実験医学600号突破記念号より

概論
皆さまと考える生命科学・医学研究の「いま」

実験医学編集部

はじめに

小誌の創刊は1983年,第1号の特集テーマは「DNAから個体へ」でした.ゲノム科学花盛りの現在でも通用しそうなこのフレーズには,分子生物学や実験動物学に立脚する医“科”学がBenchとBedsideの橋渡しに大切である,というメッセージが込められていました.

その後34年,「DNAから個体へ」の考え方が古びることはなかった一方,生命科学・医学の取り組むテーマは複雑さを増し,研究を取り巻く環境も変化するなかで,読者の皆さまからは新発見への興奮と共に,分野のスピード感に対する戸惑いの声も聞かれるようになりました.そこで本号は通巻600号突破記念特集として,個々のトピックに注目する通常の特集とは趣向を変え,分野の現状(全体像)をおさえるためのガイドとなるような一冊を目指しました.

図1

方法として,2016年末〜’17年初頭にかけて行ったウェブアンケート(図1)ならびに編集部員によるヒアリングで約600人の方から注目の知見や現場の悩みを伺い,誌面に反映・共有するという試みをいたしました.生命科学・医学研究はどこへ向かっているのか? 600人の知恵をあわせることで,DNAから個体,そしてその先の未踏領域へ,分野の「いま」をおぼろげながらも描き出してまいります.

600人のご意見にふれるなかで,本特集のサブタイトルは自然と「ブレークスルーはあなたの中に!」に決まりました.1つの発見の影には多くの研究者とそれを支える方々の貢献があり,一人ひとりが今回の誌面では紹介しきれないほどのアイデアと情熱をおもちだと再認識しております.ご協力くださった全ての方にこの場を借りて御礼申し上げますと共に,本特集がどんなに小さくても皆さまのヒントになることを願っています.

本概論の後,1「科学研究」,2「テクノロジー」,3「医学研究」,4「学会・研究コミュニティ」,5「キャリア・研究生活」と5つに話題を切り分けた各論が続きます.以下に企画意図や生命科学・医学研究の社会的背景を交えながら紹介させていただきます.

2012年と言えば何を思い出しますか?

生命科学・医学研究の「いま」,特に日本の現状を考えるうえで,社会的動きの理解はなくてはならないものだと思います.近年の日本における大きな出来事と言えば,2012年の第2次安倍内閣発足です.安倍内閣が掲げた日本再興戦略には「健康寿命延伸」が明記され,2013年,それを実現する組織として官邸に健康・医療戦略室が設置されました.同年に健康・医療戦略が閣議決定されて以降,健康・医療戦略推進本部の設置,2015年の日本医療研究開発機構(AMED)発足に至るという,医学研究を枠組みから変える動きがありました.

科学研究においては「科学技術創造立国」推進のため,2014年に内閣府の総合科学技術会議が総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)に改組.司令塔機能が強化され,革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)や戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)のようなプロジェクトも生まれました.2016年には第5期科学技術基本政策が閣議決定され,2020年までのGDP比1%の政府研究開発投資(さらに民間投資をあわせて4%)を目標とした研究費の増額など,大小様々な施策がなされ今日を迎えます.発足から2年が経ち,研究提案書の英語化など新しい動きもはじまっているAMED.日本の医学研究にこれから何が起きるのか,各論3で末松 誠理事長に読者の疑問を直接ぶつけてまいります.

図2

社会情勢から離れ,研究の進展はどうでしょうか.読者が注目するテーマをまとめた結果が図2です.圧倒的な得票で1位となったCRISPR-Cas9によるゲノム編集技術は,その初報に世界が湧いたのがまさに2012年のこと.遺伝子改変マウスの作成が1カ月で出来るという衝撃はラボの景色を一変させました.続く2位,3位には再生医学,iPS細胞研究が並んでいます.ヒトiPS細胞は今年で誕生から10年.髙橋政代先生らによる世界初移植(2014年実施,本年3月NEJM誌に報告)の印象が強いiPS細胞の応用研究ですが,Organ-On-A-Chipなど新たな展開も加速しているようです.さらに4位には腸内細菌が続きます.2013-2016年の米国integrative Human Microbiome Project(HMP2)の成果が2017年中に報告されるとの情報がありますので,新たな展開が期待されそうです.免疫チェックポイント阻害剤のインパクトが大きかった5位のがん免疫は,先駆けとなったニボルマブの販売開始(2014年)からまだ3年とは信じられないほど,がん研究全体の流れを変えています.最近では臓器別ではなく変異別(米国でMSI-HまたはdMMRの固形がんを対象にペムブロリズマブが認可)のアプローチが開始するなど,がん免疫の理解と制御からますます目が離せない状況です.6位のオートファジーは言うまでもなく,大隅良典先生の2016年ノーベル生理学・医学賞受賞に日本中が勇気づけられました.

表に挙げた以外にも,今回のアンケートでは研究トピック(高次脳機能など)から技術トレンド(オルガノイドなど)までかなり票が割れ,分野の細分化がうかがわれる結果となりました.上記のゲノム編集やiPS細胞を含め,各論2では近年の科学の発展をさまざまな技術の側面からとらえ,鍵となる分野の専門家たちと一緒に次のブレイクスルーを考察しています.CRISPR-Cas9によるゲノム編集の発明者であるシャルパンティエ,ダウドナ両先生にもインタビューを敢行しておりますので,応用を考える方はぜひお読みください.

出口志向とは言うけれど

大隅先生と言えば,ノーベル賞受賞後にメディアを通じて基礎研究の重要性をくり返し訴えられていたことが印象的でした.第24回CSTI議事要旨よりお言葉を引用させていただきます.

「科学というのは――技術と大変接近してきたが――あくまで真理の探究であり,ノーベル賞の授賞式の際にも強調された,好奇心に基づく研究を大切にすることが非常に大事である.(中略)科学の発展というのは多くが予測不可能であり,そのために裾野が広い研究が奨励されるということが必要と考える.その中から幾つか尖ったピークが表れてくることがとても大事である.これをやれば必ず結果が出るだろうという研究は,必ずしも大きな成果につながらないと思う.」

このような提言の背景には,コミュニティ全体が感じている応用偏重への危機感があることは間違いありません.こうした世情のなかでも研究者それぞれが好奇心を思う存分発揮し,成果をあげていくにはどうすればいいのか.注目の若手研究者を交えて各論1で考えたいと思います.

研究者の仕事はどうなるのでしょうか?

図4

図2の7位には異色なキーワード,人工知能(AI)がランクインしています.実際1,000人,10,000人のオミクスデータや画像情報,ヘルスログの解析は,その意義は明確ながら人の手や目には余るものですし,「まほろ」のようなピペットワークを代行する実験ロボットの開発がこのまま進めば,AIが考えロボットが働く世界もあながちSFではなさそうです.図3の結果からも,あらためてこの話題への注目がわかります.その期待の裏返しで「研究という行為そのものが人類の手を離れるのではないか?」という極論まで耳にします.

2016年に「がんをAIが診断した」と話題になったIBM社のWatsonは,厳密にはAIでなくコグニティブ・システムとよばれ,自然言語処理と機械学習を応用してがん診断を“支援”するものです.あくまで診断(判断)は人の仕事.名探偵とその相棒になぞらえて「Watsonはワトソンで,シャーロック・ホームズではない」と言われることもあります.AIが実験ロボットと共に人類の相棒として活躍することは間違いなさそうですが,より高度な研究活動が機械によって行われる日は来るのでしょうか.図4の結果からは,すでに多くの方がそのような近未来を予感していることがわかります.その日が来るまでに必要なステップは何か? その日が来た時に人類のすべきことは何か? 各論1ではこの点もディスカッションしています.

研究コミュニティはどうなるのでしょうか?

AIが注目される一方で,人と人とのつながり,特に領域を超えた共同研究や産官学の連携がますます重要視されています.学会などの研究コミュニティも意義を増すように思われるなか,多くの学会では会員減少傾向にあります.自然科学系の学会の元祖である英国王立協会(1660年創立)は,“Nullius in verba”(意訳:権威への抵抗と,全ての実験結果の確認への決意)をモットーに掲げています.学会での議論は科学の必然のプロセスだったということでしょう.それがインターネット時代となりどう変化しているのか.各論4では研究者とコミュニティのよりよい関係の在り方について,図3のDIYバイオロジーの考え方なども紹介しながら議論していきます.

最後に各論5では,職業としての研究にまつわる問題や悩みと,それに対する個人あるいはコミュニティによる解決の取り組みを,若手-シニア間で意見交換してまいります.

おわりに

「実験医学」は研究と生きるすべての方を応援する雑誌として,これからも皆さまと一緒に誌面をつくり,知の交流を担ってまいりたいと願っております.まだ見ぬ未来へご一緒させていただければ幸いです.

実験医学600号突破記念号はこちらから
実験医学 2017年8月号 Vol.35 No.11

実験医学 2017年8月号 Vol.35 No.11
ブレークスルーはあなたの中に!

実験医学編集部/企画