実験医学別冊:決定版 質量分析活用スタンダード〜代謝物からタンパク質、食品・環境の分析まで質量分析のポテンシャルを活かしきる戦略とプロトコール
実験医学別冊

決定版 質量分析活用スタンダード

代謝物からタンパク質、食品・環境の分析まで質量分析のポテンシャルを活かしきる戦略とプロトコール

  • 馬場健史,松本雅記,松田史生,山本敦史/編
  • 2023年07月11日発行
  • B5判
  • 363ページ
  • ISBN 978-4-7581-2264-1
  • 定価:7,920円(本体7,200円+税)
  • 在庫:あり
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基礎編 質量分析法の基本知識

1 質量分析法の使い分けガイド
測りたいサンプルはどうやって分析するの?

馬場健史
(九州大学生体防御医学研究所)

はじめに ―本書の内容と活用方法

本項では,皆さんがもし質量分析(mass spectrometry:MS)で測定したいサンプルができた場合,どうやって測定したらよいか,すなわち測定方法の選択,それに合わせたサンプル調製方法および取得したデータ解析方法の選択について解説する.

本書は基礎編実践編発展編の3編で構成されている.まず,実践編のプロトコールを理解し実際に測定を行うためには,使用する質量分析法の原理を理解している必要がある.そこで,本書の基礎編に最低限必要な各種質量分析法の原理,装置の概要,実験の基本フローなどの基本知識を解説した.特に初心者の方はまず基礎編で勉強してプロトコールの理解に必要な基礎知識を身につけていただきたい.

本書のメインである実践編では代謝物,タンパク質,検査・材料・無機のカテゴリに分けて各分野における分析手法別のプロトコールを掲載している.例えば,自分の測定したい成分が代謝物である場合は,どんなサンプルか,分析の目的が特定の化合物を対象にするターゲットか不特定多数の成分を対象とするノンターゲットであるかにより,近いアプリケーションのプロトコールを実際の分析の参考にしていただくことを想定している.なお,メタボロミクス,リピドミクス,質量イメージングについては羊土社から出版されている『メタボロミクス実践ガイド』 参考図書1)および『質量分析実験ガイド』 参考図書2)に詳細なプロトコールが紹介されているのでそちらも参照されたい(『メタボロミクス実践ガイド』については本項の「おまけ」で詳しく紹介する).続いてタンパク質の分析,特にプロテオミクスについては,各種手法のプロトコールを試料調製,定量解析,機能プロテオミクスの項目に分けて掲載している.プロテオミクスを実施する際に必要なさまざまなプロトコールが幅広くカバーされており,たいへん参考になると思うので有効活用いただきたい.続けて,食品や環境の分野での検査としての質量分析の利用例やプロトコールを,最後に材料や無機の分野での利用例を掲載している.ここまでは有機物の質量分析について述べてきたが,無機イオンも質量分析法の分析対象であり,無機分析についても前処理も含めて掲載しているので,参考にしていただきたい.

さらに,本書では発展編として,最近開発された,あるいは現在開発されている新たな質量分析手法やデータベース,データ解析ツールなどについて解説した.また,実践編に記載されていない分野の質量分析法についても記載しているので参照いただきたい.

質量分析法選択のガイドライン

本書記載のプロトコールを有効活用いただくために,質量分析法をどのように選択したらよいか,そのストラテジやコツについて,低分子化合物を分析対象とする場合を例として説明をしたいと思う().

1.分析目的の設定と分析法の選択

測定をはじめる前に,まず考えないといけないこと,やらないといけないことは,①サンプルの特徴と分析目的を理解すること,そして,その特徴,分析目的に合わせて②最適な分析方法を選定することである.やみくもに分析しても目的とする結果を得られることはほとんどない.どのようなものを,何の目的で,どのように,どこまで測定するのかを理解し,決めたうえで分析することが非常に重要である.これは,既知成分の分析と未知成分の分析で大きく異なってくるので,分けて解説する.

分析対象が既知成分

既知成分の場合は,分析対象成分の物理化学的性質に応じて適したクロマトグラフィーなどの分離手法ならびに質量分析におけるイオン化法,質量分離法を選択する.

クロマトグラフィーの選択においては,基本的に揮発性の成分はガスクロマトグラフィー(gas chromatography:GC)を用い,不揮発性成分については液体クロマトグラフィー(liquid chromatography:LC)を第一選択として,必要に応じてキャピラリー電気泳動(capillary electrophoresis:CE)や超臨界流体クロマトグラフィー(supercritical fluid chromatography:SFC)なども使用する.

また,質量分析におけるイオン化法については,分析対象化合物の電荷特性をもとにイオン化の効率などにより適切なものを選択する必要がある(イオン化の詳細については,基礎編-3および4を参照).なお,分離に使用するクロマトグラフィーとの相性があるのでどのクロマトグラフィーにもすべてのイオン化法が用いることができるわけではない(GCにはEIまたはCI,CEにはESIなど).他には低分子から高分子,親水性から疎水性まで幅広い成分の分析に用いることができるイオン化方法としてマトリックス支援レーザー脱離イオン化法(matrix assisted laser desorption ionization:MALDI)がある.MALDIは,クロマトグラフィーと接続せずイオン化を補助するマトリックスを混合したサンプルにレーザーを照射してそのままダイレクトにイオン化する方法である(詳細については,基礎編-4を参照).

質量分離法については,定量,定性の分析の目的に合わせて定量性の高い四重極型(quadrupole:Q)の質量分析か,飛行時間型(time of flight:TOF)もしくは精密質量を取得可能なOrbitrap型などを選択することになる(質量分離法の詳細については,基礎編-2を参照).既知成分の分析を行うターゲット分析やマルチターゲット分析(最近では多成分の分析が可能になりワイドターゲットという言葉も用いられるようになってきている)と未知成分を含めた検出可能な成分の一斉分析を行うノンターゲット分析により,使用する質量分離法を使い分ける必要がある.ターゲット分析,マルチターゲット分析においては,一般的にダイナミックレンジ(識別可能な信号の最小値と最大値の比率やその範囲)の広いQをベースに,四重極を3つタンデムに接続しCID(collision-induced dissociation)によるフラグメントを生成させMS/MS解析が可能な三連四重極型(triple quadrupole:QqQ)を用いることが多い(MS/MSについて詳しくは基礎編-2を参照).特にQqQはSRM〔selected reaction monitoring, multiple reaction monitoring(MRM)ともいう〕分析を用いることにより高選択性,高感度分析ができることから,定量分析に有効な質量分離法である.

分析対象が未知成分

未知成分の場合は,分析対象を特定せず検出可能な成分を分析するノンターゲット分析が主流になるが,まずはどんな成分であるかを調べるための定性分析が必要になる.分析モードとしては任意の質量範囲を掃引しその範囲の全イオンをモニターするスキャンモードを用い,必要に応じてプロダクトイオンを生成させてフラグメントを解析するMS/MS分析を行う.未知成分の分析においては,高分解能のTOFやOrbitrapをベースに,Qを接続してフラグメント解析が可能なハイブリッド型のQ-TOFやQ-Orbitrap型のタンデム質量分析計を用いることが多い.Q-TOFやQ-Orbitrapは,プリカーサーイオンおよびフラグメントイオンの精密質量情報を取得が可能であり,未知成分の構造解析に威力を発揮する.イオン化法については,分析化合物の特性が不明である場合は特定することができないことから,いくつかのイオン化法を検討して,ポジティブイオンモード/ネガティブイオンモード,イオン化補助剤の添加の必要性等について調べ最終的に最適なMS分析における電圧,ガス等の条件を決定する.質量分析ではイオン化されないと検出されないため,未知成分のイオン化条件の検討については細心の注意を払って実施する必要がある(イオンが観測されないからといって高濃度のサンプルを打ち込まないように!)また,クロマトグラフィーにおいてもどの分離手法が適しているかわからないため,いくつかの方法を試す必要がある.分析サンプルに応じて,揮発性(固体の場合は直接導入)であればGC,液体(固体の場合は液体抽出をして)であればLCを分離手法として選択する.実際には,カバレージの広い(5%-フェニル)-メチルポリシロキサン系のカラムを用いたGCやC18系のカラムを用いた逆相LCなどをベースとして,検出される化合物を対象とした分析条件の検討を行い,必要に応じて他のカラムを用いた分離モードおよび他のクロマトグラフィーにも供して,未知成分の解析を行うことが多い.

2.サンプル調製法の選択

次に,③選択した分析方法に適したサンプル調製方法を選択することが重要になる.分析方法ごとに適したサンプル形態,破砕方法,抽出方法,前処理方法,誘導体化方法などでサンプル調製を行う必要がある.あまり意識されていない部分かもしれないが,選択した分析手法を効果的に用いるためには,適切なサンプル調製が重要である.特に質量分析においては,不揮発性の成分が質量分析計に入ると装置トラブルの原因になるため,気をつけていただきたい.また,サンプル量についても,高感度な質量分析計において多量(高濃度)のサンプルが導入されるとマトリックス効果(マトリックス効果については基礎編-4を参照)の影響を受けるだけでなく,装置が汚染されキャリーオーバーや感度低下等の原因になるので特に注意いただきたい.サンプル量(濃度)は用いる質量分析法の検出感度,目的とする成分の含有量などを考慮して適切に設定する必要があるので,必ず予備検討を十分行ったうえで本分析を行っていただきたい.その他にも,サンプル調製時に分解,変性を受ける化合物もあるので,試料調製してから分析するまでの時間における変化も含めて気をつける必要がある.本書におけるプロトコールでは,サンプルごとに試料調製におけるノウハウも含めて記載しているので,ぜひ参照いただきたい.

3.データ解析法の選択

最後に,④選択した分析方法に適したデータ解析方法を選定することが重要である.ノンターゲット分析においては個々の成分を同定せず検出成分のリストを作成することもあるが,一般的な質量分析のデータ解析のファーストステップは成分同定である.取得したマススペクトルをデータベースに入れると化合物の構造が出てくるソフトがあれば理想なのだが,実際はそのようなケースはほとんどない.例えば生体サンプルの場合は内在性の類似化合物が多く存在するために,マススペクトルだけでは正確な同定は難しい.質量分析だけで完全な成分同定を行うことが難しい場合が多いので,アノテーションという言葉を使うことが多い.アノテーションの注釈付けのレベル,基準を示している論文があるので,参考にしていただきたい 1)~3).もちろん,使用する質量分析計によって,得られるマススペクトルが異なってくるため,同定(アノテーション)の際には装置の特徴をよく理解したうえでどこまでの議論ができるかについて判断いただきたい.

また,定量方法についても用いる手法によって,その数値の持つ意味,精度等が変わってくるので重要になる 4)5).また,使用した質量分析装置,分析手法によっても,ダイナミックレンジ,検出感度,定量精度が異なってくるため,事前に分析の目的に合わせて検討が必要である.アノテーションレベルと定量方法については,『メタボロミクス実践ガイド』 参考文献1)の実践編③-9に記載されているので,参照をいただきたい.

おわりに

ここまで低分子化合物を対象として,質量分析法の選択のしかたについて解説をしたが,本書実践編Ⅲに記載されている食品や環境の検査や,材料の質量分析においても同じ考え方で検討いただければ基本的には問題ないと思う.高分子量の成分の場合には質量分析法だけなく,試料調製,データ解析においても高分子独特の手法を用いることが必要になる場合があるので気をつけていただきたい.詳細については実践編Ⅲの各項目を参照いただきたい.

また,タンパク質の質量分析においては,低分子化合物と異なる部分が多いが,分析のストラテジーの①サンプルの特徴と分析の目的の理解,②最適な分析方法の選定,③選択した分析方法に適したサンプル調製方法の選定,④選択した分析方法に適したデータ解析方法の選定については,同じである.本書において質量分析によるタンパク質解析方法のほとんどのプロトコールがカバーされているので,目的にあったプロトコールを見つけていただければやりたい分析を実施いただけると思う.

今回記載プロトコールと全く同じ実験がなかった場合も,基本的な原理を理解いただければ適時改変して目的とするデータを取得いただけると思う.ぜひ本書を読み込んでいただき,それぞれの研究開発において質量分析をぜひ有効活用いただきたい.

おまけ

代謝物の項(実践編Ⅰ)で記載されていないメタボロミクスに関するプロトコールについては,『メタボロミクス実践ガイド』 参考図書1)も参照いただきたい.こちらの書籍では,試料収集・サンプリング,機器分析(試料調製含む),データ解析のそれぞれのプロセスに分けて詳細なプロトコールを掲載し,ノウハウも含めて記載されている.筆者はこの書籍の編集メンバーでもあるので,ここで内容を簡単に説明させていただく.

試料収集,サンプリングについては,メタボロミクスの威力を最大化するサンプリング・試料調製のコツに関するオーバービューにはじまり,血液,尿,唾液,糞便,動物(臓器サンプル),微生物,培養細胞,植物,食品について詳細に解説している.

また,機器分析については,メタボロームデータを自力で取得したい/外部に依頼したい人のためのガイドに関するオーバービューをはじめに,まず,汎用される機器分析のプロトコールとして,GC/MS,CE/MS,LC/MSによるメタボローム解析,LC/MSおよびSFC/MSによるノンターゲット・ターゲットリピドーム分析のほか,GC/MSによる代謝物の 13C標識トレーサー解析についても掲載されている.さらに,発展的な機器分析の紹介として,LC/MSを用いたワイドターゲットメタボロミクス,イオンクロマトグラフィー質量分析(IC/MS)を用いた陰イオン性代謝物の分析手法,GC/MSによる揮発性成分のメタボローム解析のほか,NMR(核磁気共鳴)によるメタボロミクス,振動分光法(赤外・ラマン・近赤外)を用いたメタボローム分析,MALDI-MSを用いたハイスループット代謝プロファイリング,質量分析イメージングによるメタボローム分析の各種メタボロミクスの手法についても掲載されている.

また,データ解析においては,メタボロームデータを出す側/使う側としてのデータサイエンス・プロトコールのオーバービューをはじめに,実践的なGC/MSメタボロミクスのデータ処理プロトコール,LC-MS/MSノンターゲットリピドミクスのデータ処理プロトコール,ターゲットメタボロミクスのデータ処理プロトコールが掲載されており,さらに,質量分析インフォマティクスによる未知化合物の構造推定,多変量解析,エンリッチメント解析,代謝マップ描画,複数のオミクス階層にまたがる大規模パスウェイの2.5次元可視化,GARUDAを用いた簡便なデータ解析に関する内容のほか,論文化するにあたり要求されるメタボロームデータ出力形式,メタボロームデータの公共レポジトリへの登録についても紹介されている.

さらに,応用・展望編では,各種疾患,食品機能解析,植物化学,代謝工学,コフォート研究,マイクロバイオームなどの幅広い応用研究について記載されているので,ぜひ参考にしていただきたい.

文献

参考図書

  • 「実験医学別冊 メタボロミクス実践ガイド」(馬場健史,平山明由,松田史生,津川裕司/編),羊土社,2021
  • 「実験医学別冊 質量分析実験ガイド」(杉浦悠毅,末松 誠/編),羊土社,2013
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