実験医学:睡眠医学〜眠りの分子・神経基盤を解明し、睡眠異常へ介入する
実験医学 2022年7月号 Vol.40 No.11

睡眠医学

眠りの分子・神経基盤を解明し、睡眠異常へ介入する

  • 上田泰己/企画
  • 2022年06月20日発行
  • B5判
  • 129ページ
  • ISBN 978-4-7581-2557-4
  • 定価:2,200円(本体2,000円+税)
  • 在庫:あり
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概論

睡眠医学の現在と未来:基礎研究から臨床応用まで
The challenge and opportunity in sleep medicine: from basic research to clinical application

上田泰己
Hiroki R. Ueda1)2):Graduate School of Medicine, The University of Tokyo1)/RIKEN BDR2)(東京大学大学院医学系研究科1)/理化学研究所生命機能科学研究センター2)

日本はOECD加盟国のなかでも睡眠衛生が顕著に低下している国である.狭い国土からくる巨大な都市圏の形成により通勤圏が大きくなっており,この物理的な制約のなかで24時間という時間的な制約を受けながら,どのように健康な睡眠リズムを確保していくかが日本の難しい課題の一つとなっている.このような背景のもと2020年より,睡眠検査を特定健康診断に導入していく社会運動(「睡眠健診」運動)が始まっており,簡便で定量的で客観的な評価をもとに健康な睡眠を定義し,個々人が良質の睡眠を基本的な人権の一つとして確保することができる未来が描かれ始めている.本特集では,現在睡眠医学において急速に進展しつつあるフロンティア,特に基礎医学としての①睡眠のしくみの解明,②睡眠の意義の解明,③睡眠の起源の解明,臨床医学としての④睡眠医療の進展,の4分野に関して新進気鋭の研究者らから総説を寄稿していただいた.基礎医学として,睡眠のしくみ・意義・起源の解明を行うことで睡眠制御の本質を理解し,臨床医学として1次予防(睡眠健診),2次予防(睡眠検診),3次予防(睡眠医療)のエコシステムの形成を通じて簡便かつ定量的な睡眠測定方法が社会実装されることで,わが国の難しい健康課題の一つが近い将来解決され,一人ひとりが良質な睡眠を確保できる時代が来るだろう.また,中枢神経系の理解に基礎と臨床から迫る睡眠医学をモデルに,新規医薬品創出の非効率さを表したEroomの法則を,半導体業界のようなMooreの法則へと転換する具体的な道筋を描くことは,持続可能な医療費負担のなかで画期的な医薬品の創出をもたらす未来へとつながっている.

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キーワード 睡眠医学,睡眠健診,睡眠検診,睡眠医療,睡眠習慣・睡眠環境

 はじめに―Eroomの法則と生命科学・医学の未来

中枢神経系疾患に関する医薬品を調べてみると,驚くほど長い期間にわたってほとんどの中枢神経系疾患に関する医薬品の作用機序は変わっていないことがわかる.例えば,精神疾患・神経変性疾患・発達障害などの脳や心にかかわる病気に対する医薬品は70年前~40年前に画期的な医薬品が登場した後,現在に至るまで多くの時間と予算とが費やされているにもかかわらずその多くは数十年前の医薬品の作用機序を踏襲しており,長い期間にわたり革新的な医薬品を生み出しているとはいいがたい状況である.このような傾向は多かれ少なかれ中枢神経系疾患以外にもみられており,新規の医薬品創出の効率の悪さは半導体業界での目覚ましい計算効率の発展を表したMooreの法則を逆に綴る形でEroomの法則とよばれている1).このEroomの法則によれば,1950年代から2010年頃までの60年もの長い間にわたって(インフレ調整された研究開発費あたりの)新規の医薬品創出の確率は9年で1/2になるという傾向が続いている.最近10年は下げ止まっているという報告もあるが2),Mooreの法則のような上昇傾向には転じていない.医薬品業界では新規医薬品創出の効率の悪さを補うために年々より多くの研究開発資金が投下されこの40年で10倍にも膨れ上がっており,このことが医薬品費用の増大の原因の一つとなっている.持続可能な医療費負担のなかで画期的な医薬品の創出をもたらす未来を思い描くならば,Eroomの法則を打破しさらにはMooreの法則に近づけていくことは必須であり,生命科学・医科学における大きなチャレンジの一つである.革新的な治療薬の標的を見つけその治験を加速するには,①中枢神経系に対する個体レベルでの深い理解と,②リアルワールド(臨床現場)での中枢神経系疾患の深い理解が必要不可欠であろう.そこで,本稿では睡眠医学における基礎研究の進展による中枢神経系システムの理解と,睡眠医学の臨床応用の進展による中枢神経系疾患の理解がどのように進んできつつあるのかを概観する.

睡眠医学の基礎研究の進展

近年,脳をはじめとする中枢神経系の基本的な状態である睡眠・覚醒リズムの分子メカニズムや細胞メカニズムの理解が進みつつある.特に,逆遺伝学の進展により,世代を経ずにノックアウトマウスやノックインマウスなどのゲノム変異動物を作出する技術が構築されたことで,哺乳類においてノンレム睡眠制御に深くかかわるリン酸化酵素が同定され(大出先生らの稿を参照),レム睡眠の必須遺伝子も同定されている3)(ノンレム睡眠・レム睡眠の詳細は他稿を参照).また,順遺伝学の進展により,同じくノンレム睡眠制御に深くかかわるリン酸化酵素が発見されている(船戸先生の稿を参照).面白いことに,レム睡眠は爬虫類まで保存されていることが明らかになりつつあり,レム睡眠の進化的な観点からの解明が進んでいる(羽鳥・ 乘本先生の稿を参照).また,睡眠自体は散在神経系をもつクラゲやヒドラにおいてもその存在が証明されつつある(金谷・伊藤先生の稿を参照).さらに,これらの睡眠のしくみの解明のみならず,ノンレム睡眠やレム睡眠の意義の解明も進みつつある.例えば,レム睡眠中に忘却を促進する機能が存在し(山中先生の稿を参照),また,脳血流量が増加し,老廃物除去を行っているしくみがわかりつつある(林先生らの稿を参照).このようにノンレム睡眠・レム睡眠それぞれについて,分子メカニズムの解明や,進化的な観点からの研究が進展し,これらの睡眠のさまざまな生理的意義をめぐる研究も進展がみられ,睡眠のしくみと意義の謎に少しずつ答えられるようになりつつある.

睡眠医学の臨床応用の進展

概念図1 睡眠医学を取り巻くエコシステム

わが国の予防医学では,1次予防の推進をめざして,1990年代から栄養(食生活)および運動に関する指針が策定されてきている.休養(睡眠)に関しても,1994年にはじめて「健康づくりのための休養指針」がとりまとめられた後,10年ごとに睡眠指針として改訂が行われてきている.2000年の「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」を受けて,2002年に「健康増進法」が成立し,これを根拠法として2004年には,国立精神・神経センター(当時)の高橋清久先生を座長として「健康づくりのための睡眠指針2004」がとりまとめられ,「快適な睡眠のための7箇条」が定められた.2014年には,日本大学(当時)の内山真先生を座長とする健康づくりのための睡眠指針の改定に関する検討会により「健康づくりのための睡眠指針2014」がとりまとめられ,「睡眠12箇条」が定められた.2024年の睡眠指針の改訂に向けて,国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センターの栗山健一先生らにより『「健康づくりのための睡眠指針2014」のブラッシュアップ・アップデートを目指した「睡眠の質」の評価及び向上手法確立のための研究』が立ち上がっており,睡眠衛生指導などのエビデンスづくりが進行中である.また睡眠・覚醒測定の感度・特異度の向上をもたらした技術革新を契機に,2020年10月より,特定健康診断に睡眠検査を導入する社会運動である「睡眠健診運動」が開始されている.このような背景のもと睡眠における1次予防分野(睡眠健診,概念図1参照)が立ち上がりつつある(南先生らの稿を参照).

睡眠の予防医学における2次予防に関しては,睡眠時無呼吸症候群(sleep apnea syndrome,SAS)を早期に発見するSAS検診が始まっている.その発端としては,2003年2月26日JR西日本の新幹線居眠り運転発生を受けて,2003年3月に国土交通省により「交通事業に係る運転従事者の睡眠障害に起因する事故等の防止対策に関する連絡会議」が開催され,マニュアル『「睡眠時無呼吸症候群」に注意しましょう!』が策定された.その後,2007年6月に同マニュアルが改訂され,2014年5月施行の「自動車運転死傷行為処罰法」改正において,正常な運転に支障が生じる危険性をあらかじめ認識していながら自動車を運転した結果病気の影響により正常な運転が困難な状態に陥った場合の罰則が強化された.その対象となる病気の一つに「重度の眠気の症状を呈する睡眠障害」があり,睡眠時無呼吸症候群が含まれることとなった.このため多くの国交省所管の事業者においてSAS検診が行われている.さらに少数チャネル脳波を用いた在宅睡眠ポリグラフィ(PSG)の技術革新を契機に2次予防分野において在宅PSGを行う試みがスタートしつつある.例えば,睡眠医療分野において在宅PSGのシェアNo.1のIMI(International Medical Intelligence)社は東大発ベンチャーであるACCELStars社と共同で2次予防(睡眠検診)に関する取り組みを開始している.この他にもさまざまなスタートアップが睡眠医療の2次予防分野へと参入している.このような背景のもと睡眠における2次予防分野(睡眠検診,概念図1参照)が立ち上がりつつある.

睡眠の予防医学における3次予防(重症化予防)に関しては,1973年に発足した睡眠研究会を前身とする日本睡眠学会(1977年設立)を中心に進展しつつある.日本睡眠学会の睡眠医療認定制度により,2002年より睡眠学会認定医,認定歯科医,認定検査技師の認定が開始され,2003年より認定医療機関の認定が開始されている.睡眠医療のガイドラインに関しては,まず「睡眠障害の診断・治療ガイドライン作成とその実証的研究」班(班長:内山真先生)により,2002年に睡眠障害の対応と治療ガイドラインが作成された.また,睡眠呼吸障害研究会により2005年に成人の睡眠時無呼吸症候群診断と治療のためのガイドラインが作成されている.さらに「睡眠障害医療における政策医療ネットワーク構築のための医療機関連携のガイドライン作成に関する研究」班(班長:清水徹男先生)により,2007年に睡眠医療における医療機関連携ガイドラインが作成された.最後に,「睡眠薬の適正使用及び減量・中止のための診療ガイドラインに関する研究」班(班長:三島和夫先生)により,2014年に睡眠薬の適正使用・休薬ガイドラインが作成されている.前記のACCELStars社をはじめさまざまなスタートアップが睡眠医療の3次予防分野,特にプログラム医療機器分野へと参入している.このような背景のもと睡眠における3次予防分野(睡眠医療,概念図1参照)が進展しつつある(内村先生らの稿を参照).

本特集の概要

概念図2  本特集の概要

本特集では睡眠医学の現在と未来について,基礎医学から臨床応用までの新しい潮流を紹介する(概念図2).東京大学大学院医学系研究科の大出晃士先生らは「睡眠覚醒制御のタンパク質リン酸化仮説」と題してリン酸化酵素による睡眠制御機構について議論している.東邦大学大学院医学研究科/筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の船戸弘正先生は「睡眠制御遺伝子を求めて」と題して,フォワードジェネティクスを用いた睡眠関連遺伝子の同定について議論している.京都大学医学研究科/東京大学理学系研究科/筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の林 悠先生らは「レム睡眠:その制御回路および疾患との関連」と題して,レム睡眠の神経回路研究の現在を認知症との関連や,睡眠中の老廃物の除去に関する知見を交えながら議論いただいた.名古屋大学環境医学研究所の山中章弘先生は「レム睡眠における記憶の消去」と題して,睡眠と記憶の関係についての研究成果をご議論いただいた.北海道大学大学院医学研究院の乘本裕明先生らは,「睡眠の進化史上における爬虫類の位置付け」と題して爬虫類を用いた睡眠制御機構の研究成果や今後の課題をご議論いただいた.九州大学基幹教育院の伊藤太一先生・東京大学大学院医学系研究科の金谷啓之先生らには「ヒドラが解き明かす睡眠の進化的起源」と題してヒドラをモデルとした睡眠制御機構の研究成果や今後の課題をご議論いただいた.東京大学大学院医学系研究科の南陽一先生らには「睡眠健診の実現にむけたリストバンド型加速度計による睡眠測定の現在と未来」と題して,睡眠指針の歴史に触れつつ,ウェアラブルデバイスを用いた睡眠測定の現状や睡眠健診に向けた取り組みについてご議論いただいた.久留米大学病院神経精神医学講座の内村直尚先生らには「神経発達症における現在の睡眠医療」と題して,睡眠障害の治療や睡眠への介入による発達障害や精神疾患の治療について最新の研究動向をご議論いただいた.

 おわりに

顔色からその人の感情を読み取ることができるように,脳の基本状態である睡眠・覚醒状態を高い時間分解能(数秒~1分程度の時間分解)で,長期間(1週間以上)測ることで,脳や心の病気に関連する状態を高感度かつ高特異度で読み取ることができないだろうか.このような着想は10年以上の時を経て実現しつつある.動物の睡眠・覚醒状態の非侵襲かつ簡便な測定は①中枢神経系に対する個体レベルでの深い理解へと結びつつあり(大出先生らの稿を参照),ヒトにおける睡眠・覚醒状態の正確かつ簡便な測定は②リアルワールドでの中枢神経系疾患の深い理解へとつながりつつある(南先生らの稿を参照).この他にも睡眠のしくみ・意義・起源の解明や睡眠医療におけるさまざまな進展を本特集で取り上げさせていただいた.さらにこの先,睡眠医学の基礎研究や臨床応用をモデル系にしながら,Eroomの法則からMooreの法則へと医薬品開発を転換する具体的な道筋を描くことは,持続可能な医療費負担のなかで画期的な医薬品の創出をもたらす未来へとつながっている.

利益相反

筆者は株式会社ACCELStarsおよび株式会社CUBICStarsの取締役兼CTOを務めている.またヒト睡眠覚醒リズムの判定法であるACCEL法の発明者の一人である.

文献

  • Scannell JW, et al:Nat Rev Drug Discov, 11:191-200, doi:10.1038/nrd3681(2012)
  • Ringel MS, et al:Nat Rev Drug Discov, 19:833-834, doi:10.1038/d41573-020-00059-3(2020)
  • Niwa Y, et al:Cell Rep, 24:2231-2247.e7, doi:10.1016/j.celrep.2018.07.082(2018)

本記事のDOI:10.18958/7031-00001-0000170-00

著者プロフィール

上田泰己:1975年福岡県生まれ.2000年東京大学医学部卒業,’04年同大大学院医学系研究科修了.’03年より理化学研究所にてチームリーダー.’13年より東大院医学系研究科教授.理研BDRチームリーダー,東大院情報理工学系研究科教授(兼担),大阪大学大学院医学系研究科招聘教授,徳島大学客員教授などを兼務.専門はシステム生物学.テーマは睡眠・覚醒リズムの解明.  

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