実験医学600号突破記念号より
基礎研究の入口かつ出口としての好奇心

[インタビュー]谷内江 望,荒川和晴

編集部より

トリビアイメージ

研究のモチベーションは何か.医学研究と科学研究とでその意味合いは変わると思いますが,両者に共通するものに好奇心が挙げられます.一方,いま医学・生命科学に残されたクエスチョンは往々にして複雑で,個人の好奇心で取り組めるレベルを超えているという話も伺います.また,基盤的研究費が減り,競争的研究費は「役に立つ」ことを主張しないと通りにくいと囁かれる昨今,好奇心の対象と仕事の研究の間にギャップがあり,研究を心から「楽しい」と言えない方が増えているようです.

そこで本記事では,慶應義塾大学の荒川和晴先生,東京大学の谷内江 望先生に“いまどき”の若手研究者の基礎研究との向き合い方をテーマに対談いただきました.荒川先生は“最強生物”クマムシの研究の仕掛人であり,他にも人工クモ糸の事業化で話題のSpiber社との共同研究など,マルチな活躍をされています.谷内江先生はDNAバーコードなどの新技術を武器に未知の生命現象の描出に挑戦されており,2013年分子生物学会年会の「2050年シンポジウム(会場が2050年になった設定のTED風プレゼンコンペ)」で,人工知能と実験ロボットが研究を行う世界観を発表し優勝されたのをご記憶の方も多いと思います.

WET&DRYのハイブリッド研究を推進するお二人に共通するのは,curiosity-drivenに研究を楽しみながらも,広く周囲とその楽しみを共有し共感を集めている点です.その秘訣は何かを探ります.

対談
地球の未来に貢献する科学

研究で地球を救う?

独特の着想が注目される両先生ですが,いまのご研究とそのルーツをまずお聞きしたいと思います.

谷内江私たちは二人とも冨田 勝さんの研究室出身なんですよ.

荒川 冨田さんの影響は相当に大きいですよね.

谷内江私は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に入学してすぐ冨田研に入りました.父が研究者で,土日もなく,朝早く研究室に行き,夜20時に帰ってきたと思えば夕食をすますと出ていって,深夜まで働く……小さい頃からそんな背中を見て「研究ってよほど楽しいんだろうな」と思っていました.

荒川 谷内江さんの時に1年生から研究室に入れるようになったんですよね.私は2年生からでした.

谷内江冨田さんは「学生だからって萎縮せずにプロ意識をもってやりなさい」と学会にもどんどん行かせてくれて,すごく幸せでした.サイエンスの厳しさも修行させてもらいましたし,いまの自分があるのは冨田研に入れたからだと思います.

私たちが冨田研に入った2000年前後というのは,ヒトゲノムプロジェクトが進行し,冨田さんもバイオインフォマティクスや細胞シミュレーションに転向された頃でした.冨田さんは1990年までカーネギーメロン大学でコンピューター科学の教員をされていたのが,SFCに移られ,2001年には山形県鶴岡市にある先端生命科学研究所を所長として40代前半で立ち上げられるという,研究室にも非常に活気のある時期でした.

私は博士号取得まで10年近くそこで過ごし,海外でも色んなトレーニングを受けたあと,今はとにかく「みんなが驚くようなテクノロジーを作りたい」一心で研究しています.2016年にはDNAバーコードによってYeast Two-Hybrid法をハイスループット化した「BFG-Y2H法」を発表しました1).タンパク質間相互作用ネットワーク解析の加速に貢献する技術です.現在は,腰を据えてより長期的な目線に立ったテクノロジー開発を進めています.例えば,研究室では細胞系譜や過去の細胞状態を記録できる「DNAレコーダー」の開発に取り組んでいます.いまの生物学は目の前で生きているものしか観測できないですよね.受精卵が2細胞,4細胞と分裂して,胚盤胞になるくらいまでは顕微鏡でも見られますが,全身37兆個にいたる系譜を追うのは不可能です.DNAレコーダーによって,哺乳動物発生の全細胞系譜や,体細胞(娘細胞)から遡って母細胞での遺伝子発現状態を観測可能にする技術の実現を目指しています.シングルセル解像度で発生などの細胞動態を記述できたらおもしろいと思いませんか?

また他の先生たちとコンソーシアムを組織して,汎用ヒト型ロボットや実験自動化機器のクラウド化(群衆化)による生物学実験の自動化構想「ロボティック・クラウド・バイオロジー」にも取り組んでいます2)

荒川 私は高校生の頃,当時一般に普及しはじめたばかりのインターネットで自作のゲームを公開し,みんなが遊んでくれるのを楽しむようなコンピュータフリークでした.コンピュータのプログラムって,ソースコードがあって動くモノがありますよね.それなら生物もDNA=ソースコードがあって動くんだから,ソースコードを理解できれば「生命をつくる」ことも出来るんじゃないかと思ったんです.そんなとき冨田さんがE-Cellという細胞シミュレータをつくったと聞いて,研究室の扉を叩きました.当時のE-Cellは生命をつくるというには程遠いものながら,128の生化学反応をまとめて計算したのは間違いなく画期的でした.

しかし,そもそもコンピュータ上でそれらしい何かをつくれたとして,それを「生命です」と言うための定義が必要だと気づきました.いま教科書に書いてある生命の定義って,文学的で,あやふやなので.

ではどうするか.「生きている状態」と「生きていない状態」を行き来できる生物がいれば,その定義が判断できるんじゃないかと思いました.そこで出会ったのがクマムシです.クマムシは完全に脱水すると生命活動を止めて,また吸水すると生き返る生物です.その動的な過程を定量して,分子がどう自己組織化した状況を生命とみなせるか,理解しようとしています.

谷内江冨田研といえば「SFCのバイオは地球を救う」がスローガンですよね.

地球を救う,ですか?

荒川 そうです.人類じゃなくて,地球.

谷内江クサいし, 苦笑する人もいるかもしれませんが,私たちはそういったことを普通に言ってしまう冨田さんに影響されました.若手は成果やキャリアに敏感で「良い論文書きたい」とか「出世したい」とか自分のことに目が向きがちですが,それ以上に「地球に生を受けたからには地球の未来に貢献しなくちゃ」くらいの覚悟で生きようと思えるのは,あのスローガンのおかげかもしれません.

荒川 私も面接に来るポスドクに言いますよ.「一緒に地球を救いませんか」って.

数十年後へ貢献する使命感をもつ

基礎科学研究にも成果の社会還元が求められる時代だと言われますが,「地球を救う」もその1つの表れでしょうか.基礎科学研究のいわゆる「出口」について,考えをお聞かせください.

トリビアイメージ

荒川 「地球を救う」を出口と言う,それくらい突き抜けた研究をしようということです.目先の小さな利益にとらわれるでも,個人の楽しさだけで満足するでもない,そのバランスを示しています.

谷内江確かにいま色々なグラント機関があるなかで,NEDOやJSTからは実用化や事業化のプレッシャーを感じますし,AMEDは医療応用重視です.純粋な基礎研究にお金を配るのは科研費や財団くらいです.

私のチームが本当にやりたいことは教科書の書き換えが起こるようなテクノロジー開発です.「みんなが驚くようなテクノロジーを作る」という目標には,新しい生物学の発見が伴うこと,それが教科書に載って,子ども達に読まれる未来を期待している面を含みます.平均的な生物学者と同じやり方で努力したら科学の歴史に“1”の記述が加えられるとした時に,私たちはなんとかトリッキーなテクノロジーを作って“3〜10”の記述を加えたい.こういう数十年後を目指した知識貢献こそ,基礎科学研究の社会貢献じゃないでしょうか.

荒川 科学の時間スケールのなかでは,数十年どころか数世紀前の発見がいまでも役に立っていることはザラですよね.10年生きながらえることだけを考えて研究していたら,50年を生き抜くテクノロジーは生まれないかもしれない.これは「未来の搾取」に他なりません.憤りを感じますが,年金制度などと同じで,短絡的な視点で政策が組まれがちなのは実に日本的で,簡単には変わらないでしょう.気にしないで,やりたいことをやればいいんです.

谷内江私は出口を説明するための仕事は1つもしていません.ベンチャーの立ち上げや製品につながらない研究は認められないのなら,日本を離れたっていいと思います.

荒川 考え方しだいで,無理やり出口にこじつけるんじゃなくて,役に立つし自分のスコープにもあっている,という研究も見つかると思いますよ.私はImPACTというプログラムでSpiberというベンチャー企業と共同して,世界中のクモの遺伝子とクモ糸の物性をつきあわせ,どう配列をデザインすれば望みのクモ糸をつくれるかという研究をしています.これは,遺伝子型と表現型の関連を理解して生命をつくるという自分の目標の足がかりになるし,人類が手にしたことのない素晴らしい素材を生み出すことにも貢献できます.

谷内江みんながどんどん出口側の仕事に移ってしまうのは,見ていて辛いですけどね.

荒川 自分だけで研究するなら少ない研究費でもなんとかなりますけど,人を雇えばどうしてもお金の維持が必要な場面もありますからね.

私は,人類に対する最も大きな貢献は「好奇心の提供だ」と言える時代がいずれ来ると信じています.世の中どんどん便利になりますよね.かつての産業革命,情報化,これからはロボットやAIによる自動化が起きて,生産や労働は機械のものになっていく.実際,すでに核酸精製やゲル電気泳動などは高度に自動化された機械があります.結果として人類に残されるのは好奇心だけで,その日のために先人たちは科学を続けてきたとも言えます.巨人の肩の上で新しい知の発見に携わることには,使命感すら感じるんです.

「おもしろさ」にこだわる

小誌のアンケートでも研究のモチベーションは好奇心という回答が最多でしたが,それだけでは評価も伴わず,気持ちが続かないと感じている方も多いようです.基礎研究をドライブする+αの力があるとしたら,何でしょうか.

谷内江私の場合は,パズルやレゴブロックで遊ぶ時のように,研究で脳をフル回転させているとただただ楽しい.自分なりの研究のアートというか,緻密な研究の設計もピペットを握り続ける労働的な仕事もまずその刹那的な「楽しい」という気持ちがモチベーションになります.冨田さんの言葉を借りれば「研究は究極の遊びでなくてはいけない」のです.

荒川 とにかく楽しむことは大切です.ただ,遊びと言っても,人を救う使命をもつ医学が必ずしも楽しいことばかりでないように,好奇心を提供する使命をもつ科学にもそれだけの責任があり,苦しい時もある.むしろそうでなければ,科学は研究者にとってsatisfyingたりえないでしょう.

私はフラストレーションも力になっているんです.おもしろい発見は,自分が生きているうちに見たい.究極的には生命をつくりたいと思った時に,たかだか残り30年40年のキャリアでは時間が足りないという焦りがあります.だから本気でやらないと.

谷内江研究って,1つのプロジェクトに必要な1ピースだけでも9割失敗します.それが当たり前だから,誰かに迷惑をかけない限り思い切ってやればいいと思うんです.失敗があるからこそ,次はより上手いプランB,C…を用意できたり,全く新しい発想が生まれたりするんだと思うんです.

荒川 クエスチョンに執着することが大事ですよね.自分の得意・不得意,技術の有・無にとらわれずに,解きたいことを解くために何をすればいいかだけをひたすら考えないと.

谷内江費やす時間,お金,労力をリスクと捉えて二の足を踏む人もいるかもしれません.でも逆に考えればそれらをつぎ込めばいつか成功するんですから,甘えずに時間とお金のことをきちんとできれば,研究自体にリスクは存在しないと思っています.本気でやりたいことをやり続けたら失敗なんてないですよ.

荒川 そのとおりだと思います.Google創業者のラリー・ペイジ氏は「小さなことをするより大きなことをするほうが容易だ.変に聞こえるだろうが,本当に大きなことをしていると,多くの人が助けてくれる.必要な資源が多く手に入る」というようなことを言っています.小さい研究だと必ずしも支援を得られませんが,本当におもしろい問題設定で「絶対やるぞ」と意思表示すれば,周りが助けてくれるんですよね.

谷内江DNAレコーダー技術の開発も3,4年前には無謀と言われたんですけど,エスタブリッシュされた先輩研究者たちが「おもしろいね」と手伝ってくれたり,応援してくれたりするようになり,本当に嬉しく思っています.

荒川 良いコラボレーションをしている時は,良いサイエンスをしている実感がありますね.

分野の特性かもしれませんが,トップレベルの科学者と話すと,みんな競争したがっていないんです.おもしろいことを明らかにするのに,二人が別々に取り組むのは無駄だという考え方です.そういう人たちと上手にコラボレーションしようとしています.

科学者のコミュニケーション

周りの共感を得て巻き込むことが大切なのですね.研究は競争のイメージも根強いように思いますが,コミュニケーションに対する考えを変えていく必要がありそうです.

トリビアイメージ

荒川 そうですね.この数年で大きく変わったなと思うことが1つあります.それはプレプリントをインターネット上のbioRxivに投稿する研究者の増加です.

谷内江使ったことないんですけど,どんなメリットがあるんですか?

荒川 論文として投稿した時,エディターがプレプリントの話題性を加味しているようです.また,出版前に講演依頼に繋がることもあります.

谷内江なるほど.そういえばbioRxivに出したらNature系列誌から「うちに投稿して」と声がかかったという知り合いの話も聞きました.論文って完成に3年,通すのに2年くらいかかったりするので,その間,熱が冷める前に次の行動に移せるのも魅力ですね.

荒川 ゲノム研究はもともと論文より先に配列だけ公開するものなんですよね.それがデータベースだとあまり引用してもらえないですけど,bioRxivなら引用もされるし,議論が進んで解析すべき課題が見えてきたり,コラボレーション希望が届いたりします.

谷内江科学の究極の形に思えますね.

荒川 少数のレビューアーだけでなく,みんなで議論する.科学の本来の姿かもしれません.

そもそも,よく勘違いされますけど科学は論文がゴールではなくて,スタートです.自分の出した理論や結果を反証可能性のある状況において,他者との議論を通じてより良くしていくプロセスが不可欠です.フォーマル/インフォーマル問わず,コミュニケーションが最も大切といっても過言ではないと思います.

谷内江人によるかもしれないですが,オフの場でこそ可能なコミュニケーションもありますよね.信頼し合える研究者達と食事しながら人生とサイエンスの話を一緒に混ぜてするのはとても楽しいです.

クマムシは学術交流の枠を超え,一般メディアでの露出も盛んな印象ですが,狙いはあったのでしょうか.

荒川 世の中にクマムシを認知してもらうために,ぬいぐるみをつくったり,相当な努力をしました.クマムシという超おもしろ生物を知って科学を志す子どもが増えてくれれば,計り知れない成果だと思いますので.それと,研究費の審査員も人間なので「誰も知らない生物」より「みんな知ってる生物」の方が,印象はよさそうでしょう.

谷内江研究のブランディングですね.

荒川 研究をはじめた頃は飼うことすらできなかったんですよ,クマムシ.私は生物学の常識がなかったので「飼えない生物を研究するなんてありえない」というのがわからなかった.当然,研究費をとるのも難しかったです.堀川大樹さんが飼育系を確立して,ゲノムを読めるようになって,論文も出せた3)〜5).それでやっと研究費もつくようになりました.

研究費を「当てる」国日本,競争的資金はレビュー制にすべき! 科学者は自立を!

成果発表と研究費獲得のサイクルを円滑化するために,個々人ができる工夫は色々ありそうですね.研究費といえば2017年度申請分から科研費改革もはじまりましたが,今後の制度面への期待はいかがでしょうか.

荒川 科研費で一部審査結果のフィードバックがはじまるそうですが,ゆくゆくは米国や欧州のグラントのようにリバイス制度の導入をぜひお願いしたいです.  

いまみんな科研費が「当たった」と言いますよね.当落の結果しか知らされませんから.研究費申請も論文と同じようにリバイスしながら「通す」ものであるべきじゃないですか.

谷内江本当にそう思います.レビューの人手が足りないというなら,レビューアーを例えば助教クラスまで広げればいい.あるいは申請書を英語で書けるなら,海外研究者まで広げればいい(各論3参照).実際に私もカナダのグラントのレビューアーをやっています.

荒川 若手では審査能力に不安があるとしても,どのみち複数人が見るんですから,それ自体トレーニングになりますよね.

谷内江若手の当事者意識と自立心を育むことは重要ですからね.30代と60代がレビューとリバイスのプロセスで対等に枠を争えてこそ健全じゃないですか.

もう1点,科研費は業績欄の記載条件が緩和されるようですが,そもそも額の大きい研究費ほど申請書の2ページ目が業績欄なのは疑問です.まるで「達成目標ではなく過去の業績への褒賞です」と言われているみたい.この話を海外の研究者にしたらいつも驚かれます.半分日本の科学リテラシーを馬鹿にされているとさえ感じるときもあります.「ボールドな研究計画は作れません」「他人の研究計画を正しく評価したり,修正を提案したりする能力はありません」と言っているようなものでダサいですよね?

荒川 非効率な研究費運用が目につくこともありますが,他国も同様に科学研究への風当たりが強いので,日本に限った話ではない部分もあります.

谷内江そもそも研究はどこでもできる.その意思がある限り,日本で研究することを選んだのは自分自身なので,日本の研究政策に文句をつけるのは筋違いかなという気持ちも確かにありますね.

帰国してからずっと考えているんですが,条件がいい国は他にもあるのに,日本で研究するメリットってなんでしょうか? もちろん日本のサイエンスは世界トップレベルですし,私たちの周りには素晴らしいコミュニティーがありますが,あえて考えてみると?

荒川 強いて挙げれば,相対的に人件費と土地が安いとか? 特に地方だと人件費の安さが際立ちます.社会的には必ずしも良いことではないですが.

谷内江それなら研究費が潤沢な国を選んだ方がよくないですか?

荒川 そういう国では優秀な人材が高給なので,アカデミアでの雇用が困難なケースも多いです.分類学や生態学のエキスパートが身近にいるというのも,個人的にメリットを感じています.クモを研究するにはクモ学者の助けが必要ですが,日本には優秀な方がいる.これが海外だと難しいのです.

谷内江日本で〜と言う以前に,そもそも研究者として生きていくということが,自分の選択ですね.もしかすると日本人はその自覚が低いのかなと思う時があります.例えばポスドクは,研究者として自活するためのトレーニング期間です.「そういったことを意識しないことこそが科学者の美徳だ」という空気は自分の人生に無責任だと思います.

荒川 みんなに最高のエフォートを求めるのは危険な発想ですよ.人材の多様性も大事だと思います.

谷内江それはそうですね.ポスドクの後はPIになるだけが道じゃないですからね.テクニシャン,ラボマネージャー,秘書,事務…と,研究を盛り上げていく仕事が他にもあります.多様な仕事を尊敬し合う,多様な仕事と自分の人生に責任をもつ,ということだと思います.

最近日本では「ブラック研究室」という言葉が流行っているじゃないですか.研究者はサラリーマンと違って,芸術家や音楽家,時にスポーツ選手に似た側面がある.野球選手がWBCやオリンピックで世界とわたりあうように,研究も世界を舞台に,能力のない人は退場勧告されてしまいます.選手が朝から晩まで素振りや練習をするプロチームはブラックでしょうか?どんな選手でも雇用は保証されるべきでしょうか?

荒川 人を労働力としてしか扱わない本当のブラック研究室も存在しますけどね.長時間労働が辛いだけならやめればいいのに,とは思います.

谷内江あるいは,どうすれば効率化出来るか? という生産的なマインドで仕事をするか,ですね.

多様な生物学への回帰, そしてシンギュラリティは来るのか

トリビアイメージ

最後に,これから生命科学がどうおもしろくなっていきそうか,考えをお聞かせください.

荒川 多様性の再確認の時代になったと思うんですよ.分子生物学は約50年にわたりモデル生物を使うことで成功してきました.でも,生物や進化は本質的に多様なので,今度はそこをしっかり理解していかないといけない.がんのheterogeneityしかりです.観測技術が向上してそれが可能になってきたように思います.

谷内江本当は不均質なものをすりつぶし,平均化して見る研究は,そろそろ終わりつつありますね.

荒川 今後,タンパク質やメタボライトなどの「増幅できない分子」をシングルセルで解析する技術もできてくれば,既存のモデル生物にこだわらず,外で捕まえた生物をもっと研究できるようになると思うんです.生命科学の多くの問題には,それを解くのに適した生物がいます.例えば再生能力なら,植物やイモリ,その他の生物の色々なメカニズムの選択肢から医学応用できるものを探せば,問題が早く解けるかもしれません.生物学の源流に戻るというか,中身を見る分子生物学と生物そのものを見る生態学をリンクしていくことがおもしろいのではないでしょうか.

谷内江一方で,細かいものが見えてくるほど,記述体系をどうすればいいかというジレンマが生じてきます.あやふやな生命現象を1つの数式にまとめるのは現実的ではありません.かと言って,いま用いられている次元圧縮ではあまりにシンプルすぎる.

荒川 個を個のまま扱える,新しい統計学や数学が求められていますね.

谷内江テクノロジーに関して言うと,いま日本発の大規模先端装置で世界に広く普及しているものってないじゃないですか.次世代DNAシークエンサーとかクライオ電子顕微鏡とか,全部海外メーカーです.

荒川 試薬も海外メーカーのものが多く,税金からいただいている研究費がどんどん海外に流れている.

谷内江おかしいですよね.流行りのゲノム編集も,日本が知財をもっていないことに国は焦っています.でも,追いつけ追い越せよりも考えるべきことがあると思うんですよ.例えば,もしフルスクラッチで高速に「ゲノム合成」が出来るようになれば「ゲノム編集」は要らないですよね.そういう発想がおもしろいと思うんです.

ロボティック・クラウド・バイオロジーなどの生物学実験の自動化でも,まずは決定論的にプロセスを設計できるDNAの長鎖アセンブリ技術を可能にし,Apple社のSiriのように「こういうアッセイがしたい」と人工知能に話しかけたら望みどおりの染色体やプラスミドが「チーン」と出てくるような技術開発がおもしろいと思います.

荒川 一歩先を考えることは常に必要ですね.長期的には,実験を完全にシミュレーション出来るようにしないといけないと思います.研究は生物をなるべく殺さない方向に向かうべきだし,生物を扱うには時間も試薬代もかかりすぎるという問題があります.ここに到達できないと,生命科学はシンギュラリティを超えられないでしょう.

谷内江もしいま研究がおもしろくなくて,次の何かをプロフェッショナルの気概で起こしたい人がいるなら,ぜひ私たちの研究室に来てほしいなと思います.

荒川 私も,予算のある限り歓迎しますよ.

5年,10年後がますます楽しみになってきました.本日はエッジなお話しをありがとうございました.

(編集部 間馬彬大)

文献

  1. Yachie N, et al:Mol Syst Biol, 23:863, 2016
  2. Yachie N, et al:Nat Biotechnol, 35:310-312, 2017
  3. Arakawa K:Proc Natl Acad Sci U S A, 113:E3057, 2016
  4. Hashimoto T, et al:Nat Commun, 7:12808,2016
  5. Yoshida Y, et al:PLoS Biol, in press, 2017
荒川和晴(Kazuharu Arakawa)
水島 昇
慶應義塾大学環境情報学部・先端生命科学研究所准教授.2006年慶應義塾大学(冨田勝教授)にて博士号を取得.その後,日本学術振興会特別研究員,慶應義塾大学先端生命科学研究所特任助教・特任講師・特任准教授を経て,ʼ17年より現職.非モデル生物のマルチオミクス解析を通して,生物学を問い直すべく研究中.
谷内江 望(Nozomu Yachie)
杉本亜砂子
東京大学先端科学技術研究センター准教授.2009 年慶應義塾大学(冨田 勝教授)にて博士号を取得.ʼ10 年よりハーバード大学およびトロント大学博士研究員.ʼ12年カナダ政府が選出するバンティングフェロー(自然科学技術分野).ʼ14 年より現職.実験生物学と情報生物学を組み合わせて生命現象を観察する新しいテクノロジーを開発中.
 
実験医学600号突破記念号はこちらから
実験医学 2017年8月号 Vol.35 No.11

実験医学 2017年8月号 Vol.35 No.11
ブレークスルーはあなたの中に!

実験医学編集部/企画