がんゲノムペディア〜77のキーワードで理解するゲノム医療とゲノム研究

がんゲノムペディア

77のキーワードで理解するゲノム医療とゲノム研究

  • 柴田龍弘/編
  • 2024年01月30日発行
  • B5判
  • 255ページ
  • ISBN 978-4-7581-2130-9
  • 定価:7,480円(本体6,800円+税)
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概論

がんゲノム研究・医療の現状と展望

柴田龍弘
(東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターゲノム医科学分野 /国立がん研究センター研究所がんゲノミクス研究分野)

ゲノム医療の現場で

現在,がん遺伝子パネル検査⇒ 臨床編1章Keyword 2)が保険承認され,医療現場ではゲノム情報の活用(ゲノム医療,あるいは精密医療とよばれる,⇒ 臨床編1章Keyword 1)が進んでいる.一方で,現在の保険収載では1回しか検査が行えないため,その実施や結果に関する判断に苦慮する場合もある.

組織or血液?

現在わが国で承認されているパネル検査には組織用(FoundationOne® CDxやOncoGuide™ NCCオンコパネル,GenMine TOP)と血液用(FoundationOne® Liquid CDx,Gardant360 CDx)があり,そのうちどれを使用するのかについて症例ごとに検討していく必要がある(表1にそれぞれのパネルの特徴をまとめた).OncoGuide NCCオンコパネルならびにGenMine TOPは同一患者の正常DNAも解析するので,体細胞変異⇒ 基礎編1章Keyword 1)と生殖細胞多型⇒ 基礎編1章Keyword 2)の鑑別が可能である.またGenMine TOPは一部の遺伝子についてRNAも解析するため,PD-L1を含めた発現情報(⇒ 基礎編3章Keyword 7)も検出することができる.

組織を用いるメリットは,組織学的に腫瘍細胞を確認してから検査に提出できるため,腫瘍細胞が非常に少ないことに由来する偽陰性を回避できる点があげられる.一方で,手術検体の場合,再発や治療に伴うゲノム変化,特に治療抵抗性変異(⇒ 臨床編2章Keyword 3)の検出が十分にできないという問題点がある.再発後の生検標本を用いて検出ができた際は,治療後の変化を評価することができるが,そもそも多発転移の場合には病変全体の一部しか検出できない点や,十分な腫瘍組織が採取できない場合には解析が行えない点に注意が必要である.

こうした組織検体の問題点を解決するゲノム検査として,病変全体のゲノム変異をリアルタイムに検出できる血液検体の解析,いわゆるリキッドバイオプシーは非常に有望である(⇒ 臨床編1章Keyword 3).しかし,血液中に遊離している腫瘍細胞由来の核酸は微量であり,また腫瘍の状態(腫瘍量や壊死の度合いなど)に大きく左右されるため,偽陰性を減らすために,画像診断や腫瘍マーカーといったモニタリング情報を駆使しながら,いつ採取するのかというタイミングを決めていくことが重要なポイントとなる.さらに血液検体の場合,クローン性造血(clonal hematopoiesis:CH)における遺伝子変異にも留意する必要がある(⇒ 基礎編1章Keyword 4).CHではTP53KRASといった重要なドライバー異常もみられるため,例えば変異頻度などの情報を参考にしてがん細胞における変異と鑑別し,偽陽性を除外する必要がある1)

もちろん,どういったサンプルが解析可能なのかが重要な点ではあるが,再発病変のゲノム変化を検出するためには血液や生検標本を用いることが望ましい.しかしその際には,腫瘍量が少ないことによる偽陰性やCHによる偽陽性に十分考慮する必要がある.

一方で,原発巣から保存されているドライバー異常を検出するには,検出感度の高い手術検体の組織検体を用いることも有用である.

遺伝子パネルで調べても変異がない?:搭載されているのはドライバー遺伝子の一部

遺伝子パネルに搭載される遺伝子は,新たな知見を取り入れながら年々アップグレードされている.しかしながら,治療や診断に有用であるドライバー遺伝子(actionable ドライバー遺伝子とよばれる,⇒ 基礎編1章Keyword 3)を中心に選別されるため,すべてのがんにおけるドライバー遺伝子を網羅しているわけではない.TP53のように広く多くのがんで高頻度に異常がみられるものも搭載されているので,頻度は低いものの,パネル検査をしても変異がみられないといった場合もありえる.

逆に言えば少数でも変異が検出できれば,この結果は低腫瘍量による偽陰性というよりは,パネルに搭載されている遺伝子以外の(比較的稀な)ドライバー遺伝子,例えば新規の融合遺伝子⇒ 基礎編2章Keyword 1)など,が存在している可能性が想定される.こうした症例については,将来的には全ゲノム解析を行って検討を行うことになるだろう.

拡大するゲノム医療:希少がん,免疫バイオマーカー,リキッドバイオプシー

希少がん

ゲノム情報を医療に活用する動きは今後もさらに拡大していくことが予想される.すでにゲノム情報を活用したがん種横断的臨床試験も多く行われるようになっており(⇒ 臨床編2章Keyword 9),頻度が高いがん種に加えて,希少がんや小児がんについても新たな治療標的が同定できるようになってきている.またKRAS変異特異的な阻害剤に代表されるように,新たな治療薬が開発されることで治療の恩恵を受ける患者の数が増え,ゲノム医療は,対象とするがん種やactionableな症例の増加に伴い,今後もますます拡大を続けるだろう.さらに集積したデータを新たな創薬開発に結びつけていく動きも進んでいる(⇒ 臨床編3章Keyword 2).

免疫バイオマーカー

さらに大きな拡大につながる可能性が高いのが,免疫療法とのシナジーである.すでにミスマッチ修復遺伝子異常によるマイクロサテライト不安定性がんTMB(tumor mutation burden)が高いがん(⇒ 基礎編1章Keyword 6,⇒ 臨床編1章Keyword 6)は,免疫チェックポイント阻害剤の適応となっているが(⇒ 基礎編2章Keyword 8),これまでの研究から変異数だけでは免疫療法の治療効果を十分に予測できていないことが示されている.さまざまなドライバー遺伝子の異常が不応性免疫環境維持に寄与しているという知見2)はその一部であり,今後はこうしたドライバー遺伝子情報も加味した個別化免疫療法の適応が進むと期待されている.

それに加えて最近ではコロナウイルスワクチンで有名になったRNAワクチンをがん治療に適用する試みが開始されている3).がんワクチンへの適用については,ドライバー変異に限定せずに患者の免疫細胞が異物として認識する抗原性が高いアミノ酸変化を起こし,なおかつできるだけ多くのがん細胞で共通して起こっているクローナルな変異を複数同定することが必要となる.そのためには,従来の遺伝子パネル検査に加えて症例ごとのHLA情報(抗原認識を予測するために必要)ならびに個々のゲノム変異について抗原性を評価することもゲノム医療の重要な柱となると考えられる(⇒ 基礎編3章Keyword 3).

リキッドバイオプシー

リキッドバイオプシーも技術的な革新によって大きく進展している.従来cfDNAに含まれている腫瘍由来DNAはきわめて微量であるため,その検出感度は組織と比較して低いとされていた.しかし高感度で高精度なシークエンス手法の開発によって,腫瘍における多様性(⇒ 基礎編1章Keyword 9)や複数の転移巣など,生検標本では十分にアクセスできなかった病態までカバーすることができるようになってきた.特に分子標的治療後の抵抗性変異クローンの検出や術後残存腫瘍(minimum residual disease)の評価については,今後も大きな発展が期待されている.

ゲノム研究・医療の新たな展開図1

今後のゲノム研究・医療の方向としてどんな展開が考えられるだろうか?

全ゲノム解析表2

すでにわが国でも全ゲノム解析⇒ 基礎編4章Keyword 1)の医療実装について検討がはじめられており,将来的には遺伝子パネル検査に比べて,より情報量が多い全ゲノム解析に置き換わる可能性が高いと思われる.

現在の遺伝子パネル検査でカバーできない変異には,遺伝子発現制御にかかわるプロモーターやエンハンサーの異常等が含まれるが,なかでもゲノム医療の点から期待されるものとしてスプライシング異常があげられる(⇒ 基礎編4章Keyword 4).遺伝子のスプライシングはエキソン-イントロンジャンクションで強く保存されている配列によって制御されるが,ジャンクション配列の異常,あるいはイントロン内に新たなジャンクションを形成するような変異が起こると,イントロンが残存する,あるいは間違った切り出しが行われるといったスプライシング異常が誘発される.CTNNB1METといったがん遺伝子は,タンパク質の読み枠が変化しないイントロン欠失によって,抑制シグナルから逸脱し,活性化することが知られている.また多くのがん抑制遺伝子では,こうしたスプライシング異常によって読み枠が変化する不活性化が起こるが,これらは現在の遺伝子パネル検査では十分に網羅できていない(GenMine TOPでは一部の遺伝子について検出可能.表1を参照).現時点ではRNAシークエンスによる検証が望ましいが,予測ツールの精度が上がればゲノム配列のみでの推定も可能になるだろう.

一方で最近注目されている染色体外DNAなどの複雑な染色体構造異常4)や非遺伝子領域との再構成によって起こるFGFR2融合遺伝子5)など染色体レベルでの異常についても,全ゲノム解析の導入に伴い,今後臨床開発が期待される領域である.また血液中の遊離核酸の全ゲノム解析情報から腫瘍細胞のエピゲノム状態や発現形質を推測するfragmentomicsは診断領域において注目に値する技術である6)

早期診断・予防:ゲノム予測・予防医療へ

これまでのゲノム医療はゲノム情報を診断や治療に活用するといったものであるが,今後は早期診断や予防についても拡大が期待されている.最近の報告からがんが発症するかなり前の段階においてドライバー異常をもった細胞が生まれ,長い期間をかけてがん細胞に変わることが解明されており7),そうしたがんの芽になるような細胞状態や,発がんに至ってもまだ早期がんの段階で検出することができれば生命予後の改善が期待される.すでに前述のリキッドバイオプシーによる大腸がん早期診断はキット化されているが,それ以外のがん,とりわけ膵がんなどの難治がんについては需要が高い.

ゲノム変異を誘発する要因には,加齢に伴う確率的な変異に加えて,放射線や化学物質への曝露や喫煙といった生活習慣などの環境要因も重要であり,特に後者は予防可能である.こうした発がん要因には特徴的な変異パターン(変異シグネチャー,⇒ 基礎編1章Keyword 5)があることが解明されている.正常組織のゲノム解析によって,変異シグネチャーをモニタリングし,例えばある環境要因への曝露が強い地域や個人を同定することで予防に結びつけるゲノム予測医療への展開も期待されている.

新技術による革新:ロングリード・1細胞オミクス解析

これまでも新技術の導入はがんゲノム解析に新たな可能性をもたらしてきた.従来のショートリード解析に加えて,非常に長い塩基(>数十kb)の解読が可能なロングリードシークエンス長鎖DNAシークエンス,⇒ 基礎編4章Keyword 6)が実用化され,ショートリードと組合わせることでヒトゲノムの完全解読(telomere-to-telomere:T2T)が可能となることが報告されている8).ロングリード解析によって,反復配列で発生する再構成や非常に類似した配列の重複といった,これまで十分解析できていなかった染色体構造異常やRNAシークエンシングによる詳細なスプライシング変化を捉えることができ,さらにがんゲノム解読研究が進むことが期待されている.またロングリードではDNAメチル化についても同時計測が可能であるため,アレル別の変異とメチル化異常の関連などのこれまでとは違った新たな統合解析も可能になる.

腫瘍細胞やその周囲の微小環境を細胞単位で解析できる1細胞解析⇒ 基礎編3章Keyword 2)も新たなバイオマーカーの探索において期待が寄せられている.コスト面ではまだ多数検体の解析は難しいものの,空間的1細胞解析はこれまでの病理組織像でみられていた局面ごとの腫瘍細胞や微小環境の多様性を分子レベルで解析することができるため,免疫制御を含め新たな細胞間相互作用を担うバイオマーカーや治療標的の発見が期待される.また1細胞RNAシークエンスを前述のロングリードで解析すれば,1細胞レベルでの変異やスプライシング異常も検出可能である.さらにタンパク質発現やエピゲノム情報といったオミクス情報も追加可能であり(⇒ 基礎編4章Keyword 10),個々のがん細胞のふるまいや運命決定など新しい予測医療に向けた研究も期待されている.

文献

  • Hu Y, et al:Clin Cancer Res, 24:4437-4443, 2018
  • Wellenstein MD & de Visser KE:Immunity, 48:399-416, 2018
  • Rojas LA, et al:Nature, 618:144-150, 2023
  • Yi E, et al:Nat Rev Genet, 23:760-771, 2022
  • Zingg D, et al:Nature, 608:609-617, 2022
  • Lo YMD, et al:Science, 372:, 2021
  • Nishimura T, et al:Nature, 620:607-614, 2023
  • Jarvis ED, et al:Nature, 611:519-531, 2022
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