実験医学増刊:がんの自然史〜正常組織の変異から発がん、治療抵抗性獲得までの進化の全貌
実験医学増刊 Vol.44 No.15

がんの自然史

正常組織の変異から発がん、治療抵抗性獲得までの進化の全貌

  • 垣内伸之,小川誠司/編
  • 2026年09月04日発行
  • B5判
  • 202ページ
  • ISBN 978-4-7581-2973-2
  • 6,160(本体5,600円+税)
  • 在庫:予約受付中
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概論 がんの自然史を俯瞰する

An overview of the evolutionary history of cancer

 

垣内伸之
Nobuyuki Kakiuchi:京都大学白眉センター/京都大学大学院医学研究科消化器内科学

 

生命の進化プロセスは,私たちの個体内でも絶えずくり返されている.多様な細胞が創出され,環境によって選択される――その進化の帰結の一つが“がん”の発生である.近年,がんの分子メカニズムや発がん因子の研究は目覚ましい発展を遂げている.さらに,がんの起源となる正常組織さえも,すでにドライバー変異を獲得した細胞によって再構築されていることが明らかとなった.正常細胞ががんへと変貌を遂げ,診断を経て治療抵抗性を獲得するまでには数十年に及ぶ壮大な時間軸が存在する.この過程において,ゲノム・エピゲノム異常,さらには微小環境,免疫,腸内細菌叢といった多層的な要因が絡み合い,細胞のクローン進化を駆動している.本稿では,この“がんの自然史”を俯瞰的に理解するための道標として,その概論を述べる.

 

はじめに

がん,もしくは悪性新生物は,細胞が無秩序に増殖して周囲の組織へ浸潤し,血流やリンパ流に乗って遠隔臓器に転移することで,最終的に宿主の生命を脅かす疾患である.がんの発生過程において,細胞がドライバー変異(細胞に選択的増殖優位性を付与する変異)をくり返し獲得することでがんへと進化するという,クローン進化モデルが広く受け入れられている.

変異による多様性の創出と,環境に適応した個体群の選択という自然選択(以下,ダーウィン進化)の原理は,種の進化のみならず個体を構成する細胞レベルにおいても同様に適用される.多くのがんが高齢者に生じる事実は,この細胞進化のプロセスに数十年という長大な時間を要することを示している.その過程において,変異原への曝露やゲノム・エピゲノム不安定性による多様性の創出,微小環境や免疫,腸内細菌叢などの選択圧を構成する外的因子,そして適応に必要な細胞自律的な形質獲得などの多層的な要因が複雑に絡み合っている.

医学の進歩に伴う疾患構造の変化や長寿化により,がんは今や人類が対峙する最大の疾患の一つとなった.がん研究のニーズの高まりと解析技術の高度化は,日々革新的な成果をもたらしている.本増刊号は,これら最新の多面的な研究の成果を,細胞の進化という軸に沿って捉え直すことで“がんの自然史”を俯瞰し,がんという疾患への理解を深めるとともにさらなる研究の飛躍の一助となることをめざして企画された.本稿ではその導入として,がんの自然史の全体像を概説する.

 

1. がんの発生とクローン進化

がんは,単一の起源細胞がゲノム・エピゲノム異常をくり返し獲得することで発生する“体細胞進化”の産物であると考えられている.このクローン進化モデルが形成されるに至った歴史的経緯を紐解くとともに,近年の正常組織におけるがんドライバー変異クローンの発見とその意義について説明する.

① 個体内における細胞のクローン進化

かつて,がんがどのようなプロセスを経て発生するのかは謎に満ちていた.この謎に最初の光を当てたのが,1960年代に報告された“X染色体不活性化(Lyonization)”に基づく解析である.女性は発生の初期に2本のX染色体のどちらか一方がランダムに不活性化されるため,正常組織はヘテロな細胞集団として構成されている.X染色体上のG6PD(glucose-6-phosphate dehydrogenase)のアイソザイム型をヘテロで保持する女性の腫瘍組織では,一貫して片方のアレルに由来するアイソザイムしか発現しないことが報告され,腫瘍は単一の細胞に由来することが証明された1)

慢性骨髄性白血病に特異的なPhiladelphia染色体を発見したNowellは,がん細胞集団は共通の染色体異常を有する一方で,進行に伴い多様な染色体核型を獲得していく観察に基づき,1970年代にクローン進化モデルを提唱した2).すなわち,がんは単一の細胞に由来するものの,その発生過程で獲得されるゲノム不安定性により新たな遺伝的異常をもつサブクローンを絶えず分岐させ,そのなかから選択的増殖優位性を獲得したクローンが選択されるという,ダーウィン進化の原理を発がんプロセスに適用した.その後,がんを特徴づける遺伝的異常としてがん遺伝子やがん抑制遺伝子(今日ではドライバー遺伝子と総称される)の同定が進んだ.1990年,Vogelsteinらは大腸発がん過程における病理学的悪性度の進行とドライバー変異の蓄積を対応づけた“多段階発がんモデル(Vogelgram)”を発表した3).今世紀に入り,ヒトゲノムの解読や次世代シークエンサーの登場によってがん研究は飛躍的な発展をとげ,大部分のがんにおいて網羅的ゲノム解析がなされた結果,ドライバー変異の包括的なカタログが完成するに至った4)5).重要なのは,発がんプロセスをドライバー変異の単なる直線的蓄積として終わらせないことであり,クローン拡大に伴って創出されるゲノム・エピゲノム的多様性と,環境による選択(選択圧)というダーウィン進化こそが,病理学的悪性化や治療抵抗性獲得といったイベントを駆動する本質的なメカニズムである(図16)

 

図1 がんのクローン進化モデル
ドライバー変異を獲得した細胞は増殖してクローン拡大し,そのなかから追加のドライバー変異を獲得した細胞が出現することをくり返してがんに至る.この過程において,選択圧に適応した変異クローンが選択される.治療による選択圧の変化もまた,新たな変異クローンの選択の駆動力となる.(文献6をもとに作成)

 

② ドライバー変異細胞による正常組織の再構築(体細胞モザイク)

1960年代,FialkowらはX染色体不活性化を利用して,健常な高齢者の血液細胞においても不活性化アレルの偏りがしばしば観察され,正常組織においてもクローンが拡大していることをはじめて報告した7).その後,加齢に伴って獲得される,ミトコンドリア遺伝子異常に起因するシトクロムcオキシダーゼの欠損が組織化学染色によって捉えられるようになり,大腸や乳腺,皮膚など固形臓器においても,加齢と関連したクローン拡大が存在することが実証された8).しかし,これら従来のマーカーは必ずしも細胞増殖に寄与しておらず,正常組織におけるクローン拡大の詳細なメカニズムは長らく不明のままであった.近年,ゲノム解析技術の飛躍的発展により,健常な高齢者の末梢血中に,白血病で観察されるドライバー変異を有する細胞集団が拡大する“クローン性造血”が報告された9)10).後天的に,個体が多様な遺伝情報を有する細胞で構成される状態は“体細胞モザイク”とよばれる(図2).加齢とともに体細胞モザイクが進行することが血液のほか,皮膚,食道,肝,子宮,大腸をはじめ,多くの臓器で報告されてきた11)12).正常組織において拡大した変異クローンはその臓器のがんと共通するドライバー変異を有することや,クローン性造血を有する高齢者は造血器腫瘍を発症するリスクが高いことなどから,これら正常組織におけるドライバー変異クローンは“がんの起源細胞”と考えられている.正常組織においてがんドライバー変異は,時に幼少期といった人生の早期に獲得されることがあり,起源細胞が腫瘍細胞へと変貌する前には,時に数十年の単位でクローン進化のプロセスが存在すると考えられる(図2).さらに最近の研究では,変異クローン由来の血液細胞(マクロファージなど)が炎症性サイトカインの産生を亢進させるなどの免疫異常を引き起こした結果,動脈硬化や心血管イベントのリスクを有意に上昇させることや13),代謝異常関連脂肪肝炎の病態に寄与するなど14),体細胞モザイクはがん以外の疾患にも関与することが報告されている.第1章では,各臓器における発がんの最初期イベントとしての,遺伝子変異クローンによる正常組織再構築の実態と,その意義について紹介する.

 

図2 体細胞モザイク
上段)重層扁平上皮組織における体細胞モザイクの一例.一見正常な組織にもがんドライバー変異を獲得したクローンが存在し,加齢や環境因子への曝露によってクローン拡大する.下段)時に幼少期のころからドライバー変異を獲得したクローンが生じ,身体の成長に従って,また,成人後も加齢に従ってクローン拡大し,正常組織はドライバー変異クローンによって再構築され続ける.(文献11より引用)

 

2. クローン進化を駆動する多層的要因

がんの網羅的ゲノム解析の進展により多数のドライバー変異が同定された一方で,一部の症例において明確なドライバー変異が同定されないケースがあることが知られている.未発見のゲノム異常が存在する可能性は否定できないが,DNAの変化を伴わずに細胞分裂を介して娘細胞へと継承されるエピゲノムの異常が,発がんのクローン進化を駆動する重要なメカニズムとして大きな注目を集めている.第2章ではがんの進化においてこれらエピゲノム異常が果たす多面的な役割について紹介する.

がんのクローン進化を駆動するメカニズムの解明が進むにつれ,正常細胞からがん細胞へと至る進展プロセスのモデリングが行われるようになってきた.幹細胞生物学の発展により,生体外で正常細胞の長期間培養を可能にするオルガノイド培養技術が確立され,発がんに必要な因子を人工的に導入して進化プロセスを実験的に検証することが可能になった.一方,実際の臨床検体を用いたアプローチとして,特定のがん種について前がん病変から悪性腫瘍に至る各フェーズの詳細な解析により,クローン進化の時空間的な動態を精緻に解明する研究も進められている.第3章ではこれら多角的なアプローチによるがん進化のモデリングについて紹介する.

ゲノム・エピゲノム異常の蓄積により,細胞はがん特異的な形質もしくは能力を獲得する.これらは“Hallmarks of cancer”として2000年にHanahanとWeinbergによって体系化され,その後も研究の進展にあわせて改訂が重ねられてきた15).2026年に出版された最新版では,がん細胞自律的な能力を中心に据えつつ,その周辺に炎症や細菌叢といった“能力獲得を可能にする特徴”や,免疫細胞,間質細胞,老化細胞などが織りなす“腫瘍微小環境というエコシステム”を配置し,がんを多次元的なシステムとして捉えることが提唱された(図316)第4章では,変異原,組織微小環境,そして腫瘍免疫をとり上げ,発がんのクローン進化を外的な環境側から駆動する,これら多層的な要因の役割について紹介する.

 

図3 Hallmarks of cancer
がん細胞自律的な能力(中心)に加えて,能力獲得を可能にする特徴や,多様な細胞・因子が織りなす腫瘍微小環境を多層的に配置し,がんを多次元的なシステムとして捉えた概念図.(文献16より引用)

 

3. がんの多様性と,治療によるさらなる進化

ここまで述べてきたように,さまざまな内的・外的要因が複雑に絡み合うクローン進化の帰結としてがんが発生する.近年の網羅的オミクス解析によって,たとえ同一の臓器に生じたがんであったとしても,症例(腫瘍)間でその分子プロファイルが異なるという,腫瘍間不均一性の存在が明らかになった.この腫瘍間の多様性をもたらす要因として,がんの起源細胞の系統やその分化段階,あるいは細胞が置かれていた微小環境の差異などがあげられる.すなわち,同一の臓器であっても,どの細胞がどのタイミングでどのようなゲノム・エピゲノム異常を獲得したか,また,その周囲にどのような間質細胞や免疫環境が存在したかによって,選択されるドライバー変異の種類や,その後にたどる進化の軌跡が異なってくる.第5章では,この発がん過程における腫瘍進化の多様性を生み出すメカニズムについて,最新の知見を紹介する.

がんは診断された後,さまざまな治療が行われる.近年,がんの分子病態の解明に伴い新たな分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬の開発が急速に進み,実臨床に応用されている.がん進化の観点において,これら抗がん剤治療は強力な人為的選択圧となる.診断時にすでに数十億個規模にまで増殖したがん細胞集団のなかには,膨大な遺伝的・エピゲノム的多様性が創出されている.その多くは,治療前の環境下では進化学的には中立,あるいは相対的に増殖に不利なクローンかもしれない.しかし,治療介入という大きな環境変化により,それまでとは選択のメカニズムが一変し,新たな薬剤環境に適応可能な耐性サブクローンが特異的に選択されて拡大し,これが将来的な再発や治療抵抗性の原因となる.従って,再発の分子メカニズムの解明は,がん患者の生命予後に直結する重要な課題である.また,全身化学療法の影響は標的となる腫瘍にとどまらず,他臓器にも新たな変化をもたらし,前がんクローンの選択や二次性がんの発生を惹起することが明らかになってきた.第6章では,これら治療によって駆動されるがん細胞のさらなる進化,およびその影響を受ける血液細胞を例としたクローン進化のメカニズムについて紹介する.

 

おわりに

本稿で俯瞰してきたように,がんの本質は,ゲノム・エピゲノム異常の蓄積による多様性の創出と,環境に適応したクローンの選択・拡大というダーウィン進化の帰結に他ならない.その進展プロセスには多層的な要因が複雑に絡み合っているため,がんを動的な適応系(エコシステム)として捉える視座が不可欠であり,さらなる研究の発展には,今後より一層の専門家間の連携が必要とされるだろう.

正常組織ですらすでにドライバー変異を獲得した細胞によって再構築されており,そこからがんの発症に至るまでに数十年に及ぶ時間が存在することは,臨床的な観点において,がんの予防・早期発見戦略,あるいは発がんリスク低減法の開発を推進するうえで重要な基盤となる.また,クローン進化を駆動するがん細胞自律的な分子メカニズムの解明が新たな標的治療の開発に直結することは言うまでもないが,がんをとり巻くエコシステムとしての微小環境,腫瘍免疫,腸内細菌叢といった外的因子のさらなる解明もまた,次世代の複合的治療アプローチに貢献する可能性を秘めている.現在,医療は従来の臓器別治療から,腫瘍ごとの分子病態にもとづく個別化治療へとシフトしているが,がんの多様性が創出される根本的なメカニズムを理解することもまた,がん克服の新たな鍵となるはずである.さらに,抗がん剤治療の結果として治療抵抗性クローンが出現することは,進化の原理から見ればむしろ必然であるが,その適応と進化のメカニズムを理解することにより,抵抗性の獲得や再発を抑制する治療法の開発へつながることが期待される.本稿が,がんの複雑な自然史を俯瞰し,その病態を本質的に理解するための一助となれば幸いである.

 

文献

1) Linder D & Gartler SM:Science, 150:67-69, doi:10.1126/science.150.3692.67(1965)

2) Nowell PC:Science, 194:23-28, doi:10.1126/science.959840(1976)

3) Fearon ER & Vogelstein B:Cell, 61:759-767, doi:10.1016/0092-8674(90)90186-i(1990)

4) Martincorena I, et al:Cell, 171:1029-1041.e21, doi:10.1016/j.cell.2017.09.042(2017)

5) Bailey MH, et al:Cell, 173:371-385.e18, doi:10.1016/j.cell.2018.02.060(2018)

6) Greaves M & Maley CC:Nature, 481:306-313, doi:10.1038/nature10762(2012)

7) Fialkow PJ, et al:Proc Natl Acad Sci U S A, 58:1468-1471, doi:10.1073/pnas.58.4.1468(1967)

8) Taylor RW, et al:J Clin Invest, 112:1351-1360, doi:10.1172/JCI19435(2003)

9) Genovese G, et al:N Engl J Med, 371:2477-2487, doi:10.1056/NEJMoa1409405(2014)

10) Jaiswal S, et al:N Engl J Med, 371:2488-2498, doi:10.1056/NEJMoa1408617(2014)

11) Kakiuchi N & Ogawa S:Nat Rev Cancer, 21:239-256, doi:10.1038/s41568-021-00335-3(2021)

12) Maeda H & Kakiuchi N:Cancer Sci, 115:2117-2124, doi:10.1111/cas.16183(2024)

13) Jaiswal S, et al:N Engl J Med, 377:111-121, doi:10.1056/NEJMoa1701719(2017)

14) Wong WJ, et al:Nature, 616:747-754, doi:10.1038/s41586-023-05857-4(2023)

15) Hanahan D & Weinberg RA:Cell, 100:57-70, doi:10.1016/s0092-8674(00)81683-9(2000)

16) Hanahan D:Cell, 189:2254-2277, doi:10.1016/j.cell.2025.12.049(2026)

 

〈著者プロフィール〉
垣内伸之:京都大学白眉センター・消化器内科 特定准教授.2007年京都大学医学部医学科卒業.消化器内科医として臨床に従事するなかでがん診療の限界を自覚し,’14年に京都大学大学院医学研究科(消化器内科学,腫瘍生物学)で大学院生として研究を開始.がんの起源に迫る研究を行うなかで,個体内で細胞がさまざまな進化を遂げることを見出し報告した.’19年より同助教を経て,’21年より独立し現職となる.大学病院で消化器内科診療に従事するとともに,さまざまな臓器における細胞のクローン進化をテーマとして研究を行っている.

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