序章 失うと困る脳のはたらき
1 脳は大事、しかし難しい
本書の主役は、『脳』。わたしたちの両目の上に鎮座し、硬い骨で守られている、あの脳です。
普段、両目の上のあたりに痛みを感じたとしても、「頭が痛い」と漠然と表現されてしまい、なかなか「脳が痛い」とは言ってもらえません。脳は、その存在が当たり前すぎて、普段はあまりわたしたちの意識にのぼることはないようです。
本書では、この脳にスポットを当てたお話をしていくなかで、生理学、とくにそのなかでも難しいとされがちな脳生理学の真髄をお伝えしていく、という少々ユニークなアプローチを取っています。
わたしは脳、とくに脳生理学を専門としている医師のひとりで、普段は、医科大学にて医学生理学の教育を担当しつつ、脳のはたらきについての研究を行っています。脳生理学は、生理学のなかでも、とくに脳のはたらきに注目しており、脳神経科学や心理学、さらには脳科学と重なるところも多い分野です。
脳のはたらきについての研究といってもいろいろとあるわけですが、そのなかでもわたしは、失うと生活に困るような脳のはたらきに着目しています。脳神経外科の医師としての臨床経験から、脳内出血などにより、ある日突然、道具が使えなくなったり、言語を失ったりすることが、その患者さんだけでなく、ご家族や社会にどれだけ大きな影響を与えるのかを目の当たりにしたことが、原体験となっています。それ以来、脳はいかにして道具や言語を生み出し、これらを操るのか、さらには、失った脳のはたらきを補うためにはどうするのが最善か、といったことを考えて続けてきたのです。
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こんにちでも、脳のはたらきについて学ぶのは難しいとされているわけですが、その脳のはたらきを理解することの難しさを端的に示す症例について、はじめに紹介します。
1861年、フランスの医師、ピエール・ポール・ブローカは、“脳が傷ついてしまったことで、相手がしゃべっていることは理解できるが、自分では話すことができなくなってしまった患者さん”を見つけます。しかも、こうした損傷を引き起こすのが、脳の左側で比較的前方に位置する特定の脳の領域なのだ、ということも見出します。この領域は、こんにちでもブローカ野と呼ばれています(図序-1)。それまでも、脳が傷つくと手足の麻痺や失語が生じる、という現象は気付かれていましたが、特定の脳の領域が、特定の言語のはたらきを司っている、というこの発見は、医療関係者に衝撃を与えます。
同じく19世紀に、アメリカの鉄道建設作業の現場で事故が起こります。爆風で鉄棒が飛ばされ、現場監督の頭を貫通したのです。脳が傷ついてしまったことで、それまでは勤勉でまじめだった監督は、事故の後は、激情的であるとともに、移り気、優柔不断で無責任な人物と言われてしまうようになりました。将来の行動のプランもきちんと決めることができなくなり、さらにはてんかん発作もしだいにひどくなっていきました。
この患者さんは、フィニアス・ゲージさんという方です。当時は個人情報の取り扱いもこんにちとは大きく異なっていたため、ゲージさんのお名前とともに、このお話が世界各地の医療関係者に知られていくこととなります。
このゲージさんのエピソードは、脳が傷つくと「わたし」も変わる、ということを、強烈に印象付けることとなりました。こうして、運動、言語、さらには、より広いこころのはたらきまで、なんでも脳で説明がつきそう、という流れが出来ていくのです。
実際のところ、脳は、わたしたち人間そのものと深く関わる器官であり、脳の本質を理解しようとすると、「わたし」、さらには人間の営みについて広く考える場面も出てきます。
一方でこのことから、医療関係者のなかでも、脳を理解するのがとりわけ難しく感じてしまうひとが出てくるようです。どうも医療系の守備範囲を超えていると感じてしまうようなのです。
しかし、もともと生理学は、西洋にて生み出された学問体系で、その祖先をたどっていくと、自然哲学にあたるわけでして、「わたしとは何か」などといった哲学的な思索を繰り広げていくなかで、自然哲学が生まれていき、そしてこの流れがのちの自然科学、そして生理学へとつながりました。
ですので、この「わたし」について突き詰めていくというのは、生理学のもともとの流れに沿ったものなのです。
2 脳と「わたし」の深い関係
わたしもかれこれ四半世紀を越えて、この「わたし」と関係の深い脳のはたらきについて研究を続けています。このように脳のことを考えてばかりいるわたしたち脳生理学者のなかでは、ふつうであれば、「わたしは、○○した」として済ませるところを、「脳が、一般的に○○と呼ばれている行為を引き起こさせ、その行為に対して、脳から生じた『わたし』が、○○した、と解釈する」として、脳にスポットを当てつつ、話を進めます。
なんだかややこしいですね。なんでこんなややこしい説明の仕方をしているかといいますと、脳のはたらきを研究することで、その背景では、「わたしは、○○した」とするだけでは済ませられないくらい、脳がいろいろとがんばっている、というファクトがつぎつぎと見つかってきたからなのです。しかも脳は、「わたし」が気付かないところでかんばっているのです。
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ここで少し、脳のはたらきについて研究する脳生理学者が、こうした考えに至るための端緒となったお話をしておきます。
近代化により科学が発展し、20世紀になると、「わたしは、○○した」といったこと、すなわち人間の行為の「自由意思」はどのように生まれるかといったことまで、科学の対象となってきます。
このあたりの研究が展開するきっかけとなったのは、ドイツの医師、ハンス・ベルガーが、手術をしなくとも、頭皮上から脳の電気現象が記録できることを見つけたことにあります。いわゆる脳波の誕生です。この脳波は、さしずめ、体表から心臓の電気現象が記録できる心電図の脳バージョンといったところです。
その後、さまざまな場面で脳波の計測がなされていきますが、脳波の信号は微弱なため、はじめの頃は人間の行動との関係までは捉えきれませんでした。しかし何度も同じ行動を繰り返しながら脳波を計測し、そうして計測した脳波を解析することで、行動と脳波の関係を調べようという流れが起きます。
そのなかで、運動(行動)の開始のタイミングで脳波を揃えて加算し、運動の準備と遂行に随伴して起こる脳からの信号を調べたところ、
● 運動を開始するよりも前に、電位変化が記録される
ということが見出されたのです。この脳波のパターンは、準備電位と呼ばれています。
そして、いよいよ20世紀後半になると、アメリカの医師、ベンジャミン・リベットらが、「わたし」が自分の運動の意思を実感するのは、準備電位の開始時間よりも大幅に遅れることを示します1)。
リベットらは、被験者が自分の好きなタイミングで右手を動かすとともに、手を動かそうとする意思が生じたタイミングを報告する、という実験を行いました(図序-2)。この報告された意思が生じたタイミングは、筋電図で検出した運動開始時間よりもおよそ200ミリ秒先行していました。
ここまでなら良いのですが、驚くべきことにこの実験では、意思が生じたタイミングは、準備電位の開始時間と比べてしまうと1秒以上も遅い、ということも分かったのです。
この実験で示されたのは、意識的に行動しようと決意したと「わたし」が思ったときには、すでにそれより前に、脳がその準備を着々と進めている、ということです。すなわち、
●「わたし」の自由意思による行為も、「わたし」が意識する前に、脳が無意識のうちにはじめている
● 脳は、なにやら、「わたし」が考える以上に「わたし」のことを知っている
ということなのです。
このリベットの実験をひとつの契機として、わたしたちが、「わたし」が考えていることについて理解したり、さらには「わたし」について理解したり、というときには、その背景にある脳の存在がカギとなるのではないかとの考え方が、少しずつ浸透し、さまざまな科学的知見が積み重ねられていくこととなりました。
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本書ではまず、第1章にて、脳のつくりとはたらきについて、本書を読み進めるうえで知っておきたい基本的な事柄を押さえていきます。
つぎに、第2章にて、とくに道具を操る脳、さらには言語を操る脳についてお話ししていきます。ヒトを他の動物と区別しようとするときに、必ず話題にのぼるのがこの道具と言語です。これらはわたしたちの生活に密着しており、脳が傷つき、そのはたらきが失われることで、道具がうまく使えなくなったり、言語がうまくしゃべれなくなったりすることは、すぐさま生活に多大な影響を与えます。この道具と言語を操る脳について深掘りしていくとともに、疾患や障害によって失われた脳のはたらきに向き合うために、先端科学がどのような取り組みを行ってきているのかについても見ていきます。ここでは、脳生理学がどのように脳と向き合っているのか、さらには、実際の研究では、脳生理学が周辺の科学・技術とどのように関わっているのか、ということも紹介したいと思います。
第3章では、先端科学におけるあたらしい脳のはたらきの捉え方である、能動的推論について紹介します。
そして終章で、先端科学のなかでのこれからの脳生理学についても考えていきたいと思います。
本書を読み進めるなかで、生理学、とくにそのなかでも難しいとされがちな脳生理学の真髄が見えてくることを期待して、筆を執りたいと思います。
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参考文献
- Libet B, Gleason CA, Wright EW, Pearl DK:Time of conscious intention to act in relation to onset of cerebral activity (readiness-potential):The unconscious initiation of a freely voluntary act. Brain, 106 (Pt 3):623-642, 1983
