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概論:腫瘍神経科学領域の理解:神経からがん病態を再定義する時代へ

Understanding cancer neuroscience: redefining cancer pathophysiology through the nervous system
10.18958/7991-00001-0006574-00
成田 年
Minoru Narita:星薬科大学薬理学研究室/国立がん研究センター研究所がん患者病態生理研究ユニット

近年,神経系が腫瘍の発生・進展・免疫応答・治療抵抗性・悪液質・がん性疼痛形成に深く関与することが明らかとなり,神経とがんの双方向性相互作用を統合的に理解する「腫瘍神経科学(Cancer Neuroscience)」が急速に発展している.本領域では,神経系は単なる障害標的ではなく,腫瘍微小環境や全身恒常性を制御する病態形成因子として再定義されつつある.本特集では,神経-腫瘍相互作用を免疫,代謝,エピゲノム,神経回路の観点から俯瞰し,次世代のがん研究・治療戦略の可能性を展望する.

はじめに

近年,がん研究はその重心を静かに移しはじめている.これまで,がんは主として細胞内に蓄積した遺伝子異常によって形成される「腫瘍細胞中心の疾患」として理解されてきた.ゲノム科学の飛躍的発展は分子標的治療や免疫チェックポイント阻害薬の創出をもたらし,現代の腫瘍学はかつてない成果を挙げてきた.多くのがん種において生命予後は大きく改善され,その歩みは医学史における重要な到達点として位置づけられる.

しかしながら,科学が1つの問いに答えを与えるたびに,その先にはさらに深い問いがあらわれる.再発,転移,薬剤抵抗性,悪液質,慢性がん関連疼痛,さらには抑うつや認知機能障害といった病態は,依然として多くの患者を苦しめ続けている.これらの現象は,腫瘍細胞そのものの性質だけでは十分に説明することができない.むしろ近年の研究は,がんを単独の細胞集団としてではなく,生体を構成する多様な細胞,組織,臓器との相互作用のなかで理解する必要性を示しはじめている.

近年における腫瘍神経科学(Cancer Neuroscience)の発展

こうした潮流のなかで,神経系,免疫系,内分泌系,代謝系を含む全身性ネットワークが,がんの発生,進展,治療応答,さらには患者の生活の質そのものに深く関与することが明らかになりつつある.そのなかで,急速に注目を集めている新たな学問領域が「腫瘍神経科学(Cancer Neuroscience)」である(概念図).これは,神経系と腫瘍との双方向性相互作用をミクロからマクロ連関に至るまで統合的に理解しようとする学際領域であり,近年の神経科学,腫瘍免疫学,シングルセル解析,空間トランスクリプトーム解析,iPS細胞技術などの飛躍的進歩によって,発展を遂げている.実際,2020年前後から,腫瘍微小環境における神経線維密度,神経活動,神経伝達物質,神経ペプチド,さらには中枢神経活動そのものが,腫瘍進行や免疫応答にきわめて大きな影響を及ぼすことがしだいに明らかになってきている.

概念図 神経系を基軸とした腫瘍微小環境・全身病態の統合理解―Cancer Neuroscienceが切り拓く新たながん研究パラダイム

従来,神経は「がんによって障害される存在」として理解されることが多かった.例えば,がん性疼痛や神経浸潤は,腫瘍が神経を侵害する病態として考えられていた.しかし現在では,神経は単なる“被害者”ではなく,むしろ腫瘍進展を積極的に制御する「病態形成共因子」であることが見えはじめている.特に,交感神経,副交感神経,知覚神経,中枢神経系は,それぞれ異なる機序を介して腫瘍微小環境を再構築し,腫瘍細胞の増殖,血管新生,免疫逃避,浸潤・転移能,さらには治療抵抗性にまで影響を与える.

近年の腫瘍神経科学領域の総説では,神経系は腫瘍の「共謀者(accomplice)」として機能する可能性が提唱されている.特に交感神経由来ノルアドレナリンは,βアドレナリン受容体を介して免疫抑制性細胞群を活性化し,エフェクターT細胞機能を低下させることで,腫瘍免疫環境を大きく変容させる.一方,副交感神経はアセチルコリンを介して抗炎症性・抗腫瘍性応答を修飾する可能性も示唆されてきたが,その作用はがん種や病期によって大きく異なり,最近では晩期においてはむしろがん病態の悪化に与するようになると考えられている.すなわち,神経系は,時間軸と病態文脈に応じてきわめて動的に機能する“腫瘍関連ネットワーク”なのである.

知覚神経,中枢神経のがんへの関与

そのなかでも近年,特に注目されているのが知覚(感覚)神経の関与である.知覚神経は侵害刺激を脳へ伝達するのみならず,末梢終末において軸索反射を介した神経ペプチド放出を誘導する.代表的な分子として,カルシトニン遺伝子関連ペプチド(calcitonin gene-related peptide:CGRP)およびサブスタンスP(substance P)が知られており,これらは血管透過性,炎症応答,免疫細胞機能,線維化,血管新生などを強力に修飾する.特に腫瘍微小環境では,これらの神経ペプチドが,がん細胞,免疫細胞,線維芽細胞,血管内皮細胞などに同時多発的に作用し,きわめて“がんに有利な環境”を形成している可能性が浮かび上がってきた.われわれの研究では,知覚神経由来ダイノルフィンがκオピオイド受容体を介してPI3K-Akt活性化を抑制し,腫瘍進行を減弱させることも明らかになった.すなわち,神経系は腫瘍に対してアクセルとブレーキの両方を内在している可能性を示唆している(眞壁・成田の稿を参照).このような背景から,今後の腫瘍神経科学は,単なる「神経遮断」ではなく,「どの神経シグナルを抑制し,どの神経シグナルを活性化するか」という,神経ネットワーク再設計の学問へと進化していく可能性を示唆している.

また近年では,中枢神経系そのものが腫瘍病態に深く関与している可能性も浮かび上がってきている.がん病態下では,求心性神経入力や炎症性サイトカインの脳内流入を介して,中枢神経系に慢性的炎症状態が形成される.これに伴い,視床下部−下垂体−副腎(HPA)軸,自律神経系,報酬系,ストレス関連神経回路などが大きく変容し,“ストレス脳”あるいは“うつ病脳”ともよぶべき状態が形成される.こうした脳内変化は,単なる精神症状形成に留まらず,遠心性自律神経応答や免疫制御を介して,再び腫瘍微小環境へ影響を及ぼす.すなわち,がん病態は「腫瘍→脳→免疫→腫瘍」という巨大な全身性ループとして理解されはじめているのである.

さらに近年の総説では,神経過興奮そのものが神経細胞の形質変容を誘導し,“がん依存性神経”ともよぶべき新たな神経細胞状態を形成する可能性が提唱されている.がん細胞は単に神経からシグナルを受けとるだけではなく,神経回路そのものを書き換え,自らに有利な環境を創出しているのである.この概念は,がんを単なる局所増殖性疾患ではなく,「宿主ネットワークを再配線する疾患」として捉え直す必要性を示している.

一方グリオーマは,神経回路の活動や発生・分化プログラムを巧みに利用しながら増殖する「神経依存性腫瘍」として理解されつつある.近年では,ニューロンとの間に形成されるneurogliomal synapseや神経活動依存性シグナルが腫瘍増殖や浸潤を直接駆動することが明らかとなり,腫瘍細胞は神経回路へ機能的に統合される存在として捉えられはじめている.さらに,神経活動は腫瘍細胞の可塑性や免疫微小環境を再構築し,治療抵抗性や予後不良を規定する.すなわちグリオーマは,神経回路を単に利用するだけでなく,その活動を増幅しながら自らに有利な脳内環境を創出する「神経回路共進化型腫瘍」とも言うべき病態なのである.

こうした腫瘍神経科学の発展のなかで,緩和医療や支持療法の位置づけもまた,大きく変わりはじめている.従来,疼痛緩和は“QOL改善”を目的とした周辺的医療として扱われることも少なくなかった.しかし現在では,疼痛そのものが腫瘍進行因子である可能性が示されはじめたことで,「痛みを適切に制御すること」が,腫瘍制御そのものへ直結する可能性が見えてきている.これは,緩和医療が単なる補助療法ではなく,“がん治療の本体”の一部として再定義されつつあることを意味している.

腫瘍神経科学は,まだ黎明期の学問領域である.しかし,その発展速度は驚異的であり,今後10年でがん研究・がん治療の概念そのものを大きく変えていく可能性が高い.神経系は,もはや「がんによって巻き込まれる存在」ではない.神経は,腫瘍微小環境を形成し,免疫応答を修飾し,代謝を変化させ,精神状態を揺さぶり,さらには腫瘍細胞の運命そのものを決定する,“巨大な病態統合システム”なのである.

各論の紹介

本特集では,こうした腫瘍神経科学の最前線を,多様な視点から捉えている.まず,青木の稿では,「がん微小環境におけるがん細胞-神経相互作用とがん免疫療法への影響」と題し,神経系が腫瘍免疫を制御する新たな微小環境因子として機能する機構と,神経標的治療による免疫療法増強の可能性についてご解説いただいた.

眞壁・成田の稿では,「知覚神経活動が腫瘍微小環境に与える影響」と題し,軸索反射を介した神経ペプチド放出が腫瘍微小環境をどのように再構築し,腫瘍進展や薬剤抵抗性を制御するのかについて,最新の知見を交えて論じられている.

高橋の稿では,「交感神経様シグナルと腫瘍悪性化」と題し,ノルアドレナリンを中心とした交感神経シグナルが腫瘍細胞,免疫細胞,間質細胞に及ぼす影響と,神経リプログラミングによる悪性化機構についてご解説いただいた.

河田・川内の稿では,「エピジェネティック統合としてのがん神経科学」と題し,神経活動や代謝,免疫などの環境シグナルがクロマチンレベルで統合され,腫瘍細胞状態を規定するという新たな概念についてご紹介いただいた.

澤田・澤本の稿では,「ニューロン移動との比較からみた脳腫瘍浸潤機構」と題し,生後脳におけるニューロン移動の原理を手掛かりとして,膠芽腫浸潤の細胞生物学的基盤と脳微小環境との相互作用についてご論考いただいた.

上阪の稿では,「神経回路とシナプスが規定するがんのふるまい」と題し,ニューロン-グリオーマシナプスや神経回路活動が腫瘍増殖・浸潤・治療抵抗性を制御する分子基盤と,その治療応用の可能性についてご解説いただいた.

金村の稿では,「グリオーマ予後を規定する神経腫瘍相互作用」と題し,neurogliomal synapseやneuronal mimicryを中心に,神経回路との相互作用がグリオーマの浸潤性,治療抵抗性,さらには患者予後をどのように規定するのかについてご紹介いただいた.

最後に,須田らの稿では,「がん悪液質の進展を駆動する腫瘍-神経相互作用」と題し,視床下部を中心とした神経-免疫-代謝ネットワークの破綻が,悪液質の発症・進展にどのように関与するのかについて概説している.

おわりに

このように本特集では,神経系を単なる情報伝達機構としてではなく,腫瘍微小環境,免疫応答,代謝制御,さらには全身恒常性を統合的に制御する主体として捉える最新の研究潮流を俯瞰した.今後のがん研究・がん治療は,腫瘍細胞そのものを標的とする戦略に加え,生体システム全体を統合的に理解し制御する方向へと発展していくものと考えられる.そのなかで腫瘍神経科学は,脳腫瘍から固形がん,悪液質,免疫療法に至るまで,一見異なる病態を共通の原理で結びつける学問領域として重要性を増していくであろう.本特集が,腫瘍神経科学という新たな研究領域の現在地を示すとともに,次世代のがん研究と治療戦略を構想する一助となれば幸いである.

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成田 年:1993年星薬科大学大学院博士課程修了,’96年Medical College of Wisconsin, Dept. of Anesthesiology, Visiting Assistant Professor,2011年星薬科大学薬理学教室(現:薬理学研究室)教授(現職),’20年国立がん研究センター研究所がん患者病態生理研究分野分野長(‘24年3月まで兼任).日本緩和医療薬学会理事長,日本疼痛学会副理事長,日本がん神経科学ネットワーク世話人(2026年大会長).専門は精神神経薬理学会,疼痛学,腫瘍神経科学,神経-免疫-腫瘍連関解析.

「日本がん神経科学ネットワーク」発足の経緯や現在の活動

日本がん神経科学ネットワーク(Japan Cancer Neuroscience Network:J-CNN)は,神経系と腫瘍との相互作用を統合的に理解する新たな学際領域「腫瘍神経科学」の発展を目的として設立された(https://j-cnn.com).J-CNNは,基礎・臨床研究者が分野横断的に集い,最先端の知見の共有と共同研究の創出をめざして活動している.近年はCellNatureNeuronをはじめとするトップジャーナルに関連論文が相次いで掲載され,本領域は腫瘍学のみならず神経科学分野からも急速に関心を集めている.2025年には第1回研究会が開催され,2026年には国立がん研究センター研究所(NCCJ)において第2回研究会の開催が予定されており,さまざまな分野からの参画が見込まれている.(成田 年,金村米博)