実験医学:新オミクス技術で見えたがん代謝の新経路〜第二のワールブルグ効果、腸内細菌・細胞老化とのかかわり
実験医学 2021年7月号 Vol.39 No.11

新オミクス技術で見えたがん代謝の新経路

第二のワールブルグ効果、腸内細菌・細胞老化とのかかわり

  • 中山敬一/企画
  • 2021年06月18日発行
  • B5判
  • 129ページ
  • ISBN 978-4-7581-2545-1
  • 定価:2,200円(本体2,000円+税)
  • 在庫:あり
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概論

がん代謝の全体像の理解に向けて
Towards an understanding of the whole picture of cancer metabolism

中山敬一
Keiichi Nakayama:Department of Molecular and Cellular Biology, Medical Institute of Bioregulation, Kyushu University(九州大学生体防御医学研究所 分子医科学分野)

代謝は異化反応と同化反応が混在する複雑な生体系である.生命は,その活動に必要なエネルギーを異化反応で得るとともに,自己複製のための高分子化合物の合成を同化反応で賄うという,二律背反的な化学反応系をバランスよく統合する必要がある.この代謝バランスは細胞の増殖性によって大きく変化し,それが特に顕著になったものががん代謝である.がんにおける特異な代謝変化は100年ほど前からワールブルグ効果として知られていたが,近年のオミクス技術の進歩によって,その全貌が明らかとなってきた.本特集においては,さまざまな観点からがん代謝を見つめ直し,現時点における最新の話題を提供するとともに,それらを俯瞰することによって統合的視点をもつことを試みる.

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 はじめに

私が常々不思議に思うのは,生命科学者が「生命の定義」をすることなく,生命を対象とした研究をしているということである.これは一般の人から見たら驚くべきことであろう.しかし,生命を定義することは困難だ.定義というのは必要十分条件のはずなので,生命の一性質だけを定義付けに使おうとしても,すぐにいろいろな反証があげられてしまう.そこで,生命における重要な属性を複数組合わせることによって,われわれは何とか生命というものを捉えている.特に3つの属性―「自己複製」,「エネルギー代謝」,「膜隔離」―が生命の本質にとって重要であるとされている1).これとは異なる観点から,物質論,現象論(反応論),システム論により定義されることもある.

本特集のテーマは,このうちのエネルギー代謝であるが,これは自己複製(=増殖)とも深いつながりがある.確かにすべての生命は,化学反応によって得られる化学エネルギー(もともとは太陽光などの物理エネルギーから変換したものとしても)を活用して,さまざまな生命活動を行っている.例えば,1molのグルコース(C6H12O6)が完全酸化(6O2)されれば,二酸化炭素(6CO2)と水(6H2O)となり,その過程で生じた自由エネルギー(4,928kJ)の多くはATP等の産生に使われる.「何だ,生命なんて石炭を焚いて走る蒸気機関車と変わらないじゃないか」と,学生の頃は思ったものだ.しかし,生命とはそんな単純な一方向性の図式では語れないということを,がん代謝研究は教えてくれる.

代謝と増殖の関係

代謝(metabolism)の「meta-」は「変化」をあらわす接頭語である.変化という語句自体には方向性がないが,代謝は異化(catabolism)と同化(anabolism)という正反対の方向の反応を含有する言葉である.つまり代謝は異化と同化が入り乱れた複雑なシステムであり,そして異化と同化のバランスは,細胞における最も重要な性質である“増殖”と表裏一体の関係にある.

増殖というのは言うまでもなく,細胞の数が増えることであり,自己複製であるから,その構成因子であるさまざまな分子群を新たにつくり出さなくてはならない.つまり同化反応が優位になる状態である(もちろんある程度の異化反応も同時に起こしていかなくてはならないが).

がんの本質は無秩序・無制限の増殖であるから,がんにおける代謝変化とは,突き詰めて言えば,その異常な増殖を支えるための異化から同化へのバランスシフトであるとも言える.これらの制御の本質を突き詰めて理解し,がんに対する治療法の介入点を見つけたいと思うのは,多くのがん代謝を研究する者の共通の思いであろう.

がんにおける代謝系の変化

がん代謝研究において,最も人口に膾炙した言葉が「ワールブルグ効果」である.これはドイツの生理学者Otto H. Warburgが発見した,がんにおける不可思議な現象(パラドックス)である(図1).ワールブルグ効果はしばしば誤って理解されているが,正しくは「好気環境下における乳酸産生の増加」であり,単なる解糖系の亢進や,TCA回路への炭素フラックスの減少を指すものではない.正常細胞でみられるパスツール効果(酸素による乳酸産生の抑制)が,がんでは起こらないという観察が,Warburgによるがん代謝シフトの金字塔的発見(1924年)2)とされる.ちなみに当時Warburgが酸素消費量の測定に用いていたマノメーター(差圧計)の模式図を示すが(図23),このようにWarburg自身は摘出されたがん組織そのものに針を刺して使用しており,細胞株を培養していたのではない.われわれの経験では,長期間にわたって細胞培養されたがん細胞株では典型的なワールブルグ効果が観察できないこともしばしばあるが,それはWarburgの発見を否定するものではない.

がんにおいて,ワールブルグ効果が何のためにどのようにして起こるのかという点については,最終的な決着はついていない.酸素があるにもかかわらず,酸化的リン酸化(グルコース1分子当たり36ATPを合成できる)を行わずに乳酸を合成する(グルコース1分子当たり2ATPしか合成できない)ので,エネルギー収支的には不利である.このパラドックスを説明するために,数多くの説(低酸素適応説,活性酸素回避説,ミトコンドリア障害説,側副経路活性化説,乳酸排泄説,乳酸再利用説,バイオマス説,最大効率説,等々)が提唱されてきた5).Warburg自身も,がんではミトコンドリアに障害があるとの仮説をもっていたようだが4),現在では,この説はほとんど否定されている3)6)

われわれは,すべての代謝系酵素の絶対量を測定できる次世代プロテオミクス「iMPAQTシステム」を開発し(松本・馬場の稿参照)7),がん代謝の全体像を観察することに成功した(図34)が8),そこから得られた結論は,がんではグルコースを起点とした炭素フラックスが異化反応から同化反応へとさまざまな点で大きく変化しており,その一部がたまたまWarburgによって発見されたということだった.また,がんにおいて発現が上昇しているいくつかの分子を正常培養細胞に発現させることで見事にワールブルグ効果を再現することに成功したが,その細胞はがん形質を示さなかった7).つまり,ワールブルグ効果はがんの原因ではなく,結果に過ぎないと言える.約100年を経てWarburgが見出した現象の背景を説明できたことは感慨深い.さらに,グルタミンを起点とした窒素フラックスも,顕著にグルタミノリシス(異化反応)からde novo核酸合成系(同化反応)へと大きくシフトしている8)(われわれはこの窒素シフトを“第二のワールブルグ効果”とよんでいる9))(小玉・中山の稿).このように,ワールブルグ効果は,がんという異常な環境で起こる代謝変化のほんの一部を記載していたに過ぎず,今後,代謝の全体像が明らかとなれば,がんの真の理解につながると期待される.

栄養と代謝

おもしろいことに,ほとんどの生命体は,自己を構成する高分子化合物を他者からそのまま取り込むことはしない.コラーゲンたっぷりと謳う健康食品を食べても,それが直接お肌プルプルにつながるわけではない.基本的には高分子化合物をその構成単位まで分解した(異化反応)後,再び自己の細胞内の代謝系によって,高分子化合物へと再合成(同化反応)を行うのである.この同化反応自体は基本的に吸エルゴン反応(正のエネルギー変化を伴う非自発反応)であるから,そのエネルギー収支を満たすためには,同時に発エルゴン反応(負のエネルギー変化を伴う自発反応)である異化反応が必要となる.

高分子化合物を構成している主要な元素は,C,H,O,Nであり,水を除けば,CとNである.これらはどちらも大気中にCO2やN2として存在するにもかかわらず,ヒトはそれを直接利用することはできない.炭素固定や窒素固定を行う生物との連鎖によってこれらを取り込むわけであるが,反応の入り口となる因子は栄養素とよばれ,特にグルコース(炭素源)とグルタミン(炭素・窒素源)が二大栄養素とされている.本特集のいくつかの稿でも,グルコース・ グルタミン利用の制御とがんとのかかわりを取り扱う(田沼の稿,小玉・中山の稿,城村・中西の稿).また分岐鎖アミノ酸代謝の白血病をはじめとした各種がんへの関与(中野・伊藤の稿)も栄養素にかかわる最近の話題である.

細胞老化と代謝

老化とがんは複雑な関係にある.細胞老化ががん化を回避する機構であることは数々のエビデンスがあるが,一方で老化細胞は周囲に炎症を引き起こし,それががんにとって促進的に働く面も有するため,一概に細胞老化のがんに対する作用を促進・抑制に二分して議論することは難しい.細胞老化は不可逆的な細胞増殖停止であり,一般的には細胞代謝的に不活発なイメージがあるが,老化細胞の培養液はしばしば真っ黄色(酸性)になることからわかるように,大量の乳酸を合成・分泌している.中西らは最近,老化細胞がリソソーム膜の損傷により細胞内アシドーシスを示し,それを代謝酵素GLS1によるグルタミン分解の際に生じたアンモニアを用いて中和していることを発見した10)城村・中西の稿).GLS1阻害剤はこのシステムに介入することによって老化細胞を選択的に排除でき,老化に付随する多くの疾病を治す可能性があるという.一方でがんに対してもGLS1阻害剤の開発が進んでいるものの,その抗がん効果については,現在までのところ懐疑的である8)9)小玉・中山の稿).

代謝は細胞内だけで起こる現象ではない.ヒトに共生する腸内細菌が,老化機構を通じてがんに及ぼす影響も知られている.原らのグループは,腸内細菌によって代謝された胆汁成分が,活性酸素種の産生を経て細胞老化を誘導し,さまざまな炎症性サイトカインやケモカイン,プロテアーゼや増殖因子等が分泌される細胞老化随伴分泌現象(senescence-associated secretory phenotype,SASP)を介して,がんに対して促進的に作用していることを発見している11)大谷の稿).

トランスオミクスと数理科学による新たな展開


近年は,生体内でのネットワーク現象を数理科学的に説明し,そこから新しい仮説を立て,それを実験的に検証するという流れが生まれつつある.しかし,そのためには,二つの前提条件が必要である.一つは,ネットワーク構造が明らかになっていることであり,もう一つは,ネットワークを形成するエッジやノードの量的情報が精密に測定できることである.

このような前提条件を考えると,代謝系は最も理想的な対象であろう.Eduard Buchnerが発酵化学研究によって1907年にノーベル賞を受賞してから現在まで100年以上にわたって,代謝系の各反応は詳細に研究され,今では非常に複雑な反応系のネットワーク構造が明らかにされている.また,質量分析計の長足の進歩に基づくプロテオミクスやメタボロミクスの急速な技術開発は,これら1,000以上にも及ぶ生化学反応の詳細を描出することに成功しつつある.前述したiMPAQTシステムは代謝系の全酵素の絶対量を測定できる新しいプロテオミクス技術であるが,本特集でとりあげる多くの研究でも使用され,すでに成果を上げつつある(田沼の稿,小玉・中山の稿,城村・中西の稿,松本・馬場の稿).一方で,数理科学的に代謝フラックスの予測を行う研究も行われており(松田の稿),両者の手が届く時代の機運が高まっている.❶網羅的(アンバイアス)測定→ ❷仮説形成→ ❸ 実験的検証(→ ❶ 網羅的測定)というサイクルは,今後の研究の“大三角形”として,他の研究領域に先駆けて,がん代謝研究に適用されるに違いない(図5).

 おわりに

学生の頃は,生化学の講義が苦手だった.亀の子が並ぶ化学式を覚えるよりも,解剖学や生理学の方がダイナミックで新鮮に思えたものである.しかし現在では,代謝系の研究はがん研究を含めてすべての生命科学の基礎となり,多くの知見を生み出す最先端の分野になって久しい.科学のトレンドというのは,日に日に移り変わるものであることを実感している.まさに「故きを温ねて新しきを知る」を地でいく現象であろう.今では代謝マップを見るだけで,心がワクワクするのは私だけではあるまい.

文献

  • 大島泰郎:生物物理, 50:112-113, 2010
  • Warburg O, et al:Biochem Zeitschr, 152:319-344, 1924
  • Koppenol WH, et al:Nat Rev Cancer, 11:325-337, 2011
  • Warburg O:Science, 123:309-314, 1956
  • Hsu PP & Sabatini DM:Cell, 134:703-707, 2008
  • Vander Heiden MG, et al:Science, 324:1029-1033, 2009
  • Matsumoto M, et al:Nat Methods, 14:251-258, 2017
  • Kodama M, et al:Nat Commun, 11:1320, 2020
  • Kodama M & Nakayama KI:Bioessays, 42:e2000169, 2020
  • Johmura Y, et al:Science, 371:265-270, 2021
  • Yoshimoto S, et al:Nature, 499:97-101, 2013
  • 「Über den Stoffwechsel der Tumoren. Arbeiten aus dem Kaiser Wilhelm-Institut für Biologie-Berlin- Dahlem」(Warburg O), Julius Springer, 1926

著者プロフィール

中山敬一:1986年に東京医科歯科大学医学部医学科を卒業後,順天堂大学大学院医学研究科(奥村康教授)で免疫学の研究を行い,’90年に卒業(医学博士).その後,理化学研究所フロンティア研究員(中内啓光チームリーダー)を経て,米国ワシントン大学へ留学(Dennis Y. Loh教授)し,さまざまな生体制御分子のノックアウトマウスを作製することによって,細胞周期の制御分子が身体の大きさを決定していること,その破綻によりがんが起こることを世界ではじめて明らかにした.’95年に帰国し,(株)日本ロシュ・主幹研究員.’96年より九州大学生体防御医学研究所・教授(2009年より主幹教授,ヒトプロテオームセンター長を兼任).現在に至る.’05年・日本学術振興会賞,’07年・JCA-Mauvernay Award,’11年・井上学術賞,’21年・紫綬褒章.

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