生きものの本質を巡る知への旅〜『細胞の分子生物学』の変遷から生命科学のあり方を考える

生きものの本質を巡る知への旅

『細胞の分子生物学』の変遷から生命科学のあり方を考える

  • 中村桂子/著
  • 2026年08月21日発行
  • 四六判
  • 96ページ
  • ISBN 978-4-7581-2147-7
  • 2,750(本体2,500円+税)
  • 在庫:予約受付中
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「遺伝子」から「細胞」へ

世紀の発見をした青年のその後

これまでの流れの中にワトソンの名前が出てこないことに気づかれましたか。彼はどこへ行ってしまったのでしょう。

27歳で世紀の発見をした青年は、3年後の1956年に30歳でハーバード大学教授になり、15年間その職にありました。RNAに関する研究をしていますが、二重らせん発見の相棒であるクリックを始めとする分子生物学のパイオニアたちのような、ワクワク感がありません。後年、「最初に書いた以上の論文は書けないのが辛かった」と話してくださいました。

ワトソンはハーバードで学生たちと接しているうちに、分子生物学の教科書が必要だと考えたのでしょう。そこで生れたのが『Molecular Biology of the Gene(The GENE)』(1965年)5)です。

これだけのものをつくりあげるには構想はかなり早くから持っていたに違いありません。「学問としては始まったばかり」であり、コドン、セントラルドグマなど、従来の生物学とも、化学とも異なる新しい概念が次々登場する状況の中で教科書をまとめるには、明確な構想が必要です。30代でこれを考えたのは、やはりすごい。教科書については後にまた考えます。

ワトソンは、ハーバード大教授を勤めながら、1968年にコールド・スプリング・ハーバー研究所の所長になります。それ以来2004年までその職にあり、この研究所を分子生物学の一大拠点としました。

この研究所は1941年にショウジョウバエ遺伝学者(後に細菌に転じる)のM・デメレッツが所長になり、量子生物学シンポジウムの開催と夏期の短期滞在研究の施設提供を始めたところであり、それを受け継いでの分子生物学のシンポジウムです。フランスからモノーも参加するなど、シンポジウムは分子生物学仲間のダイナミックな動きを支える役割をしました。

当時の分子生物学の魅力は、研究と研究者の両面に心地よいダイナミズムがあったこと。単なる競争とは異なる、新しいものを生み出す力に溢れていました。今や生物学の中心的位置に占めるものになった分子生物学ですが、生きものはまだまだ未知の世界であり、心地よいダイナミズムが大事です。

実は、分子生物学の始まりとなったデルブリュックとルリアの研究はここで行なわれたのです。彼らはファージを用いる新しい生物学を若い人たちに広げたいと考え、この研究所で「ファージ・コース」を開きます。1945年から1970年まで行なわれたこのコースから育った研究者が、世界に分子生物学を根づかせていったと言っても過言ではありません。そこでは、実験技術の修得だけでなく、これから伸びようとする分野の熱心な研究者の生身に触れ、語り合うことができました。よい研究者はこのような場から生れるものです。

ここでのシンポジウムは常に分子生物学の今とこれからとを考えるものとして存在してきました。常に新しいテーマを探しながら熱のこもった議論をする場であり、基礎研究のありようを具体的に示してきたと言えます。ここでワトソンは、分子生物学の基礎を固めながら研究の進展とともにがんや神経科学(脳研究)など新分野を展開していきました。

実は日本の分子生物学会でも、主要メンバーがこれに倣って、若手研究者のためのファージ講習会を開きました。

1961年に富澤純一先生の発案で内田久雄先生、小関治男先生などが賛同し、金沢大学の高木康敬先生の研究室で、助手の松原謙一さんも参加して開かれたのが第1回です。実験器具も充分でないなか、第一線の研究者の熱意で始まったこの会は、まさに研究の魅力を具現化したものでした。

対話の科学、皆でつくりあげていく知です。受講者の平均年齢が27歳、講師は31歳から37歳という数字は、この分野の特徴を示しています。

その後、阪大微生物研究所の観音寺研究所に場所を移し、大学院生だった私もお手伝い係として参加し、楽しく、素晴らしい体験をしたのは大事な思い出です。

コールド・スプリング・ハーバー研に次いで、ワトソンの特徴の第2は、DNAの二重らせん構造発見の経緯を描き出し1968年に出版された『二重らせん』6)の執筆です。これは映画にもなりました。

科学者の伝記といえば、『キュリー夫人伝』『ダーウィン伝』のような偉人伝が通常で、私たちは皆、それを読んで育ちました。科学者は偉人なのです。

ワトソンの『二重らせん』。お読みになりましたでしょうか。研究現場そのものです。科学者が何を考え、どのように行動するのかという生々しい実態を、あるがままに本人が書いた本。それまで存在したことのないものです。

偉人伝どころか、R・フランクリンとの確執など、ワトソン特有の人間味(率直に言って周囲への配慮に欠ける若者)を、包み隠さず書き残した内容は、読み応えがあることは確かです。ほうへんありですが、とにかく「初めて」のことをやる人です。

 

ワトソンという特異な存在

「二重らせんの発見」「新しい学問をつくり広げていく研究所の運営」「科学者の実態を記した自伝の執筆」に加えて「彼だけが行ったこと」が、教科書執筆です。『The GENE』を執筆したのは他でもないワトソン。クリックでも、ブレンナーでもモノーでもありません。

ワトソンは、少し変わった人であることは確かであり、コールド・スプリング・ハーバー研の所長を辞めざるを得なかったのは、人種差別的発言が原因でした。お手本にすべき聖人とは言えませんが天才です。この4つを「俺がやるぞ」という雰囲気でなく、自然と成し遂げてしまったところは、DNAの構造への思いが誰よりも強かったという25歳の状態が続いていたと言ってよいように思います。どれか1つでも充分なことを4つ行ない、分子生物学という一分野をつくりあげることに大きく貢献した人として忘れられない存在です。

ご家族を鎌倉へご案内したとき、まだ小さかったご子息2人が鳩に近づこうとしたら、「鳥にはウイルスがいるかもしれないから、あまり近づいてはいけない」と注意しました。当時は新型コロナウイルスの流行もなく、鳥インフルエンザなども騒がれておらず、むしろ、私たちは「感染症は終わった」と思い込んでいた時代でしたから意外に思ったことを思い出します。そう言えば、ワトソンは生物の世界には野鳥観察から入ったのでした。

 

文献

5)“Molecular Biology of the Gene” Watson JD. WA Benjamin, 1965

6)“The Double Helix” Watson JD. Atheneum, 1968(邦訳『二重らせん(ブルーバックス)』江上不二夫中村桂子訳、講談社、2012年)

 

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生きものの本質を巡る知への旅〜『細胞の分子生物学』の変遷から生命科学のあり方を考える

生きものの本質を巡る知への旅

『細胞の分子生物学』の変遷から生命科学のあり方を考える

  • 中村桂子/著
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