実験医学増刊:神経免疫 メカニズムと疾患〜神経系と免疫系を結ぶ分子機構の解明からバイオマーカー・治療標的の探索まで
実験医学増刊 Vol.39 No.15

神経免疫 メカニズムと疾患

神経系と免疫系を結ぶ分子機構の解明からバイオマーカー・治療標的の探索まで

  • 山村 隆/編
  • 2021年09月03日発行
  • B5判
  • 201ページ
  • ISBN 978-4-7581-0397-8
  • 定価:5,940円(本体5,400円+税)
  • 在庫:あり
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序にかえて

神経免疫学の歴史と研究動向

山村 隆
(国立精神・神経医療研究センター神経研究所免疫研究部)

21世紀に入ってから,神経系と免疫系にまたがる研究テーマが増え,好むと好まざるにかかわらず,多くの研究者が「神経免疫」にかかわりをもつようになった.現在では,「神経免疫」という言葉に違和感を感じる読者は少ないかもしれない.しかし,20世紀の終わり頃まで,神経系と免疫系は,それぞれ交わらない閉じた世界であり,「神経免疫学(Neuroimmunology)」は神経と免疫の隙間を埋める小さな学問領域としての位置づけに甘んじていた.ちょうど神経科学ではニューロン回路網の研究や細胞生物学が隆盛を極め,免疫学ではT細胞やB細胞の基礎的な知見の増大,あるいはサイトカインの発見が相次いだ時代であった.しかし神経系と免疫系を切り分けたままでは解決できない科学的・医学的な問題が数多く存在することが明らかになり,この10年間で状況は大きく変化した.

神経系と免疫系は緊密に影響を与え合い,相互に制御し合う(bi-directional interaction).神経系と免疫系は,それぞれが外界・環境因子・代謝産物などに対する受容体・センサーから入力された情報をネットワークとして処理し,その破綻が複雑な病態を示す疾病の発症につながるのである.今や複数の臓器・システム連関の研究の意義が強調される時代であるが,神経免疫学はその先陣を切ったと言えるかもしれない.

本書では,中枢神経系を場とする免疫応答の基礎(第1章 神経免疫のメカニズム),神経免疫の関連する疾患(第2章),新しい治療のアプローチ(第3章)まで幅広い領域を取り扱っている.神経免疫学の対象は,教科書的な免疫性神経疾患(多発性硬化症,視神経脊髄炎,重症筋無力症)だけではなく,ミクログリア活性化を伴う神経変性疾患,脳血管障害,自閉症,精神疾患に及んでいる.さらには西洋医学が真剣に向き合うことの少なかった疲労,自律神経障害,疼痛などのいわゆる“不定愁訴”の理解や治療についても神経免疫学の貢献が期待されている.

[略語]

AD:
Alzheimer’s disease(アルツハイマー病)
ALS:
amyotrophic lateral sclerosis(筋萎縮性側索硬化症)
BBB:
blood brain barrier(血液脳関門)
CFS:
chronic fatigue syndrome(慢性疲労症候群)
EAE:
experimental autoimmune encephalomyelitis(実験的自己免疫性脳脊髄炎)
MBP:
myelin basic protein(ミエリン塩基性タンパク質)
MOG:
myelin oligodendrocyte glycoprotein(ミエリン・オリゴデンドロサイト糖タンパク質)
MS:
multiple sclerosis(多発性硬化症)
PLP:
proteolipid protein(プロテオリピッドタンパク質)

1.多発性硬化症(MS)と神経免疫学

今世紀の初頭には,リンパ球による神経保護因子産生1),ニューロトランスミッターによる免疫制御2),化学的交感神経切除術による免疫修飾3)などの報告が出揃い,これらが現代の神経免疫学の基盤となったことは間違いない.しかし神経免疫学の発展は,多発性硬化症(multiple sclerosis:MS)の克服をめざした研究者の情熱によって支えられてきたことは忘れてはならない.MSは脳・脊髄・視神経に炎症病巣がくり返して現れ,手足のしびれ,麻痺,尿失禁,物忘れなどの症状が進んで車椅子が必要な状態になる神経の難病である.永年にわたって症候学,疫学,病理学,電気生理学などの研究が進められていたが,治療に関する手がかりはほとんど得られなかった.MSの動物モデルEAEの研究で知られるHarvard大学教授Byron Waksman(故人)は,米国MS協会の科学アドバイザーに就任した1980年頃,世界中の医療機関にMSの治療に関するアンケート調査票を送ったところ,すべての施設が「MSには治療法がない」と回答してきたという(私信).彼はEAEとMSの類似点を十分に認識していたことから免疫学研究の重要性を強調し,MSの臨床医と免疫研究者の交流を促すワークショップを定期的に開催した.EAEはマウスやラットにミエリン抗原をアジュバントに混和して接種することによって誘導するMSの動物モデルである.

一方で米国National Institutes of Health(NIH)のDale E. McFarlin(故人)4)は,EAE研究とMS臨床研究を並行して進めることの重要性を早くから認識し,神経病理学者Cedric S. Raineらとともに1982年に国際神経免疫学会(International Society of Neuroimmunology:ISNI)を創設した.McFarlinは免疫学に造詣の深い脳神経内科医で,友人には著名な免疫学者も多く,NIHでは診療とEAE研究が並行して行われていた.同じ頃,ドイツやイスラエルでも自己免疫とEAEの研究がさかんになり,現在米国科学アカデミーの会員であるLawrence SteinmanらのイスラエルWeizmann研究所で育った人材が世界中で活動をはじめた.それらの研究活動に対して,米国MS協会やNIHは巨額の研究費を与えて支援した.

日本でもNIH留学を終えて帰国した田平武が,国立精神・神経センター(当時)に日本におけるEAE/MS研究の基盤をつくった(1984年頃).それまでミエリン塩基性タンパク質(MBP)がEAEを惹起する唯一の自己抗原とされていたが,田平ラボではプロテオリピッドタンパク質(PLP)にEAE誘導能があることを証明した5).なお,その後ミエリン・オリゴデンドロサイト糖タンパク質(MOG)によって誘導されたEAEを用いた研究がさかんになっているが,PLPによって誘導される再発型EAEは,現在でも重要な研究材料である.

筆者がドイツに留学した1987年頃から,EAEで得られた知見をMS患者で検証する研究が活況を呈し,ドイツMax-Planck研究所,NIH,Harvard大学などが成果を次々に発表した6)7).トランスレーショナル研究の夜明けであったと言ってもよいだろう.NIHではMBP脳炎惹起性ペプチドの改変体による医師主導治験も実施された.改変ペプチドによってMSが悪化するという残念な結果に終わったが8),21世紀の医師主導治験や臨床研究に大きな影響を与えるものであった.一方で製薬会社の治療薬開発も進み,20世紀の終わりまでにはインターフェロンβとグラチラマー酢酸塩が海外で承認され,現在ではMSと関連疾患視神経脊髄炎に対して,日本国内だけでもα4インテグリン抗体Natalizumabなど11種類の治療薬が使えるようになっている.それらのうちfingolimod9)とsatralizumab10)は日本で得られたシーズをもとに開発された薬剤であることは誇ってもよい.

2.EAE/MS研究の動向

2010年頃まで,世界のEAE研究はT細胞の基礎研究の進歩と連動して発展してきた.EAEを誘導するT細胞クローン(脳炎惹起性T細胞)がCD4陽性で抗原ペプチドをMHCクラスⅡ拘束性に認識すること11),Th17細胞が脳炎惹起性T細胞であること12)などが次々に報告され,T細胞が血液脳関門(BBB)を通過するしくみの解明,中枢神経における抗原提示のメカニズムなどの研究も進んだ.しかし近年になってEAE/MSの研究内容には大きな変化が見て取れる.1つはB細胞標的治療(抗CD20抗体)が予想以上に効果を示したこともあって,B細胞の研究がさかんになってきたことである13).もう1つは,EAE/MSの修飾因子としての腸内細菌叢にスポットライトが当たってきたことである.冒頭にも述べたように神経・免疫ネットワークはさまざまな外来性または内在性刺激を感知して作動するが,腸内細菌叢由来分子と腸管関連リンパ球の相互作用や,腸内細菌がexosomal miRNAや代謝産物を介して脳内免疫細胞(ミクログリアなど)に作用する,そのメカニズムに大きな関心が集まっている.

筆者らは2008年に抗生物質投与によるEAE発症の抑制についてはじめて報告した14).2015年以降MS患者の腸内細菌叢の解析が進み15)16),現在ではMS研究の主要な研究テーマとなっている.MS患者の糞便中で短鎖脂肪酸が低下していることは,日米独イスラエルで確認され,これからさらに大きな発展が見込める状況になっている.他にも中枢神経内慢性炎症のメカニズムに関する研究がさかんになってきていることや17),神経免疫の基盤となる脳内リンパ組織や髄膜リンパ組織の研究18)が発展しつつあることも重要である.

3.基礎・臨床科学を橋渡しする神経免疫学

神経免疫学は今や,さまざまな基礎科学および臨床医学にまたがる広大な領域をフィールドとし,MSやEAEの研究者だけが活躍する場所ではなくなった.多くの基礎・臨床研究において神経系と免疫系にまたがる研究材料が選ばれている.自律神経系による免疫調節は,代表例の1つである.延髄から出て多くの臓器に分布する脳神経である迷走神経の刺激(vagus nerve stimulation)によって炎症性疾患を抑制する治療は,すでに海外では実用化されている19).また自律神経系受容体に対する自己抗体が,起立性低血圧などの病態と関連していることを示す論文も増えている.自律神経系と免疫系のつながりは,すでに臨床で証明されているのである.

脳血管障害,アルツハイマー病(AD),筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経変性疾患は,かつては免疫学が関与する余地はほとんどなかったが,活性化ミクログリアが病態に大きく寄与することを背景に,神経免疫学の重要なフィールドになってきた.ADではβアミロイドの免疫系による生理的な処理機構の破綻が想定されることから,自然免疫の活性化などを促す新規治療薬の開発も進んでいる.また凝集体が蓄積する変性疾患に対して,より洗練された免疫療法の開発も進んでいる.

4.精神の疾患,“不定愁訴”と神経免疫学

C型肝炎の治療薬インターフェロンαやMSの治療薬インターフェロンβは,一部の患者で抑うつ状態を惹起することがある.このように免疫因子(サイトカインなど)と心の健康には密接な関連があるが,精神医学と免疫学の交流が十分ではないためか未解明の部分が多い.

検査で異常が見つからない,めまい,発汗,疲労,疼痛などの症状を訴える多くの患者は,西洋医学にはそぐわない面もあり,これまで代替医療(漢方医学,鍼灸治療,サプリメントなど)に頼ってきた.“自律神経失調症”,“慢性疲労症候群”,“身体表現性障害”などの病名は,診断に困った際に“とりあえずつけられる”ものであった.しかし,今や自律神経受容体に対する自己抗体や疼痛を惹起する自己抗体などが同定されている.“慢性疲労症候群(chronic fatigue syndrome:CFS)”も,COVID-19の拡大に伴って増加しており,ウイルス感染によって惹起される神経免疫疾患である可能性が強まっている.これらの疾患の診療に携わる医師が免疫学に目を向けることによって,これらの疾患も克服される可能性がある.

おわりに

神経免疫学はもともと目的指向性の強い領域である.その特徴は維持しつつも,生体ホメオスタシスを理解するための基礎研究が,免疫系と神経系を並行して解析する能力のある研究者グループによって推進され,それがまさに神経免疫学の本流となる展開が予想される.一方で難治疾患を克服する治療法開発研究は,さらに活性化するであろう.レディメイド医療ではなく,患者個別の特性に応じた医療(precision medicine)を提供するために,バイオマーカーによる疾病分類がさかんに研究されるであろう.何と言っても,すでに免疫標的医薬で神経疾患を治療し,神経刺激治療で免疫・炎症疾患をコントロールする時代が到来しているのである.

文献

  • Kerschensteiner M, et al:J Exp Med, 189:865-870, 1999
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  • Madden KS, et al:J Neuroimmunol, 49:77-87, 1994
  • Griggs RC:Arch Neurol, 51:1060-1061, 1994
  • Satoh J, et al:J Immunol, 138:179-184, 1987
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  • Bettelli E, et al:Nature, 441:235-238, 2006
  • Pette M, et al:Proc Natl Acad Sci U S A, 87:7968-7972, 1990
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  • Louveau A, et al:J Clin Invest, 127:3210-3219, 2017
  • Payne SC, et al:Front Neurosci, 13:418, 2019

著者プロフィール

山村 隆:1980年京都大学医学部卒業.Max-Planck研究所,Harvard大学での留学を経て,国立精神・神経センター神経研究所室長.’99年同免疫研究部長.2010年に多発性硬化症センター長.’16年より現職.専門は神経免疫疾患の病態解明と治療法開発.’19年日本免疫学会ヒト免疫研究賞,’21年には日本人で初めて国際神経免疫学会Dale E. McFarlin Memorial Awardを受賞.

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