「大いなる仮説 第一章 宗教に化けたダーウィン進化論」より一部抜粋

大野 乾/著
1991年に刊行された名著が待望の電子復刻.生命の進化は,偶然と生存競争だけで説明できるのか?遺伝子重複による進化という独創的な理論を提唱した世界的遺伝学者・大野乾が,進化論を大胆に問い直す.DNAに潜む秩序を読み解きながら,生命の誕生から人類,言語,文明,そして宇宙へ.分子生物学の知見と自由奔放な想像力が交差する,壮大で刺激に満ちた生命論が,時を超えてよみがえる.
「進化」は誤訳だった?
日本語では、evolutionという言葉が「進化」と訳されている。私はこの訳は明治時代の先輩生物学者が、ダーウィンの考えに影響されすぎたために行った、大変な誤訳であったと思う。evolutionという言葉はラテン語由来であるから、ダーウィンよりも一〇〇〇年以上古い。
e(つまりex)は、言うまでもなく「外」という意味であり、volvereには「回転」という意味がある。従って、坂を転がり落ちだした大石は止めようがないように、この言葉には「必然性」が内蔵されている。ニュートンの法則の一つに、「一度動きだした物体は妨害されないかぎり動き続ける」というのがある事を思い出していただきたい。従って英語では、evolution of the tragedy(悲劇の必然性)という具合に頻繁に使う。では、悲劇にはなぜ必然性があるのか、という質問をされる方もおられるであろう。答は非常に簡単であって、人類を含めて生物全体の宿命は、生まれた時にすでに死という厳粛な必然性が潜在するわけである。従って喜劇には偶然性しかないが、悲劇には必然性がある。
古代中国文明がなかったら、日本文化というものは存在しえなかったであろう。同じように、古代ギリシャ文明がなければ、西欧文化というものは、存在しなかったと思う。そこで、悲劇の必然性を説明するのに一番有効な話は、ギリシャ神話の「エディプス王」であると思う。われわれが理解できるのは、ソフォクレスが残してくれた悲劇からが大部分であるが、その後、西欧の文壇の巨匠が似た話を何回も試みているし、精神分析のシグモンド・フロイドまでが、エディプスコンプレックス症状を見つけている。
宿命論‐エディプスコンプレックス
ギリシャの黄金時代を創ったアテネの隣国であったテベスの王はライウスであった。この頃のギリシャでは、それぞれの町に王様がいたから、当時の王様は、現在の町長、または徳川時代の一万石程度の殿様と思っておけばよい。ところで、ライウスはアポロの神殿の予言者から、「お前は息子の手で殺害される宿命にある」という神託を受けた。宿命から逃れようとしてライウスは、息子つまりエディプスが生まれた時に、両足を縛って遠い山に捨てさせ、それで厄を逃れたと信じた。しかしライウスは、その十数年後に、旅行中何者かに殺害されてしまうのである。一方、山に捨てられたエディプスは拾われて、ペロポネソス半島の付け根にあるコリントの王子として育てられていた。当時の、コリントの王であるポリプスも、アポロ神殿から「お前は自分の子に殺害される」という神託を受けたのだが、ポリプス自身は、エディプスは自分の血を分けた子ではないと知っていたから、一向に心配しなかった。ただし、エディプスは自分の素生を知らなかったから、この神託を聞いた時に、大いに恐れ、自発的に流離の旅にでた。エディプスが智勇兼備の若武者であったことはいうまでもない。
流離を重ねてテベスの近郊に到着すると、テベスがスフィンクスという半人半獣のために大恐慌に陥っている事がわかった。スフィンクスの身体は、羽根を生やしたライオンであったが、顔と乳房だけは妙齢の婦人のそれであった。旅行者を待ち伏せては謎を掛け、謎が解けないと食べてしまった。スフィンクスの謎とは、「朝は四足で歩き、昼は二足で動き、夕方には三足で歩く動物は何者であるか?」というものであった。今までに謎を聞いた人は、全部食べられてしまったから、エディプスは何を聞かれるか予想できなかったが、堂々とスフィンクスの前に立って、即座に「答えは人間である」と言った(図9)。赤ン坊は四つ足で這い、大人は二足で歩き、老人は杖をつくから三足で歩くということであった。謎を解かれた途端に、スフィンクスは自己破壊し、テベスは大恐慌から救われた。彼はテベスの英雄となり、ライウスの未亡人であったジョカスタと結婚し、数子をもうけた。その十数年後、テベスは大飢饉に襲われ、王となったエディプスがアポロ神殿に使いを出して、救済の神託をうかがった。ここで、十数年前に、旅行中喧嘩をしかけられたために戦って殺害した人が、自身の父であったライウスであり、妻としてめとったジョカスタが自身の母であったという、何とも逃れ難い厳粛な事実に直面させられたわけである。その後彼は、自ら眼をつぶして盲目となり、罪滅ぼしのために諸国を放浪するのである。この悲劇は、エディプスが生まれた時に背負った宿命によるものであって、彼自身の思考、行動では変える事ができなかった。
このように、evolutionという言葉には宿命的な必然性が内蔵されている。従って、適訳は「天然の摂理による変遷」であると私は思う。ダーウィンの自然淘汰説には、機会に便乗するという利己主義があるだけであって必然性がない。
古代中国の天文記録と天然の摂理
諸葛孔明が、第三出師の蜀軍を率いて、五丈原で再び魏の名将、司馬懿仲達と対陣した時に、彼は、三台の星の中で客星は相変わらず輝いているのに、主星の光が鈍くなったのを見た。その時に、自分の死を覚悟し、これまさに天然の摂理であると言っている。ちなみに、古代の天文記録は中国のそれが一番正確なようで、今日でも天文学者は、中国の天文記録を克明に調べているようである。例えば、隣りのアンドロメダ銀河系のスーパーノヴァ1987Aの大爆発の情報は数百年後の一九八七年に初めて地球に到着したが(図10)、五、六年後に、もう一度爆発するだろうと予想されている。中国の記録によれば、西歴一〇〇六年に現れた新星が、一〇年後、一〇一六年に同じ所に再現されたという。諸葛孔明の主星は、やはり大爆発で消滅したスーパーノヴァであったのであろう。それが光を失いだした時に、彼は天然の摂理を理解したのだと思う。
恐竜の集団滅亡は天然の摂理によった
白亜紀は、爬虫類の天下であった中生代の最終期であり、第三紀は、哺乳類の天下となった新生代の幕明けの時期であった。もっとも爬虫類の天下といっても、君臨したのは双弓類に属した恐竜の類であって、哺乳類の先祖であった単弓類の爬虫類は恐竜に圧倒されながら、辛うじて細々と血統を継いでいたにすぎない。それではなぜ、約六五〇〇万年前に今まで君臨していた恐竜の各種類が滅亡し、当時はトガリネズミのように小さな食虫類に代表されていた哺乳類が、突如台頭し始めたのであろうか? 十数年前までは、ダーウィンの自然淘汰による適者生存説に基づく珍説が数々横行していた。その中でまだましなものは、小さな哺乳類が恐竜の卵の美味さに味をしめ、恐竜の卵を漁りだしたからだというものであった(図11)。
このような恐竜だけにあてはまる解答では、白亜紀と第三紀の境界で起こった生物の集団滅亡はもちろん説明できない。各種の植物や無脊椎動物、例えば貝類が、同時に集団滅亡しているからである。現在では、この時期の集団滅亡は彗星、または大きな隕石が、地球に激突したために起こったということになっている。例えば、主に鉄性の岩石からなる半径三キロメートル、五〇〇〇億トンの隕石が秒速二〇キロメートルで地球に衝突したと仮定しよう。大爆発の結果、圧縮された空気は衝突の近辺では二〇〇万度という高熱となり、空気中の窒素が燃えだして、数時間のうちにギガトンという大量な一酸化窒素および二酸化窒素が生産されたはずであり、従って、数日のうちに硝酸の雲で充満しただろうと言われる。酸化窒素は、植物および呼吸をする恐竜を窒息させたであろうし、さらに、衝突直後の雨のpHは〇から一・〇であったろうと言われ、それは蓄電バッテリーの酸を浴びるようなものであったに違いない。その雨のpHが比較的にマイルドな四・〇になるのには二年はかかったであろうと計算できる。
当時、植物で生き残れたのは、衝突の時、たまたま硬い種子として惨状期を過ごせたものと、深い根から再生できる能力をもっていたものだけであろう。水中の比較的深い所に住んでいた動物も生き残れたであろう。哺乳類が生存しえたのは、当時非常に小型で穴居生活をしていたからであろう。従って、新生代における哺乳類の台頭は、新しいモデルである哺乳類が、爬虫類との生存競争に勝ったからではなく、彗星または大隕石の衝突という天然の摂理によって、君臨していた恐竜やそのほかの大型爬虫類が消滅してしまったからである。

大野 乾/著
1991年に刊行された名著が待望の電子復刻.生命の進化は,偶然と生存競争だけで説明できるのか?遺伝子重複による進化という独創的な理論を提唱した世界的遺伝学者・大野乾が,進化論を大胆に問い直す.DNAに潜む秩序を読み解きながら,生命の誕生から人類,言語,文明,そして宇宙へ.分子生物学の知見と自由奔放な想像力が交差する,壮大で刺激に満ちた生命論が,時を超えてよみがえる.