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第8回 留学生がやってくることになったのですが?

この連載では,コミュニケーションスキルとしてよく利用される「コーチング」をサイエンスの現場に取り入れた事例を紹介することで,ラボでのよりよいコミュニケーションについて皆さんと考えていきます.

さて,最近は留学生も増えてきて研究室が国際的になってきているところも出てきています.皆さんの周りでも留学生が勉強や研究に励んでいるのではないでしょうか.最終回となる今回は,英語が苦手な学生のMさんが,ラボにやってきた留学生のチューターを担当することになった事例を取り上げます.留学生への対応を準備する際にセルフコーチングを利用するケースを考えたいと思います.


次の学期から研究室に留学生がやってくることになり,教授から留学生をしっかりとケアするようにと指示が出ました.その際に,Mさんがチューターとして対応するように指名されました.Mさんは英語が苦手なので,悩んだ結果K助教に担当を変えてもらえないかと相談することにしました.しかしK助教からは「いい経験じゃないか」と言われてしまいます.

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学生M「K先生,本日教授からお話がありました新学期から来る留学生の件でご相談したいのですが.」

K助教「あの件だね,何かな?」

学生M「実は私は英語が苦手で,自分にはできそうもないので,できたら他の人に代わってもらいたいのですが.」

K助教いい機会じゃないか.なんとかなるから頑張って.」

学生M「えっ(なんともならないと思ってるから相談してるのに…)?わかりました.」

Mさんは,話を聞いてもらえていない不満をかかえたまま部屋を出た.

Mさんは,以前同級生のS君が,自分(Mさん)とのコミュニケーションに関して,S君がB先生に相談していたことを思い出し(本連載の第3回第4回),思いきってB先生に相談してみることにしました.

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学生M「B先生,少しご相談があるのですがよろしいでしょうか?今度研究室に留学生が来ることになったのですが,その件で少しお話ししたいのですが.」

B先生「いいよ,どうしたの?」

学生M「はい,ありがとうございます.実は秋入学で次の学期から研究室に留学生がやってくることになりました.そこで教室の教授から私にチューターを担当するように言われたのです.留学生とは友達になりたいと思ったのですが,私は英語が全くダメで,授業も実験も忙しいので自分にはとてもできそうにないように感じているんです.だから他の人に代わってもらえないかと.」

B先生「そうなんだね.留学生のチューターを頼まれたものの,忙しいし英語も苦手なので他の人に頼みたいんだね.でも一方で,留学生と友達になりたいと思っているんだね.

学生M「はい,それはできれば友達になりたいです.でも私は英語が問題で…」

B先生「Mさんにひとつ聞いてみたいんだけど,Mさんが今考えている英語ってどのような英語かな?」

学生M「…それは留学生との交流に不自由しない英語です.研究室での生活やお互いの国の生活習慣や文化,もちろん研究のことも色々話せたり議論できたらいいなと思います.」

B先生「そうなったら,なんだか楽しそうだね.じゃ,もうひとつ聞きたいんだけど,留学生がやってくるまでのあと3カ月ぐらいで,何かすぐに取り組めそうなことはある?

学生M「(確かにあと3か月はある…)それは考えてなかったのですが,3カ月あるなら実験装置の呼び方や日常会話の英語なら準備できそうです.」

B先生「いいね,他にも無理なくできそうなことはありそう?」

学生M「他にですか?…うーん,おそらく留学生の国と日本では文化もかなり違うでしょうから,日本での生活で便利そうな便利帳を作ってあげたり,言葉も不自由と思いますので自治体の日本語教室を教えてあげたり,文化イベントの年間プランを作ってあげて,実際に連れていってあげたら喜ぶんじゃないかと思います.これなら私も楽しく取り組めるし,そんなに負担もないと思います.」

B先生「いいね,留学生も日本で勉強や研究をする以外に,日本での滞在も楽しめそうだね.ところで,1つ私の方から提案してもいい?

学生M「提案ですか?自分でできそうなことならお願いします.」

B先生「今回の件だけど,Mさんが学校を卒業するときあるいはその後も,その留学生と友達でいることを1つのゴールに置くとして,そのゴールのために今回のチューターの機会を英語に継続的に取り組む機会と捉えてみるのはどう?」

学生M「B先生,それは考えたこともありませんでした.3か月後ではなく卒業後も良い友人関係を構築することをゴールに置くのなら,継続的に英語にも取り組むこともできそうです.先ほどお話しした3カ月間に実施する内容は取り組むとして,中期や長期のプランも考えてみたいと思います.できそうなことを考えたらなんだか早速やってみたくなってきました.また1カ月後ぐらいに先生にご相談しても良いでしょうか?」

B先生「そうだね,またMさんの進捗を聞いてあげたいんだけど,実は少し海外へ出ることになり大学をしばらく留守にするのだよ.そこで自分で自分をコーチする考え方を少し話しておこうか.みんな何か新しいことを始めても,実は誰でも継続するのが難しいんだ.そんなときに少し役立つかもしれないので.」

Mさんは,B先生のセルフコーチングの考え方を聞いて,チューターを実施しながら英語の継続的な学習にも取り組むことにした.

リサーチコーチの視点

K助教いい機会じゃないか.

よくある例のK助教の対応ですが,Mさんの相談をよくある事例と即座に判断し,Mさんの要望はチューターの変更希望と捉えました.われわれは人の話を判断しながら聞きがちですが,判断しながら聞くと相手が本当に伝えたいことを聞くことに集中できず,聞くことよりも次に自分が発言したい意見を考えてしまいがちです.今回もK助教は,Mさんの相談は単にチューターの変更希望と捉え,Mさんの話をしっかり聞いてあげることよりも,自分の経験を伝えたくなり「なんとかなる」とアドバイスしてしまいました.ではB先生の対応を見てみましょう.

対応❶ 傾聴

B先生留学生と友達になりたいと思っているんだね.

 B先生は,Mさんとの会話の中から,Mさんの要望(留学生と友達になりたい)をしっかりと受け止めています.その上で,Mさんが考える課題(今回は英語)に関して,Mさんの考えをより具体的に掘り下げていきました.

対応❷ 大きな課題は小さく分解して整理する

B先生何かすぐに取り組めそうなことはある?

 B先生は課題を掘り下げる過程で,英語という大きな課題から少し小さな課題に分解する質問として,3か月でできそうなことはどのようなものがあるのかと質問しています.英語を富士山登山に例えるならば,3か月でできそうなことは,富士山の1合目を登る準備のようなものでしょうか.その結果,Mさんは自分は英語がダメと思っていましたが,無理なくできそうなことをいくつか思いつくことができました.

対応❸ 提案する

B先生提案してもいい?

 B先生は,まずは相手に提案をしても良いかどうか確認してから,Mさんが自ら語った話から,卒業後という将来(留学生と友達になっていること)をゴールのひとつに置く提案をしました.コーチングのひとつのスキルに「提案すること」があります.これはコーチが対象としている人(ここではMさん)に飛躍してもらうための重要なスキルです.その際に,あくまでも主体は対象者にあるという考え方が大切で,対象者が自ら行動を選択することで主体的な行動につながりやすくなると考えています.今回であれば,Mさんが留学生の受け入れの準備と対応について話したところで,B先生が提案をしました.MさんはB先生の提案を聞いてみるという選択を主体的に行った上で,将来の姿(卒業後も留学生と友人でいることなど)を自分で考えることにしました.その結果,Mさんは直近のゴールに加えて,将来の自分の姿も思い描くことができるようになりました.

セルフコーチングと言う考え方

セルフコーチに関しては多くの書籍があるので詳細はそちらを参照していただくとして,ここではシンプルに考えてみたいと思います.セルフコーチングは,言うまでもありませんが,自分で自分をコーチすることです.本連載でもご紹介したようなコーチングの流れと各種の質問(特にわれわれの場合は視点を変える質問が重要)を利用することで,自分1人で新たな発想を得て新たな行動へとつなげていく作業を実施します.コーチングの流れとしては,この連載でもベースとしましたGROWモデル1)(Goal setting, Reality, Options, What etc.)が参考になります.一方,コーチングで重要なスキルの1つは効果的な質問をするスキルです.この「質問のスキル」に関しては,最近ではさまざまな書籍に加えてネット上でも情報が公開されています.中にはよく練られた質問アプリもありますので,スマホを相手に質疑応答してみるのも面白いでしょう.また最近話題のAIも,コーチの分野で利用がはじまっているようです.このようなリソースの中から,自分の研究やコミュケーションに役立ちそうな質問集を作って,セルフコーチングに役立ててはどうでしょうか.

ただ「セルフ」とは言っても,1人では難しいことが1つあります.本連載第7回でも述べたように,自分で自分のことを知るのはなかなか難しいということです.特に本連載第5回で取り上げたように「こうに違いない」という思いに囚われてしまうと客観的に自分を見ることがさらに困難になり,本来の目的や目標を見失いがちです.そこで自分が作った質問集を材料にして,親しい人にさまざまな質問を定期的に出題してもらったり,その上で自分自身や設定したゴールへの進捗に関するフィードバックをもらうことができるとより効果的かもしれません.

連載のおわりに〜コーチングをもう少し広く学ぶには

さて,この連載は今回で最終回となりますが,みなさんの研究を進める上で何かお役に立てたでしょうか? 連載を始めてから,お読みいただいたいろいろな方にメッセージをいただきました.日々,現場で起こるコミュニケーションに端を発した問題でお悩みの方が多くおられると思いますが,この連載でご紹介した事例を1つのきっかけとして(Mさんの事例でいう「富士山の1合目」),これまで以上に活力のあるラボを築いていただく(Mさんの事例の「中長期的なゴール」)ことに繋がれば,これほど幸いなことはありません.

最後に,もう少しコーチングを詳しく学ぶ方法についてご紹介します.セルフコーチはひとりでできるので便利なのですが,上記のような「自分で自分を見ることは難しい」といった課題に加えて,自分で達成度を評価するため人によっては評価が甘くなりがちなのが弱点でもあります.ですので可能ならば,上記のような親しい人に協力してもらってさまざまな質問を出してもらったり目標への進捗を確認してもらったり,あるいはミーティングを目標の宣言の場として,達成度の評価の機会とするとよいでしょう(ただし周囲に否定的ではなく,肯定的に建設的に評価する声が必要です).またコーチの専門家にコーチを依頼するのも1つの方法です.実際,自分にコーチをつけることが,コーチングを学ぶのに一番効果的だとも言われています.Bill Gatesも教育に関するTEDのプレゼンテーションの冒頭で,“Everyone needs a coach”と述べています2).またコーチをつける以外にコーチの学校で学ぶのも良いでしょう.インターネットを見るとさまざまなコースがあり,玉石混淆です.日本で学ぶのであれば,国際的な機関の認証のあるプログラムであれば,一定の品質を担保しているものと思います.一方,海外であれば大学院にコーチの専門コースがあるところも多くあり,専門的な内容を学ぶことができます.教育現場でのコーチングの活用に関しては,2015年にアカデミック・コーチング学会が発足するなど,日本の教育現場におけるコーチングの学術的な研究も始まっています.コーチングに関して何かご質問があれば羊土社までご連絡いただければ幸いです.

WEB掲載にあたって,連絡先を羊土社に変更させていただきました.

キーポイント

今回のキーポイント

  • 大きな課題は分解してみよう
  • 時には提案してみよう
  • セルフコーチングにも挑戦してみよう
  1. John Whitmore:Coaching for Performance:GROWing Human Potential and Purpose, Forth edition:Nicholas Brealey, 2009
  2. Bill Gates:Teachers need real feedback

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