フィクションで読む最新論文

08『ミトコンドリア・オブ・ヴァンパイア』

「あーテステス。機材、大丈夫かな? ん、あーあーあー」

若い男が粗末な撮影機材を前に喉の調子を確かめている。部屋には男の他には椅子に腰かけた老人が一人いるだけであった。男はいわゆる動画配信者というやつで、それもそこまで人気があるわけでもなく、それはその撮影機材や部屋の様子からも容易に推測できた。恰好も流行の服をわざと崩して着ていて、それがざっくばらんな言葉の調子とよく合っている。

対照的に、老人の方は糊の利いたシャツに濃紺よりもさらに深い夜の闇のようなベストを着けていて、手にはこれは若い男の手配したこの部屋にまともな上着掛けがなかったことに起因するのだがスーツの上着をピシッと折りたたんでかけている。白髪を後ろに流し、口元と顎のひげはきれいに整えてある。

「はい、どうも僕の動画チャンネルを視聴してくれるリスナーのみんな、今日はとてもとてもエキサイティングな回になると思うんだけど

若い男が録画を開始したカメラに向かって話し始める。椅子の老人はそれを興味深そうに眺めている。

「みんなは『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』って映画観たことあるかな? 1994年の古い映画なんだけど、まだ若いブラッド・ピットとトム・クルーズの出てくるやつ。なんと、今回はその映画と同じ状況、つまりヴァンパイアへのインタビューに成功しました!」

男はそう言うと椅子の老人にカメラを向ける。老人はそれに気づくと、口元を少しだけ緩めて “上品に” 微笑む。それは上品にという言葉以外が見つからないほどに、完璧なものだった。

「紹介しよう、こちらの彼がそのヴァンパイアだ。わかってる。それだけで『はい、そーですか』なんて言えないよな。証拠の方は動画の概要欄に画像のURLを貼っておいたので、そっちを参照してくれ。それで……えっと、本名は非公開希望ということなんだけど……そうだな、さっきの映画にちなんで『レイ』で。いいかな?」

若い男の提案に老人が頷く。

「それじゃあ、レイ。早速なんだけど、あなたは何故、どうやってヴァンパイアに?」

若い男がきらきらとした目で尋ねる。

「ははは、いきなり直球だな。いいとも。私は真祖、あるいは古代種とでもいうべきか兎に角、1664年の終わりにイングランドで “それ” に遭遇し、噛まれることで私もヴァンパイアとなったというわけだ。理由が何であったのか、それは私にもわからない。おそらくはその存在の気まぐれのようなものだろうさ」

老人は穏やかな表情で肩をすくめてみせる。

「その真祖というのは?」

「それは聞いても無駄だね。私自身、知っていることはほとんどない」

レイの答えにやや不満そうにしながらも、若いインタビュアーは「それじゃあ」と次の質問をレイになげかける。

「今回、何で僕のインタビューを受けてくれる気になったのかな? 確かに僕の動画チャンネルでは『この中に、異世界人、吸血鬼、怪人、人狼がいたら、僕のところに来てくれ』とは言っていたけど。それに自分で言うのもどうかと思うけど、この動画チャンネル、そんなに知名度もないしね」

今度は若い男の方がおどける。

「端的に言ってしまえば気まぐれ以外の何物でもないんだが、そうだな、今ならあの時、死ぬ直前の私の前に彼女が立った理由もなんとなくはわかる気もする。あと、強いて言えば、君たち人類の科学、特に老化の研究がわれわれの神秘に近づいてきたのでね。今なら姿を見せてもいいかもしれないと思ったのさ」

レイは若い男が用意していたペットボトルの紅茶に口を近づけ、一旦、眉間に皺を寄せた後で、改めて口をつけて喉を潤す。

「科学が神秘に近づいた? どういうこと?」

「おや、君は最近の老化の研究に興味はないのかい?」

レイが驚いたようにそう言うと、若い男は「残念ながら、まったく興味ない」と苦笑いをする。

「ははは。例えばheterochronic parabiosis加齢状態の異なる二個体のマウスを並体結合し共通の循環系を持つようにすることで、より老化しているマウスがいわゆる『若返る』ということは昔から知られていた現象ではあるのだが、これは知っているかい?」

若いインタビュアーは首を横に振る。

「なるほど、まぁいいさ。これは最近のNatureという雑誌に載っていた研究だが、人間に換算すると25歳と65歳相当の二匹のマウスを並体結合すると、年老いた方のマウスの様々な臓器・細胞でheterochronic parabiosisによる若返り(parabiosis-mediated rejuvenation, REJ)の結果、全体的な遺伝子発現が上昇し、造血幹細胞や間葉系間質細胞、肝細胞で特徴的な変化が

「それって、吸血鬼が不老不死のために若い女性の血を飲む理由ってこと!?」

若い男は興奮してレイの言葉を遮る。

「はは、まさか。そこまで単純な話ではないさ。この論文の著者たちも最後に述べているが、heterochronic parabiosisでの結果は、例えばカロリー制限などの他の老化と関連する現象での結果と総合的に考えないといけないものだからね。特に、われわれヴァンパイアのそれはまた別物だ」

レイの返答をふむふむと聞いていた若い男は、はたと何かに気づいて「うーん。ちょっとわからなくなってきたんだけど」と考え込む。レイは目の前の男が何を考えているのかに興味を覚え、しばらくの間、安物の紅茶を飲みながら待っていた。

「……じゃあさ、レイは何で『老人の姿』をしているのさ。君たちと僕たち人類の老化が違うのはわかったけど、君たち吸血鬼はその何とかパラビオシスってやつに近いものを使って若返ることができるんだろう?」

その若いインタビュアーの言葉に、レイは目を大きく見開いて驚く。なかなかどうして、この目の前の若い男は意外と本質を見抜いているのだ。口元に手を当て声が出ないように笑っていると、若いその男は「……答えたくないなら、いいんだけど」と頭を掻く。

「いや、そうじゃない。とても懐かしい思い出だったのでね。いいさ、話そう」

レイはもう一度紅茶を口に含む。

「1664年の終わり、私がこの身体になったその年のイングランドは、ちょうど今の新型コロナウイルスのような……いや、違うな。もっと凄惨な感染症禍の真っただ中でね腺ペストだ。私はロンドンの西側、城壁の外に暮らす貧しい身分でね。最初に父と母、それに妹が倒れて、いよいよ私の番ってときに、 “彼女” にあったんだ」

「その人が、さっき言ってた真祖? 女性なんだ」

インタビュアーが興味深く尋ねる。

ああ。私がこの何百年もの間見てきた無数の生き物のなかで 二番目 ・・・ に美しいと感じた存在だった。そして、私は死の淵で彼女に『生きたい』と願って、この身体になった」

録画だけではなくメモを取りながら、インタビュアーは「じゃあ、その時にすでに老人の姿だった?」と聞き返す。

「いや、そうではないよ。その頃はまだ20代だったからね。この身体になって生き延びても、もうロンドンには縁者はいなくなったのでね。色々な場所を旅することになったのさ。そして、1840年の春、私はアメリカのニューオリンズに渡った」

レイは彼の長い人生にとってはついこの間のような感覚であったにも関わらず遠い昔を思い返すように遠くに目をやる。

「戦争が終わったばかりだというのに、活気と音楽に満ちた美しい街だった。だから、多くの人々がチャンスを求めてあの街に集まったんだろう。彼女もその一人だった」

「彼女?」

「……当時の私は自分をこんな身体にした真祖の女をひどく憎んでいてね。どうしても探し出して復讐してやろうと考えていた。それでニューオリンズの酒場で働く彼女を見つけたときにはいきなり掴みかかってしまってね……ふふ」

レイは何かを思い出したように笑う。

「真祖じゃなかったんだ」

インタビュアーが何かに気づいたように優しい口調で返す。

「ああ。よく似ているただの人間そして、私が出会った中で最も美しいと感じた人で、私の『妻』だ。私たちはアメリカ中を旅して回ったものさ。彼女が年老いて亡くなる、直前までね」

「それで、レイ。君は彼女の血を飲んだ

「さっきのNatureの論文を覚えているかい? heterochronic parabiosisは何も若返りだけが起こるわけじゃない。年老いた血液の中には老化を加速(accelerated ageing, ACC)させる因子があり、電子伝達系をはじめとしたミトコンドリア関連遺伝子の発現が減少する彼女は最後まで私に『いつまでも若く生きて』と言っていたのだけれどね」

そう言って微笑むレイを見た若い男は撮影機材を止め、書いていたメモを破る。

「おや、いいのかい? 君のスクープだぞ?」

レイは驚いて若い男に尋ねる。

「……だって、これはレイ、君の思い出の話だろう? それも大事な思い出だ。僕の動画チャンネルのリスナーたちは、確かに品も学もない奴ばかりかもしれないけど、そんな大事な思い出を好奇の目にさらすのを良しとするような連中じゃないのさ」

若いインタビュアーの男がそう言って右手を差し出すと、レイはそのヴァンパイアの老人は、その日一番の笑顔でそれを受けたのだった。

(了)

Pálovics R, et al:Nature, 603:309-314, 2022

heterochronic parabiosis(加齢状態の異なる二個体のマウスを並体結合する実験)における20の臓器のシングルセルRNA解析を行い、若年および老化血液に対する特徴的な細胞や遺伝子変化を明らかにした論文。間葉系間質細胞、造血幹細胞、肝細胞などの細胞で特に反応し、電子伝達系などミトコンドリア機能に関連する遺伝子群の変動が確認された。

著者プロフィール

西園啓文
金沢医科大学、講師。専門はゲノム編集による遺伝子改変動物の作製と、哺乳類受精卵の発生過程における卵管液成分の作用メカニズムの解明。小説執筆は2015年前後から開始し、現在もwebで活動中。サイエンスイラストレーターとしても活動している。
サイドメニュー開く