものだ。正常なヒトゲノムは23対の染色体を持つ。そのうち22対が常染色体で、残る1対はX染色体とY染色体の組み合わせからなる性染色体だ(女性はX染色体を2本、男性はX染色体とY染色体を1本ずつ持つ)。染色体が丸々1本重複することで引き起こされる疾患もある。例えば、一般にダウン症として知られる21トリソミーは、21番目の染色体が3本あるために起こる疾患だ。まとめると、ゲノムとは、体中のほぼすべての細胞内に存在するレシピ本のようなものだ。ゲノムはA、T、G、Cのいずれかの文字で書かれた60億文字で、染色体の形に凝縮され、ほとんどの人はこの染色体を23対持っている。

このレシピ本には材料とその使い方が記されていて、材料に当たるものが遺伝子だ。遺伝子のサイズはそれぞれ非常に大きな差があ*11。最も小さい遺伝子がたった8文字でできている一方で、最長の遺伝子は247万3559文字からなる。ほとんどの遺伝子はタンパク質をつくるための情報を記したものだ。タンパク質の合成に至るには、まずDNAがリボ核酸(RNA)と呼ばれる関連する分子に転写される。RNAは遺伝子コードの情報を核の外へと運び、3文字1組となって、タンパク質を構成するアミノ酸へと翻訳される。タンパク質は細胞内でさまざまな働きをする。細胞の形質を保つ構成要素になる場合もあれば、自身で動き回ったり周囲のものを動かしたりするモータータンパク質になる場合もある。分子を他の分子に変換する酵素になることもある。だが、こうしたタンパク質の元となる2万あまりの遺伝子は、ゲノムの2%を占めるに過ぎない。では残りの98%はいったいどうなっているのか?ゲノムのこの部分は、どんな役割を果たしているのか誰にもわからないという理由で、長いあいだ “ジャンクDNA” と呼ばれてきた。だが、それも今となっては理解し難いことだ。というのも、この “ダークマター” の秘密については、年々明らかになってきているからだ。我々のゲノムのほとんどが造物主にとって無意味なものだと考えていたなんて、その幼稚さに恥じ入るばかりだ。最近になってわかったのだが、ゲノムの中でも遺伝子の働きをしていないこの部分(非コードDNA領域)は、遺伝子のオン・オフを決めるのに決定的な役割を果たしている。また、我々の遺伝子の半分は、ゲノムのこの部分に関連する偽遺伝子を持っているもはや機能することをやめた遺伝子のコピーだ(少なくとも、かつてはそう考えられていた。今ではこの偽遺伝子が、やはり他の遺伝子、とりわけパートナーとなる遺伝子の機能を統制する可能性があるとわかっている)。確かに、ジャンクDNAの中には実際にゴミとしか思えないものもある。ゲノムの半分は、いまだ理解不能な繰り返しのDNAでできている。もっと言うとこれが一番謎深い部分なのだがヒトゲノムの10%近くは、遠い昔に我々のゲノムに定着したウイルスに由来する。次に風邪をひいたら、是非ともこのことを思い出してほしい。

長年、ゲノムのように複雑な暗号を解読するのは、ほとんど不可能だと思われてきた。やがて1970年代にDNAを解読する2つの方法が提案され、フレデリック・サンガーが考案し*12方法が主流を占めるようになった。サンガーはイギリス人の生化学者だ。ノーベル賞を2回受賞した人はこれまでに4人しかいないのだが、彼もそのひとりで、しかも自身が指導した2人の博士課程の学生もノーベル賞を受賞している。にもかかわらず、本人はよく自身について「研究室で遊び半分に過ごしていただけの平凡な男」だと話していた。サンガーの手法は、我々の細胞内にある分子コピー機DNAポリメラーゼを使うもので、何十年ものあいだシークエンシングの主流だったし、今日でも大きな役割を果たしている。

サンガーのシークエンシングを理解してもらうため*13、少しばかり技術的な話をしたいと思う。ここに、それぞれA、T、G、Cのラベルを貼った4本の試験管があるとしよう。どの試験管にも、DNAのコピー機と、複写させたいDNA分子、そしてDNAをつくる構成要素(十分な量のA、T、G、C)を入れる。さらに、それぞれの試験管には、ラベルに書かれた文字と一致する特殊な構成要素を加える。この特殊な構成要素には放射性の標識が取りつけられていて、これがDNA分子に組み込まれると、標識が妨げとなり、コピー機はDNA分子をそれ以上伸長できなくなる。そしてここが重要なのだが、特殊な構成要素は普通の構成要素に比べてほんの少量しか加えてはならない。さて、4本の試験管のコピー機が稼働すると、コピー機は加えられた構成要素の中から、複写しているDNA分子に必要な構成要素をランダムにピックアップしていく。普通の構成要素の方がずっと数が多いから、当然、特殊な構成要素より、普通の構成要素をピックアップして組み込む確率が高くなる。しかし、やがては標識のついた構成要素がピックアップされる。その瞬間、DNAのコピー機は動きを止め、その分子に放射性の標識が付加される。コピー機は試験管内で新たに最初から複写を開始し、上記の過程が繰り返される。やがて、さまざまな長さのDNAのコピーが詰まった4本の試験管が出来上がる。Aの試験管にはAの標識がついたコピーが、Tの試験管にはTの標識がついたDNAコピーが入っている、といった具合だ。次に配列を読み解く作業だ。それぞれの試験管から取り出したDNAを、電荷を利用してゲル板に流す。すると、短い断片ほど速く移動するため、DNAは断片の長さに応じてゲルの中に分布される。このゲルを写真フィルムに感光させれば、放射性標識が検出できる。結果、踏み段が抜け落ちた梯子のようなものが写った縦長の写真が4枚得られる。ここからがすごいところだ。4枚の写真を並べてみると、どの踏み段も4枚のうち1枚にしか写っていないことが見て取れる。踏み段が写っている梯子が、そのポジションの文字、つまりA、T、G、Cに相当するというわけだ。

わからない部分があったという読者も、もう少しだけ我慢してもらいたい。この骨の折れる工程は、以下の3つの主要な進歩によってスピードアップされ、商業化された。①放射性の標識は光を発する分子に置き換えられ、②4本の試験管に分けて行われていた工程が1本の試験管で済むようになり、③分子は電荷に応じて早く効率的に分離できるようになった。アプライドバイオシステムズ社が開発した、この一度におよそ500塩基を読み取れる技術は、ヒトゲノム計画のシークエンシングを強力に推進する力となった。

同じ技術を使って解読された世界で2番目のヒトゲノムは、科学者のクレイグ・ヴェンターのもので、ヒトゲノム計画とほぼ同時期に終了した。彼は会社を興し、ヒトゲノムを解読してヒトゲノムで特許を取得しようとした。公共プロジェクトにスピード勝負を挑んだおかげで、クレイグは激しいバッシングを受けた(この勝負は結局、引き分けということになった)。ヴェンターのゲノム解読にかかったコストはおよそ1億ドルだった(例のフェラーリで換算すると35万ドルから1万2千ドルへの値下げ、劇的なコストダウンだ)

生物学の分野におけるこうした進展の多くは、サイエンスフィクションと似通ってくる中身とまではいかないが、少なくとも使われる用語に関しては。それが理由かどうかはわからないが、いわゆるネクストジェネレーション、つまり次世代のシークエンシングが生まれた。『スター・トレック』のジャン=リュック・ピカードもさぞかし鼻が高いだろう。ネクストという単語は絶対的ではなく相対的な単語であるから、サンガー法の後に出てきたほぼすべての手法が、ある時点で次世代シークエンシングと呼ばれたのも無理はない。残念ながら、これは混乱という名の贈り物となってしまった。ただ、次世代と呼ばれる技術全般に共通してい*14のが、シークエンシングの工程を拡張できる能力だ。かつては、ターゲットを解読したい一部分に絞り、その部分だけのコピーを大量に作製し、サンガー法でシークエンシングしていた。次世代シークエンシングでは、全ゲノムをおよそ100文字単位に切り分け、これを全部同時に解読してしまう。実際のところ、これでシークエンシングは猛烈にスピードアップできる。

このような技術革新が成就するにはある程度の時間が必要だ。次のヒトゲノムが公表されるまでに*157年の歳月を要した。2007年、ノーベル賞受賞者のジェームズ・ワトソンの全ゲノムが、454ライフサイエンス*16(起業家として有名なジョナサン・ロスバーグが創設した企業)の技術を使い、ベイラー医科大学のチームの手で解読された。チームを率いたのはオーストラリア人遺伝学者、リチャード・ギブズだった。製薬企業のロシュ社は、この454という謎めいた名を持つ技術を2007年に買い取った。454は非常に長いDNA断片の解読を可能にした(当初は400から500塩基の断片を、後に改良されて最大で1千塩基の断片を解読できるようになった)。ベイラー医科大学の解析によると、ワトソンのゲノムから、彼が癌になりやすい体質であることがわかった。ワトソンはまた、アルツハイマー病の発生リスクがわかる遺伝子について、その部分だけを公表しなかったことでも知られている。彼のゲノム解読は完了までに2カ月かかり、コストは100万ドルだった。フェラーリは116ドルまで値下げされた。

続いて2008年の終わりごろから2009年初頭にかけ、世界各国の研究グループから、立て続けに3人の全ゲノムが公表された(3人とも匿名)。いずれもイルミナ社の技術を使って解読され、この技術は直近10年間のほとんどの期間で、シークエンシングの主流となった。特筆すべきは、これらのゲノムが人類の多様性をより反映させるものとなったことだ。被験者はそれぞれ漢民族、韓国人、そして西アフリカ出身者だった。最後のものにはゲノムの医学的注釈もいくつか含まれていたし、さらには初期のTrait-o-maticが使われていた私がスティーヴのオフィスで目にしたあのソフトウェアだ。解読にはいずれも6週間から8週間かかり、コストは数十万ドルだった。50ドルのフェラーリが3台並んだことになる。

こうした中、スティーヴのゲノムはいくつかの点で際立っていた。手はじめに、彼はゲノムを解読する技術その名もヘリスコープを開発し、開発した技術を市場に出すためにヘリコス社を設立した。ヘリコス社の手法はサンガー法ともイルミナ社の技術とも異なっていた。たった1つの分子からDNAを解読できたからだ。まずフローセルと呼ばれるガラス基板に、ターゲットとなる短いDNAの断片を固定し、ここに蛍光性の標識のついたDNA塩基を流し込む。DNAポリメラーゼの働きによって塩基が新たなDNAへと組まれると、複写機の役目をする非常に繊細なカメラが、これを写真に撮る。いわば、小さな電球の写真を撮るような感じだ。続いて、蛍光色素が洗い流され、また次の塩基が流し込まれる。すると続きのDNAが組まれるので、これをまた撮影する。この繰り返しだ。もちろん、写真に写るのはたった1つの電球ではない。カメラは一度に10億の電球を読み取ることができる。結果、全ヒトゲノムをカバーするだけのデータが1週間で、それもたったの4万ドルで得られることになる。そして今や、我らがフェラーリは、6ドル出せば1時間もかからずに組み上がるまでになった。

お気づきのとおり、これら次世代型の技術はいずれも、シークエンサーに入れた小さいDNA断片に応じた何百万という短いゲノムの “単語” を書き出すものだ。ランダムに書き出される単語を理解するには、秩序ある順番に並び替えなければならない。ジグソーパズルを組み立てるようなものだ。通常この作業には、コンピュータープログラムが使われる。ヒトの標準ゲノム配列(ヒトゲノム計画の成果である配列)を読み込み、ひとつひとつの単語の正しい位置を突き止めるプログラムだ。今では標準となったプログラムだが、当時はゼロからプログラミングするしかなかった。スティーヴの研究所では、ドミトリー・プシュカレフがこれを担当した。ドミトリーは背の高い、やせ型のロシア人大学院生で、深夜のコーディングにおいても昼間の探求的な研究においても類い稀なスタミナを発揮した。彼は、ゲノムをつなぎ合わせて標準ゲノム配列と異なる箇所を見つける初期のプログラムを開発した。このデータとアルゴリズムから、私たちの旅がはじまった。

  • 母親はこう回想している  2020年2月2日、リン・ベロミとの録音インタビューより。
  • FOXG1症候群  FOXG1 syndrome. Genetics Home Reference. Accessed March 29, 2020.
  • Trait-o-matic  開発者はジョージ・チャーチのグループのシャオディ・ウーとアレクサンダー・ “サーシャ” ・ウェイト・ザラネック。Trait-o-maticの開発はハーバードのパーソナル・ゲノム・プロジェクトの一環だった:The Harvard Personal Genome Project. Accessed March 29, 2020.
  • ヒトゲノム計画に……30億ドルの予算を投じた  ヒトゲノム計画の予算についてはさまざまな文献で述べられている。本書では以下の見解を使用している: Genomics. Energy.gov. Accessed March 29, 2020; Watson JD, Jordan E. The Human Genome Program at the National Institutes of Health. Genomics. 1989;5 (3) : 654–656.
  • ヒトゲノム計画に対抗し、世界初のヒトゲノム全配列解読を目指した  ヒトゲノム計画の論文は民間のプロジェクトと並行して発表された:Lander ES, Linton LM, Birren B, et al. Initial sequencing and analysis of the human genome. Nature. 2001;409(6822):860–921; Venter JC, Adams MD, Myers EW, et al. The sequence of the human genome. Science. 2001;291 (5507) :1304–1351.
  • 匿名の漢民族男性  アジア人のゲノム解読:Wang J, Wang W, Li R, et al. The diploid genome sequence of an Asian individual. Nature. 2008;456 (7218) : 60–65.
  • ジェームズ・ “ジム” ・ワトソンの全ゲノムが……解読されている  ジェームズ・ワトソンのゲノム解読:Wheeler DA, Srinivasan M, Egholm M, et al. The complete genome of an individual by massively parallel DNA sequencing. Nature. 2008;452 (7189) : 872–876.
  • スティーヴは……自身のゲノムを解読した  スティーヴ・クエイクのゲノム解読に関する初公表の論文: Pushkarev D, Neff NF, Quake SR. Single-molecule sequencing of an individual human genome. Nat Biotechnol. 2009;27 (9) : 847–850.
  • ムーアの法則  Over 50 Years of Moore’s Law. Intel. Accessed March 29, 2020; Moore’s Law. Computer History Museum. Accessed March 29, 2020.
  • グラフを公表し  The Cost of Sequencing a Human Genome. Genome.gov. Accessed March 29, 2020.
  • 遺伝子のサイズはそれぞれ非常に大きな差がある  最大・最小サイズの遺伝子については以下より引用: Strachan T, Read AP. Human Molecular Genetics. New York: Garland; 2018. doi:10.1201/9780429448362. ゲノムの分析については以下からも引用: Platzer M. The human genome and its upcoming dynamics. Genome Dyn. 2006;2:1–16.
  • フレデリック・サンガーが考案した  フレデリック・サンガーについての詳細は以下より引用: Berg P. Fred Sanger: A memorial tribute. Proc Natl Acad Sci USA. 2014;111 (3) : 883–884.
  • サンガーのシークエンシングを理解してもらうために  サンガー法および次世代シークエンシングに関する資料: Heather JM, Chain B. The sequence of sequencers: The history of sequencing DNA. Genomics. 2016;107 (1) : 1–8; Goodwin S, McPherson JD, McCombie WR. Coming of age: Ten years of next-generation sequencing technologies. Nat Rev Genet. 2016;17 (6) : 333–351.
    サンガー法と同時期に、ウォルター・ “ウォリー” ・ギルバートにより別のシークエンシング技術が開発された。ギルバートはハーバード大学の所属で、物理学者から生化学者に転向した。また、ジェームズ・ワトソンとは長年近くで仕事をしてきた。ギルバートの技術は化学修飾とDNAの切断を特徴としたが、同時に多量の放射線が使用されたため、初期にはサンガー法よりも人気を博したものの、サンガー法の改良が進むにつれてそちらに人気を奪われてしまった。
  • 次世代と呼ばれる技術全般に共通している  最初の次世代技術のひとつに、ハーバード大学のジョージ・チャーチ研究室が開発したポロニーシークエンシングがある:Shendure J, Porreca GJ, Reppas NB, et al. Accurate multiplex polony sequencing of an evolved bacterial genome. Science. 2005;309 (5741) : 1728–1732.
    ポロニーシークエンシング技術の開発はロブ・ミトゥラの研究を足掛かりとし、ジェイ・シェンドレとグレッグ・ポレカが先導した。参考資料: Open Source Next Generation Sequencing Technology. Harvard Molecular Technologies. Accessed December 28, 2016.
    ポロニーの名はDNAポリメラーゼのポリメラーゼとコロニーに由来する。この技術では数百万の分子からDNA配列を読み取るのだが、分子はおのおの、油液中の微小な水滴の中で増幅される(これが同一DNA分子のコロニーとなる)。ジェイ・シェンドレは後に、多くのゲノム技術を開発する。患者のエクソーム解析を行った最初の医師のひとりであることは特筆すべきことだ(同じ遺伝性疾患を持つ4人の患者でエクソーム解析を行った)。この研究は、先駆者であるデボラ・ “デビー” ・ニッカーソンとの共同研究の一環だった:Ng SB, Turner EH, Robertson PD, et al. Targeted capture and massively parallel sequencing of 12 human exomes. Nature. 2009;461 (7261) : 272–276. エクソーム解析の先駆者には他に、リチャード・ “リック” ・リフトンがいる:Genetic diagnosis by whole exome capture and massively parallel DNA sequencing. Proc Natl Acad Sci U S A. 2009 Nov 10; 106 (45) : 19096–19101
  • 次のヒトゲノムが公表されるまでには  初期に解読されたいくつかのゲノムに関する論文には、それぞれにかかったコストや時間の概算が記載されていた: Lander ES, Linton LM, Birren B, et al. Initial sequencing and analysis of the human genome. Nature. 2001;409 (6822) : 860–921; Venter JC, Adams MD, Myers EW, et al. The sequence of the human genome. Science. 2001;291 (5507) : 1304–1351; Wang J, Wang W, Li R, et al. The diploid genome sequence of an Asian individual. Nature. 2008;456 (7218) : 60–65; Wheeler DA, Srinivasan M, Egholm M, et al. The complete genome of an individual by massively parallel DNA sequencing. Nature. 2008;452 (7189) : 872–876; Bentley DR, Balasubramanian S, Swerdlow HP, et al. Accurate whole human genome sequencing using reversible terminator chemistry. Nature. 2008;456 (7218) : 53–59; Kim J-I, Ju YS, Park H, et al. A highly annotated whole-genome sequence of a Korean individual. Nature. 2009;460 (7258) : 1011–1015.
  • 454ライフサイエンス社  数字の454はこの技術が最初に開発された際のコードネームだった。この数字の持つ意義については、少なくとも公の場においては、正しく説明されたことがない。
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ゲノム・オデッセイ 診断のつかない患者を救う、ある医師によるゲノム医療の記録

ゲノム・オデッセイ 診断のつかない患者を救う、ある医師によるゲノム医療の記録

  • Euan Angus Ashley/著,佐藤由樹子/翻訳
  • 定価:3,960円(本体3,600円+税)
  • 在庫:あり
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