[Opinion―研究の現場から]

本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)

第47回 いつまで「知識」を誇っていられるのか

「実験医学2014年5月号掲載」

研究者にとって「知識の塊」でいること,つまり「ある分野において多くの人よりも知識がある」ことは,とても大きな価値があった.この価値をもつ人であるからこそ,研究者は新しい研究を発案したり,分野外の方に教訓を与えたりすることができていた.しかし今,研究者は価値ある「知識の塊」になれるのだろうか.未熟ながら生物由来のビッグデータと格闘する日々のなか,筆者はこの不安にさいなまれており,拙稿をもって共感していただければ幸いである.

気がつけば,インターネットの普及によって世界中の情報は誰にとっても公平に,そして簡単に手が届くものになった.実は,これは研究者や教育者にとっては恐ろしい時代の変化である.少し前の時代,教授の「世界にはこんな新しい技術があるんだぞ」という言葉は,尊敬を生む一言であった.分厚い論文の束を小脇に抱える先輩研究者の姿は専門家としてカッコよく,実験ノートに挟んである秘伝のプロトコルは研究室の宝であったりした.逆に言えば,こういった「知識」こそが,研究者が専門家であるためのよりどころでもあったのである.

ところが今はどうだろう.インターネットで検索をすれば,新技術や新発見についての情報はPh.D.など取らなくても入手できてしまう.専門的な論文や実験マル秘テクニックも,多くは電子媒体としてWebにあり,検索すれば目の前に数秒で出現する手軽さの前に,もはや暗記も印刷も不要になりつつある.つまり,ちょっとした日本の研究者よりアメリカの高校生の方が多く・正確にこれらを読んでいることすらあるのである.特に大学において,情報社会で育った学生の進化は目覚ましい.幼きころより英語に浸り,教授より流暢な英語を話す学生,科学マニアのTwitterやblogを熟読する学生,海外大学の名物教授が公開するWeb講義を先に受講してくる学生.彼らを前にして研究者・教育者としてのメンツを維持するのは大変である.もう単なる「知識」は,宝物ではないのである.

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さらに恐ろしいことに,知識の塊であるべき研究者が,この変化について行けずに「古い知識の塊」になってしまう場合すら起きてきている.Webの新しいツールが使いこなせない,役職や職務によっては情報更新・収集を行う時間すらない,など自分の技術不足に気づきながらも,「昔の知識」や「更新されていない情報」を,さも「知識」のように発信してしまうことさえあるのである.もちろん情報収集に完璧はない.しかし,情報が爆発的に増える現代だからこそ,研究者は自分の「今日の知識」に満悦していてはいけないはずである.なぜなら,「自分の知識」がどんなレベルのものか,今は誰もがあまりにも簡単に暴いてしまうことができるのだから.

現代の社会は,確かに情報に溢れていている.その量と更新率は,これまでのどの時代よりも急速に加速している.しかし,重要なことは,その「情報」は玉石混淆であることである.いや,1つの玉に対して,石は万ほどもあり,巧妙な偽玉まで実にたくさん,という状況に近いのかもしれない.現代の「知識」とは,気軽に塊にして蓄えておけるほど信頼も,保存もできないのだ.言い換えれば,知識の塊であるためには,「腐らない真の情報を見極められるか」と「いかに新鮮な状態を保てるか」という2つの意識と能力が,より強く必要とされているのだと感じる.このためには,研究者はより一層の努力と謙虚さとともに,氾濫する情報に流されないよう,手と手を取り合って真実を交換しあえる人的交流を昔よりもっと早い年代から,もっと広く,もっと密にすることが求められているのかもしれない.そんな意識の変化を,後代にも伝えていければと日々願っている.

加藤竜司(名古屋大学大学院創薬科学研究科/日本生物工学会若手会会長)

※実験医学2014年5月号より転載