タイプ①:論文を書かない研究者
タイプ①の研究者たちはさまざまなメンタルハードルを抱えている.例えば英語が苦手だと感じていたりする.あるいは論理立てて物事を説明するトレーニングを受けてこなかったせいで,そもそも自分の研究を構造的に説明する方法を知らない.または,自分のサイエンスの世界をつくり上げるのは得意だが,批判を受けるのが怖いと感じているのかもしれない.これらから抜け出すには今回説明するテクニックが必要である.ただし,きわめて優秀で素晴らしい研究をされている研究者の中にもタイプ①はたくさんいる(企業など,研究環境によっては論文を書くことが求められない場合もある).
タイプ②:論文を書くのが下手な研究者
タイプ②の研究者たちは,タイプ①に似ているが,平たく言って第三者との共感性に乏しかったり,科学コミュニティの中で被膜のようなものが張られていて独りよがりになっていることが多い.彼女・彼らはピア・レビューによる批判やフィードバックにびびっていたり(多くの学生はそうかもしれない),レビュアーのコメントを不当だと感じて怒ってしまったりするタイプが多いと思う.このような研究者にもここで説明する考え方やテクニックが役立つと思う.もちろん,素晴らしい科学をつくりだし,良い論文を書くタイプ③であっても,レビュアーの評価が良くなかったときに,それはレビュアーが自分たちを理解できないせいだと感じる人たちも見る(誰とは言わないが).それはもう,それで上手く行っているのだから良いと思うし,私が口を出すことでもないと思う.ここで私が言っているのは,自分自身と自分の取り巻きによる評価に暗示を掛けられて,自分はなぜかなかなか上手くいかないと信じてしまっているちびっちょタイプである(ちびっちょの定義は第2回).人間は弱い.ちびっちょは本当に多いし,私たちは気をつけていないとすぐちびっちょになってしまう.
タイプ③:良い論文を書く研究者
タイプ③は実は年齢やキャリアステージに依らず存在する.だからといって,私は良い論文を書くのに才能や性格が重要だとは思わない.タイプ①がメンタルバリアをもっているという場合も,メンタルが弱いという意味ではない.誰でも,キャリアのどこかのタイミングで,科学における良い研究者のあり方,ポジション取り,それらに根差した論文を書くテクニックをラッキーにもスッと得ることがあるということに尽きる(不幸なことに,そのタイミングに永遠に出会えない研究者もいる).私は今でこそ,コミュニティのためになり,評価される良い論文を書くようになったと思うし,ここで偉そうにテクニックを紹介しようとするくらいには論文を書くのが上手い.しかしながら,10年ほど前までは確実にタイプ②の方に寄っていた.タイプ③の研究者には科学コミュニティを俯瞰で見て,自分の位置と貢献を客観評価できている人が多い.良い研究をして,良い論文をつくり,それによって多くの人から評価されることがそのような視点をつくり,またそのような視点が次の良い研究を生み出す.
願わくば,この「論文の書き方」を読んで,読者の皆さんが人類の科学史におけるポジション取りを意識し,テクニックを駆使して少し軽い気持ちで良い論文を書けるようになり,一つ成功体験を積み重ねてくれると良いなと思う.騙されたと思って,タイプ③になれると信じながら読んでみて欲しい.論文を書くのは楽しく,そのなかにたくさんの素晴らしさを見つけることができる.論文を世の中に残せることは研究者に許された特権の一つであり,科学と工学では,それぞれ世の中の真理を探求したり,社会を発展させたりできる.私たちに与えられた素敵な使命である.
何のために論文を書くのか?
Publish or Perish──この業界にいれば,一度は耳にしたことがある言葉だと思う.直訳すれば「論文を発表せよ,さもなくば滅びよ」ということになるが,要は,どんなに努力して研究しても論文の形にしなければ,その努力はなかったことと等価であるということになる.この言葉はさまざまな観点において正しい.また論文を発表するということは,私たちの人生と科学全体の連続的なスペクトラムの中にある.大まかに分けて,利己的な理由:自分のキャリアのため,実利的な理由:自分の研究の発展のため,崇高な理由:社会と科学の未来のため,となるかなと思う.もちろん,どの部分に価値観の重みを置くかは個人の自由であると思うが,ここで改めて「なぜ私たちは論文を書くのか」を確認しておいて悪いことはない.あらゆるレベルでのアカデミアでの活躍は他人から客観的に観察され,投資されることに繋がる.あなたの腹づもりはあなたの科学と人生を同時に納得させているだろうか?あなたの腹づもりから透けるものは他人から見て格好いいだろうか?
利己的な理由:自分のキャリアのため
悲しいかな,現代の自然科学では,論文はトークン(通貨)のようである.あなたがどのような科学者であるかの評価に多くの人は,あなたの論文数やどこのジャーナルに論文を発表したかを見る.学生が奨学金を獲得したいとき,査読付き発表論文があるとチャンスが爆上がりする.独立研究室を主宰したければ,ネイチャー誌,サイエンス誌,セル誌といったジャーナルに論文が発表されていると良い.これは,科学的な成果の内容や科学者個人の哲学ではなく,他人を表層的なメトリックで評価しようというきわめて残念な流れと捉えることもできるが,その背景には近代科学以降の人口増加もある.最低でも小さな論文をきちんとまとめられる能力をもつ人,一流誌に研究を発表した人のなかからさらに有望な人を選んでいけばアカデミアは機能するという実用的なシステムが採用されている.
私個人は,自分が死んだ後に誰も気にすることのない論文数だけを追いかける人生や,一流誌に発表するために研究テーマを選ぶようなことほどくだらないことはない,と思う一方で,スキルとして卓球でピンポン玉を打ち返すように軽く論文を書く能力や,ガウディのサグラダファミリアのような仕事に腕まくりしてとり組める能力は必要だと思う.そして,それはそういうことを実際にやってみた(やり続けている)人にしかできないので,履歴書に論文リストを増やすこととスキルの獲得と保持を目的に自分の科学のなかにそういう側面をもつのは良いと思う.私もそうやって書いてきた論文にキャリアを助けられてきた.一方で,トロフィーをめざすだけのサイエンスは早晩行き詰まり,私よりも圧倒的に優秀でも,悩みを吐露しながら去った,あるいはダークサイドに堕ちたとさえ思える科学者も大勢見てきた(また戻ってきて一緒に仕事をして欲しいと心から思う方も多い).だから,科学で成果をあげることに高尚な意味を見いだせとも言わないし,ここに書くアドバイスだけが正解だとも言わないが,皆さんそれぞれが多様な意義を見つけて日々の研究とそのアウトプットにとり組んで欲しいなと思う.
実利的な理由:自分の研究の発展のため
論文を書くことは,自分の研究を客観的に評価し,昇華させる絶好の機会である.私にとっては,自分が大切に進めてきた愛しい仕事を鋼を鍛えるように良いものにできるということが論文を書くのが好きな最も大きな理由である.普段,自分の研究は主観的に,かつ観念的な側面をもって,楽しんでいるという人は多いと思う.しかしながら,若い時は特に,他人が客観的に評価するための合理的な読みものとしてそれを文章化した途端に,自分の研究がなぜか色褪せたものに見えてしまうものだ.自分の研究を「非常に有意義で,自分はそれを完全に理解している」と信じていたのに,なぜかまとめた論文は薄っぺらい.こういった経験は誰しもが一度は経験する.こういった事態に至るのは,論文を書くのが上手くないからというのはもちろんあろうが,本質的には自分の思考を過大評価して,明晰だと錯覚しているからだと思う.論文を書くということは,そういった自分の思考と現実に達成していたことのギャップを埋め,研究をさらに進化させるチャンスである.自分の主観を科学者コミュニティの客観に寄せる感覚を磨くことで,普段の研究のなかにより強固な合理性を宿らせるチャンスでもある.
テキストとして研究を説明する過程で,研究の意義,目的,仮説,方法,結果,インパクト,それらを結ぶロジックを批判的に評価するチャンスが訪れる.頭のなかではスムーズに思えていたシナリオやロジックのなかの飛躍や矛盾が文章にすると浮き彫りになる.論文執筆は単なる成果のアウトプットではなく,研究そのものを磨き,研究のスキルを進化させるためにもある.先に掲げた論文を書くのが下手なタイプ②の研究者はこの主観と客観のギャップを埋められていない.鈍感なわけではなく,そのギャップの埋め方を知らないだけであり,鈍感であっても一度きちんとギャップが埋められた論文を書くと鈍感でなくなる.
崇高な理由:社会と科学の未来のため
人生の短くない時間を賭して研究し,それを論文という形で成果にするわけなので,崇高な理由もあると良い.一方で,崇高な理由というのはそれぞれの科学者が人生のなかで見つけていくものであると思うので私が語るべきことは少ない.それでも言い古されている2つの点については改めて短く言及しても悪くないと思う.私にとって両方とも責任とロマンである.
科学は社会のなかにある.研究計画書の書き方のところでも述べたが,イギリスでお金持ちが私財を投じて知的好奇心を満たす道楽をしていたような時代を除けば科学は社会に支えられている.私たちの研究資金は,大きく分けて次の3つのカテゴリーに分類される.第一に,国民の税金を原資とする公的資金.第二に,企業などが得た利益を社会に還元する目的で設立された慈善団体や財団からの寄附金.第三に,企業と成果や利益を共有し,企業活動にも資することを目的とした民間との共同研究費である.最初の2つは,社会に還元し,共有する必要がある.研究費の成果報告として,論文を発表したことを記すことをルーティンとするだけでなく,常に自分の書く論文が自分の知識と科学的な議論を社会に開き,共有するためのリソースとして機能しているかを考える必要がある.
また科学はその原資に対する責任論を切り離したとしても,個人のものでもなければ,その時代のものでもない.科学は人類の知識体系を築く営みであり,個人の研究者はそのなかで貢献する.「巨人の肩に乗る」という言葉があらわすように,私たちは先人たちの積み上げた素晴らしい知見に頼り,次の発見や発明を行い,またそれを未来の他者に手渡す.10年からときには50年の規模で他人の科学に影響を与えることができる.論文は時代を超えて未来の科学者や子どもたちに知的好奇心やその時代を伝えるタイムカプセルのようでもある.
科学者としての3つのルール
私には若い科学者にアドバイスする3つのルールがあり,私自身もあらゆる場面でこのことを意識する.これまでの連載に書いてきたさまざまなアドバイスもすべてこの3つのルールに立脚しているし,この3つが抑えられていると学生生活や研究者生活が上手く行くと思う.また,これらは独立しておらず,同じことを違う角度から見ているに過ぎない.
ルール1:重要なことにフォーカスする
私たちの人生は短い.また誰しもがその貴重な人生を美しく彩るチャンスをもつ.研究では自分が心から重要であると信じることができ,楽しめることにフォーカスしなくてはならない.キャリアの後半であれば,社会を科学を変革させられるような可能性をもった研究にとり組むということでも良いし,前半であれば,自分に成長や視野の多様性を授けてくれるようなトレーニングでも良い.もし,自分の先生に「この研究をやりなさい」と言われたから受動的にその研究に自分の人生を費やしているという場合は立ち止まってみた方がよい.常に,自己と周りを批判し,前向きにチャンスを探し求め,受容し,学び,判断して,恐れず時間を使ったり,転換してほしい.
ルール2:他人に投資させる
重要なことにフォーカスするのは前提であるが,それを他人にも理解させ,他人のアクションに繋げさせる.自分の仕事が重要であり,素晴らしいことと合わせて,それをやり遂げようとしている自分自身も素晴らしいと思わせる.例えば,学会で自分が発表したのを聞いた聴衆が,自分の発表について学会の帰り道で議論する.グラントや奨学金の申請書では,自分が素晴らしい仕事をやっている素晴らしい研究者ということを理解させるだけでなく,レビュアーにグラント配分機関を代表して自分に投資させるところまでもっていく.
ルール3:客観的に評価する
他人が自分の研究や自分の研究者像をどう見ているか考えてみる.これはソーシャルメディアで自分の人気を気にするのとは違う.人間は自分に甘く,他人を批評するのが得意である.自分がどういう言葉を使っているか,どういうサイエンスをしているか,どういう科学者であるか他人の目を見て,他人のなかにフェアに置いてみて,どういう成長が必要か批判的に考えるトレーニングがあるとよい.自分に共に進む仲間はいるだろうか? 力のある人間は他人の弱みを気にせず,サポートする.リスクをとる人間を応援する.弱い人間たちはその逆の行動をとる.良いロールモデルを見つけて真似をし,そういった人たちのサポートを得ながら,社会のなかに自分を置き,その良い一員になれているだろうか?
これらのことは,論文で達成すべきことを考える場合は,具体的に次のような項目に変化する.
論文のルール1:重要なことにフォーカスする
- 何が重要な課題なのかを読者も自分も明確に理解できるようにする
- 大きな仮説とアプローチが説明され,常にそれに沿って説明する
- 研究で解決された部分を明確に一つ定義する
- 研究のインパクト,将来の方向性について大きな枠組みのコンテキストで考える
論文のルール2:他人に投資させる
- 同じ分野および分野外の研究者たちが読みやすく,好奇心と興奮をかき立てられるような文章を書く
- 理解しやすいナラティブ(narrative,流れ)を工夫し,読後に読み手が研究の全容を思い出せるようにする
- 完全な文法によって文章を構成する.翻訳・校正が可能な生成AIを利用する(ChatGPT,DeepLなど)
- 他人が惹き込まれ理解しやすい精錬された図表をつくる(第6回と第7回)
- 論文のなかで厳格な報告と美しい哲学を示し,未来の査読者たちに学会で感想を言ってもらうようにする
論文のルール3:客観的に評価する
- 結果は,謙虚かつ冷静に報告し,誇大表現は避ける.A quiet powerhouse(静かな発電所)になる
- 他者が同じ結果を再現し,同じ議論に至れるように,すべてを丁寧かつ正確に書く
- 必要かつ効果的に文献を引用し,論理を補強するとともに,自分たちの分野への造詣を示す
- 自分と異なる議論や解釈をする査読者を想定し,これらの人たちが自分の真摯な議論を信頼できるようにする
シミュレーションさせる
研究計画書では,自分の計画のシミュレーションをくり返し,修正を加えながら良い計画を練り上げていくことが大切であると書いた(第3回参照).またそのようなシミュレーション能力を上げるためには,良い論文を材料と方法(Materials and Methods)を含めてたくさん読み,他人の行った研究を追体験する経験をどんどん積むことが重要であるとも書いた.論文は,読み手に研究結果をただの知識として伝えるだけではなく,その方法や戦略,実施体験を科学者がもつ規範と哲学,引いてはその頭のうねり方とともに伝えることができ,知識発見や発明を超えてそのような影響を与えられるような論文の科学における貢献は大きい.良い論文を読むことで,誰かが行った研究について現実の100倍をはるかに超えるスピードで再生して追体験することができる.つまり,自分が論文を書くときは,他の研究者にその研究における自分の歴史を自然と追体験させてしまうような論文を書くのが理想的である.2020年にNetflixで配信されたドラマシリーズに『クイーンズ・ギャンビット』があり,多くの視聴者をチェスの天才的な才能をもった一人の少女の半生をたった7回のエピソードのなかに押し込んだ物語に惹き込んだ.私たち科学者は立体的に自分の研究を紡ぎ,『クイーンズ・ギャンビット』と同じことを自分たちの書く論文のなかで実現したい.
ダイヤモンド構造
さて,上に論文の意義,論文で実現したいことをさまざま考えてみたが,これの基礎になるのが私が論文の「ダイヤモンド構造」として表現するものである(図1).研究計画書には「ゴールデン構造」があると説明したが(第4回),良い論文はダイヤモンド構造をもつ.その一部はゴールデン構造と類似する部分があるが,研究を実施して,議論を閉じたものを報告するという点で,出発点からはじまり,展開されたものを結晶化して結語まで導くといったダイヤモンド型の構造をもつ.今回はこのダイヤモンド構造がどういうものかまでを説明し,次回にそれに沿って論文をどう執筆するかという解説をする.とてもシンプルな構造で,ほぼすべての科学者が説明されれば,それはそうだと思うものであるにもかかわらず,多くの論文がこの基本構造をもたない,下手で読みにくいものになっている(そういった基本を意識して書かないからだと思う).ダイヤモンド構造を知れば,読みやすく,理解しやすい論文が書けると思う.
分野の紹介:論文のダイヤモンド構造(図1)は非常にシンプルである.まずはじめに,自分の研究分野について紹介する.
課題の紹介:次に,その研究分野において重要で解決されるとインパクトを生み出せるような課題を定義する.何が重要かにフォーカスする.次に,研究がその課題のなかの部分課題に取り組んだものである場合は,部分課題を説明する.その部分課題は,往々にして自分がとり組めるものであったから取り組んだのであろうが,そういう風には説明せずに,重要な部分課題はこれであるというような,あたかも最初から取り組むべき課題であるように書いて差し支えない(物語の流れとして重要である).
全体の仮説または要件定義:次にその課題あるいは部分課題はどのようなことを知れば(試験すれば)答えが出るか,あるいはどのような技術が生まれると解決されるか,について簡単に説明する.
全体のアプローチ:続いて,その仮説のためにどのようなアプローチをとったのか短く,流れるように書き,ここまでで読者に論文の動機付けとアプローチの大要を伝える.
私が頻繁にみる間違った例に,アプローチの説明をしたあとに,この論文はこういう実験をして,こういう結果を得て,こういうことがわかったなどと論文のアブストラクトのようなことを繰り返しているものがあるが,これは必要ない.アブストラクトでそれは読んでいるし,そうやって論文の重要さを強調したいのはわかるが,押し売りになってしまう.「これからどういう実験のどういう結果が待っているんだろう,ワクワクするな」と思わせて,次に進めるようにする.
各実験のブロック:論文は通常いくつかの実験のブロックにわかれる.各ブロックは,どういう小項目について何を知りたくてやったのかという動機付け,それは何を試験すると答えが出るのかという仮説,実験の結果,その結果が示すことの解釈にわかれる.
材料と方法:論文では実験の材料と方法(Materials and Methods)を他の研究者が完全に再現可能な形で説明する.各実験のブロックを説明する部分では「こういう実験をした」という説明に留める.
全体の解釈:各実験のブロックから得られたデータの解釈をまとめて,それらを統合して研究全体でわかったことを説明する.全体の仮説として挙げたことについて,どのような部分についてサポートできるデータを得たのか,得られなかったのか,解決できたのか,できなかったのかについて書く.全体の仮説または要件定義で挙げたことの伏線を回収する.
課題への貢献:次に短く,先に定義した課題への貢献について伏線を回収して議論する.
分野への貢献:さらに最後に短く,最初に定義した分野への貢献について説明し,論文を閉じる.
このように前半の構造は研究計画書のゴールデン構造と似ている部分があるものの,分野の説明,背景,動機付け,アプローチを説明した後に,実際に実施した実験結果を説明し,その解釈を伴うことでストーリーをいったん大きく展開する.最後に,一気にそれらをまとめあげ,要はどういうことがわかったのか,どういうインパクトがあるのかというところまで絞り込んで結晶化する.図1に対応関係を色付けしたように,上下対照的な階層構造をもち,後半は下層の伏線から上層の伏線を回収するように作って行く.
クラシックフローとスマートカジュアルフロー
論文はジャーナルがそれぞれ執筆要項を定めており,異なるフォーマットをもつ.自然言語は文章の最初から最後まで物事を順番に説明しなくてはいけないというを線条性をもつので,各ジャーナルはどういう事柄をどういう順番で説明欲しいというのを定義しているし,定義していなくてもそのジャーナルの文化として何をどういう風に説明するかが大体決まっているということもある.この時,ダイヤモンド構造はどの論文も共通にもつべきものであるが,ダイヤモンド構造をどの順番で説明していくかが,ジャーナルごとによって違うし,変えられる部分である.論文の流れ方は,私が「クラシックフロー」と「スマートカジュアルフロー」とよぶものに大別される.ダイヤモンド構造と合わせて自分の論文がどのように流れるべきかも決めておく必要がある.
クラシックフロー
歴史のある専門誌などは厳格なクラシックフロー(図2)をとる.クラシックフローでは,イントロダクション(Introduction,導入)の後に,詳細な材料と方法(Materials and Methods)を記載し,リザルト(Results,結果)には結果しか述べず,結果の解釈を含めたすべての議論をディスカッション(Discussion,議論)にもっていくというスタイルをとる.つまり,全体のアプローチから,すべての実験ブロックの動機付けと仮説までをイントロに書き,材料と手法を次に説明した後に,リザルトセクションで複数の結果を説明する.それぞれの実験結果の解釈,それらを統合した全体の解釈,課題への貢献,分野への貢献はすべてディスカッションに書く.これは読者層がその分野で行われている実験に造詣が深く,実験ブロックの数も少ない場合に良いフローである.最近は専門誌でも,これを基本系としながら著者たちがこれを外したような書き方をするようにもなってきた.次に紹介するスマートカジュアルフローに近いものもみられる.
スマートカジュアルフロー
ネイチャー誌,サイエンス誌,セル誌などのトップジャーナルをはじめとした一般誌は私がスマートカジュアルフロー(図3)とよぶ流れを採用している.これは研究を物語の中に落とし込むので読みやすく,私は個人的には好きである.専門外の人にも読みやすいように構成することができる.スマートカジュアルフローでは,まず,材料と方法を独立したセクションとして付録のように文末に付ける.したがって,論文本体の中では材料と方法の詳しい部分を説明することはない.イントロダクションでは分野の紹介,課題の紹介,全体の仮説または要件定義を説明し,アプローチ全体の説明までをするのが良い.次にリザルトのセクションでは,各実験ブロックごとに,動機付け,仮説,結果,その結果の解釈まで一まとまりのパッケージとして説明する.これは大きな論文で各実験のブロックのなかに小さな実験がネスト化されていて,複雑なロジックを順番に紐解いていくような場合にも適している.ディスカッションまで著者の各実験結果の解釈を待たないで良いし,ある実験の解釈を前提に次の実験を読んだ方が良いときには著者が実験を説明する順番を工夫できる.各実験を提示する順番は実際に実験を行った順でなくてよく,便宜的に構成を変えてよい(あたかもその順で実験の時系列があったと報告するのはいけない).ディスカッションでは,各実験の解釈を受けて,全体の解釈,課題への貢献,分野への貢献を短く議論する.
型を意識して,迷わない
論文を書く時だけでなく,さまざまな作業が億劫で楽しめないとき,何から手をつけて,全体として何をするのかという作業設計にブレインリソースを割かなくてはいけないことがメンタルブレーキになる.こういうことは多くの人が実感したことがあると思う.できるだけ,フットワークを軽く,良い仕事をするためには,型を知ることが大切である.また型があると,作業中も迷わない.どんどんと仕事を進めることができる.型に沿っていろいろなことをすばやく,繰り返せるようになったら,それを磨いたり,自分なりに変化させたりできるようにもなる.今回紹介したダイヤモンド構造もクラシックフローもスマートカジュアルフローも,説明されれば「まあ,意識したことなかったけど,そうなっているよね」と多くの人が知っていたことの繰り返しに感じたかもしれない.しかし,そのことと,これらの基本構造を最初から頭に置きながら論文を実際に書くことの効率の良さは別である.ぜひ試してみて欲しいと思う.
次回は,それでは,ダイヤモンド構造のなかのそれぞれの項目をどのように書くかということと,実際に強く,読者を楽しませて,信頼を得られるような論文を早く書くにはどのような技を駆使すると良いのか,どのような日々の努力を積み上げていくと良いのかということを説明したい.
谷内江 望:ブリティッシュコロンビア大学Biomedical Engineering教授,大阪大学WPIヒューマン・メタバース疾患研究拠点(PRIMe)特任教授,東京大学先端科学技術研究センター客員教授.2009年に慶應大学において生命情報科学の分野で学位取得後,ハーバード大学とトロント大学のFrederick Roth博士の下で研究員として合成生物学の研究に従事.2014年より東京大学准教授,2020年よりブリティッシュコロンビア大学准教授,2023年より現職.


