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専門を越えて活きる力:博士課程から製薬会社メディカルリエゾンへの挑戦

嶋田奈実
塩野義製薬株式会社産官学連携部
10.18958/7915-00007-0006290-00

私には「後悔のない人生を送りたい」という価値観がある.人生において後悔を生む大きな要因の一つが病気であり,それを取り除く助けとなるのが医療だと考えている.だからこそ,私が人生で成し遂げたいことは,「自分を含め,誰もが後悔のない人生を送るために,医療の力で病気に苦しむ患者さんとその周囲の人々がより生きやすい世界をつくること」である.この志を胸に,大学では薬学を学び,大学院では生化学・分子生物学を専門とし,がん細胞の代謝に着目した抗がん剤研究に取り組んでいた.また,志の実現のためには臨床の視点も養う必要があると感じ薬剤師免許も取得した.

自分の志や経験を社会でどう活かすかを考えたとき,研究の道に進むことも一つの選択肢であったが,患者さんを病的な状態から救う一助となる医薬品は製造販売業者を通じてでなければ世に届けられないという気づきと,研究と臨床の二つの視点をもって活躍したいという想いから,私は製薬企業で働く道を選んだ.

修了後に選んだ進路はがん領域に特化した企業ではなく,企業理念に深く共感した,感染症に強みをもつ塩野義製薬株式会社であった.現在は産官学連携部という部署で感染症領域におけるメディカルリエゾンとして,医療従事者との科学的情報交換を通じてアンメットニーズやインサイト収集等を行い,自社製品・サービスの適正使用推進およびその価値の最大化に貢献することをめざし,自らの志を体現するべく活動をしている.これまでのキャリアの歩みを振り返ると,大学院で取り組んだがん研究の知見が直接的に活用される場面はほとんどない.しかし,研究を通じて培った力は確かに活きている.

感染症はがんとは異なる領域だが,生化学・分子生物学の基盤があるからこそ,病態や薬理作用を分子レベルで理解し,領域を越えて知識を応用できていると感じる.研究を理解すること以外にも活かせる場面はある.例えば,医療従事者から正解のない問いを受けたとき,自分の知識と相手の背景情報を統合し,納得感のある回答を組み立てる力は研究発表で鍛えられた「論理的に伝える力」の応用である.また,資料作成やレビュー業務では,文章の違和感にすばやく気づき修正できる力が役立っている.これは論文執筆で何度も推敲を重ねた経験が土台になっている.さらに,実験がうまくいかない日々を乗り越えた経験は,困難な課題に直面したときの粘り強さやバイタリティにつながっている.産官学連携部では医療従事者に加えて研究者や企業,行政とのコミュニケーションをとる.異なる立場の人々と協働するには,柔軟な思考が不可欠である.大学院で培った論理性と柔軟性は,こうした場面でも活かされている.

このように,専門分野の違いを越えて活きる力こそが,博士課程で得た最大の財産であると実感している.

振り返れば,大学院での研究活動は,専門知識を深めるだけでなく,社会で通用する「ポータブルスキル」を育む貴重な時間だった.専門分野が変わっても,研究で培った力は確実に社会のさまざまな場面で活きる.これは私自身の経験から,確信をもって言えることである.

学生時代に研究に打ち込むことは人生の大きな財産になる.そして,研究の道だけが進路ではない.ここまで述べたように,研究活動を通じて得たスキルはさまざまなフィールドで活かすことができる.もし今将来に迷っている学生さんがいたら,どうか自分の可能性を狭めず,自らの志に向き合い広い視野でキャリアを考えてほしい.研究で培った力は,きっとどこかで誰かの役に立つはずだ.