はじめに
哺乳類個体を構成する多様な細胞の遺伝子発現や機能を,1細胞解像度で包括的に捉え,かつ操作する技術が急速に進展している.全身全細胞解析とは,その名の通り,動物個体やヒト組織を破壊することなく,臓器・組織を丸ごと三次元的に捉え,そこに存在するすべての細胞を1細胞レベルで解析する試みである.近年は,タンパク質の空間分布を可視化する三次元免疫組織化学や,RNAの分布を捉える三次元in situ hybridizationが実用段階に入りつつあり,これまで難しかった立体的・包括的な細胞情報の取得が可能となりつつある.さらに,RNAを定量的に増幅し次世代シークエンサーで解析する単一細胞トランスクリプトミクスでは,位置情報こそ失われるものの,臓器中の数十万〜数千万規模の細胞を網羅的に解析することで,脳のような複雑な組織における細胞種・細胞状態の多様性が明らかにされている.また近年は,高解像度イメージングとRNAバーコーディング技術を組み合わせた空間トランスクリプトミクスが進展し,組織切片における遺伝子発現の二次元分布を高密度に記述できるようになってきた.
これらはいずれも記述的な技術ではあるが,従来をはるかに超える解像度と包括性を有しており,発生・神経・がん・免疫・老化などの幅広い生命現象に対して,生理と病理の両面から新たな知見をもたらしつつある.さらに近年,記述された細胞集団や細胞回路を直接操作する技術も加速している.特にアデノ随伴ウイルス(AAV)を利用した遺伝子導入技術の発展が目覚ましく,眼窩静脈叢投与で全身へのデリバリーを可能にした技術と,エンハンサーを利用した細胞種特異的な感染技術により,全身性かつ低侵襲的な遺伝子導入が可能となり,従来の外科的手法と比較して,時間・労力・スキルの大幅な削減を実現した.これは,トランスジェニックマウスやノックインマウスといった遺伝子改変動物を必ずしも用いる必要がなく,線虫やショウジョウバエと同等,あるいはそれ以上の速度で因果性の検証が可能になることを意味する.
このような背景のもと,本稿では全身全細胞解析の最前線について,1. 全身全細胞解析の現在の世界的な技術動向,2. 全身全細胞解析の発生・神経・がん・免疫・老化などさまざまな生命現象への応用,3. 全身全細胞解析の今後の臨床理解への応用やさらなる技術の展開,という観点から最新の知見を紹介する.
全身全細胞解析の現状
生体の生理現象や機能を網羅的に理解するためには,脳を含む全身のあらゆる臓器・組織を構成する個々の細胞を遺伝子レベルで解析する必要がある.さらに,生理機能は細胞間の分子輸送や相互作用によって成立しているため,その空間的な配置を把握することが不可欠である.近年の科学技術の進歩により,こうした要件を満たす全細胞解析を全臓器・全身レベルで実施することが現実的になりつつある.
本項では,その全身全細胞解析の現状について概説する.まずわれわれは,脳機能を全領域で包括的に理解するための基盤として,マウス全脳全細胞アトラス(CUBIC Brain Atlas)を構築してきた.成体マウス(8週齢,C57BL/6J)の脳を CUBIC法で透明化し,ライトシート顕微鏡により高解像度三次元撮影を行うことで,約1億(1.03×108)個の細胞を検出した.さらに,得られた細胞を Allen Brain Atlasに基づいて領域ごとに色分けし,全脳の細胞分布を網羅的に可視化したCUBIC Brain Atlasを作成した1)2).このCUBIC Brain Atlasを用いた全脳全細胞解析により,約5,000万個(全脳細胞の約55.6%)が神経細胞であることがわかり3),また全脳のc-Fos染色にて神経活動を解析することにより,約80%の脳領域(508脳領域)で有意な概日リズムがあることがわかった4).また2023年にAllen Institute for Brain ScienceのYaoらは,成体マウス脳のシングルセルRNA-seq(scRNA-seq)データとMERFISH法のデータを組み合わせ,マウスの三次元アトラスのAllen Mouse Brain Common Coordinate Framework version 3(CCFv3)上に統合することで,全脳細胞における空間的な解析を可能にした5).その結果,脳細胞は約340種類の細胞種に分けられ,さらに細かい5,322の細胞状態が存在することが明らかとなった.同時期にZhangらもグルタミン酸,GABA,モノアミン系神経細胞の空間的分布を解読し6),Shiらは脳から脊髄にかけて細胞種ごとの空間的解析を行った7).従来のin situ hybridizationを脳全体で行ったうえで透明化するwhole-brain ISH法も開発され,特定のmRNA発現を三次元的に検出することが可能になってきている8)9).このような試みは,細胞種ごとに脳領域を分画して描写することができ,より緻密な全細胞解析を可能とする.またこれらのシステムをマウス全身に応用し,全臓器・全身透明化による三次元全細胞解析が可能となってきている(吉田らの稿)10).吉田らは新たに高い透明度を達成するプロトコールを開発し,これを高速・高解像度ライトシート顕微鏡と組み合わせることで,世界ではじめてマウスの全臓器・全身における全細胞アトラス(CUBIC Organ/Body Atlas)を構築し,全臓器・全身の三次元全細胞解析を可能とするワークフローを確立した.また本技術を用いてマウス胎仔における全身のマクロファージ位置を網羅的に同定し,その細胞座標(cellome)をCUBIC Organ/Body Atlasに統合的にマッピングすることで,全身全細胞解析(cellomics)の実証例を提示した.このように,CUBIC Organ/Body Atlasは全身の全細胞を網羅的に三次元で記述した「白地図」であり,この基盤に多様なオミクス解析結果を重ね合わせることで,1細胞解像度で「全身全細胞解析」が可能になる(図).
CUBIC Brain Atlas
マウス全脳に含まれる全細胞で構成された点群アトラス.CUBICによりマウス脳を核染色・透明化した後,ライトシート顕微鏡により三次元撮影し,全細胞核の座標を正確に抽出した.Allen Brain Atlasに従い,それぞれの細胞は脳領域の注釈付けがされている.
透明化
組織中の脂質を除去した後,組織内の屈折率を均一化にし透明にする技術.組織を透明にすることで組織深部まで可視光で観察できる.CUBICは水溶性透明化試薬の一つで,高い透明度を実現している.
さまざまなオミクス技術(空間トランスクリプトミクス,シングルセルRNA-seq(scRNA-seq),snATAC-seqやcellomics)を全臓器・全身の全細胞アトラスに重ね合わせることで,1細胞解像度での「全身全細胞解析」が可能になる.
全身全細胞解析の応用
CUBIC Organ/Body Atlasは,発生・神経・がん・免疫・老化など多様な生命現象を統合的に理解するための,これまでにない基盤を提供する.細胞種や細胞状態を三次元空間上に統合することで,従来は断片的に捉えられていた現象をシステムレベルで記述可能となる.本項では,この包括的解析が各分野の研究をどのように融合しうるかを,いくつかの代表例に基づいて解説する(概念図).
発生・神経・がん・免疫・老化など各生命科学分野の研究は全身全細胞解析に融合可能である.Cellomics解析,生きたままの透明化技術,多層オミクス免疫細胞アトラスなどの最新技術は今後の全身全細胞解析をさらに発展させる.
細胞分化のネットワークの解明(発生)
DNAバーコーディングによる細胞系譜トレース技術により,細胞分裂の履歴を大規模に復元できるようになった(内田・入江の稿).これらの情報を全身アトラスに統合すれば,細胞がどこで生まれ,どの経路を経て特定の細胞種へ分化するのかを時空間的に再構築できる.これは発生原理の理解だけでなく,先天異常や疾患発症メカニズムの解明にも大きく寄与する.
脳神経ネットワークの統合的理解(神経)
脳機能は多様な細胞型と複雑な神経投射ネットワークに支えられている.全脳・全身スケールで細胞種が同定可能となった現在,次の課題はその接続様式と機能の対応付けである.透明化技術にAAVやRabiesウイルスを組み合わせることで,順行性・逆行性トレーシングによる神経投射を全脳・全身で可視化できるようになった(宮道の稿).今後は,神経回路情報と細胞系譜データを結びつけることで,脳機能のシステム生物学的理解がさらに進むと期待される.
空間的な病態解明(がん,免疫,老化)
細胞は周囲環境との相互作用のなかで機能するため,疾患理解には細胞位置情報が不可欠である.近年,空間トランスクリプトミクスや三次元イメージングがヒト組織にも応用され,空間構造に基づく病態理解が加速している.がん研究では,腫瘍細胞と微小環境の空間的関係から腫瘍進展や治療抵抗性が明らかとなっている(坪坂・石川の稿).また免疫療法では,免疫細胞の組織配置が重要であることが明らかになり,空間情報の統合が治療開発の鍵となりつつある(松尾・石原の稿).さらに老化研究では,老化細胞が組織免疫環境をどのように撹乱し,炎症や機能低下を誘導するかが1細胞解析により明らかとなり,老化細胞除去療法の展開が期待されている(岡村・中西の稿).
全身全細胞解析の今後
全身全細胞解析は生理や病態の理解を大きく前進させるが,今後はヒト遺伝学情報やin vivoイメージングと統合することで,より一層深い解析が可能になると考えられる.加えて,AAVベクターによる迅速な遺伝子操作技術は,得られた知見の機能検証を加速させ,基礎と臨床をつなぐ重要な手段となりつつある.本項では,これら次世代技術の展開を紹介する.
ポストGWAS
これまでゲノムワイド関連解析(GWAS)は疾患リスク関連遺伝子を同定してきたが,多くが非コード領域に存在するため,疾患関連細胞種での遺伝子発現量と結びつける必要がある.scRNA-seqを用いたeQTL(expression quantitative trait loci) 解析はその課題を解決する手法である(枝廣らの稿).日本人集団における多層オミクス免疫細胞アトラス(OASIS)を構築し,シングルセルeQTL解析によってCOVID-19重症化の分子・細胞機構を解明した.このような試みは,感染症をはじめとした新規疾患や希少疾患,難病の病態解明や治療薬の迅速な開発に大きく貢献するだろう.
生きたまま透明化する技術
組織透明化は新たな段階に入りつつある.従来は固定標本に限られていたが,近年はin vivoイメージングに適した生体透明化試薬が開発され,生きたままの深部観察が可能になっている(稲垣・今井の稿).さらに,頭蓋を除去せずに透明化するSeeThrough試薬11)により脳表全域の観察も可能となった(実験医学2026年2月号「クローズアップ実験法」に掲載予定).将来的には全脳・全身を生きたまま透明化することができれば,リアルタイムで高解像度観察することができるであろう.
AVVによる細胞腫特異的な遺伝子技術
2025年にBen-Simonらは,マウス皮質とヒト側頭葉におけるsnRNA-seq(シングル核)とsnATAC-seqを統合し,共通のマーカー遺伝子と推定エンハンサーを特定した12).これをAAV-PHP.eB(血脳関門透過性カプシド)ベクターに搭載し眼窩静脈叢投与することで,高い細胞特異性をもつ遺伝子導入が可能となった.従来の遺伝子改変動物の作製には年単位を要したが,本手法は迅速・低侵襲・高特異性での遺伝子操作を実現する.われわれはこの技術を睡眠恒常性の研究に応用し,PVニューロンの活性化がリバウンド睡眠に重要であることを示した13).将来的には,全身全細胞解析と組み合わせることで,ウイルス注射一つで細胞特異的操作が全身で可能となり,疾患モデル作製も飛躍的に進むだろう.
おわりに
全身全細胞解析技術の進展により,基礎研究と臨床研究の距離はかつてないほど縮まりつつある.本稿で紹介したCUBIC Organ/Body Atlasを基盤に,各領域で得られた知見や技術を統合し,クラウド型データベースとして共有することで,分野横断的研究の加速が期待される.加えて,技術とデータの蓄積により,テーラーメイド治療薬の開発や,個人レベルでの疾患発症の部位・時期・リスクの高精度予測も現実味を帯びてくる.全身全細胞解析は,基礎と臨床を結ぶ架け橋として生命科学を切り拓く重要な原動力になると確信している.
文献
1) Murakami TC, et al:Nat Neurosci, 21:625-637, doi:10.1038/s41593-018-0109-1(2018)
2) Matsumoto K, et al:Nat Protoc, 14:3506-3537, doi:10.1038/s41596-019-0240-9(2019)
3) Mitani TT, et al:Res Sq, doi:10.21203/rs.3.rs-5827312/v1(2025)
4) Yamashita K, et al:Science:eaea3381, doi:10.1126/science.aea3381(2025)
5) Yao Z, et al:Nature, 624:317-332, doi:10.1038/s41586-023-06812-z(2023)
6) Zhang M, et al:Nature, 624:343-354, doi:10.1038/s41586-023-06808-9(2023)
7) Shi H, et al:Nature, 622:552-561, doi:10.1038/s41586-023-06569-5(2023)
8) Kanatani S, et al:Science, 386:907-915, doi:10.1126/science.adn9947(2024)
9) Murakami TC, et al:bioRxiv, doi:10.1101/2025.08.18.670857(2025)
10) Yoshida SY, et al:Cell, in press
11) Liu X, et al:Nat Commun, 16:7584, doi:10.1038/s41467-025-62836-1(2025)
12) Ben-Simon Y, et al:Cell, 188:3045-3064.e23, doi:10.1016/j.cell.2025.05.002(2025)
13) Kon K, et al:Nat Commun, 15:6054, doi:10.1038/s41467-024-50168-5(2024)
長尾昌紀:2015年福岡大学大学院薬学研究科にて博士(薬学)を取得後,同大学加齢脳科学研究所ポスドク研究員を経て,’21年から内藤記念海外研究留学助成金によりコペンハーゲン大学トランスレーショナル神経医学センター(Maiken Nedergaard,Hajime Hirase lab)にてポスドク研究員として勤め,グリンパティックシステムの研究に従事する.’25年東京大学大学院医学系研究科システムズ薬理学研究室の助教として着任し,CUBICを用いた組織透明化研究に従事している.
進化し続ける組織透明化技術
組織透明化の研究は100年以上の歴史をもち,その試薬としてBABB,3DISCOといった有機溶媒系やCUBIC,SeeDBなど水溶性化合物が開発されてきた.有機溶媒系は高い透明度を示すが,蛍光タンパク質の褪色や組織の収縮を起こす.水溶性透明化液は多少時間を要するが,蛍光を維持でき,組織の損傷も少ないという特徴をもつ.また全脳など広域観察には,透明度の高いCUBICや有機溶媒系などとライトシート顕微鏡の組合わせが適し,神経構造など微細解析には,組織形態の変化がないSeeDBと共焦点や二光子励起顕微鏡が有効である.筆者がはじめてCUBICでマウス脳を透明化した際には,その透明度の高さに驚き,全身全細胞解析の強力なツールになると実感した.またSeeDB-LiveやSeeThroughの報告には胸を躍らされ,実際にSeeThroughは従来イメージング法と遜色ない.近い将来,組織全体でイメージングできることに期待しつつ,自らも技術の発展に貢献したい.(長尾昌紀)