(実験医学2012年7月号掲載 連載 第4回より)
Hpは胃に感染するグラム陰性の桿菌で,1983年にはじめて分離された.胃粘膜は塩酸を分泌し強酸性であるが,Hpはアンモニアを産生して酸を中和することにより,巧みに適応して持続感染をしている.そして消化性潰瘍や慢性胃炎の原因となる.また胃がんのリスク因子としても注目されている.Hpは比較的幼少時に感染し,家族感染の機会が高いと考えられているが,感染経路は明らかになっていない.Hpは地球上の現生人類の50%以上で陽性であり,その陽性率は集団によって異なる.最近Hpのゲノムの研究が進み,Hpは人類の拡散と一致して広がったと考えられ,集団によってゲノムに相違があることが明らかとなった.したがってHp感染症は現生人類がアフリカを出る前から存在しており,世界の各地でゲノムに変化を生じたと考えられている2).また南太平洋地域では,別々に調査された言語の系列とHpのゲノムの変化がよく一致していた3).この事実もHpが人類の拡散とともに,またその文化とも関連しながら,全世界に広がったことを示している.遺伝子型からみると58,000年前にアフリカから世界に拡散したことになる.
これと関連して興味がもたれるのが,わが国で見出された成人T細胞白血病(adult T-cell leukemia:ATL)のウイルス,HTLV-1(human T-lymphotropic virus 1)である4).HTLV-1はヒトに白血病を起こすウイルスとして最初に同定されたもので,当初ATL関連ウイルスとよばれたが,カリブ海周辺に存在する熱帯性痙性不全対麻痺(tropical spastic paraparesis)から分離されたウイルスと同じものであることが確認され,HTLV-1と命名された.このウイルスは母乳,性行為(主として男性から女性へ),輸血などによって感染する.多くは無症候のまま生涯を終えるが,ごく一部の人が白血病,脊髄病変HAM(HTLV-1-associated myelopathy)を起こしてくる.わが国では九州,四国の南部,沖縄などに,HTLV-1陽性者が多い.当初このウイルスの保菌者は日本,カリブ海周辺,パプアニューギニアにのみ見出されるとされたが5),最近の血清学的研究では中近東,東欧,アフリカ,中南米にも存在することが明らかにされている.HTLV-1もHpと同様に,現生人類の祖先の一部がアフリカを出るときにもって出たものか,それとも後に何らかのルートで感染が広まったのか,まだウイルスの遺伝子型が十分調べられていないので明らかでない.
感染症の病原体がどのようにして人類に感染し,広まったかはほとんどの場合明らかになっていない.そのなかには動物から感染した人獣共通感染症が,かなり大きい位置を占めている.ときどき大流行(pandemia)を起こして問題になるインフルエンザはその代表で,トリ,ブタ,ヒトなどの間で感染している間に突然変異を起こし,大流行の原因となる.エイズのウイルスHIV(human immunodeficiency virus)もチンパンジーなどの大型霊長類のウイルスSIV(simian immunodeficiency virus)がヒトに感染したものであるが,その時期,経路は不明である.結核も,人類が牧畜をはじめてから,ウシの結核菌(牛型菌)がヒトに感染したと考えられてきたが,最近ではむしろヒトからウシへ感染したとする考え方に変わってきている.
感染症は,現在も人類にとって最大の強敵である.エイズ,結核,マラリアの三大感染症は発展途上国のみならず,先進国でも大きな課題となっている.またインフルエンザのように,時として世界的な大流行を起こす感染症もある.さらに高齢者の増加とともに,肺炎など軽視できない感染症も増えつつある.感染症をより深く理解するためには,進化医学の視点が必要となる.