ヒトの病気に潜む進化の記憶を探る進化医学

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進化医学 人への進化が生んだ疾患

本コンテンツでは,「実験医学」に2012年4月から全6回にわたって掲載された連載『ヒトの病気に潜む進化の記憶を探る 進化医学(井村裕夫)』より,連載 第1回と第4回を抜粋,公開いたします.ゲノムの個人差,個の医学が注目される現代,ゲノム進化の立場から医学を見つめなおす学問分野として,その重要性をさらに増している「進化医学」.ヒトの宿命と生命の原理にも迫る内容をぜひご一読ください.本連載から大幅加筆・改訂された単行本「進化医学 人への進化が生んだ疾患➡」も,好評販売中です! (編集部)

凶暴な,あるいは温厚な寄生体-1

実験医学2012年7月号掲載 連載 第4回より)

Hpは胃に感染するグラム陰性の桿菌で,1983年にはじめて分離された.胃粘膜は塩酸を分泌し強酸性であるが,Hpはアンモニアを産生して酸を中和することにより,巧みに適応して持続感染をしている.そして消化性潰瘍や慢性胃炎の原因となる.また胃がんのリスク因子としても注目されている.Hpは比較的幼少時に感染し,家族感染の機会が高いと考えられているが,感染経路は明らかになっていない.Hpは地球上の現生人類の50%以上で陽性であり,その陽性率は集団によって異なる.最近Hpのゲノムの研究が進み,Hpは人類の拡散と一致して広がったと考えられ,集団によってゲノムに相違があることが明らかとなった.したがってHp感染症は現生人類がアフリカを出る前から存在しており,世界の各地でゲノムに変化を生じたと考えられている2).また南太平洋地域では,別々に調査された言語の系列とHpのゲノムの変化がよく一致していた3).この事実もHpが人類の拡散とともに,またその文化とも関連しながら,全世界に広がったことを示している.遺伝子型からみると58,000年前にアフリカから世界に拡散したことになる.

これと関連して興味がもたれるのが,わが国で見出された成人T細胞白血病(adult T-cell leukemia:ATL)のウイルス,HTLV-1(human T-lymphotropic virus 1)である4).HTLV-1はヒトに白血病を起こすウイルスとして最初に同定されたもので,当初ATL関連ウイルスとよばれたが,カリブ海周辺に存在する熱帯性痙性不全対麻痺(tropical spastic paraparesis)から分離されたウイルスと同じものであることが確認され,HTLV-1と命名された.このウイルスは母乳,性行為(主として男性から女性へ),輸血などによって感染する.多くは無症候のまま生涯を終えるが,ごく一部の人が白血病,脊髄病変HAM(HTLV-1-associated myelopathy)を起こしてくる.わが国では九州,四国の南部,沖縄などに,HTLV-1陽性者が多い.当初このウイルスの保菌者は日本,カリブ海周辺,パプアニューギニアにのみ見出されるとされたが5),最近の血清学的研究では中近東,東欧,アフリカ,中南米にも存在することが明らかにされている.HTLV-1もHpと同様に,現生人類の祖先の一部がアフリカを出るときにもって出たものか,それとも後に何らかのルートで感染が広まったのか,まだウイルスの遺伝子型が十分調べられていないので明らかでない.

感染症の病原体がどのようにして人類に感染し,広まったかはほとんどの場合明らかになっていない.そのなかには動物から感染した人獣共通感染症が,かなり大きい位置を占めている.ときどき大流行(pandemia)を起こして問題になるインフルエンザはその代表で,トリ,ブタ,ヒトなどの間で感染している間に突然変異を起こし,大流行の原因となる.エイズのウイルスHIV(human immunodeficiency virus)もチンパンジーなどの大型霊長類のウイルスSIV(simian immunodeficiency virus)がヒトに感染したものであるが,その時期,経路は不明である.結核も,人類が牧畜をはじめてから,ウシの結核菌(牛型菌)がヒトに感染したと考えられてきたが,最近ではむしろヒトからウシへ感染したとする考え方に変わってきている.

感染症は,現在も人類にとって最大の強敵である.エイズ,結核,マラリアの三大感染症は発展途上国のみならず,先進国でも大きな課題となっている.またインフルエンザのように,時として世界的な大流行を起こす感染症もある.さらに高齢者の増加とともに,肺炎など軽視できない感染症も増えつつある.感染症をより深く理解するためには,進化医学の視点が必要となる.

文献

  1. La Scola, B. et al.:Nature, 455:100-104, 2008
  2. Linz, B. et al.:Nature, 445:915-918, 2009
  3. Gray, R. D. et al.:Science, 323:479-483, 2007
  4. 『Adult T-cell Leukemia』(Takatsuki, K./編),Oxford Press, 1994
  5. 『ウイルスと人類』(日沼頼夫/著),勉成出版,2002

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人はなぜ病気になるのか? 進化に刻まれた分子記憶から病気のメカニズムに迫る
進化医学 人への進化が生んだ疾患

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プロフィール

井村 裕夫(Hiroo Imura)
1954年,京都大学医学部卒業,内科学とくに内分泌代謝学を専攻,’77年より京都大学教授,視床下部下垂体系,心血管ホルモン,膵ホルモンの研究に従事,’91年,京都大学総長に選出され,高等教育一般にかかわる.’98年,総合科学技術会議議員として,第2期科学技術基本計画の策定,科研費などの研究費の増額,新しい研究施設の整備などに努力.2004年より先端医療振興財団理事長として神戸医療産業都市構想の実現に努めると同時に,科学技術振興機構研究開発戦略センターで臨床研究の振興方策を提言,またこれからの臨床研究として先制医療の重要性を提言している.一方生命進化の過程から病気の成り立ちを考える進化医学に興味をもっている.
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