[Opinion―研究の現場から]

  • [SHARE]

本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)

第165回 バリアフリーな科学研究へ

「実験医学2024年3月号掲載」

筆者はポスドクのころに神経系の難病で歩けなくなり,一度研究をあきらめた.色々なことがあり,今はまた大学で研究をしているが,もう一度研究をやってみようと思えたのは,世の中には障害のある研究者が結構な数いること,また少なくともいくつかの国では障害のある研究者を歓迎する文化や制度があることを知ったからだった.本稿では,科学技術分野で障害のある人の参加がより進んでいるアメリカの状況を紹介したい.

アメリカの多くの研究機関では,多様な人材が科学に参加することの重要性を認識し,多様性を推進することを表明している.例えば国立衛生研究所(NIH)では,多様な人材は国のインテリジェンスを活用するために不可欠な要素であると宣言している.また特に障害者に対しては,日本のように福祉の文脈だけではなく,国の競争力を高めるためにも科学技術分野への参加支援が行われている.1950年に設立された国立科学財団(NSF)は,NIHが所管する医学生物学以外の科学分野の予算を提供する政府機関であり,STEM(Science, Technology, Engineering & Mathematics)の由来になる言葉を提案したことでもよく知られている.1957年に競争相手のソ連が人工衛星の打ち上げに成功した「スプートニクショック」の直後から,科学技術が国家の競争力につながるという認識が高まっていた.そうしたなかで将来的にSTEM分野の職が増えると予測され,その人材が不足しているという課題意識から,これまでSTEM分野への参加が少ない人材プールとして,まずは女性,続いて民族マイノリティや経済的困窮者,加えて障害者を対象とした支援が1990年代から開始された.STEM分野における多様な人材の参加は,科学の進展に多様性と知的な広がりをもたらす手段であるとして,NSFではマイノリティのSTEMへの参加を増やすbroadening participation(参加拡大)という戦略を採用している.2018年度のNSF予算総額のうちの14%(およそ12億ドル)が参加拡大のプログラムに充てられている.このなかには障害のある学生を集めて,集中的に研究経験を積んでもらうアライアンスプログラムなどがある.これは,マイノリティがプログラムを経験することによってSTEM分野を選択する割合が高くなるというエビデンスに基づいている.

[オススメ]申請書の書き方を中心に,応募戦略,採択・不採択後の対応などのノウハウを解説.

「科研費獲得の方法とコツ 改訂第8版」

障害のある人が研究を行う場合に,障害による課題を解決するために合理的配慮という手段が用いられる.本来すべての人に適用される考え方であるが,例えば障害のある人が,障害のない人と同じように社会参加するための対応を行うことを指す.アメリカでは法律に基づき,すべての研究教育機関でこの考え方が取り入れられており,実験室で用いる支援機器の活用や,ろう・難聴の人が学会に参加する際の手話通訳者の配置などに反映されている.さらに,NSFやNIHでは研究における合理的配慮のための政府による追加予算制度が整備されている.2019年のNSFの報告書によるとアメリカの年間の博士号取得者42,980名のうち,視覚障害者1,300名,聴覚障害者494名,下肢・上肢障害者472名であり,障害のある人の科学研究への参加は日本に比べて格段に進んでいるといえる.研究活動における合理的配慮は,障害のある人が科学研究に参加するために重要な手続きであり,日本でも同様の制度が導入されることが望ましいと考えている.東京大学先端科学技術研究センターでは障害のある研究者が多く働いている.ここでバリアフリーな教育研究環境の実現に向け,バリアフリー実験室,実験の合理的配慮を提供するしくみ,障害のある科学者のインタビューレポジトリの構築,政策提言書の作成などに取り組んでいる.同じ思いをもつ人たちと一緒に協力して進めていきたい.

並木重宏(東京大学先端科学技術研究センター)

※実験医学2024年3月号より転載

Prev第165回Next

本記事の掲載号

実験医学 2024年3月号 Vol.42 No.4
がんと全身性代謝変容
がん悪液質を再定義し、代謝・免疫の変調への早期介入をめざす

河岡慎平/企画
サイドメニュー開く