実験医学:環境因子と発がん〜喫煙・肥満・アスベストによるがん発生機構からがんの“予防”に挑む
実験医学 2020年7月号 Vol.38 No.11

環境因子と発がん

喫煙・肥満・アスベストによるがん発生機構からがんの“予防”に挑む

  • 戸塚ゆ加里/企画
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概論

がん予防法開発の基盤となる発がん研究の現状と将来展望
Carcinogenesis study as the foundation for cancer prevention strategy: Current status and future prospects

戸塚ゆ加里
Yukari Totsuka:Department of Animal Experimentation, National Cancer Center Research Institute(国立がん研究センター研究所・動物実験部門)

ゲノム解析をはじめとしたオミクス研究の発展等により,がん遺伝子または腫瘍抑制遺伝子への遺伝的あるいは後天的変化が発がんをもたらすことや,その後のがん進展の詳細なメカニズムが広く明かされてきた.最近では,このメカニズムを基盤とした画期的ながん治療法も開発されている.しかしながら,こういった治療法はすべてのがん患者やがん種に効果があるわけではない.そこで,がんの罹患自体を予防し,死亡率を減少させる有効な方法として「がん予防」といった概念が改めて注目されている.がんの発生には遺伝的な素因よりも食習慣・喫煙・特定の化学物質への曝露といった環境要因が大きくかかわることが,疫学的な知見によって明かされてきた.近年では,解析技術の進歩等により,これらの疫学的知見に対する分子メカニズムが明らかにされつつある.本特集では,最近の疫学的知見,環境因子とヒト発がんとの関係およびその分子メカニズムの解明に取り組む最新の研究と,がん予防の科学的・社会的側面の現状について紹介する.

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 はじめに

がんの罹患率および死亡率は国内外ともに年々増えており,近年のわが国におけるがん罹患者数は約100万人,このうち約38万人ががんにより死亡している1).世界中で多くの人々を苦しめるがんの起源を調べてみると,エジプトで発見されたミイラの骨にがんの痕跡が見つかるなど,がんは大昔から存在することがわかったが,この病気が人類にとって脅威となったのは半世紀前くらいのことである.その理由としては,医学の進歩や衛生環境の改善により感染症などの病気が克服され,平均寿命が延びたことが関係している.一般的にがんは歳をとるとその発生リスクが高くなる病気であり,平均寿命が40〜50歳の時代には,がんで亡くなる前に他の病気で亡くなっていたと考えられる.平均寿命が男女ともに70〜80歳となった現代の日本では,一生のうちに2人に1人ががんに罹り,また,3人に1人ががんで亡くなっている.このように,がんは国民が共通して抱える健康問題となっている.近年,これまでの研究成果を基盤としたさまざまな治療法(分子標的薬や免疫療法など)が開発されているものの,残念ながらすべてのがん患者やがん種に効果があるわけではない.そこで,がん罹患および死亡率を激減させるための有効な方法として「がん予防」といった概念が改めて注目されている.

まず,がんを予防するためには,がんの本態(要因)を知る必要がある.これまでの疫学的な研究から,がんの発生には遺伝的素因よりも環境要因が大きくかかわることが指摘されている.図1はハーバード大学の疫学研究に基づいた米国におけるがんの発症要因であるが,タバコと食事が最も大きく,次いで運動不足,職業,ウイルス・細菌など,環境因子ががんのリスク要因として寄与が大きいことがわかる2).すなわち,タバコは吸わず,食事バランスや運動不足解消に心がけ,ウイルス・細菌感染などに気をつけるなどの生活習慣を改善することで,がんの大部分を予防することができる可能性がある.本特集では,がん予防法開発の基盤となる,より具体的ながんの本態解明をめざした,疫学的知見,解析技術の進歩による環境とがんの相互作用の解明や分子メカニズムの解明に関する最新の研究について紹介する.また,がん予防法には,がんの発症そのものを抑える「一次予防」と既に存在するがんを検診で早期発見する「二次予防」という概念があるが,本特集では,発がん研究の成果に基づいたがんの一次予防に注目し,その科学的および社会的な側面と現状について紹介する(概念図).

最近の疫学的知見および大規模データを用いた環境とがんの相互作用の解明

がんの原因究明には疫学研究の功績が大きい.イギリスの外科医ポットは1775年に煙突掃除夫に陰嚢がんの発生が多いことを報告した.狭い煙突内に入り作業していたことや,当時は風呂に入る習慣があまりなかったことなどがあいまって,身体中にすすがこびり付き,がんを発生させるのではないかと考えられた.これが,環境要因とヒトがんの発生を結びつけた最初の疫学研究であると言われている.その後も,喫煙と肺がんなど多くの環境要因とがん発生の関連が疫学研究により指摘されてきた.しかしながら,疫学的に示唆されたヒトがん発生の要因が,科学的なエビデンスによって解明されている例は,非常に少ない.その理由の一つとして,がんリスクとの関連を示す多くの環境要因は,喫煙のような強い疫学的エビデンスを示さないことが考えられる.最近の疫学研究では,こういった問題に対処するため,研究デザインや解析法の改善などに取り組み,疫学的アプローチを進化させている.林・中杤の稿では,その実例をいくつか紹介しつつ,環境要因とがんの関連解明に向けた取り組みについて取り上げている.

一方,疫学的エビデンスにより因果関係が明らかにされたヒトがん発生の要因を,科学的なエビデンスによって検証されている例としては,アスベストによる肺中皮腫,カビ毒であるアフラトキシンB1による肝細胞がん3),中国ハーブに含まれるアリストロキア酸による尿路上皮がん4)などに限られている.アスベストと中皮腫発生に関しては豊國の稿で紹介されている.アフラトキシンB1やアリストロキア酸については,それぞれの化学物質に特徴的な変異パターンに基づいてヒトがん発生と紐づけている().しかしながら,多くの化学物質では,これらの物質のような特徴的な変異パターンがなく,6種類の変異スペクトラム(A:T>G:C,C:G>T:A,A:T>C:G,A:T>T:A,C:G>G:C,C:G>A:T)を用いてヒトがん発生への関与を明らかにすることは困難であった(図2A).近年,次世代シークエンサーによる大規模ゲノム解析が進み,さまざまなヒト腫瘍に蓄積する体細胞変異のパターンに注目が集まっている.おのおのの変異スペクトルの内訳を変異箇所の前後を含んだ周辺配列により分類したもの(4×6×4=96パターン)を変異シグネチャーとよび,がん発生の要因となった環境要因の曝露を反映していることが示唆されている(図2B).ヒト腫瘍には約50種類のsingle base substitution(SBS)シグネチャーが存在することが報告されており(http://cancer.sanger.ac.uk/cosmic/signatures5)がんの発生要因やメカニズムの探索に有用な情報として注目されている.柴田の稿では変異シグネチャー情報を用いた環境発がん機構の解明とそのがん予防研究への応用に関して紹介している.

環境発がんの分子メカニズム研究の実例紹介

前述したように,がんの発生には環境要因が大きくかかわることが疫学的な研究から明らかとなっている.本特集では,これまでの疫学研究により,がんとの関連が示されたいくつかの環境要因に関して,基礎的研究により得られた分子メカニズムの最新知見を執筆いただいている.ここではその概要について紹介する.

❶ アスベストとがん

アスベストによる発がんはいわゆる「異物による発がん」と捉えられ,その詳細なメカニズムやなぜ肺中皮腫を誘発するのかなどは長年明らかにされていなかった.その発がん分子メカニズムとしては,酸化ストレス説,染色体分配障害説,分子吸着説など諸説あるが,最近,鉄に依存的な細胞死であるフェロトーシスが関与することが見出された.また,中皮細胞の貪食性もアスベストによる中皮腫発生に大きく貢献することが示された.さらに,アスベストと同様な物理的形状を示す多層カーボンナノチューブにも発がん性があることが報告された(豊國の稿).

❷ 芳香族アミンと職業がん

職業環境下で特定の化学物質に高濃度かつ長期にわたって曝露した結果,発症するがんを職業がんと定義されている.最近の職業がんの例としては,印刷工場で1,2-ジクロロプロパンなどのハロゲン系炭化水素への高濃度曝露による胆管がん6)や染色工場におけるオルトトルイジンなどの芳香族アミンへの高濃度曝露による膀胱がん3)が知られている.職場環境の改善や従業員の安全対策などが施されている現代においてもなお,発生する可能性があることが大きな問題となっている.本特集では,職業性膀胱がん発症にかかわる芳香族アミンの同定とその発がんメカニズムについて動物モデルを用いて検討した結果を紹介する(鰐渕らの稿).

❸ 腸内細菌とがん

ヒト生体内には数千種類の常在菌が生息しており,これら常在菌はヒトのさまざまな疾病発症に深くかかわっていることが知られている7)~9).例えば,腸内細菌叢と肝がん,大腸がんの発生や,口腔内細菌叢による頭頸部がん発生など多くの報告がある.そのメカニズムの多くは腸内細菌叢による生体内代謝産物の変化や炎症反応を介したものであるが,本特集では,ある種の腸内細菌が産生する毒素(コリバクチン)に着目し,コリバクチンのDNA損傷性および遺伝毒性を介した大腸発がんとの関係を検討した結果について紹介する(川西らの稿).

❹ 肥満とがん

肥満はがんを含む生活習慣病のリスク要因として知られている.そのメカニズムとして,肥満状態下における耐糖能異常,脂質代謝異常などのメタボリックシンドロームを介したものや慢性炎症の惹起,腸内細菌叢の変化などが報告されている.本特集では,その多岐にわたる肥満とがんの背景メカニズムについて紹介する(中江の稿).さらに,遺伝的背景の差異により東アジア人においては肥満状態を介さず発症する生活習慣病の存在も知られている.中江の稿では,食事栄養成分の操作による東アジア型生活習慣病モデル(内因性肝発がんモデル)の開発とその発がんメカニズムについても併せて紹介する.

がん予防法確立に関する社会的な側面

ここまでで紹介したように,ヒト発がんに関与する物質やその発がんメカニズムが解明されれば,その知見を社会に生かし,がんの罹患率・死亡率を低下させることが可能になる.そこで,本特集の武藤らの稿では,発がん研究の成果に基づいたがんの一次予防に注目し,その科学的および社会的な側面と現状について紹介する.がんの一次予防における成功例をあげるとすれば禁煙活動である.喫煙率を下げることで,喫煙に由来する肺がんなどの罹患率や死亡率の低下が各国から報告されている.一方で,これまでの発がん研究により解明された分子メカニズムをターゲットとしたがん予防法に関しては,多くの研究が報告されているが,そのほとんどが前臨床試験止まりとなっている.言い換えると,まだがんを発症していない被験者を用いて予防効果を検証する「がん予防法研究」は,がんの患者さんを対象とした「がん治療法研究」よりも実施するのが難しい背景があるからである.このような問題点を克服すべく,最近,疫学的・臨床的エビデンスからがん発症の高リスク群を層別化し,こういった予備軍を被験者としてがん予防法の有効性検証試験が実施されている.がん予防研究の基礎的研究と家族性大腸腺腫症を対象としたアスピリンの臨床介入試験の実態などの詳細は武藤らの稿で紹介する.

 おわりに

近年,国内外において高齢化が進み,それに伴いがんの罹患および死亡率が増加している.画期的な新規治療法をもってしても,すべてのがんの制圧は難しい.そこで,がんにならないようにする「がん予防」という概念は,がん罹患および死亡率を激減させるための有効な方法である.これまでの疫学的な研究により,がんは遺伝的な素因よりも環境要因が大きく寄与していることが解明されており,生活習慣を改善することで少なからず予防することが可能な病気である.しかしながら,これまでに科学的なエビデンスによりヒトがんの発生と紐付いた具体的な環境要因は非常に少ない.また,発がん研究より見出された分子メカニズムをターゲットとしたがん予防法の開発は,残念ながらまだほとんどなされていない.

発がん研究は歴史が深く,ともすればとても古臭い研究のように感じられる方も多いと思うが,近年の解析技術の進歩などにより,これまでの研究では明らかにすることが困難であった,ヒトがんと環境要因の相互関係の解明ができるようになったばかりである.さらに,がん予防法の開発に関しても,取り掛かるべきことはたくさんある.本研究分野がさらに活性化され,得られた成果に基づいたがん予防研究が大いに発展することを期待する.

文献

  • がんの統計, 国立がん研究センター, 2019(https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/short_pred.html
  • Cancer Causes Control, 7 Suppl 1:S3-59, 1996
  • IARC Monographs on the Evaluation of Carcinogenic Risks to Humans Volume 100F「Chemical Agents and Related Occupations」, IARC, 2013
  • Grollman AP:Environ Mol Mutagen, 54:1-7, 2013
  • Alexandrov LB, et al:Nature, 578:94-101, 2020
  • Kumagai S, et al:Occup Environ Med, 70:508-510, 2013
  • Yu LX & Schwabe RF:Nat Rev Gastroenterol Hepatol, 14:527-539, 2017
  • Song M, et al:Gastroenterology, 158:322-340, 2020
  • La Rosa GRM, et al:Oncol Lett, 19:3045-3058, 2020

著者プロフィール

戸塚ゆ加里:国立研究開発法人 国立がん研究センター研究所 動物実験部門 ユニット長.1991年日本大学理工学部薬学科卒業,’93年明治薬科大学大学院修士課程修了.’99年薬学博士号取得.(財)がん研究振興財団 リサーチレジデントなどを経て,2003年国立がんセンター研究所研究員,’08年同センター室長,’10年ユニット長となり現在に至る.新規の発がん要因の探索と,ヒト発がんへの関与に関する研究の一端としてDNA付加体に注目し,長年研究してきた.最近は,DNA付加体の網羅的解析と次世代シークエンサーによる体細胞変異の網羅的解析を統合したヒト発がん要因の探索とリスク評価に関する研究に取り組んでいる.

研究と恋愛は同じ

これは,私が大学院生だった頃に教授から言われた言葉である.つまり,誰かを好きになると,その人のことをあらゆる側面から観察し,のめり込み,夢中になる.研究ともそういう関係を築けるとよいとのことである.私が長年取り組んでいる化学発がん研究は,日本では偉大な先駆者も多く伝統的な研究であるが,最近では若者の新規参入が減少傾向にある.従来の発がん研究は新規の変異原物質を同定することからはじまり,次にその物質の変異原性誘発メカニズムの解明や発がん性の有無などを調べてゆく手法が常法であった.しかしながら,新規化学物質のヒト発がんへの関与については,従来のストラテジーでは解決できない問題も多く存在している.このような背景から,発がん研究への限界を感じ,魅力を感じられなくなったのかもしれない.ところが,次世代シークエンサーから得られたゲノム変異データの応用で環境因子とヒト発がんとの関係が解明されつつあるように,さまざまな新技術や概念,異分野との融合により,今まさに発がん・予防研究の変革のときを迎えており,取り組むべき研究課題は多く残されている.本特集が若い研究者の心を揺さぶり,新しい発がん・予防研究と恋愛関係を築いてくれることを願う.(戸塚ゆ加里)

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