実験医学500号記念ページ

実験医学500号を迎えて

小誌編集顧問の村松正實先生と森脇和郎先生から,500号へのお言葉をいただきました.小誌発行人からのメッセージとあわせて,本ページにてご紹介します.

実験医学500号に寄せて!

村松正實(埼玉医科大学ゲノム医学研究センター名誉所長)
村松正實先生

「実験医学」が500号に達したと聞いて,嬉しさに堪えません.私が東京大学教授(医学部第一生化学)に就任して1年ほど経った頃,突然,羊土社の一戸裕子さんの訪問を受けました.何か,新しい,基礎と臨床を結ぶような月刊誌を出したい,というようなお話でした.私は内科から海外留学して基礎へ来たという経歴もあって,日頃,両者の密接な対話が必要だと考えていたので早速賛成し,当時国立遺伝学研究所の森脇和郎さんらとも相談して,いろいろな候補から雑誌名として結局「実験医学」が選ばれました.人体実験とか,何か悪い印象に結び着かないか,という恐れもなかったわけではありませんが,結局,科学の一部でもある医学において「実験」は必須であり,医学の進歩にとっては重要なものだという主張が通り,この名前になったと記憶しています.その後,編集の腕の冴えもあったのでしょう,順調に伸びて,現在の「実験医学」が存在します.若い医学者・研究者・臨床医が,この雑誌を通して医学に目覚め,成長していった部分があったとすれば,創刊に頑張った一人として,本当に幸せです.

実験医学500号記念に当って

森脇和郎(理化学研究所バイオリソースセンター特別顧問)
森脇和郎先生

30年前の創刊号には「DNAから個体へ」という特集が組まれているが,副題が「実験医学と実験動物学」となっている.微生物学的および遺伝学的な品質の向上に加えて,遺伝子操作技術や胚操作技術によって,目的とする遺伝子を操作したマウスを作るノウハウを備えた実験動物学が,実験医学を支える強力な基盤となっている今日の姿を見ると,上記の副題は正しかったと云えよう.しかし,ゲノム塩基配列の解析技術が急速の進歩を遂げるとともに,エピゲノミクス領域をも包含した複雑な生命機能調節の遺伝的分子機構の解明に研究者の関心が集まっている.実験用マウスが愛玩用マウスから育成されたのは約1世紀前であるが,野生から愛玩用が作られるには数百年を要したはずで,この間に加えられた遺伝的選択が実験用モデルマウスの生物種としての特性に影響を与えていないか? ということも問題である.実験動物系統のもつ個々の遺伝子の進化的な経歴まで,実験条件の対象になることもあろう.実験医学は遺伝的背景の整備という一層高度の品質をもつ実験動物を要求するようになる.創刊号の特集につけられた副題が500号を超えて本誌の今後のさらなる発展にも役立つことを祈念する.

創刊の思い出,忘れえぬ研究者

実験医学 発行人 一戸裕子(株式会社羊土社 代表取締役社長)

「実験医学」誌を創刊して本号で500号を迎えました.ここまで発行を続けることができましたのは,ひとえにご支援ご教導いただきました多くの先生方や読者の皆さまのおかげと,心から御礼を申し上げます.30年にわたる月日が過ぎましたが,この間の生命科学研究の進展は誠に目をみはる勢いでした.じつは30年というのは,創刊から携わってきた私にとりましては,実人生のほとんど全部ともいえる時間です.「実験医学」誌とともに歩んだ出版人生の思い出の一端を,恐縮ではございますがこの場を借りて振り返らせていただきたいと思います.

●思い出深い創刊号

やはり思い出深いのは創刊当時のことです.1983年9月に「実験医学」創刊号を発行いたしましたが,それは私どものはじめての雑誌でした.まだ駆け出しの編集者だった私が編集委員の先生方をお呼びしての編集会議もはじめてでしたから,その緊張感は大変なものでした.創刊を危ぶむ声もある中,なんとかご承認をいただき,雑誌名が決まりました.「実験医学」と….名付けてくださったのは当時東京大学教授でいらした村松正實先生でした.

その頃は,分子生物学研究はまだ緒に就いたばかりの時期でしたが,創刊号の特集タイトルは「DNAから個体へ」,座談会タイトルは「分子と生命をつなぐバイオメディカル・サイエンス」というものでした.まさにその後の,生命科学研究の華々しい進展を予見するような,象徴的なタイトルではなかったかと思います.座談会には村松正實先生もご出席され,司会は森脇和郎先生(当時国立遺伝学研究所室長)にお願いしました(写真1写真2).本誌500号にもお二人の先生からのお言葉をいただきましたが,創刊以来これまで温かいご指導をいただいてまいりました.

また創刊号の巻頭には,大阪大学総長の山村雄一先生のお言葉を賜りました.生命科学研究の進むべき方向性を格調高く指し示してくださる文章で,何度も読み返しては指針とさせていただきました.500号を記念いたしまして,ここに再掲載申し上げます.

●輝ける,そして忘れえぬ研究者

多くの先生のご指導をいただいてまいりましたが,中でも思い出深いのは本誌編集顧問の,今は亡き三人の先生方です.山村雄一先生,江橋節郎先生(岡崎国立共同研究機構所長),大野乾先生(米国シティオブホープ研究所部門長)は,いずれもきわめて個性的な先生方でした(写真3写真4).生命科学の大巨人といっても過言ではないお三方の鼎談は議論白熱,科学論はもちろんのこと歴史論から国家論へと雄大に盛り上がり自由奔放,百花繚乱という趣でした.私にとっても編集者冥利といいますか,まさに感動の時間でした.その時の鼎談は,「実験医学」(1987年3月号)に「創造的研究と仮説」と題して掲載しました.

大野乾先生には,1986年から1999年まで13年間にわたって,「大いなる仮説」というエッセイを本誌上でご執筆いただきました.進化,遺伝子,生命と宇宙,5.4億年前の生命のビッグバン….ミクロからマクロへと自在に行き交う大野先生のエッセイは,多くの読者を魅了しました.この連載は「大いなる仮説」「続・大いなる仮説」「未完 先祖物語」の3冊の単行本となっております.

大野先生はそのご研究はもとより個人としてもスケールの大きな方で,乗馬はオリンピックの腕前,釣りはアラスカ,ワインをこよなく愛し酒の強さは天下無敵…,とエピソードには事欠きません.存在そのものが独創性あふれる大野先生から,科学研究の楽しさや壮大なる夢ということを教えていただき,それが本誌のひとつの精神,柱となったのではないかと感じております.

忘れられない先生としては,本誌の編集委員をお願いしておりました角永武夫先生(大阪大学教授)が思い出されます(写真5).50歳という若さでお亡くなりになられたのは今から25年前のことですが,いまでも先生の優しく静かな面影が浮かびます.角永先生はご自分が癌であることを知りながら,病室で最後までお仕事をされ,後に残る人たちへも細かい配慮をされていました.また,ご自分の細胞を癌研究に使ってほしいと言い遺されたと聞き,穏やかな中に秘められた研究者としての強い覚悟と情熱に,深い感銘を覚えたものです.

●大いなる人がまわりの人を勇気づける

忘れえぬ先生,ご教導いただいた先生は本当にたくさんいらっしゃいます.先生方はみな生物学を愛し研究を愛し実験を愛し,日々切磋琢磨しておられます.そのお姿に感動しながら,私も出版という仕事に励んでまいりました.

思えば,感動が原点かもしれません.大いなる人がまわりの人を感動させ,力を与え,勇気づけます.大いなる人に出会ったとき,身内から力がわき出てさらに頑張ることができます.そして,やがては自らも大いなる人になっていくのでしょう.

私どもの若き編集部の面々も情熱に燃えて編集に取り組んでおります.「素晴らしい先生と出会った」「とても良いご原稿をいただいた」「読者に喜んでいただけた」と,彼らは目を輝かせます.彼らもまた大いなる人に勇気づけられて編集に励んでいるのです.

これからも「実験医学」誌は歩み続けてまいります.500号という節目の時を越え,羊土社一同,さらに頑張ってまいります.今後とも何とぞよろしくご指導ご鞭撻ご厚情賜りますよう,謹んでお願い申し上げます.

(実験医学Vol.30 No.12 2012より転載)