はじめに
われわれの体をつくる細胞は例外なくその表面を糖鎖の森で覆われている.ABO血液型は赤血球表面の糖鎖の違いによって決められているし,ウイルス感染のほとんどは糖鎖がはじめに関与する.医薬品として汎用されるヒアルロン酸やエノキサパリンナトリウムなども糖鎖である.しかし,糖鎖は国民あるいは研究者にさえも馴染みが薄い.それは糖鎖に関する情報量がきわめて限られているからである.
核酸やタンパク質の一次構造は直線だが,糖鎖は多くの場合樹状である.この枝分かれした鎖も,少なくとも5つの観点で異性体を考慮しなければならない:構成糖間の結合様式(β1-3,1-4など),アノマー配置(同じ糖でもα型とβ型の構造がある),分枝トポロジー(2本鎖状:bi-antennary,3本鎖状:tri-antennaryなど),末端修飾の付加位置(シアル酸の末端修飾のα2-3,α2-6など),単糖レベルの立体異性〔例えばグルコースとガラクトースは立体異性体(エピマー)の関係にある〕.加えて,三次元的にも揺らぎが大きい.このような構造の特性が糖鎖解析を苦しめてきたし,糖鎖に関する情報量を制限してきた.したがって,糖鎖科学に基づいた医薬品などは,糖鎖のポテンシャルに比してきわめて少ないと言える.しかし現在,質量分析技術の向上やバイオインフォマティクスの進歩などを背景に,生体内の糖鎖を網羅的に解析する「グライコミクス」がオミクス解析の新たなレイヤーとして確立しつつある.国際的なデータベース整備や後述の国家プロジェクトも進行しており,糖鎖の理解はこれまでにないレベルへと引き上げられている.
本特集は,生命科学研究者から寄せられた「もともと糖鎖には興味があるが,複雑すぎるしアプローチ法がわからない.生身の研究者が辿った成功事例を知りたい」という声に応えるべく,前半に基礎生物学および臨床医学での成功事例を紹介し,後半に糖鎖解析・技術の基本を置く構成とした(概念図).特に前半では研究の経緯から興奮が伝わることを眼目としたのでその観点で楽しむ読み方もある.この概論は「読者はこれを読めば本特集のあらすじがわかる」つもりで書いている.あとは,気になる総説をピックアップして,あるいはもちろん全部を,楽しんでもらえれば有難い.
本特集では前半に基礎生物学2編(吉田の稿,金川の稿)および臨床医学2編(三瀬らの稿,大山らの稿)での成功事例を紹介する.ここでは研究の経緯から興奮が伝わることも眼目の1つであり,その観点で楽しむ読み方もある.後半にはまず抗体医薬の事例から糖鎖工学の重要性を1編で紹介する(眞鍋の稿).そして糖鎖解析に関する技術・データベースについて3編で解説する(林らの稿,梶の稿,木下の稿).
本特集の構成読者ガイド
基礎生物学:発見の興奮
吉田の「糖鎖はユビキチン化されるのか」は,「無知から見つかった糖鎖認識ユビキチンリガーゼ」などのタイトルや章立ても振るっている.糖鎖ユビキチン化の発見のきっかけ1)〜3)から,糖鎖を認識するユビキチンリガーゼがどのように周辺のセリンや糖鎖をユビキチン化するのか4)まで,続々と出てくる新発見の経緯を,希少疾患の病態も説明できるストーリー建てで解説しており,読者を惹き込む.
金川の「筋ジストロフィー:糖鎖がひらいた病態の理解と治療法」には「未知のピースとの遭遇」という章がある.ここでの「糖鎖の実体が明らかになっていくのは,壮大なジグソーパズルのピースが埋まっていくのを眺めているような感覚だった.」という記述は研究現場の興奮を象徴している.日本の研究者が長い歴史のなかで取り組んできた福山型筋ジストロフィーに関与する長大な糖鎖マトリグリカンが,ヒトには存在しないと思われていたリビドールリン酸(細菌の細胞壁成分として有名)という糖を含むという発見5),マトリグリカンの全構造の解明,そしてこの病気の数々の原因遺伝子がコードする酵素群がどのようにこの構造をつくるかの解明6).ピースが埋まっていく様を読者は感動をもって読むことができる.
臨床医学:現場のニーズに応えた興奮
三瀬らの「糖尿病関連腎臓病:尿一滴の糖鎖変化で予後を予測する」では,3種類の異なる腎疾患を対象とした小規模解析における血清および尿の糖鎖プロファイルの比較から,2型糖尿病の予後予知へとつながる.後述の産業技術総合研究所で開発されたレクチンマイクロアレイの技術を応用し,2型糖尿病の初期段階の尿中O型糖鎖の増加が腎予後に関連していることを見出した7)8).
大山らの「糖鎖のがん関連変異を標的にした新規前立腺がん診断補助検査:S2,3PSA%」は保険収載にまで至った糖鎖の臨床実装の成功物語である.前立腺特異抗原(prostate specific antigen:PSA)は前立腺がんの診療に広く使用されているが,PSA値がグレーゾーンの場合,70〜80%はがんとは診断されないため,多くの人が不必要な生検を受けている.PSAの糖鎖(具体的にはシアル酸の付き方)ががんと正常を見分けるという発見9)〜11),さらにそれを臨床実装するための測定法の開発12).この道筋を,物語として読ませる筆力がある.これはまた,academic surgeonとしての大山の半生記としても楽しめる.「臨床現場のunmet needsとして侵襲のある不要な生検を回避したいという強い願いがある.」の記述は至言である.
糖鎖工学が拓く医療
眞鍋の「糖鎖工学が拓く次世代抗体創薬」は糖鎖改変技術の治療応用への大きなポテンシャルを記している.抗体Fc部分に付くN型糖鎖の一部(コアフコースという)を除くと抗体依存性細胞傷害(antibody-dependent cellular cytotoxicity:ADCC)活性が飛躍的に向上するという発見は日本発の「ポテリジェント技術」としてがん治療にも実装された13)14).近年では,抗体に細胞毒性薬物(payroad)を結合させることで標的細胞を狙い撃ちで絶滅させようとする抗体–薬物複合体(antibody–drug conjugate:ADC)とよばれる戦略が大きなブームになっている15)16).N型糖鎖は抗体Fcの1カ所にしか付かないので安定したpayroad付加が期待でき,その改変技術はADC開発の強力なツールになる17).眞鍋はその最先端の開発者である.
糖鎖解析
林らの「空間オミクス時代における糖鎖解析技術の進化と挑戦」ではこれまで産業技術総合研究所が開発してきたレクチンマイクロアレイの技術を紹介する.さらにそれを展開した空間糖鎖オミクス解析を,「より深く」分子を同定するin-solution法と,「より細かく」分布を捉えるon-tissue法という2つのアプローチの両輪として動かす戦略とともに解説している18)〜24).
梶の「N-グライコプロテオミクス」では,タンパク質のN型糖鎖の解析を原理を交えて丁寧に解説する.タンパク質の種類や部位によって付いている糖鎖が異なり,また疾患や加齢などの状況に応じ変化するため,グライコプロテオミクス(糖ペプチドの解析)はグライコミクス(切り離した糖鎖のみの解析)に比べて情報量も格段に多い.一方,糖ペプチドの分析感度は,プロテオミクスの解析と比べて著しく低い.しかし,計測機器とインフォマティクスの進展により,この難題に挑める時代に入った.梶の真骨頂は糖鎖付加部位同定法(isotope-coded glycosylation site-specific tagging:IGOT法)などグライコプロテオミクス技術の開発にある25).現在は,糖ペプチドの画期的な同定法として期待される参照同定法の開発途上にある26).
木下の「糖鎖データベースの活用:遺伝子から疾患まで辿る糖鎖情報学」では,国際的に唯一の糖鎖リポジトリであるGlyTouCanや27),最も網羅的な情報を扱うウェブポータルGlyCosmos 28)の活用事例などを紹介する.木下はこれらのデータベースの開発者である.国際的に重要なのは,日本のGlyCosmos Portal,米国のGlyGen,欧州のGlycomics@Expasyの3拠点がGlySpace Allianceを構成して同一の考え方で糖鎖データベースの構築を進めることである.そのなかでも前述のように日本が活動を牽引している.
おわりに糖鎖研究の動向
糖鎖研究の最大のボトルネックはその構造の複雑性,多様性であった.その課題に国家プロジェクト「ヒューマングライコームプロジェクト(Human Glycome Atlas Project:HGA)」は正面から挑もうとしている(図)29).幸い,日本は糖鎖研究をリードしてきたし,質量分析器やインフォマティクスの発展で糖鎖構造に挑める時代に入った.HGAでは糖鎖に関する情報量を核酸やタンパク質のレベルまで押し上げることをめざす.それにより3大生命鎖(核酸,タンパク質,糖鎖)の最後のピースである糖鎖が埋まれば,われわれは生命をより鮮明に正確に見ることができ,生命科学と医療を大きく変革することができる.
核酸,タンパク質,糖鎖は生命を紡ぐ3大生命鎖である.しかし糖鎖に関する情報は核酸,タンパク質に比べて圧倒的に少ない.HGAでは糖鎖に関する情報量を核酸やタンパク質のレベルまで押し上げることをめざす.それにより最後のピースである糖鎖が埋まれば,われわれは生命をより鮮明に正確に見ることができ,生命科学と医療を大きく変革することができる.(文献29より引用)
海外でもHGAと相補的な動きがある.カナダの糖鎖研究ネットワークGlycoNetは2015年から継続的に国家支援を受けており,’25年からは糖鎖応用に重点を置いた活動を行っている.HGAとGlycoNetは協定を結び連携を深めている.一方,オランダでは’25年にBioBeyond_NLという複数の大学の共同研究による糖鎖解析プロジェクトが国家による支援プログラムに採択され,糖鎖構造解析技術にフォーカスした活動が開始した.BioBeyond_NLのメンバーもHGAには強い関心を示している.これらを含む各国の糖鎖科学コミュニティにおいてHGAの活動は注目されており,今後の国際展開が期待される.
ヒトゲノム計画(1990〜2003年)は,ゲノムを中核とした生命像を明確に示す先駆けとなった.その基盤なしにはiPS細胞も生まれなかったであろう.また,医療において,今や核酸医薬は重要な治療法として定着し,がんの治療方針も遺伝子診断によるところが大きくなっている.産業界にとっても,医療業界はもとより解析機器業界においても次世代シークエンサーをはじめ多くの開発が進み,雇用が生み出された.このようにヒトゲノム計画は生命科学のみならず,社会を変えた.タンパク質研究の長足の発展もこの流れを後押ししてきた.糖鎖研究は従来と比較にならないスピードで行える時代となった.セントラルドグマの制御の外にある糖鎖だからこそ,その解明は生命科学の決定的なギアチェンジとなるはずである.
文献
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3) Yoshida Y, et al:Proc Natl Acad Sci U S A, 114:8574-8579, doi:10.1073/pnas.1702615114(2017)
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25) Kaji H, et al:Nat Biotechnol, 21:667-672, doi:10.1038/nbt829(2003)
26) Kaji H:BBA Adv, 7:100158, doi:10.1016/j.bbadva.2025.100158(2025)
27) Fujita A, et al:Nucleic Acids Res, 49:D1529-D1533, doi:10.1093/nar/gkaa947(2021)
28) Lee S, et al:Anal Bioanal Chem, 417:907-919, doi:10.1007/s00216-024-05692-0(2025)
29) Kadomatsu K:Glycoforum,27:A1, doi:10.32285/glycoforum.27A1J(2024)
門松健治:小児外科医師として小児がん神経芽腫と出会い,その克服を夢見て,基礎医学研究の道へ.大学院生時代に糖鎖結合性成長因子ミッドカインを発見.そのがん,神経,炎症などへの関与について研究を進めた.マウス脳損傷部に特異的なケラタン硫酸発現の発見がきっかけで,糖鎖と神経(特に神経軸索再生)の関係が殊更面白くなり,研究の主軸としてきた.新学術領域「神経糖鎖生物学」(2011〜’15年度)領域代表.大規模学術フロンティア促進事業「ヒューマングライコームプロジェクト」(’23年度~)代表.











