[Opinion―研究の現場から]

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本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)

第127回 変わると困る研究者の「顔」—旧姓使用と選択的夫婦別姓制度

「実験医学2021年1月号掲載」

主に学術論文を通じて研究成果を世に送り出すわれわれ研究者にとって,氏名はいわば「顔」のようなものだ.では,ある日その「顔」の上半分が別の人のものになってしまったとしたら?あなたを直接よく知っている人でなければ同一人物として認識するのは難しいだろう.研究者にとって婚姻に伴う姓の変更は深刻な問題である.実際にその負担を抱えているのは女性側がほとんどで,多くの女性が改姓を余儀なくされている.昨今の女性の社会進出に伴い,この問題はさらに深刻なものとなっている.そんななか,「選択的夫婦別姓制度(夫婦で同じ姓を名乗るか,別々の姓を名乗り続けるかを選択できる制度)」の導入が検討されている.われわれ筆者らはともに結婚を機に改姓し,職務・学籍上の旧姓使用を経験している若手研究者である.当事者として同制度の早期実現を願う立場から,改姓に伴う体験を共有したい.

そもそも研究者でなくとも,姓が変わるとさまざまな困難が待ち受けている.まずは役所・銀行・職場などへの「届出ラッシュ」だ.引越しに伴う住所変更手続きを経験したことのある読者なら想像しやすいと思うが,平日昼間に各所へ赴くのはけっこう骨が折れる.それに加えて,関係各位に改姓を周知する手間が発生する.われわれのように男性が改姓する場合は少数派であるゆえ親族や職場の理解を得ることがややネックに感じた.これらの一般的な事柄に加え,われわれ研究者にとって特に深刻な点が研究業績の断絶である.冒頭で触れたように,論文の著者を特定する際には氏名が手がかりとなる.旧姓と新姓をハイフンでつないだ結合姓を利用している研究者もいるが,書誌データベースや検索エンジンによっては検索にうまく引っかからない場合がある.

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そのような改姓に伴う問題をある程度解決できるのが旧姓使用(旧姓を引き続き名乗ることのできるしくみ)だ.民間企業で導入しているのはまだ半数ほど(内閣府2017年調査)だが,大学などの公的研究機関では大部分の機関が対応している.2019年から住民票やマイナンバーカードにも旧姓併記ができるようになるなど,国としても後押しを進めている.先輩方の多大なる苦心のおかげで,幸いわれわれは致命的なトラブルに直面したことはない.

しかし,旧姓使用には弊害もある.戸籍姓と旧姓の2つを使い分けることによる“無駄”の発生だ.書類にサインするとき,毎度「これはどっち?」と問い合わせる必要があるし,誤った自己判断をして差し戻されたことも一度や二度ではない.電話対応の際,相手がわかるまで姓を名乗ることができない.そんな小さな積み重ねではあるが,本来研究に費やすべき時間と思考力が着実に奪われているのは間違いない.研究者は海外出張も多い.パスポートは旧姓併記が可能だが,入国審査や宿泊先で事情の説明を求められることがある(英語で!).子どもが産まれると状況はさらに複雑と聞く.まず単純に手続きの負担が子の数に応じて増える.学校などから職場に緊急連絡があった際,両者で認知されている姓の相違から混乱が生じるなど,常に不安がつきまとう.

旧姓使用の拡大により研究者が業績の連続性を保つこと自体は容易になったものの,それに伴う負担は大きい.もし夫婦がそれぞれ別の姓を名乗り続けられる選択肢があったらどうだろうか.それこそが「選択的夫婦別姓制度」だ.改姓した側が姓の使い分けによる余分なコストを支払うこともなくなる.しかもこれはあくまで「選択的」な制度であって,従来通り夫婦どちらかが改姓することを妨げるものではない.自分が名乗る姓を自由に選択できるようになることで,より自由な自己実現を達成できる世のなかになることを願っている.

西村亮祐,小野田淳人(生化学若い研究者の会 キュベット委員会)

※実験医学2021年1月号より転載

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本記事の掲載号

実験医学 2021年1月号 Vol.39 No.1
新型コロナで変わる時代の実験自動化・遠隔化
プロセスの精度と再現性を向上し研究の創造力を解き放て

夏目 徹,高橋恒一,神田元紀/企画
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