老化研究をはじめる前に読む本〜450本の必読論文のエッセンス

老化研究をはじめる前に読む本

450本の必読論文のエッセンス

  • 高杉征樹/著
  • 2022年12月05日発行
  • A5判
  • 160ページ
  • ISBN 978-4-7581-2126-2
  • 定価:4,290円(本体3,900円+税)
  • 在庫:あり
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第1章 老化とアンチエイジング

1-5 老化研究の方法と注意点

ヒトやマウスといった哺乳類はもちろんのこと,ハエや,もっと単純な生物である線虫にまで老化は存在しています(図3).また動物のような多細胞生物でないのでイメージが湧きにくいかと思いますが,単細胞生物である酵母についても,研究者らにより “酵母の老化” なる現象が定義されています.ここにあげた生物種はいずれも老化研究のモデル動物として用いられることがあります.ヒトの老化と酵母の老化はきわめて異なっていますが,例えば代謝を調節することで老化の速度に一定の影響を及ぼすサーチュインというタンパク質はヒトと酵母の両方に存在しています.当該研究領域の発端は酵母研究によりもたらされました16).基本的にヒトからかけ離れた動物であればあるほど,その生物の老化研究から見出された発見がヒトに当てはまる可能性は低くなります.それでも,酵母やハエだから可能な研究があり,そこから多くの重要な知見がもたらされているのです.

しかし,本書では基本的にヒトかマウスにおいて得られた科学的知見に基づいてのみ記述をしていきます.これまでの科学的知見を得るまでにあった酵母・ハエ・線虫の研究の貢献には大きな敬意を払いつつも,それらを本書でカバーすることは筆者の能力を超えており,本書の記述を著しく複雑化するため,避けます.次にマウスを用いた老化研究から得られた知見を紹介する前に,マウスの老化研究に関して2つほど注意事項をあげておきたいと思います.まず1つ目は,多くのマウス研究では,何十世代も近親交配をくり返し,遺伝的な多様性を失わせた,近交系とよばれるマウス集団を用いているという点です.いわゆる個人差のようなものがなくなるため,実験の結果が安定しやすいなど,研究を進めるうえで多くの利点があります.一方で,一定の遺伝的背景をもつ特定の系統のマウスで得られた研究結果が,その系統のマウスにしか当てはまらないというリスクもあります

例えば遺伝的に多様で個体差が大きい人間のなかでは,薬がある人には効いてある人には効かないということがあります.非常に多くの遺伝子の機能に影響を受ける老化のような表現型は特に個体差が大きく現れます.最もよく使われる近交系C57BL/6系統のマウスの研究室における最大寿命がおよそ3年ですが,このこととヒトの最大寿命が122年であるということは意味合いが大きく異なっています.近交系マウスの最大寿命をヒトで例えるならば,何十何百という特定の個人のクローンがほぼ同じ生活環境の下で生きた場合での最大寿命といえます.この場合,その個人がたまたまゲノムDNA配列のわずかな個人差に基づきどんなに運がよくても90歳程度までしか生きられない体質であったならば,そのクローン集団の最大寿命は90歳ということになるわけです.一方,122歳という自然に生きる多様なヒト集団の寿命の限界は,少々の遺伝的多様性や生活様式の違いといった程度の揺らぎでは超えられない壁です.また研究室におけるマウスは,通常いつでも自由に摂食できる状態にあり,おそらく自ら健康状態を管理し律することのできないマウスは一定の週齢以降は肥満といえる状態になっています.このように,実験動物の飼育環境のさまざまな要因が動物の寿命を縮めている可能性に留意する必要があります.特定の系統や飼育環境に付随する弱点を克服することで成される長寿のメソッドは,異なる系統・環境下のマウスに対して同様の効果を発揮しない可能性があります.例えば,食餌制限がマウスの寿命に及ぼす影響は系統により全く異なります.一部の系統のマウスでは食餌制限による寿命延長効果が認められていますが,実はそれと同じくらいの数の別の系統のマウスでは逆に寿命を縮めてしまうかもしれないのです17).しかし仮にそうだとしても,一概に食餌制限が寿命の延長に有効でないという結論には決して至りません.すべての系統やすべてのヒトに当てはまるわけではないとしても,弱点とその対処法をセットで理解することができれば,見出した対処法がその弱点をもつ系統や一部のヒトに対して有効であることには違いがありません.ただ,あるモデルでの発見がどこまで普遍化できるのかについては常に注意をする必要があります

老化研究に関する2つ目の注意事項は,その研究で着目する加齢変化が生涯のどのタイミングで起こっているものなのかということです.C57BL/6マウスの場合,3〜6カ月齢時点でヒトの20~30歳相当,10〜14カ月齢時点で38〜47歳相当,そして18〜24カ月齢時点で56〜69歳相当であるといわれています18).遺伝子発現パターンをみると3〜6カ月齢の間は変化が激しく,その後1年の間は変化が落ち着きます.6カ月齢以前にはまだ成長に伴う大きな変化が続いている可能性があります19).2カ月齢と24カ月齢のマウスの間で大きな変化が起こっているようにみえても,よく調べてみるとその変化は6カ月齢までにほとんど終わっているということがままあります.これを老化と捉えるかはケースバイケースですが,そのような変化であっても,例えばそれが先々の機能低下を規定するようなものであるならば抗加齢医学上は重要な知見とみなせるでしょう.マウスを用いた老化研究では一定の月齢の若齢マウスと老齢マウスの2群間での比較がよく行われ,その間の月齢のマウスに関する情報がないことがしばしばあるため,示された加齢変化が成長期に起こっているものなのか,老齢期に起こっているものなのか,あるいは生涯を通じて連続的に変化しているものであるのか不明瞭な場合があります.このような研究結果に立脚して物事を考える場合には,この点に関する曖昧さを念頭に置いておくことが望ましいでしょう.

文献一覧

  • Nakamura M, et al:Mitochondrial defects trigger proliferation of neighbouring cells via a senescence-associated secretory phenotype in Drosophila. Nat Commun, 5:5264, 2014 (PMID:25345385)
  • Imai S, et al:Transcriptional silencing and longevity protein Sir2 is an NAD-dependent histone deacetylase. Nature, 403:795-800, 2000(PMID:10693811)
  • Liao CY, et al:Genetic variation in the murine lifespan response to dietary restriction: from life extension to life shortening. Aging Cell, 9:92-95, 2010(PMID:19878144)
  • Flurkey K, et al:Chapter 20 - Mouse Models in Aging Research.「The-Mouse-in Biomed-ical Research 2nd edition, Volume 3: Normative Biology, Husbandry, and Models」(Fox JG, et al, eds), 637-672, Academic Press, 2007
  • Schaum N, et al:Ageing hallmarks exhibit organ-specific temporal signatures. Nature, 583:596-602, 2020(PMID:32669715)
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