実験医学:特集1:腸内ウイルス叢と新世代のファージ療法/特集2:ゲノム倍数性とがんの関係がみえてきた
実験医学 2025年10月号 Vol.43 No.16

特集1:腸内ウイルス叢と新世代のファージ療法/特集2:ゲノム倍数性とがんの関係がみえてきた

  • 藤本康介,上原亮太/編
  • 2025年09月19日発行
  • B5判
  • 128ページ
  • ISBN 978-4-7581-2596-3
  • 2,530(本体2,300円+税)
  • 在庫:あり

概論

特集1 概論

常在ウイルス叢解析からファージ療法の実用化に向けて
From analyzing the resident virome to realizing phage therapy

藤本康介
Kosuke Fujimoto:大阪大学微生物病研究所感染機構研究部門微生物制御学分野/大阪公立大学大学院医学研究科ゲノム免疫学/東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センターメタゲノム医学分野

次世代シークエンサーによるゲノム解析技術の向上によりメタゲノムデータの蓄積が進むとともに,疾患と共生病原菌との関連性が明らかになってきた.私たちと共生している常在ウイルスの大部分はヒトの細胞に感染するウイルスではなく,細菌に感染するバクテリオファージ(ファージ)である.常在ウイルス叢の解析は非常に難しく,これまで「viral dark matter」としてその困難さが形容されてきた.その一方で,薬剤耐性菌の増加を背景に,ファージによって病原菌を制御するファージ療法(ファージセラピー)への期待が高まっている.本特集では,常在ウイルス叢をより深く理解するとともに,将来的なファージ療法の実用化をめざしてさまざまな視点から解説する.本特集を通じて,多くの方がファージ療法の現状を知り,なぜ今この技術が必要とされているのかを深く考えるきっかけになることを強く望む.

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 はじめに

私たちヒトが多くのウイルスと共生していることを知っているだろうか? 新型コロナウイルス感染症によるパンデミックを経験したことで,さまざまな人がウイルスに対する知識をもつようになったが,それはSARS-CoV-2やインフルエンザウイルスなど私たちの細胞に感染するウイルスに限局したものである.体表面および消化管を代表とする粘膜面には常在微生物叢が形成されており,細菌・ウイルス・真菌・古細菌などが共生している.常在ウイルスの大部分は細菌を宿主とするバクテリオファージ(ファージ)であり,私たちの細胞には感染しないウイルスである.ファージのライフサイクルは溶菌サイクルと溶原サイクルの2種類に大別される.溶菌サイクルの場合,ファージは宿主細菌の表面に取り付くと,そのゲノムを細菌内に送り込み,細菌の細胞機構を利用してファージのゲノムやタンパク質を複製・翻訳させ,多くのファージが合成される.ファージは細菌の細胞壁を破壊するエンドライシンなどの溶菌酵素をもっており,これによって新たなファージが細菌から飛び出し,宿主細菌は破壊される(概念図).溶原サイクルの場合は,注入されたファージのゲノムが細菌ゲノム中に組み込まれプロファージとなる.細菌がストレスを受けるとプロファージは細菌ゲノムから切り出され溶菌サイクルに移行する.

ファージが発見された当時は抗菌薬がまだ開発されておらず,ファージを用いて治療をするファージ療法が細菌感染症を克服するための有益なツールになると強く期待されていた.しかし,1928年にペニシリンが発見され抗菌薬開発が進むと,殺菌効果だけでなく製造・輸送・保管などの面でメリットの多い抗菌薬治療が普及した.製薬企業がこぞって抗菌薬開発を行い,さまざまな種類の抗菌薬を治療に使えるようになったことで多くの細菌感染症の克服につながる一方で,1970年代から薬剤耐性菌が顕在化し,新たな医療問題となっている.新たな抗菌薬開発は頭打ちの状況であり,薬剤耐性菌によるサイレントパンデミックが広がっている.このまま薬剤耐性菌への対策をとらない場合は,2050年には薬剤耐性菌関連での死亡者数は世界中で年間約1,000万人にも達すると見込まれており1),薬剤耐性菌に対する対応は急務である.

そこで,昨今世界中で注目されているのがファージ療法である.現在でもロシア,ジョージア,ポーランドなどの国々では街中のドラッグストアでもファージ製剤を購入することが可能で,ファージ療法が人々の生活に強く根付いている.他の国々ではファージ療法は標準治療として使われていないが,特にパターソン症例により有名となったファージ療法は世界中の感染症治療に新しい変革をもたらすきっかけとなった2).日本国内でも2020年8月3日に日本ファージセラピー研究会3)が発足し,ファージ療法の社会実装をめざした活動が精力的に進められている.また,閣僚会議においても「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン(2023-2027)」のなかでファージ療法に関して明記されており,今後の実用化が強く期待されている.本特集では,腸内ウイルス叢解析とファージ療法に関する最新の知見を紹介するとともに,ファージ療法の社会実装に向けた取り組みについて議論する(概念図).

ファージの歴史

1896年,Ernest Hankinはインドのガンジス川の水に,細菌,特にコレラ菌を殺す「何か」が含まれていると報告した.1915年,Frederick Twortは黄色ブドウ球菌を変化させ破壊する微小な「何か」を発見し,それが細菌に依存して増殖する未知の因子であると考えた.1917年にはFélix d’Hérelleが赤痢菌を溶菌する「何か」を見つけ,それを「バクテリオファージ」と命名した.d’Hérelleはさらに,ファージを用いて細菌感染症を治療する「ファージ療法」を提唱し,ヒトへの赤痢やコレラ,動物の感染症にも応用した.その後,d’HérelleはPasteur InstituteにおいてGiorgi Eliavaと出会い,1923年から1936年にかけてソビエト連邦の支援を受け,ジョージア(旧グルジア)・トビリシに複数の研究施設を設立した.そのなかのEliava Instituteはファージ研究の中心となり,現在に至るまで「ファージのメッカ」として稼働し続けている.しかし1928年にペニシリンが発見され抗菌薬として実用化されると,西側諸国ではファージ療法は次第に廃れていった.一方,冷戦時代のソ連では抗生物質の供給が限定されていたため,感染症対策としてファージ療法が維持・発展した.現在もロシア,ジョージア,ポーランドではファージカクテルが製剤化され,感染症治療の一手段として使われている.近年,抗生物質の乱用による多剤耐性菌の出現が世界的問題となっており,古くて新しい治療法としてファージ療法への再注目が進んでいる.次世代シークエンサーの発達により,培養困難だった細菌を宿主とするファージの全ゲノム解析が可能になった.しかし,従来ファージ研究は電子顕微鏡による形態観察を基盤としていたため,リファレンスゲノム整備は世界的に遅れていた.そのため,既存のファージゲノムデータベースとの相同性解析では,多くが未知ファージとして検出された.この現象は「viral dark matter(ウイルスの暗黒物質)」と言われてきた4)

ファージのゲノム解析

ファージは古典的には宿主細菌を培養し,環境水などから単離することでその研究が行われてきた.そのため,例えば大腸菌や黄色ブドウ球菌など,比較的培養が簡単な細菌については,多くのファージが単離され,その情報が蓄積されている.一方で,腸管内の常在細菌のように,そもそも培養ができない,また培養ができたとしてもファージの単離が難しい細菌については,技術的にファージ研究をすることが困難であった.

その状況を打破するためにショットガンメタゲノム解析がファージ研究に導入され,培養困難なファージの遺伝子配列が大量に発見されるようになった〔ファージのシークエンスについては,『達人直伝 マイクロバイオーム研究実践プロトコール』(羊土社,2025)を参照〕.メタゲノム解析技術の向上により,ファージの分類手法が急速に高度化し,新たな知見が次々に報告されるようになった.本特集の最初に紹介する佐藤らの稿では,バイオインフォマティクスによるファージの解析手法を概説するとともに,AIや深層学習を用いた最新のファージゲノム解析技術についても紹介する.

ヒト腸内ファージ解析

これまで腸内微生物領域では主に腸内細菌解析が主流であった.しかし,バイオインフォマティクスの進歩により,ヒト腸内ウイルスの探索が飛躍的に進んだ.常在する腸内ウイルスの大部分は,ノロウイルスやロタウイルスのように私たちの細胞に感染するウイルスではなく,腸内細菌を宿主とするファージである.腸内細菌解析が進むにつれて,腸内ファージに対する関心が高まり,多くの研究者が「viral dark matter」の解明に挑戦し,日本人の腸内ファージの様相,そして疾患との関連が近年明らかとなってきた.植松未帆・植松智の稿では,日本人健常者の腸内ファージコミュニティについて概説するとともに,池田らの稿では自己免疫疾患患者を対象としたヒト腸内ファージ解析について最新の知見を踏まえながら概説する.

ファージ療法の社会実装に向けて

ファージ療法の社会実装には,いくつかの戦略がある.1つ目の戦略は,環境中から標的菌に対するファージを単離し,それを用いる方法(いわゆる古典的なファージ療法)である.ファージそのものをファージ療法に用いる場合は,宿主細菌の耐性化を防ぐために少なくとも3種類のファージを混合したカクテル製剤を用いることが推奨されている.研究目的でのファージカクテルは多くの研究者がこれまで作製してきたが,国内で臨床用に使用できるファージ製剤の開発には至っていない.中本・金井の稿では,原発性硬化性胆管炎の腸内共生病原菌であるKlebsiella属細菌に対するファージカクテル製剤の開発およびその実用化に向けた研究について概説する.2つ目の戦略としては,改変型ファージを用いる方法である.環境中から単離したファージについて改変を加えることで,溶菌活性を強めたり,宿主域を変化させたり,生体内での安定性を変化させたりすることが可能となる.坂本らの稿では合成生物学の手法を用いた改変ファージ作製法について概説するとともに,氣駕らの稿では,病原細菌のみを選択的に除去し,健常な細菌叢を維持できる遺伝子標的型ファージ療法について概説する.3つ目の戦略としては,ファージ由来の溶菌酵素を抗菌薬のように利用する方法である.ファージは宿主細菌に感染した後増殖し,最終的には宿主細菌の細胞壁を溶解して宿主細菌を破壊する.宿主細菌の細胞壁の構成成分を溶解するエンドライシンなどの溶菌酵素をファージは有しており,メタゲノム解析からその溶菌酵素配列を取得することで宿主特異的な溶菌酵素を製剤化することが可能となる.宮岡・植松智の稿ではエンドライシンを用いた次世代ファージ療法について概説する.

一方,ファージ療法の社会実装に向けては,研究だけでなく企業との協業が必要不可欠である.坂本らの稿では,国内外でのファージ療法の臨床開発動向についても紹介し,国内でのファージ療法の実現に向けた問題点について概説する.

 おわりに

「viral dark matter」の解明に挑戦する研究者たちの尽力により,腸内ウイルス叢と健康・疾患との関係性が徐々に明らかになってきている.ファージが疾患のバイオマーカーや治療標的となる可能性に期待が高まっているとともに,腸内ファージの探索は新たなファージ療法の開発に欠かせないものである.

世界では企業によるさまざまなファージ療法の治験(承認申請を目的とした臨床試験)が進んでいるが,日本において,ファージ療法推進のインフラは整備されているとは到底言えない状況である.そのため,ファージ療法の社会実装という点では,世界各国に大幅な遅れをとっている.しかし,ファージ療法は将来的な耐性菌問題を解決しうる手法として非常に有望であることは間違いない.産官学がうまく協調し,ファージ療法の実用化に向けた基盤を整備することが重要ではないだろうか.私たちファージ研究者が中心となり,ファージ療法の社会実装の実現を必ずや成し遂げたい.

ファージ療法の今後を探る

ファージは,特定の細菌に感染するウイルスであり,その宿主特異性は抗菌薬にはない大きな利点である.この特性により,ファージは病原菌をピンポイントで攻撃し,常在細菌叢などの有益な微生物への影響を最小限に抑えることができる.ファージ療法の実用化に向けては,臨床試験の実施,規制の整備,ファージ耐性の問題への対応など,いくつかの課題が存在する.特にファージ耐性菌の出現は,治療の効果を低減させる可能性があるため,耐性メカニズムの解明と耐性化の抑制策が重要である.しかし,ファージ療法は個別化医療や予防医療,さらにはがんや免疫疾患の治療にも応用可能であり,医療の未来を切り開く可能性を秘めている.例えば,改変ファージや溶菌酵素(エンドライシン)を利用した研究が進んでおり,これらの技術は治療の精度と安全性を高めることが期待されている.日本がファージ療法の研究と実用化において世界をリードするためには,国家的な支援と国際的な連携が不可欠である.今後の研究成果と社会的認知の拡大により,ファージ療法は感染症治療の新たな選択肢として,広く普及することが期待される.これにより,抗菌薬耐性菌の問題に対する有効な対策が講じられ,医療の質の向上と公衆衛生の改善が実現されるだろう.(藤本康介)

文献

参考図書

  • 「達人直伝 マイクロバイオーム研究実践プロトコール」(服部正平/編),羊土社(2025)
  • 「改訂版 もっとよくわかる!腸内細菌叢」(福田真嗣/編),羊土社(2022)

本記事のDOI:10.18958/7801-00001-0006133-00

著者プロフィール

藤本康介:2010年大阪大学医学部医学科卒業.’17年大阪大学大学院医学系研究科博士課程修了,博士(医学).’25年8月より大阪大学微生物病研究所教授.臨床では自己免疫疾患(膠原病・リウマチ)が専門.現在は,メタゲノム解析を基盤として,常在微生物が関与するさまざまな疾患の新規制御法の開発をめざしている.特にファージ療法の実用化に注力している.

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