小説みたいに楽しく読める病理学講義

小説みたいに楽しく読める病理学講義

  • 福嶋敬宜/著
  • 2026年05月20日発行
  • 四六判
  • 294ページ
  • ISBN 978-4-7581-2145-3
  • 2,860(本体2,600円+税)
  • 在庫:あり
本書を一部お読みいただけます
※実際の紙面のレイアウトとは異なります

第1章 病理学をはじめよう

病理学の世界にようこそ

私たちの体のことは、知れば知るほど、考えれば考えるほど、不思議で精巧で神様でもいないと説明できないと思うようなことがたくさんあります。例えば、指を誤って切ってしまっても、数分で血が止まり、傷口が小さければ数日で傷がふさがり皮膚も再生して、どこを切ったかわからなくなるくらいです。どんなに暑い日や寒い日があっても体温は約37℃前後に保たれており、頭の中にはスーパーコンピューターも及ばない情報処理能力を持った脳が収まっています。また、たった一つの細胞の核にも、私たちの体を形作り、生命活動を維持するための膨大な情報がDNAという小さな分子の中に書き記されています。そして、それぞれの組織や細胞が連携し、絶妙なバランスを保つことで、私たちは健康な生活を送ることができているわけで、恐ろしいくらい素晴らしいことだと思います。しかし、このような精巧なヒトの体も、外部からの刺激や内部の不具合によって、このバランスが崩れることがあります。これが「病気」と呼ばれる状態です。

この病気を扱うのが医学で、その中で病理学という分野は、主に病気の現場の変化から、その病気の種類や仕組みを見極めたり解明しようとする学問といえます。こういうと、少し難しく聞こえてしまうかもしれません。でも、この講義の目的は、まず「病気のことを病理学を通して理解する」ことに置きます。だから、病気の仕組みを理解するのに、病理学の視点って結構役立ちそうだと思ってもらえたら、この講義の目的はほぼ達せられたことになります。

「病気」って、単なる体の不調じゃないの?

病理学の視点からは「病気」は単に体の不調を意味する言葉ではありません。「生体内の細胞、組織、あるいは臓器レベルで、構造的および機能的な異常が特定の原因と機序によって引き起こされ、その結果として臨床的な徴候や症状を呈する状態」と定義されます。病理学は、この複雑な生命現象の深層に潜むメカニズムを、肉眼から分子レベルまで多角的に解析することで、病気の本質を明らかにしようとするのです。

ちなみに、「病気」に類似した用語に「疾患」というのがあります(※)。この講義では、これらがやや混在して出てきます。「病気」と「疾患」にはニュアンスの違いがありますが、多くの部分ではオーバラップしており、その文脈の中でより自然だと感じる方を使っていきますことをご了解ください。

※「病気」は、「風邪をひいた」「お腹の病気」「心の病気」のように、具体的な症状や体調不良を伴う「具合が悪い状態」全般を指す広めの言葉です。「疾患」は、医学や専門的な文脈で特定の原因やメカニズム、病理学的変化に基づき、定義・分類された異常な健康状態を指します。

病気の原因、どこからやってくる?

何事にも変化が起こるためには、その原因があります。病気の原因は無数にあるわけですが、突き詰めていくと、まず大きく二つに分けられます。それは、インフルエンザウイルスのように外から来たものと、アトピーみたいにその人の体質の影響が強いものです。医学的には、前者を「外因」、後者を「内因」と言います。

外から忍び寄る見えない敵―外因

外因とは、体の外からやってくる病気の原因のことです。先に例として出したウイルスや細菌のような病原微生物、身の回りの物理的な環境、環境汚染物質、そして心理的なストレスも外因に含まれます。

紫外線を浴びすぎると、皮膚に炎症が起きるだけでなく、シミやしわの原因となり、将来的には皮膚がんのリスクを高めます。この紫外線も病気を引き起こす外因となります。

日常的に接する化学物質の中にも、病気の原因となるものがあります。お隣の大陸からやってくるPM2・5のような微細な粒子状物質は、呼吸器系の粘膜に炎症を起こし、喘息や気管支炎などの原因となることがありますし、化学洗剤や化粧品、食べ物に含まれる添加物など、身近な化学物質がアレルギー反応や皮膚炎などを引き起こすこともあります。タバコの煙に含まれる化学物質による受動喫煙も、周囲の人々の健康を脅かす重大な外因になりますね。

体の中に潜む病気のもと―内因

内因とは、私たちの体そのものが持っている、あるいは体内で生じる原因のことです。これには、生まれつきの体質や日々の生活習慣や環境によって培われるものも含まれます。

「母方の家族は皆アレルギー体質なんだ」とか、「オヤジもジイちゃんも高血圧だから、オレも高血圧なんだよねー」とか、これらは内因の典型的な例です。

アレルギー体質は遺伝の影響を強く受けることが知られており、もしご両親のどちらか、あるいは両方が花粉症やアトピー性皮膚炎であれば、お子さんも同じアレルギーを持つ可能性が高まります。ただしこれは、アレルギー体質が遺伝するのであって、特定の疾患(花粉症、アトピー性皮膚炎)が必ず遺伝するということではありません。また、糖尿病や高血圧といった後天的な疾患のなかにも、体質が関わっているものもあります(※)。

病気は、その原因が内因と外因のどちらか一方だけであるだけでなく、両者が複雑に絡み合って発生することもあります。免疫機能が落ちている(内因)ところに、風邪のウイルスが感染(外因)して、あっという間に風邪をひいてしまうというのもそういう例の一つです。

様々な原因によってヒトは病気になり、そして、それぞれの原因と体の反応の結果によって、様々な病態が生じます。その結果として、ヒトには非常に多くの疾患が観察されるわけですね。

※… ここまで「体質」と呼んできたものは医学的には素因といい、アレルギーは遺伝性の素因が関わっているなどと表現します。

病気を観察し分析する―病理学とは

ヒトの体の精巧さや病気の原因などをみてきて、病気を学ぼうという気持ちが盛り上がりつつあるところで、ここでもう一度「病理学」がどういう学問かを説明しておきます。 

病理学とは、臓器、組織、細胞の標本を、肉眼や顕微鏡などを用いて観察し、それらが疾患に侵されたときにどのような変化を示すかについて研究し、疾患の原因、発生機序の解明などを目指す学問です。一言で言うなら病気の「なぜ?」を、「形」から読み解く学問といえるでしょう。

病理学の核心の一つは、その病巣にどういう変化が生じており、顕微鏡で観察するとどのように見えるのか、それらの変化を観察し分析することです。分析といっても、何かの検査機器にデータを入力して計算するわけではありません。病気の局所に見られる形状、色、硬さなどの肉眼的に観察できるものから、組織構造や細胞の微細な変化など顕微鏡レベルで観察できる変化までが基盤となります。病理医は、そのような情報を集めるべく採取された生体組織や細胞を病理標本として作製し、様々な染色法を用いて、顕微鏡下で詳細に観察します。

例えば、がん細胞は、正常細胞と比べるとかなりイビツな見た目をしていて、すぐに「がん細胞だ!」とわかるものもあります。ところが、正常の細胞と似ていて一目では「がん細胞」と認識するのが難しい場合でも、たくさんの細胞を一つの集団として見ると、並びが不整だったり、いろんな形をした細胞が混じって並んでいるため、「がんだ!」とわかることもあります。

「形」の変化と「症状」はどう繋がる?

病理学は組織構造や形態の変化がどのようにして機能的影響、すなわち患者さんが経験する症状や徴候として現れるのかを理解することも目指します。病理学的変化(病変)が臓器の正常な機能を妨げることで、特定の症状が引き起こされるという因果関係を明らかにするのです。例えば、心臓の病変が心臓のポンプ機能の低下を引き起こし、息切れやむくみといった症状として現れる、といったことも、形態変化と機能を比較することで解明された一つの知見として蓄積されます。

このように、病理学とは「病気」の原因から発生機序、形態学的変化を経て機能的異常に至る、生物としてのヒトの体の動的な異常プロセスを包括的に捉えようとする学問であるといえるでしょう。

森全体を俯瞰する―病理学総論

どんな学問にも総論部分と各論部分があると思いますが、病理学も、特に医学部では「総論」と「各論」に分けて学ぶというのが従来一般的です。

総論は、「森全体を理解する」視点で臓器横断的に病態を学ぶことを主眼としており、各論は「一本一本の木を詳細に観察する」視点で各臓器に生じる病変の臨床病理像を詳しく学んでいくものです。

病理学総論的な考え方については、この講義の中でもたびたびお話ししますが、例えば、膝を擦りむいても、肺炎になっても、体の中で起きる「炎症」という現象には、血管の変化、特定の免疫細胞が集まる、といった共通のパターンがあります。総論では、この「炎症」のしくみそのものを掘り下げます。血液の流れを障害するような現象で生じる虚血、うっ血、出血、血栓などは、どの臓器で起きても基本的な病態は共通しています。総論では、これらの病変の成り立ちと、その結果として組織にどのような変化が起こるかも学びます。がんを含む「腫瘍」には、それぞれの臓器に多種多様なものが生じますが、病理学総論では、腫瘍がどのように発生するか浸潤・転移のメカニズム、良性か悪性かを見分ける基準など、腫瘍全般に共通する原則を学びます。病理学総論を学ぶことで、疾患に対する個々の疑問に対しても、共通の視点からアプローチして病気の根源的なメカニズムを考える力が養われますし、1対1対応の知識ではなく、1を知って10を知るような知識の応用も可能になると思います。

一本一本の木を詳細に観察する―病理学各論

一方病理学各論は、体の個々の臓器や病変に焦点を当て、その原因、病態、そして特徴的な病理像をより深く詳細に学びます。総論で得た共通する病態の知識を土台として、それぞれの病気が持つ「個性」や「特殊性」を探求します。例えば、肺の病理学では、肺炎、肺がん、気管支喘息など、肺で起こる具体的な病気一つひとつを取り上げ、それぞれの病気で肺の組織が肉眼上や顕微鏡レベルでどのように変化するのか、どのような細胞が出現しているのかなどを学びます。

本書「病理学講義」は、第1章、第2章が総論、第3章以降が各論のようにも見えると思いますが、実は、全体が総論、つまり様々な臓器や疾患にも適用可能なキモ部分をお伝えすることを主眼とした構成になっているのです。だから全体を通して読んでもらえれば、「病理学を通して病気を理解する」というところに近づくことを実感していただけるのではないかと思います。

病理医は、病変部から採取された標本や病理解剖で得られた標本を観察する際は、常に総論で学んだ「基本的な病態プロセス」を頭の中で組み立てながら見ていきます。そこに、特定の疾患の病理像を深く理解する各論的な知識が加わることで、総論的な知識がより具体的に、立体的に感じられるようになります。

この「総論」と「各論」の二つの視点を行き来することで、病気の本質がより深く見えてくるといえます。この学びの深さと広がりが、病理学の面白さともいえるでしょう。

病理学総論と各論の話をしましたが、次は、病理学には、「実験病理学」と「病理診断学」と呼ばれる分野があることもお話ししておきます。

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