治せない患者さんに医師ができること

治せない患者さんに医師ができること

  • 小澤竹俊/著
  • 2026年09月18日発行
  • A5判
  • 240ページ
  • ISBN 978-4-7581-2454-6
  • 3,520(本体3,200円+税)
  • 在庫:予約受付中
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※実際の紙面のレイアウトとは異なります

第3章 治療ができなくなっても患者さんは幸せになれますか?

 

1 苦しみが残り続けても人は幸せになれるのでしょうか?

めぐみ先生からユニバーサル・ホスピスマインドの概念を教えてもらった絵里先生は、定期的に学びに行くようになりました。

 

絵里:めぐみ先生から教わったことで、本当に私は、患者さんとの向き合い方が変わったと思います。以前は、患者さんが訴えるすべての苦しみを解決しようと思っていましたので、とても苦しくてしかたがありませんでした。先生から、苦しみのすべては解決できないことを学んでから、患者さんの話を聴くときに、なんだか気をはらずに落ち着いて話が聴けるようになりました。

 

めぐみ:それは、大きな成長ですね。肩の力を抜いて話を聴けることは、医師としてとても大切なことですね。

 

絵里:でも先生、どうしてもまだすっきりしないことがあるのです。解決ができる苦しみは解決することは医師として大切だと思います。しかし、すべての苦しみは解決できないことを知り、実際に患者さんの苦しみには、解決が難しいことがいくつもあることを肌で感じるようになりました。基本的なことなのですが、人生の目的は幸せになることだと、最初に教えていただきました。患者さんは、たとえ解決が難しい苦しみ、病気を治すことができなくなっても、幸せになれるのでしょうか?

 

めぐみ:絵里先生、とても大切な問いですね。私たち医師の役割は、患者さんが幸せになることを目的にかかわることです。たとえどんな病気であったとしても、その目的は変わりません。もし病気を治すことができなくなったとしても、患者さんが幸せを実感できることがあります。

 

絵里:まだ実感がわかないのですが、病気を治せなかったとしても、人は幸せになれるのですね。どうして、幸せになれるのでしょう?

 

めぐみ:では、絵里先生に、1つ質問をしましょう。絵里先生は、今は専攻医の2年目ですが、これまで生きてきて、絵里先生が一番、苦しかったときのことを振り返ってみてください。先生がつらかったときは、いつ頃でしょう?

 

絵里:じつは、私、中学校時代にいじめにあって、半年ほど学校にいけなかったときがありました。頭では学校に行かなくてはと思っていても、会いたくない友達のことを思うと、どうしてもつらくなってしまって。そのときが一番、苦しかったと思います。

 

めぐみ:今の絵里先生からはとても信じられないことですが、中学校時代に、学校に行けないときがあったのですね。では、絵里先生にもう1つ伺います。絵里先生が、学校に行けなかったときに、それでも絵里先生が、今日まで頑張り続けることができた理由、絵里先生にとって支えになったものはありますか?

 

絵里:母親と親友です。母は、どんなときにも私の味方をしてくれました。そして、親友が1人いて、学校に行くことができない私のために、LINEでメッセージを送ってくれたり、休日に遊びに来てくれたりしていました。今、私がこうして医師になれたのも、親友がいたからだと心から思います。

 

めぐみ:お母様と親友ですね。たぶん、学校に行けなかったとき、絵里先生は、とても苦しかったと思います。それでも、お母様や、親友とのつながりを実感できているとき、たとえ嫌なことがあっても、気持ちは少し楽になれたのではと思います。

 

絵里:え? わかるのですか? じつは、学校に行けなかったとき、頭では行かないといけないと焦っていたのですが、友達からのLINEで毎日つながっていると、不思議と気持ちが落ち着きました。自分を信頼し、守ってくれている母と親友のおかげで、徐々に回復して学校に戻ることができました。

 

めぐみ:絵里先生、自ら体験されていますね。たとえ学校に行くことが難しくても、人は幸せを実感できること。

 

絵里:たしかに! 不思議ですね。もう少し詳しく教えてください。

 

解決が難しい苦しみを抱えても、人は幸せになれる

人生の目的は幸せになることです。医師として患者さんと向き合うときも、患者さんが幸せになることを目的にかかわり続けてほしいと思います。しかし、どれほど最善を尽くしたとしても、すべての苦しみを0にすることはできません。解決が難しい苦しみは残り続けます。

そこで、発想を180度転換する必要があります。従来の考えは、苦しみがあれば、幸せにはなれないという考え方です。ところが、新しい考え方は異なります。たとえ解決が難しい苦しみを抱えたとしても、人は幸せになれるという考え方です(図3-1)。

図3-1 苦しみと幸せの考え方

 

視点変更のポイント

なぜ解決が難しい苦しみを抱えても、人は幸せだと思えるのでしょう? 少し専門的な話となりますが、原因として病気やケガがあるから、結果として不幸と感じているという認識方法をやめる必要があります。そして、たとえ病気やケガを治すことができなかったとしても、穏やかだと思える理由(支え)があれば、幸せを実感できることがあるという、新しい認識方法について理解を深める必要があります。

視点を変更するためのエピソードを1つ紹介します。2011年3月11日、東日本大震災の仙台の夜は、満点の星が輝いていました。普段はネオンで明るい仙台の夜空です。しかし、この日は停電のため、普段では見えないほどの小さな星まで輝いていました。新聞の投書では、亡くなった魂が迷わずに天国に行くための道しるべになったのではないかと書かれていました。明るい夜空では見えない小さな星が、暗くなると輝いて見えてきます。

人間も同じことが言えます。仕事も家庭も順調に行っているとき、人は自分にとって大切な何かの存在に気づかずに過ごすことができます。ところが、病気やケガ、仕事上の失敗、さまざまな苦しみに遭遇すると、事態は一変します。当たり前であった世界が、当たり前ではなくなります。人生に挫折して、絶望の真っ暗闇のなかで、何をしてよいかわからなくなる人もいます。しかし、暗闇だからこそ、その人にとって大切な何かが粒立って見えてきます。

そばに家族がいるだけで、心がほっとすること。友人の手がものすごく温かいことに気づくこと、庭に咲いている花がすごくきれいなこと、そして、何気なく聴き逃していた音楽に涙が止まらなくなること。決して気が弱くなったのではありません。その人にとって大切な支えに気づいたとき、たとえいのちが限られる苦しみを抱えたとしても、穏やかさを取り戻していきます。そしてこれは、一部の患者さんが起こす奇跡ではありません、私たちすべての人がもちうる可能性です。

患者さんを紹介しましょう。50代男性、肺がん末期の患者さんです。高校を卒業して銀行に入行しました。同期の大学卒業の仲間に負けたくない一心で業績を上げていきました。そして同期のなかで一番早く支店長にまで出世しました。ところが、50歳になったある日、健康診断で肺がんと診断されました。治療をくり返してきましたが徐々に治療抵抗性となりました。そして、ホスピス(緩和ケア病棟)に入院されました。

入院した彼は、早く死んでしまいたいと思うようになりました。仕事の業績の善し悪しが、人としての価値であると考えていたため、仕事のできなくなった自分は、生きていても意味がないと考えていました。

もう生きていても意味がないと感じ、絶望に陥っていた彼の思いを、担当していた緩和ケアの医師は、ていねいに聴きました。そして、はじめて病気を知ったときの思い、闘病中に苦しかったときの思いを聴きました。病気を知ったとき、頭が真っ白になったこと、そして、治療中に抗がん剤の副作用で、指のしびれがひどく、パソコンのキーボードを打つことすらきつく、メールのやりとりや報告書を書くときに苦労したエピソードを話してくれました。そして、苦しかったとき、彼にとって頑張れた理由(支えになったもの)を伺いました。すると、はじめて家族や友人の存在が大きかったことを思い出したことを教えてくれたのです。

健康なときは、自分には仕事だけあればよい、家族なんていなくても困らないと考えていました。しかし、病気のために仕事ができない身体になったとき、それまで見えなかった大切なものが見えてきました。家族の何気ない優しさがものすごくあたたかく感じるようになりました。面会のたびに持参するメッセージカードや息子夫婦から届く孫の写真など、今まで当たり前に思っていた一つひとつは、とても愛おしいものであることに気づきました。そして家族が幸せなことが、自分にとって最大の喜びであると思えるようになりました。

自分の大切な支えに気づいた彼は、仕事をしていたときとは全く異なる幸せを感じていました。病気という苦しみを通して、彼にとって大切な支えに気づいたからです。

たとえ病気を治すことができず、解決が難しい苦しみが残り続けたとしても、医師として患者さんが幸せであるための援助を忘れてはいけません。従来の発想である、苦しみの原因を見つけ、解決する方策を提供する医療だけで、人生の最後までかかわり続けることはできません。新しい発想として、解決が難しい苦しみを抱えたとしても、人は幸せを実感できる可能性が残されていることも大切にしなければなりません。

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  • 小澤竹俊/著
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