[巻頭インタビュー]あの先生に会いたい!vol.3
次のステージはより広い領域の方に感染症の面白さを伝えたい

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本コーナーでは,さまざまなフィールドでご活躍中の先生に,医師として歩んでこられた道のりや,現在,そして将来のこと,などについて語っていただきます.2009年4月号ではサクラ精機株式会社学術顧問の青木 眞先生にご登場いただき,聖路加国際病院ジュニアレジデント(インタビュー時)の名取 洋一郎先生にインタビュアーを務めていただきました.

行った瞬間にもう「ここに来たい」と思いました

青木先生

青木 眞

サクラ精機株式会社学術顧問

名取先生(以下敬称略):なぜ最初の研修で沖縄県立中部病院を選ばれたのでしょうか.

青木先生(以下敬称略):それはある意味全くの偶然で,1年先に行っていた友人から,沖縄中部病院と聞いても,いわゆる脳卒中専門病院かリハビリ病院なのかなと思ってしまうほど,よく知りませんでした.当時は70年代の後半ですから,今ほどプライマリ・ケアや総合診療というのが熱くなかったのですが,話をよく聞いてみると,離島であってもオールラウンドに診られる医者,いわゆる総合診療医的な医者を育てる病院だということがわかりました.私は当時,小さな手術もお産もとれるような医者になりたいなとも思っていましたので,それで学生時代に船で東京から沖縄まで49時間しけのなかを揺られ,それからさらにバスで1時間以上揺られて,さとうきび畑のど真ん中にある病院に見学に行ったのです.でも行った瞬間にもう「ここに来たい」と思いましたね.


名取先生

名取 洋一郎

聖路加国際病院ジュニアレジデント

名取:それはなぜですか?

青木:まず1歩足を踏み入れると日本ではない感じがしたのです.沖縄は本土復帰はしていましたけど,まだ自動車は右側を走っていましたし,各科のアテンディングに1人はアメリカ人がいたりして,もうアメリカにいるような雰囲気がすごくしたのです.さらに救急室などでは,内地のことしか知らない人間にはちょっと考えられないくらいに,どんどん1年目の先生がやっていたのですね.今でこそそういった病院はかなりあるのでしょうけど,当時1年目の先生が救急室でどんどん患者さんを診ていくのを目の当たりにして,臨床がどんどんできるようになれる病院じゃないかなと非常に感じたのです.回診もすごくアクティブでしたし,図書館も24時間オープンで,やはり研修医が伸びる速度が非常に速いところという印象も受けました.あと「格好いいな」という気持ちも少しありましたね.みんな眼底鏡と耳鏡を持ってて,聴診器を駆使してね.何となく言うに言われない引力があったのです.


このほかに2009年4月号本誌では,【青木先生の研修生活】【初期研修医に伝えたいこと】【アメリカへ渡った理由】【感染症を選んだ理由】【キャリアプランニング】【今後の仕事について】を収録!青木先生の人物像・医師像に迫っていきます!つづきは本誌で!

Profile

青木先生
青木 眞(Makoto Aoki)
サクラ精機株式会社学術顧問

名取先生
名取 洋一郎(Yoichiro Natori)
聖路加国際病院ジュニアレジデント
青木先生の本を参考にしながら,現在ICUでSeptic shockの患者さま達と一緒に戦っております.
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