実験医学:マルチオミクスを使って得られた最新知見〜糖尿病・がん・腸内細菌研究における実例と解析法
実験医学 2020年5月号 Vol.38 No.8

マルチオミクスを使って得られた最新知見

糖尿病・がん・腸内細菌研究における実例と解析法

  • 大澤 毅/企画
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概論

マルチオミクス研究のすゝめ
ーー使って得られた最新の知見と,測る前に知っておきたい最新技術
Research through integrative multilayered omics approach

大澤 毅
Tsuyoshi Osawa:Division of Nutriomics Oncology, Research Center for Advanced Science and Technology, The University of Tokyo〔東京大学 先端科学技術研究センター ニュートリオミクス・腫瘍学分野〕

次世代シークエンサーや質量分析機などの技術革新が進んだことで,高額な機器を研究室で有してなくとも,学内共同施設や外注でより手軽に多階層のオミクスデータを得られるようになってきた.一方で,膨大なデータを有する多階層の統合的な解析は複雑であり,いまだに敷居が高いと感じる生命科学者も多いであろう.マルチオミクス研究が生命科学研究の主流となりつつある今,われわれはどのように生命現象を捉えるべきなのであろうか.本特集では,具体的に,糖尿病,がん,腸内細菌叢などの生命現象に,どのようにマルチオミクス解析でアプローチしているか.また,最新のオミクス計測技術や解析技術を概説することによって,マルチオミクス解析を使って得られた知見と,測る前に知っておきたい最新の技術を紹介する.

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 はじめに


これまで未開の地が多く残されてきた生命の「白地図」は,近年,複雑な網羅情報が羅列された「謎解き地図」へと変貌を遂げている.これには先人たちが切り開いてきたいわゆる「セレンディピティ(偶然の産物)」から描かれた「宝のありか」と,その他の単体では意味を解読できない「断片的な道の情報」で構成されている.特に近年,ゲノミクスやトランスクリプトミクス,プロテオミクス,メタボロミクスなどの多階層にわたるオミクスデータは,この白地図にさまざまな情報を書き込むことに貢献してきたが,生命現象の全貌を解読することはいまだに困難である.そのような状況にあるため,網羅的なオミクス解析だけでは結局は生命現象の本質は理解できないだろう,といった生命科学者が存在することも納得できる.しかし一方で,生命科学者に新たな生命現象の捉え方の実践なくして,現在の「謎解き地図」の解読ははたして達成されるのであろうか? すなわち,これまでのマウス遺伝学による「仮説駆動型」の研究のみでは未開の地を開拓するのに限界があり,未知の領域の開拓には「情報駆動型」,もしくは,「情報駆動と仮説駆動のハイブリット研究」への方向転換が迫られているのではないだろうか.昨今,個々のオミクス解析技術の革新,さらに複数のオミクスを統合する技術が次々と生み出されている.まさに,情報駆動型研究が可能となりつつあるいま,研究者も考え方を変えていこうというのが本稿タイトルの「すゝめ」でもある.

また近年,高額な機器を自身の研究室で有してなくとも,より手軽に,多階層のオミクスデータを得られるようになってきた.マルチ(多階層)オミクス研究が生命科学研究の主流となりつつある今,われわれはどのように生命科学を捉え,どのような研究への方向転換を迫られているだろうか.本特集では,若手生命科学者を中心に,糖尿病,がん,腸内細菌叢などの生命現象に,どのようなマルチオミクス解析を用いてアプローチしているか.また,最新のオミクス計測技術や解析技術について,マルチオミクス解析を使って得られた知見と,測る前にぜひ知っておきたい技術を紹介する.

トランスオミクス解析とマルチオミクス解析の捉え方

これまで個別分子を対象とした仮説駆動型の生命科学から一変して,ゲノム,エピゲノム,トランスクリプトーム,プロテオーム,メタボロームなどの多階層のオミクス情報を俯瞰的に見たデータ駆動型のマルチオミクス研究が生命科学の主流となりつつある.各オミクスの関係については,単なる1階層のオミクスの寄せ集めではなく,複数の階層間における因果関係をもった相互作用を持つ各レイヤーが平面的な広がりをもちながら,さらに上下の階層間にさまざまなつながりがあるという考え方が主流である.本邦では,黒田真也(東京大学)を中心に「トランスオミクス」という概念で,レイヤー間のつながりやフィードバック機構の解明に関して重きをおいて研究が進められてきた(実験医学2014年5月号 Vol.32 No.8「特集:トランスオミクスで生命の地図を描け!」企画/黒田真也,中山敬一)(概念図1左).広大な地図を一枚一枚つなぎ合わせるというのは,各レイヤーの地図が全く違った世界の地図であるため複雑な解析技術が必要であり,非常に難しい.本特集では,多階層をつないでいくことにはこだわらず,概念としてもう少し広い意味をもつ「マルチオミクス」という言葉を用いて,今後の方向性について議論する.

これからのマルチオミクス解析の1つの捉え方として,それぞれの階層で見えた生命現象の断面をいかに他の階層で見えた断面と繋ぎ合わせ,生命現象の全体像を掴むのかという作業に移行してきている(概念図1右).例えば,ゲノム・エピゲノム階層で捉えた事象(△)と,トランスクリプトーム,プロテオームの階層で捉えた事象(□や○)といった一見繋がりのない事象は,生命現象の本来の姿をある側面から投射した形であり,それぞれを繋ぎ合わせることによって生命現象の本来の姿(三角錐様の図形)が浮かび上がるのだ.このように,最近のマルチオミクス解析は,生命の全体地図を描くという大きな目標を有する一方で,生命現象において鍵となる階層間の相互作用の全体像を把握するために利用するのに適切であることがわかる.最近,エピトランスクリプトーム,リン酸化プロテオーム,メタボロームなど,オミクス階層の修飾情報を網羅的に計測することが可能になってきている他,いくつかの階層では1細胞レベルの解像度で網羅的な情報を取得することが可能になってきており,生命現象をより詳細に投射し全体像を理解することが可能になりつつある.

マルチオミクス研究の実例紹介


高額なオミクス解析の機器を研究室で有してなくとも,学内共同研究施設,学内外の共同研究や外注でより手軽に,多階層のオミクスデータを得られるようになったとはいうものの,膨大なデータを有する多階層の統合的な解析は複雑でいまだに敷居が高いと感じる生命科学者も多いのではないだろうか.本特集では,糖尿病,がん,腸内細菌叢などの生命現象に,どのようにマルチオミクス解析でアプローチしているかをそれぞれ執筆いただいているが,ここではおのおのの概要について簡単に紹介する.

❶糖尿病におけるマルチオミクス

糖尿病や生活習慣病などの病態の克服にはトランスオミクスを介した俯瞰的な代謝制御のネットワークの理解が必須である.肥満における代謝不全は複数の環境因子・遺伝因子がいくつかの代謝制御経路を阻害することで起こることが考えられる.小鍛治らは糖尿病モデルマウスを用いたトランスオミクス解析で得られた大規模な分子群からネットワークを構築し,肥満における代謝異常の分子機構の全貌を解明しつつある1)小鍛治らの稿では,肥満の単層オミクス研究とトランスオミクスの解析基盤の解説と,具体的な,肥満マウスの肝臓を用いた代謝トランスオミクス解析を解説する.

❷がん微小環境とがん悪液質におけるマルチオミクス

がんの病態解明には,がん細胞をとり巻くミクロな腫瘍微小環境ネットワークと,腫瘍,筋肉,肝臓など臓器間をまたぐマクロなネットワークの両方を統合的に解析し理解する必要があると考えられる.そこで,がん微小環境における低酸素・低栄養・低pHなどの過酷な環境で変動するオミクス情報を統合した解析2)は,大澤の稿で,がん悪液質における腫瘍,筋肉,肝臓の臓器間で変動するオミクス情報を統合した解析は,北條らの稿で紹介する.

❸腸内細菌におけるマルチオミクス

近年,がんや生活習慣病などを含むさまざまな病態に腸内細菌叢の関与が報告されている3)石井・福田の稿では,腸内環境の包括的な理解と,腸内細菌叢と腸内細菌叢由来代謝物(メタゲノム-メタボローム)の統合的なメタボロゲノミクス解析から宿主の恒常性維持や疾患発症のメカニズムについて紹介する4)

マルチオミクスの計測技術

膨大なデータを有する多階層オミクス情報の統合的な解析には,各階層におけるデータの質を担保しサンプル間のばらつきをいかに減らして計測するかに尽きる.さらに,得られた多階層の情報,どのように処理し統合的に解析するかが鍵である.本特集では,最新のオミクス計測技術や解析技術における最新の知見の概略を紹介する.

❶最新の計測技術

近年,ゲノム,エピゲノム,トランスクリプトーム,プロテオーム,メタボロームなどの各階層のオミクス情報のうち,エピゲノムやトランスクリプトームのオミクス情報がシングルセルレベルで取得できるようになってきた.その他の階層の情報もシングルセルレベルでの取得は,難しくても微量のサンプルから取得することが可能になりつつある.北條らの稿で,エンハンサー遺伝学についてコラムで概説する5).また,多階層オミクスを計測するにあたり,サンプル間のばらつきを担保するためのひとつの戦略として,同一サンプルからの多階層の情報計測が注目されている.原田・大川の稿では,最近新たな報告があいつぐシングルセルレベルでエピゲノム情報を取得する計測技術について紹介する6)

❷マルチオミクス統合解析

多階層のオミクス情報が取得できても,最終的には階層間をつなぐ方法論が鍵となる.小鍛治らの稿では,既存の各階層をつなぐ解析技術やデータベース(TRANSFAC,HOCOMOCO,KEGG,BRENDA)を解説する1).また,島村らの稿では,多階層のオミクスデータに潜んでいるパターンを明らかにする⽅法として,統計科学や機械学習などで広く⽤いられる⾏列因⼦分解に焦点を当て,マルチオミクス解析で⽤いられる解析⼿法を紹介する.

 おわりに

最近では各階層のオミクス情報をより手軽に取得することができるようになってきた一方,ただ単に複数のオミクスデータを取得してもデータを十分に生かしきれないことも多い.近年の生命科学研究では,ごく当たり前のように使われはじめているマルチオミクス解析であるが,いかにデータの質を担保し,いかにつなぎ合わせ,いかに生命現象を解読するかが鍵である.網羅解析をただ単に用いる研究者は,「仮説が立てられない」頭が悪い研究者であると言いたくなる生命科学者も存在するのも理解できる.しかし,これまで網羅解析に否定的であった生命科学者も,真摯に網羅データと向き合うことで,彼らがこれまで行ってきた研究に,思いがけない方向性を与えてくれる可能性があるのではないかと私は考えている.これまで,先人たちの素晴らしい研究成果で,「セレンディピティ」と表現されてきた「偶然」との遭遇は,マルチオミクス解析の登場により必然的にこれ(「偶然」)に導びかれることになるのだ(これまで生命科学者が仮説を立てるに至らなかった「偶然」との出会いは必然的にマルチオミクス研究から訪れる可能性がある).われわれは,いま生命科学研究における新たなステージへの移行の真っ只中にいる,膨大な情報がすでに存在し,ありとあらゆる仮説を立てることが可能な「謎解き地図」の真んなかに.

文献

  • Kokaji T, et al:bioRxiv, 653758(doi:10.1101/653758), 2019
  • Osawa T, et al:Cell Rep, 29:89-103, 2019
  • Wu GD, et al:Science, 334:105-108, 2011
  • Yachida S, et al:Nat Med, 25:968-976, 2019
  • Hojo MA, et al:Nat Commun, 10:2603, 2019
  • Harada A, et al:Nat Cell Biol, 21:287-296, 2018

著者プロフィール

大澤 毅:2001年英国ロンドン大学キングスカレッジ卒業.’05年英国ロンドン大学(UCL)大学院腫瘍学博士課程修了(’10年腫瘍学博士取得).’06年より東京大学医科学研究所腫瘍抑制分野研究員.’07年より東京医科歯科大学分子腫瘍医学特任助教.’11年より東京大学先端科学技術研究センターシステム生物医学特任助教.’18年より東京大学先端科学技術研究センターニュートリオミクス腫瘍学分野特任准教授.さまざまなオミクスデータを収集,統合し,がん微小環境におけるがん悪性化機構の研究に取り組んでいる.

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マルチオミクスを使って得られた最新知見

糖尿病・がん・腸内細菌研究における実例と解析法

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