[Opinion―研究の現場から]

本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)

第30回 沈黙は金? 日本人の国民性 海外よもやま話

「実験医学2012年12月号掲載」

「彼は毎日お箸を使ってご飯をたべているから手先が器用で,あんなに実験が上手いのよ」カナダ人の同僚が,ある日本人研究者を評してこう言った.筆者は心の中で,「いや,箸なら俺も毎日使っているけど彼ほど実験上手くないよ.同じレベルを期待されても困るなあ」とつぶやいていた.

器用,勤勉,しかし英語下手,などとしばしば評されるわれわれ日本人の「国民性」は,海外での研究生活にどう影響を及ぼすものだろうか? また海外の人たちは日本人をどう思っているだろうか? 本稿執筆にあたり同僚たち(いずれも外国人)に彼らの「日本人評」を尋ねてみたところ,多くの人が日本人の仕事への責任感,礼儀正しさなどを賞賛してくれ,たいへん光栄だった.これらの評価にもとらぬ行動を心がけることで,われわれの研究生活はより実り多いものになるだろう.

一方で,「日本人の礼儀正しさ,控えめさは “諸刃の剣” である」という趣旨の意見が複数あったことは注目に値する.きわめて建設的かつ友好的にこれを指摘し,改善方法まで助言してくれた同僚たちに感謝しつつ,以下にその具体例2つを紹介したい.

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「日本人研究者のための絶対できる英語プレゼンテーション」

(1)無言=興味がない?

学会でおもしろいポスターを見つけた,すでに発表者を囲んで何人かの聴衆が議論をはじめている,あるいは懇親会の席でまわりの人たちが興味深い会話をしている.このようなとき,何でもかんでも話に割り込んで自分ばかり喋るのは世界中どこでも嫌われる行為だ.しかし「一言も発しない」のもよろしくない.日本人はときどき控えめさのあまりこれをやってしまうが,必ず何か1つは発言したほうがよい.終始黙っていると「この人はこの話に興味がないか,われわれと関わりたくないのかな」と判断されてしまうおそれがある,とのことだ.また,言いたいことを頭の中で「正しい英語」に組み立てている間に会話に入る機会を逃すこともあるが,多少英語が間違っていても積極的に発言した方がよさそうだ.

(2)反対意見があるならすぐ言ってよ!

英国人教授と日本人学生が研究計画について議論した.教授が示した方針は実験するまでもなく誤っていると思われた.しかし学生はそれを指摘するのをためらい,実験をして教授の仮説が間違っていることを示した.学生「うまく行かないとは思っていたのですが」教授「え,最初からその可能性わかってたの? それなら先に言ってよ」学生「いや失礼かと思いまして」教授「全然そんなことないよ! ちゃんと指摘してよ!」以後その教授は,「君ほんとにこれでいいと思ってる? 実は間違いに気付いてるんじゃない?」としつこく確認するようになったとか.反対意見をどしどし言ってくれた方がありがたいのに… と心中ぼやきつつ.つまり,いわゆる「目上」の人にでも勇気を出して反対意見を言うべきなのだ(そもそもそこに “勇気” が必要になること自体が日本人の国民性なのかもしれないが).もちろんその「言い方」が頭ごなしの否定であったり相手を見下していたりでは,言われた方は誰でも腹が立つ.常に丁寧かつ建設的であることが大前提だ.

さて,読者の皆様は以上の例に思い当たる節があるだろうか? それとも「私は違う」とお思いだろうか? 日本の文化・環境はすべての日本人の人格や能力の形成に影響を及ぼしている.しかしその影響は本稿冒頭の箸の例が示すように全員に均一なものではない.自らの「日本人らしさ」や,周囲あるいは自身が考える「理想の日本人像」を認識しつつも,それらに縛られすぎないことが一番大事ではないか.これに関連して,筆者の上司 (英国人)の言葉を最後に紹介して本稿の締めくくりとしたい.「日本人の国民性? 自分たちの国民性をやけに気にするところが一番日本人らしいよハハハ」

松林 完(マンチェスター大学)

※実験医学2012年12月号より転載

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