実験医学:世代を超えるエピゲノム〜生殖細胞による獲得形質の遺伝を再考する
実験医学 2021年4月号 Vol.39 No.6

世代を超えるエピゲノム

生殖細胞による獲得形質の遺伝を再考する

  • 井上 梓/企画
  • 2021年03月19日発行
  • B5判
  • 139ページ
  • ISBN 978-4-7581-2542-0
  • 定価:2,200円(本体2,000円+税)
  • 在庫:あり
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概論

経世代エピゲノム
獲得形質の遺伝を再考する
Epigenetic inheritance across generations―Revising Lamarckism

井上 梓
Azusa Inoue:RIKEN Integrative Medical Sciences(理化学研究所生命医科学研究センター)

生物は種の維持のため,ゲノムの乗り物として生殖細胞をつくった.そして子孫がゲノムを適切に読み解けるように生殖細胞のゲノムに化学修飾を刻んだ.親から子へ,ゲノムに刻むメッセージ.これこそが,世代を超える経世代エピゲノムである.経世代エピゲノム研究の面白さはラマルクが唱えた獲得形質の遺伝を彷彿させるところにある.なぜなら,エピゲノムはゲノムと違い環境により変化しうるものであり,経世代エピゲノムが破綻すると次世代あるいはそれ以降の世代の形質に影響する可能性があるためである.本特集では,哺乳類の精子と卵子のエピゲノムの特徴と,その一部が次世代に伝承される分子機構と意義について,最新の知見を紹介する.

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 はじめに

親の都合で獲得した有益な形質が子孫に受け継がれるとする用不用説は,19世紀初頭にラマルクにより唱えられ,大きな議論を巻き起こしながらイデオロギー(思想形態)化し,ソビエト連邦の科学界に壊滅的なダメージを与えて,完全に否定された.嵐の後の晴天のように,そこに残ったのは突然変異と自然淘汰を生物進化の原動力とするダーウィン説であった.しかし,ゲノムの機能を後天的に制御するエピゲノムという概念が出現し,さらに,エピゲノムには世代を超えるものがあることがわかりつつある昨今において,獲得形質の遺伝の有無が改めて議論されはじめている.本概論では,この分野に今何が起こっているのか,なぜ今,ラマルク説の再議論が必要なのか,という点に主眼をおきながら,経世代エピゲノム研究の現在地を概説する.

エピゲノムは環境と形質をつなぐ鍵である



エピゲノム(=エピジェネティクス)の本来の定義は,「ゲノム配列自体の変化を伴わずに細胞分裂後も維持される遺伝子機能の制御機構(引用元:EPIGENETICS, second edition)」といった,何ともまどろっこしいものである.しかしこの定義はエピゲノム学の進展に伴い修正されつつあり,本分野の根本的な疑問に立ち返った「一つのゲノムから多様な細胞形質を生み出すためのゲノム制御機構」と広く定義するのが妥当であろう.エピゲノムの分子実体は,クロマチンを構成するDNAとヒストンの化学修飾が主であるが,広義には非コードRNAやクロマチン結合因子,クロマチンの高次構造などもここに含めて解釈される(図1).これらの作用により,機能的なゲノム領域が決定され,維持される.エピゲノムの状態は細胞種ごとに異なり,細胞機能の発揮に貢献する.

タンパク質からDNAに情報が書き戻されることはない,というのがセントラルドグマであるが,エピゲノムはこの解釈に微修正が必要であることを教えてくれる.なぜなら,タンパク質であるエピゲノム修飾酵素やその共役因子がクロマチンに働きかけてゲノムの機能を制御するためである.さらに,後述するように,細胞を囲む環境がエピゲノムに作用する分子機構が明らかになるにつれて,「環境→エピゲノム→ゲノム→RNA→タンパク質→エピゲノム→ゲノム→ …」という循環が見えてきている(図2).

生殖細胞×エピゲノム×環境

はるか昔に否定されたはずのラマルク論をなぜ今,再び掘り起こす必要があるのか.その理由を3点示す.

第一に,近年のゲノム解析技術の進展により,これまでブラックボックスであった生殖細胞と初期胚のエピゲノムを調べられるようになった点がある.精子からは中心体,卵子からはミトコンドリアといったように,配偶子は細胞質の物質を胚にもち込むことはかつてから知られていたが,核内のエピゲノム情報をもち込むかどうかはよくわかっていなかった.より正確に言えば,インプリンティング制御領域等のDNAメチル化修飾をのぞいて,配偶子のエピゲノムは受精直後にリセット(初期化)されると考えられていた.実際に,哺乳類の精子ゲノムの大部分はヒストンではなくプロタミンというタンパク質で収納されており,受精直後に起こるプロタミン-ヒストン交換により,精子のエピゲノムは大規模に置き換わる(岡田の稿,吉田・石井の稿).一方の卵子は個体内にごく少数しか存在しない細胞であるために,通常のエピゲノム解析は困難であり,そのエピゲノム状態は長らく不明であった.しかしようやく最近になって,配偶子形成過程と受精後の初期発生過程におけるエピゲノム動態が高解像度に視えるようになり,かつて考えられていたよりも多くのエピゲノム情報が精子と卵子に存在し,その一部が次世代に持ち込まれて機能することがわかってきた(井上の稿,岡江・有馬の稿, 的場・小倉の稿).

第二に,環境がエピゲノムに作用する分子機構に関する知見が蓄積されつつある点がある.例えば,栄養代謝産物であるアセチルCoAやS-アデノシルメチオニンはそれぞれアセチル化修飾とメチル化修飾の基質となるため,ある種の栄養分の枯渇により細胞のエピゲノムが変わることが知られている1).また,細胞が低酸素に晒されると,酸素濃度に感受性のあるヒストン脱メチル化酵素の活性が変化してエピゲノムが大規模に変わることがあるらしい2).アカミミガメの胚においては,水温の上昇により細胞内のSTAT3が活性化されて,その下流にあるヒストン脱メチル化酵素の発現量が変わることで性決定遺伝子の発現が制御される結果,後天的に性別が決定する3)4).哺乳類の生殖細胞においても,母体のビタミンCの枯渇により胎児内の始原生殖細胞におけるDNA脱メチル化酵素の活性が低下し,DNAのメチル化状態が変化することが報告されている5).このように,環境によるエピゲノム変化は哺乳類の生殖細胞でも起こりうるようである.

第三に,さまざまなモデル動物で,環境や食餌による多様なエピゲノム伝承様式が報告されている点がある.例えば,ショウジョウバエにおいては,外気温の変化により一過的に誘導された抑制性ヒストン修飾や,熱ストレスにより破綻したヘテロクロマチンの状態が数世代にわたり伝承されて遺伝子発現を制御する6)7).また,線虫においては神経細胞から生殖細胞に小分子非コードRNAを運搬する機構があり,運搬されたRNAがRNA依存型RNAポリメラーゼにより次世代以降も維持されることで,親の環境が子孫の走化性に影響することが示唆されている8).マウスにおいても,高脂肪食により肥満したオスの精子において小分子非コードRNAの組成が変わり,その結果,受精後の遺伝子発現と次世代の代謝形質が変化することなどが報告されている9)吉田・石井の稿).

このような知見をふまえて,環境により変化した生殖細胞のエピゲノムが次世代に伝承されてその形質を変えてしまうという,ラマルク説に通ずる仮説が再び脚光を浴びているわけである.

伝承現象の分子レベルでの理解を目指した本特集(概念図


世代の短いモデル動物とは異なり,世代の長い哺乳類で個体レベル(形態,行動,寿命など)の伝承現象を見つけるのは容易くない.そのため,まずは配偶子形成から初期発生のエピゲノムの連続性とその機能を分子レベルで理解することが重要であり,この先にこそ,哺乳類における確度の高い伝承現象の発見があると考える.このような観点から,本特集のメンバーに執筆を依頼した.父性エピゲノムの確立と伝承については,岡田の稿吉田・石井の稿でそれぞれ紹介する.母性エピゲノムの確立と伝承については,井上の稿で紹介する.配偶子形成過程におけるヒストン修飾とDNAメチル化の相互作用について,白根の稿で紹介する.体細胞クローンの解析により見えてきた経世代エピゲノムの意義について,的場・小倉の稿で紹介する.そして,ヒトにおける経世代エピゲノムについて,岡江・有馬の稿で紹介する.

系世代エピゲノムを解くための今後の課題

哺乳類の経世代エピゲノムは新しいトピックであり未解決課題も数多いが,なかでも重要と思われるものを4つあげる.① エピゲノムと一言で言っても,ヒストン修飾だけでも100種類近くあるように,その実体は多様である.何が受精後も維持されて何がリセットされるのだろうか.受精直後に一度消えて,その後まもなく再確立されるものもあるが10),このようなエピゲノムは“伝承”とは言い難い.世代を超える連続性を議論するうえでは,受精前後のエピゲノムをライブイメージングする技術がブレークスルーとなるだろう.② 伝承されたエピゲノムが次世代においてどのような機能を有するか.母性伝承に関してはDNAメチル化とヒストンH3リジン27のトリメチル化(H3K27me3)修飾が(井上の稿,岡江・有馬の稿,的場・小倉の稿),父性伝承に関してはDNAメチル化と小分子非コードRNAの機能解析が進んでいる(吉田・ 石井の稿).今後の詳細な機能解析のためには,配偶子や受精卵のエピゲノムを操作する技術の確立が急務である.ローカスレベルのエピゲノム操作技術は,環境により生じた微細なエピゲノム変化の意義を調べるのにも必須である.③ 個体環境は生殖細胞のエピゲノムに影響するか.近年,老化や肥満により精子のエピゲノムが変化することが示されており,その機構と意義の解明が待たれる(岡田の稿).一方の卵子のエピゲノムと個体環境の関連は,ほぼ手付かずで残されている.環境と生殖細胞のエピゲノムとの関連を理解するためには,配偶子形成過程においてどのようにエピゲノムが確立するかを理解することがまずは重要である(岡田の稿,井上の稿,白根の稿).④ 再現性の高い個体レベルのエピゲノム伝承モデルの樹立.これまで,親世代に与える摂動として,食餌制限・薬物投与・社会性ストレスなどさまざまな実験モデルが報告されている.しかし,哺乳類において次世代以降への影響を調べるためには,長時間の飼育が必要になる.この過程でさまざまな交絡要因があるために,再現性の問題点が指摘されている11)12).飼育環境などに左右されないロバストな実験モデルの登場が待たれる.

 おわりに

ラマルクの唱えた用不用説は,現在も単なる迷信という烙印を押されている.英国のとある教授とこの議論を交わしたとき,「Time solves everything.」と述べていた.この意味するところは,地球史レベルの時間があれば,生命が偶然誕生することも,これほどに多様化することも不思議ではなく,生物進化に対してラマルク説を考慮する必要はない,ということである.さすがはダーウィンを生んだ国の教授様であり,ごもっともの見解である.しかしそれでも,本当にそれがすべてなのか? という感覚,ある種の期待感が残るのはなぜだろうか.故・岡田節人京都大学名誉教授は,「サンバガエルの謎(岩波現代文庫)」の文庫解説の中で,「例えばタイタニックや忠臣蔵といった東西問わず人間の心を常にゆさぶり続ける文芸・映像上の不朽のテーマが存在する.科学上のテーマが,科学の枠を超えてくり返して人の心に訴えている例は極度に少ないが,その稀有のテーマが,獲得形質は遺伝するかという問いである.」と記している.つまり,「ない」ことの証明(悪魔の証明)はできないから,誰もが「ない」と感じていながらも,あったらいいなと議論を楽しむ,そういうテーマなのだ.そうやって世界中の人々の知的好奇心をくすぐり,くり返し持ち上げられては落とされてきたのがラマルク様なのだ.おお,いたましや.しかし,今回はどうだろうか.生物個体が意図して獲得した肉体的・精神的な形質が生殖細胞のエピゲノムを変化させることは想像しにくいにしても,環境変化の結果として生殖細胞のエピゲノムが変わり,その結果として次世代の形質が変化するくらいのことはありうるのではないだろうか.哺乳類の経世代エピゲノムに関する研究は新しい分野であり,今後もますます多くのことがわかっていくだろう.なにより,既存の限られた科学技術で形成されたに過ぎない「ない」という既成概念は,科学技術の進歩とともに「ある」に変わっていくのが常である.数十年後に,ラマルク説は案外当たらずも遠からずだったね,と語られる時代が来ることを妄想しながら,今日も私は受精卵に向き合うのである.

文献

  • Sharma U & Rando OJ:Cell Metab, 25:544-558, 2017
  • Chakraborty AA, et al:Science, 363:1217-1222, 2019
  • Weber C, et al:Science, 368:303-306, 2020
  • Ge C, et al:Science, 360:645-648, 2018
  • DiTroia SP, et al:Nature, 573:271-275, 2019
  • Ciabrelli F, et al:Nat Genet, 49:876-886, 2017
  • Seong KH, et al:Cell, 145:1049-1061, 2011
  • Posner R, et al:Cell, 177:1814-1826.e15, 2019
  • Skvortsova K, et al:Nat Rev Mol Cell Biol, 19:774-790, 2018
  • Xu Q & Xie W:Trends Cell Biol, 28:237-253, 2018
  • Bohacek J & Mansuy IM:Nat Methods, 14:243-249, 2017
  • Horsthemke B:Nat Commun, 9:2973, 2018

参考図書

  • 「サンバガエルの謎〜獲得形質は遺伝するか〜」(アーサー・ケストラー/著,石田敏子/訳),岩波現代文庫,2002
  • 「EPIGENETICS, second edition」(デビッド・アリス他/著)Cold Spring Harbor Press PRESS,2015
  • 「エピジェネティクス:新しい生命像をえがく」(仲野徹/著)岩波新書,2014
  • 「もっとよくわかる!エピジェネティクス」(佐々木裕之,鵜木元香/著)羊土社,2020

著者プロフィール

井上 梓:2011年,東京大学 大学院新領域創成科学研究科博士課程修了(青木不学教授).受精卵の奥深さに魅力される.同年より米国ノースカロライナ大学チャペルヒル校のイ・ザン(Yi Zhang)ラボに留学.’12年よりハーバードメディカルスクール,同ラボ.受精卵に対する客観的視点を養う.’18年より理化学研究所生命医科学研究センターにて代謝エピジェネティクスYCIラボを主宰.母性エピゲノム伝承をキーワードに,生殖細胞エピゲノムと医学の接点を模索中.

受精卵特集に想う

私が受精卵の研究に従事しはじめた2006年は,iPS細胞が発表された年であった.それまで初期化といえば受精卵や核移植クローンだったものが,卵よりもはるかに扱いやすいiPS細胞に一気に取って代わった.以来しばらくの間,受精卵は表舞台から姿を消した.必然的に私は,日陰者の受精卵と共に育った.そんなすみっコぐらしの受精卵がこんなメジャー誌でスポットライトを浴びるなんて,光毒性で発生が止まっちゃうのではないかしら.いや,これは冗談ではない.科学の世界も栄枯盛衰である.受精卵もきっとまた逆境の時代が来るだろう.そのとき私はどうするだろうか.受精卵とともにすみっコするのも悪くない.いや,しかし,受精卵にはまだわれわれが知らないことすら知らない謎がある気がする.幸いにして今の私には仲間がたくさんいる.そんな仲間とともに切磋琢磨していれば,おのずと新たな地平が拓けてくるのだろう.(井上 梓)

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