実験医学:特集1:エクサカイン 運動と健康をつなぐ分泌因子/特集2:次世代の次世代シークエンス技術
実験医学 2025年12月号 Vol.43 No.19

特集1:エクサカイン 運動と健康をつなぐ分泌因子/特集2:次世代の次世代シークエンス技術

  • 楠山譲二,鈴木 穣/編
  • 2025年11月20日発行
  • B5判
  • 132ページ
  • ISBN 978-4-7581-2598-7
  • 2,530(本体2,300円+税)
  • 在庫:あり

概論

特集1 概論

エクサカイン 運動と健康をつなぐ分泌因子
Multiple benefits of exerkine in exercise phyiology

楠山譲二
Joji Kusuyama:東京科学大学大学院医歯学総合研究科生体情報継承学分野

運動は,複数の組織間におけるクロストークを引き起こす強力な生理的刺激であり,規則的にくり返される(すなわちトレーニングされる)ことで多くの臓器に作用し,疾病リスクを低減させる.これまで,運動による生理的能力の向上や健康の増進効果と,それを説明する詳細な運動誘導性シグナルとの間には大きなギャップが存在してきた.本特集では,運動の多面的効果の源泉を説明しうる概念として注目されているエクサカインについて成果を挙げている研究者に,運動で分泌されるエクサカインによる多臓器連関ネットワークと,運動研究の重要トピックスを概説してもらい,エクサカイン研究のこれまでとこれからを展望することで,運動科学・運動医学の進展を期待する.

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キーワード エクサカイン,MoTrPAC,骨格筋,骨,脂肪組織,胎盤,臓器間コミュニケーション

 はじめに

おそらくほとんどすべての人々が,運動が非常に重要な生活習慣であることをさまざまなレベルでご存じであろう.多くの臨床研究・疫学研究が,運動は心血管疾患,肥満,2型糖尿病,認知機能低下,多くのがんといった慢性疾患の予防および治療においてきわめて重要であり,同時に免疫機能の強化,健康寿命の延伸,長寿およびレジリエンス(回復力)の向上に寄与することを示している1).また運動をすることのできない状態,すなわち身体的な不活動は死亡率の上昇2)や経済的負担の増加3)に強く関連している.COVID-19のパンデミックは,健康における運動の重要性を浮き彫りにし,それが公衆衛生上の脅威であることを見せつけた.COVID-19の感染を防ぐために行った外出制限による身体活動量の減少,隔離期間中の座位行動の増加が,結果的にはさまざまな疾病に対する甚大な悪影響を及ぼしていたことがわかっている4)

運動はわれわれにとって非常に身近な活動であり,読者の皆さんは今この瞬間にも何らかの運動をすることができる.しかし運動の実態は,細胞レベルから全身レベルに至るまで多くの組織・臓器が協調的に活性化される一連の生理プロセスの統合である.生物のもつ生理的システムを構成要素に分解する手法は,多くの生化学反応の解明には有用であったが,ことさら,運動生物学においては限界が大きい.なぜなら,運動動作の発端,運動刺激の全身への波及,運動効果としての帰結といった,運動のもたらす生物学的様相はきわめて複雑であり,運動で生じる個々の要素を研究するだけでは十分な説明ができないからである.

これまでの運動研究は骨格筋が何よりの主役であり,運動の全身に対する影響はあくまでも副次的な反応の結果としてみなされてきた.運動による骨格筋の収縮は,筋細胞の代謝活動を増大させるため,エネルギーと酸素を強く要求する.そのため循環器系,呼吸器系,神経系,内分泌系といった多くの臓器群は,身体活動を担う骨格筋機能を維持するという目的を達成する必要性に迫られ,結果として多階層な運動応答が生じているという認識だったのである.

しかし分子生物学的知見と技術の進展により,運動時における生体反応の多様性と複雑性に対する理解が大きく進展した.運動時の生理反応は,骨格筋を頂点とする目的達成型の命令指揮系統ではなく,骨格筋,脂肪組織,肝臓,膵臓,骨,脳などといった多臓器がコミュニケーションを行ったホメオスタシス過程の総体であるという新しい考え方である.運動研究が「骨格筋中心的」な世界から脱却したのである.

エクサカイン:運動効果を仲介する液性因子

それでは運動時の臓器間コミュニケーションは一体何によって担われているのだろうか.60年以上前にはすでに,骨格筋細胞が運動中のグルコース恒常性の維持に寄与する「液性」因子を有しているということは提唱されていた5).そして2016年にはじめて,運動誘発性の体液性因子(タンパク質,メタボライト,DNA,mRNA,microRNA,エクソソーム)が内分泌性の作用を通じて全身に恩恵をもたらすという概念のもと,運動(Exercise)の際に全身から運動効果を仲介する体液性因子(Cytokine)としてエクサカイン(Exerkine)という用語が提唱された6).この概念は収縮する骨格筋が内分泌器官のように機能して,サイトカインを放出するという報告7)8)を,全臓器へと拡張したものであり,運動という生理機能が骨格筋から解き放たれたエポックメイキングの象徴でもある.エクサカインの概念自体は決して新しいものではなく,代表的な例である乳酸は,骨格筋からの分泌が100年以上前に発見されており,全身との機能連関が想定されていた9).本特集では,「エクサカイン」を運動に応答して全身の臓器から放出され,内分泌・傍分泌・自己分泌経路を通じて作用する生理活性物質の総称と定義する().

骨格筋は体重の約3分の1を占めているのに加え,運動における骨格筋の重要な役割は言うまでもなく,当初はエクサカイン≒骨格筋由来サイトカイン(マイオカイン)という考え方が続いていた.しかしその後,全身における包括的なエクサカイン研究が進展し,心臓(カーディオカイン),肝臓(ヘパトカイン),白色脂肪組織(アディポカイン),褐色脂肪組織(バットカイン),骨組織(オステオカイン),神経系(ニューロカイン),胎盤(プラセントカイン)といった,全身の臓器由来の運動惹起性体液性因子としての定義が根付いてきている.エクサカインは運動を発端とする遠隔臓器ネットワークを制御するだけでなく,自己分泌的効果(分泌した細胞自身への作用)や傍分泌的効果(隣接する細胞への作用)を示すことも報告されている.

本邦においてもエクサカイン研究は盛り上がりを見せており,脂肪細胞(髙栁・高橋の稿),骨(日浅・松本の稿),骨格筋(津島らの稿,山田・奥津の稿),胎盤(楠山の稿)といったさまざまな臓器がエクサカインを分泌することで,運動の多面的便益性に複合的に寄与している様相が徐々に明らかとなってきている.本特集ではこれらの臓器別のエクサカインについての概説と機能解明における知見を解説する(概念図).また運動を生物学的に理解する根幹として,骨格筋はなお重要な臓器であり,運動時の骨格筋における変化の様相に関する最新の成果(木戸の稿)についても紹介する.

MoTrPAC:運動の分子地図描出への挑戦

エクサカインは,臓器間および全身レベルでの情報伝達・協調における中心的メディエーターとして,運動に伴う生理的変化や健康効果を説明する重要因子である.しかしエクサカイン研究の一般化や臨床応用を進めるためには,依然として多くの課題が残されている.なかでも大きな問題点の1つが,種差や環境,個体差といった研究間のばらつきである.

これまでの運動研究の大部分は,遺伝的に均一な動物モデルや少数のヒト被験者を対象とした研究に限られてきた.しかし身体的な構造差異から,運動刺激に対する生理的応答は,ヒトと動物モデルとの間で大きな違いが生じる.さらに運動で生じる現象には多様性があり,その原因は運動効果を修飾する多くの外的要因および内的要因に起因している.

外的要因としては,運動の背景にある情報が重要である.すなわち,概日リズムを考慮した運動のタイミング,摂食・絶食状態,運動後の食事組成といった因子が影響を及ぼす可能性がある.このような運動効果の多様性に関する指摘として,例えばマウスのトレッドミル運動の単回負荷後における複数組織での時間依存的な遺伝子発現変化を示すアトラスが報告されている10).外的要因を十分に考慮するためには,運動曝露の条件を厳密に設定し,温度や光,湿度といった環境要因を制御したうえで,運動前・運動中・運動後における血液および組織の連続サンプリングを行う必要がある.このレベルの厳密な実験を行うことで,エクサカインの時間的変化を正確に記録することができる.

一方,内的要因としては,遺伝的背景が運動応答においてきわめて重要な役割を果たす.例えば,HERITAGE(Health,Risk Factors,Exercise Training and Genetics)ファミリースタディにおける報告では,有酸素能力の応答における最大遺伝率推定値は約47%であることが示された11).また興味深いことに約20%の被験者では有酸素能力の向上が全くみられない「非応答者(non-responders)」が存在しており,7〜15%の被験者では収縮期血圧やHDLコレステロール,トリグリセリド,インスリンの空腹時レベルが悪化するという「逆応答(adverse response)」を示す者もいた.このように運動における多様な応答メカニズムを解明することは,運動効果の精密性を担保するうえできわめて重要である.

こうしたギャップを埋め,運動の分子地図を作成することを目的として設立されたのが, NIH(米国国立衛生研究所)による大型運動研究開発Molecular Transducers of Physical Activity Consortium(MoTrPAC)である12).このコンソーシアムはさまざまな年齢や体力レベルにおいて,急性および慢性の運動が複数組織に及ぼす全身的な影響をマルチオミクス解析とバイオインフォマティクス解析によって解明し,運動の分子地図である公的データベースを整備しようとするプロジェクトである.米国全土で複数拠点の協力体制を敷き,その枠組みには,前臨床動物研究サイトや臨床運動サイト(運動試験・介入・生体試料収集),試料収集・分配・物流を管理するコンソーシアム調整センター,収集試料からオミクス解析を行う化学解析サイト,データの品質管理・解析・公開を行うバイオインフォマティクスセンターが含まれている.筆者は留学中,MoTrPACにおけるラットの急性運動モデルにおける解析に携わり,運動効果の深淵を明らかにするために何が必要かを体感した(コラムを参照).

ヒト研究における特徴としては,約2,280名という大規模な被験者数,座位生活者を対象に12週間の有酸素運動群,12週間のレジスタント運動群,および対照群(運動なし)を設定してさらに高活動者群(持久的または筋力系運動)と比較する介入設計,筋肉および脂肪組織,血清中代謝物の時間経過解析があげられる.

動物実験では約800匹のラットを用い,急性運動(1回のトレッドミル運動)および慢性運動(8週間)後の,複数臓器・複数時点にわたる生体試料の詳細解析を行う点が特徴である.これには,ヒトでは再現が困難な若齢(6カ月)および老齢(18カ月)の雄・雌ラットを含んでいる.

MoTrPACにおける解析データはすでに順次公開されており13),脂肪組織における性差14),ミトコンドリア機能15),エピゲノム改変16)といった内容が国際一流誌に報告されている.運動研究,エクサカイン研究の最前線を知るにあたり,ぜひ参照いただきたい.

ビッグデータの裏ではネズミとポスドクが走っている

私が運動研究の世界に足を踏み入れたきっかけは,Joslin Diabetes CenterのGoodyearラボへの留学でした.当時,ラボではMoTrPACにおけるラットの急性運動実験が主要プロジェクトの1つとして進行中で,ラボメンバー全員が一丸となって実験に勤しみました(写真.中央が筆者).MoTrPACは,多臓器にわたるマルチオミクス解析を駆使した壮大なプロジェクトですが,実際にその現場に携わった者としては,これを支えるサンプル回収の苦労について語らずにはいられません.ラットをトレッドミルで運動させ,運動後の7つの経過時間ごとに,20種類の臓器を決められた順序と時間内に剖出していく.ラットには雌雄や8週齢・18週齢といった群(N=30)があり,さらに概日リズムを考慮して各タイムポイントで非運動対照群も準備すると……どれだけの作業になるかご想像つきますでしょうか.もしMoTrPACのデータを利用されることがあれば,本号をお読みの皆様には,あの過酷な実験を黙々とやり遂げたポスドクたちの奮闘に,ほんの少しでも思いを馳せていただけたら嬉しく思います.私自身,MoTrPACの経験を通じて強く実感したのは,「網羅的解析の基盤となるサンプル収集の精緻さ」の重要性です.サンプルの質は,必ずデータの質として跳ね返ってきます.近年,ヒトサンプルを用いたオミクス解析の発展がめざましく,齧歯類研究の意義が問われています.私は,サンプル条件を厳密に規定したin vivo実験こそが,ヒト生物医学への確かな橋渡しになると信じ,今日もマウスを走らせています.(楠山譲二)

運動模倣薬:エクサカイン研究のゆくえ

運動研究における究極的な目標の1つとして,常に「運動の効果を模倣する遺伝子操作や経口化合物の同定」があげられており,長年にわたり追求されながらもいまだ達成されていない医療上の目標であるとさえ言及されてきた17).運動による健康増進効果のエビデンスが蓄積されるにつれ,より一層,いわゆる「運動模倣薬」への期待は高まる.

身体を動かさずに運動の恩恵を得る「運動模倣薬」の概念は大衆的には大きな魅力をもつものの,エクサカイン研究の進展はむしろ,そのような試みが失敗に終わる可能性が高いことを示唆する.運動は,無数の細胞・組織・臓器に広範な変化を引き起こし,エクサカインによるシグナルサーキットを通じて,多様な健康促進効果をもたらす.その複雑かつ多面的な応答と適応を単一の薬理学的アプローチで模倣することはきわめて困難であると言える.より現実的な目標は,エクサカイン解析を通じて各臓器系で運動によって活性化される分子経路を深く理解し,薬理学的に限定的な部分のみを模倣できる組織特異的標的を特定することであろう.しかし逆説的ではあるが,そのようなエクサカイン研究の進展は,結局は運動こそが人々の健康と幸福を担いうる最良の「ポリピル」である18)という結論を決定づける重要なエビデンスの蓄積につながると考えられる.

 おわりに

なぜ運動をするとエクサカインが放出され,多臓器間コミュニケーションが誘導されるのだろうか.エクサカインで誘導される多くのシグナル経路は決して直線的ではなく,クロストーク,フィードバック調節,一過性の活性化を伴う複雑なネットワークを形成しており,ホメオスタシスを前提とした運動がもたらす全身への劇的な変化を予想させる.

運動の最も大きな強みは,安易で安価で安全な,今すぐにできる生活的実践である.結局,人々が身体的に活動的なライフスタイルを採用し維持・習慣化するよう動機づけにつながる方法を見つけることの方が,薬理学的治療を探すよりも,個人・集団レベルの健康に与える影響ははるかに大きい.エクサカイン研究は学際的プロジェクトとして橋渡し研究に寄与することによって,その多大なるインパクトを広く社会に還元するものと期待される.

文献

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本記事のDOI:10.18958/7833-00001-0006187-00

著者プロフィール

楠山譲二:東京科学大学大学院医歯学総合研究科生体情報継承学分野・テニュアトラック准教授(分野長).2009年,鹿児島大学歯学部卒業.’14年,鹿児島大学大学院医歯学総合研究科修了.博士(歯学).鹿児島大学口腔病理解析学分野・助教,鹿児島大学口腔生化学分野・助教,Harvard Medical School, Joslin Diabetes Center・研究員,東北大学学際科学フロンティア研究所・助教を経て,’22年より現職.胎盤を情報伝達器官と定義することで,両親の生活習慣の次世代伝播機構について研究を進めています.

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