実験医学DIGITAL ARCHIVE

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羊土社刊行の「実験医学」は,1983年の創刊以来,分子生物学と医学の進展と共に歩んでまいりました.30年にわたり500冊を越える号を刊行しておりますが,この数は膨大なもので,過去の号を振り返りたいと思ってもなかなかご覧になれない現状かと存じます.

研究の歴史を記録し,新たな展開を示すことこそが「実験医学」の使命と考え,「実験医学」月刊誌・増刊号のバックナンバーをデジタルデータとして復刻し,本サイトでPDF版をご提供しています.歴代のタイトルをお役立ていただけましたら幸いです.

1983年の創刊以来,実験医学はバイオサイエンスの発展とともに歩んでまいりました.30年にわたる長い期間にいただいた,全ての執筆者・ご企画の先生方のご厚情に深く感謝申し上げます.本コーナーでは,創刊号から現在にわたる「実験医学」誌面を振り返りながら,駆け足ではありますが,バイオサイエンスの歴史を見直してみたいと思います.

※現在,随時更新中です.今後の追加をお待ち下さい.

1983年創刊号「DNAから個体へ」

実験医学1983年 Vol.1 No.1

1983年9月,実験医学は年4回の季刊誌として創刊いたしました.創刊号の特集は,「DNAから個体へ」というきわめて象徴的なもので,これは現在の実験医学の根幹をすでに指し示していたように感じます.創刊号の巻頭では,当時大阪大学総長でおられた故 山村雄一先生に「創刊に当って」のお言葉をいただきました.また座談会では「分子と生命をつなぐバイオメディカル・サイエンス」というテーマで,村松正實先生,森脇和郎先生,大沢仲昭先生,古沢満先生が生命医科学の進むべき方向を示されました.

当時,創刊に至る道のりはなかなか険しいものでした.生まれたばかりの小さな出版社がはじめて出版する雑誌ですから,編集会議も座談会も,原稿の執筆依頼も何もかもがはじめてです.とにかく手探りで,そして全力投球で先生方のご指導を仰ぎ,「実験医学」の誌名を村松正實先生に命名していただいての発足でした.

その後,第2号は「老化制御の実験医学」,1984年には第3号「発癌のメカニズムを探る」,第4号「免疫と生体調節」,第5号「腸内フローラと生体」,第6号「遺伝子工学と医学」と刊行いたしましたが,今振り返ってみても,全てのテーマが現在につながる重要な研究課題であることがわかります.

翌年の1985年に「実験医学」は年6回の隔月刊となり,そして続く1986年には月刊誌として新たなスタートを切りました.

1986年シグナル伝達の初の特集

実験医学1986年 Vol.4 No.9

創刊4年目の1986年に「受容体研究の最前線」の特集を竹縄忠臣先生にご企画いただきました.当時,情報伝達研究は緒についたばかりの時期でしたため,どのように読者の方に受け止められるのか不安を感じながらの出版でしたが,結果は大反響をいただきました.その後に続くシグナル伝達研究の著しい進展ぶりを,私ども編集部の面々はただ目を丸くして見守っていたような気がします.

翌年の1987年には,宇井理生先生にご企画いただき「GTP結合蛋白質」を特集いたしました.その後も,毎年定期的にシグナル伝達のテーマを取り上げてまいりましたが,分子から現象へ,そして生体のネットワークへとシグナル伝達研究が広がって行く様子を,過去のタイトルの軌跡から感じ取っていただけるかと思います.

1987年はじめての増刊号「遺伝子工学総集編」

臨時増刊号 Vol.5 No.11

はじめての増刊号は1987年の「遺伝子工学総集編」でした.新しく台頭してきたバイオテクノロジーを村松正實先生に,その原理の解説からプロトコールまでをまとめていただいたのですが,じつに多くの読者に活用されました.その後も刷りを重ね,版を重ねて,現在は「改訂第5版 新 遺伝子工学実験ハンドブック」として刊行されています.

さらに遺伝子工学は,PCRという画期的な技術を得て大きく展開しました.1990年には,榊佳之先生,村松正實先生,高久史麿先生のご編集のもと,「PCRとその応用」と題して増刊号を刊行いたしましたが,その増刊号も思い出深いものです.分子生物学研究は,まさにこれらの技術革新によって大きく躍進してまいりました.

1990年ヒトゲノム計画のスタート

実験医学1990年 Vol.8 No.1

創刊8年目の初頭を飾った1月号は,記念碑的な特集でした.1990年,二重らせん構造の発見者であるJames Watson博士の呼びかけに応じて,壮大な「ヒトゲノムプロジェクト」が発足しましたが,まさに同じ年,日本側のリーダーを務められた榊佳之先生にご企画いただき,「ヒトゲノム全解析プロジェクト」の特集号を刊行しました.「ヒトゲノムプロジェクトがヒト遺伝情報の複雑なネットワークを解き明かし,その創造のすばらしさを再認識させてくれるのはいつの日であろうか」という榊先生の言葉に,ゲノム解読への挑戦にかけた当時の強い志を感じます.

その後1996年に出芽酵母,1997年に枯草菌,1998年に線虫,2000年にシロイヌナズナのゲノムが立て続けに解読され,2001年にはヒトゲノムのドラフト解読が宣言された経緯は,皆さまも強く記憶されていることと思います.

1991年ES細胞を用いた発生工学

実験医学1991年 Vol.9 No.9

1981年にマウス胚盤胞からES細胞が樹立されてちょうど10年目の1991年,「ES細胞を用いた発生工学 ~ジーンターゲティングとキメラマウス」の特集を近藤寿人先生にご企画いただきました.当時の急速な遺伝子工学の発展により多くの遺伝子が単離され,さまざまな組織から株化した細胞にその遺伝子を導入して発現制御や機能解析をする技術が盛んになりました.それまで,均一な培養細胞を用いた研究が中心となっていましたが,実際の細胞社会全体を見渡すためには,マウス受精卵やES細胞など発生全能性をもつ細胞を対象にする必要があるという議論を背景に,キメラマウスやジーンターゲティングマウスの作製法が確立されていた中でのいち早い特集でした.当時の発生工学技術の発展が,20年を経た現在の幹細胞研究に繋がっているのだと実感いたします.

1991年通巻100号記念号

実験医学1991年 Vol.9 No.14

1991年10月号で,実験医学は通巻100号を迎えました.特集は野本明男先生に「ウイルスレセプター」をご企画いただき,また記念特別企画として,故 江橋節郎先生と野田亮先生に「医科学を語る 研究する楽しみ」というテーマで,細胞生物学の現状から科学研究費までの広いテーマを語っていただきました.当時岡崎国立共同研究機構の機構長でおられた江橋先生の「研究をやってますと,しばらくうまくいかないことが,方向を変えてみたらスパッとうまくいくことがあったりして,それ自体は学問の流れの中ではたいしたことじゃないのに,案外そういったことがものすごく嬉しいものなんですよ.外からみて格好の良い抽象的なものは,あまり駆動力にならないですね.そういう意味で私は,よっぽど偉い人でない限り実験しろというんです.そうでないと興味が続かないから」というお言葉は,現代に通じる科学者の原点を指し示しているように感じます.

1992年アポトーシス:偉大な研究のスタート

実験医学1992年 Vol.10 No.16

1992年の特集「アポトーシス ~細胞死のシグナル伝達」は長田重一先生にご企画をお願いしましたが,まさに本邦初のいち早い特集だったと思います.そのときはまだアポトーシスという呼び名も確定しておらず,アポプトーシスと「プ」の音を入れて発音すべきかどうかという議論がありました.「細胞死はあらかじめプログラムされており,“programmed cell death”と呼ばれる.アポトーシスはギリシャ語で,apo(離れて)とptosis(下降)からなっており,(中略)ptosisのpは本来,黙音であり,アポトーシスと発音すべきであるが,欧米人の中にもアポプトーシスと発音している人がみられる.日本でもまだ統一されていないことから,本特集ではアポトーシスを用いた」という長田先生の序文からも,研究のスタート時の緊張感が伝わってくるのではないでしょうか.

翌年の1993年には,増刊号「アポトーシス ~細胞死の機構」を長田先生,橋本嘉幸先生,井川洋二先生にご企画いただき,その後も定期的に特集を刊行してまいりました.現在までのアポトーシス研究の輝くばかりの展開は皆さまご存じの通りです.

1997年通巻200号の新たな一歩

実験医学1992年 Vol.15 No.1

1997年1月号に,「実験医学」は通巻200号を迎えました.この節目を記念して,それまで黒基調の学術的だった表紙デザインを一新し,「実験医学」のロゴもリニューアルしました.デザイン性に富んだロゴに,当時は「タイトルが読めない」という意見もいただきましたが,号を重ねるごとに受け入れられ,現在に続くイメージとして定着しました.

200号記念特集のテーマもまた,「20代・30代の生命科学者」というチャレンジングなものでした.21世紀を目前に迎え,新時代を担う若手研究者の在り方とオリジナリティに焦点を当てようと,平野達也先生,豊島秀男先生,高井俊行先生,船津高志先生,高山晋一先生,杉本亜沙子先生,江成正人先生,四方哲也先生,近藤滋先生といった,いずれも現在第一線でご活躍されている先生方にご執筆いただきました.

また特集の冒頭では,故 大野乾先生と養老孟司先生,森脇和郎先生のお三方に「分子から生物へ ~オリジナリティとは勇気である」というテーマで鼎談いただきました.当時米国のCity of Hope研究所でご研究をされていた大野先生には,1986年から実験医学で「大いなる仮説」の連載を長年にわたりご執筆いただいておりましたが,先生は遺伝子を音楽化する試みに挑戦され,まさに希有壮大な,オリジナリティに溢れた科学者のお一人でした.実験医学に掲載された偉大な科学者達のメッセージに,当時強く心を動かされた方も多くいらっしゃったのではないでしょうか.

1998~2001年激動のゲノムサイエンス

実験医学 Vol.18 No.12

1998年から2001年にかけて,ゲノムプロジェクトの成果が立て続けに報告された,まさに激動とも言える時期でした.ゲノム解読後の戦略を多くの研究者が模索し,「ポストシークエンス時代」がキーワードとして取り上げられました.

実験医学の誌面上では,1998年1月号に五條堀孝先生に「ゲノムプロジェクトの新世紀」,1999年12月号では小笠原直毅先生に「ポストシークエンスの展望と新技術」,そしてヒトゲノムのドラフト解読がホワイトハウスで宣言された2000年には,実験医学増刊号「ゲノム医科学とこれからのゲノム医療」を中村祐輔先生,浅野茂隆先生,新井賢一先生にご企画いただきました.増刊号の序文での「生命の設計図であるヒトゲノム配列の決定を目前にして,従来の医科学は大きなパラダイムの変革を迎えている」という新井先生のお言葉は,その後バイオサイエンスの方向性が,ゲノム情報を用いた多様性解析や個別化医療の応用へとシフトして行った流れを明確に指し示しているように感じます.

2002年「ポスト」ゲノムと新たな医療応用の機運

実験医学 2002年4月号 Vol.20 No.6

ゲノム配列情報を用いた次のサイエンスとして,研究組織や国の枠を越えた大規模なプロジェクトが立ち上がっていきました.実験医学の誌面では,2001年6月号で横山茂之先生に「ポストシークエンス時代を担う構造ゲノム科学入門」を,2002年1月号に礒辺俊明先生,高橋信弘先生に「プロテオミクスがめざす新時代の細胞機能解析」の特集をご企画いただきましたが,私ども編集部も刻一刻と蓄積される知見の数々に,必死でリサーチを重ねていました.

ヒトゲノム情報を用いた個別化医療に期待が集まると共に,遺伝子治療や再生医療,抗体療法やウイルス療法など,新しい医療の実現化が論じられたのもこの頃でした.実験医学通巻300号の記念となる2002年4月号の特集では,浅野茂隆先生にご企画いただき「21世紀の先端医療」の特集を紹介いたしましたが,本書の概論の中で「トランスレーショナルリサーチ」という言葉が初めて登場したことを印象深く覚えています.

2003年ヒトの複雑性解明の鍵「エピジェネティクス」

実験医学増刊 Vol.21 No.11

ゲノム配列は明らかになりましたが,それでもなお解明できない多くの謎が残されていました.当初10万とも予想されていたヒトの遺伝子数が,じつは2万ほどであった.では2万ほどの遺伝子でヒトの複雑性がどうして生まれているのか.その1つの答えとして解明が進んだのがエピジェネティクスです.

「実験医学」においても,2003年に押村光雄先生,伊藤敬先生のご企画の増刊号「エピジェネティクスと遺伝子発現機構」を刊行いたしましたが,その後の発展は驚くばかりです.2005年9月号では塩田邦郎先生にご企画いただき「疾患解明への新たなパラダイム エピジェネティクス」を,2006年には中尾光善先生,塩田邦郎先生,牛島俊和先生,佐々木裕之先生にご編集いただいた増刊号「エピジェネティクス医科学」を刊行し,現在も定期的な特集を掲載しています.がんや代謝,脳神経や免疫分野へと拡大しながら報告されていく新知見の数々を「実験医学」でもワクワクしながら紹介しています.

2006年RNA新大陸の発見

実験医学 2006年4月号 Vol.24 No.6

ゲノム配列が明らかになるにつれて,遺伝子とタンパク質の間を結ぶ役割を果たす「RNA」への注目も高まっていきました.実験医学では,2002年7月号で中村義一先生にご企画いただいた特集「ゲノミクスとプロテオミクスを結ぶRNA情報ネットワーク」を皮切りに,RNAの転写メカニズムや機能性RNA,RNAiを用いた遺伝子機能解析といった多彩なトピックスを紹介してまいりました.

そして2005年,セントラルドグマの中に新しい概念が生まれました.それまでタンパク質をコードしないRNAはジャンク(がらくた)と呼ばれていましたが,じつはそのRNA自体が機能を持っていることが明らかになったのです.「実験医学」では,2006年4月号で林崎良英先生にご企画いただき「RNA新大陸の発見から non-coding RNAの機能解明に挑む」の特集を掲載しました.既存の概念が書き換えられる瞬間を目の当たりにして,編集部も科学が絶対ではなく常に変化するものなのだということを改めて実感しました.

2006年代謝研究は全身のネットワークへ

実験医学 2007年8月号 Vol.25 No.12

また同じ頃,エネルギー代謝制御が老化や糖尿病,各種疾患に重要な関連があることが明らかになってきました.実験医学2006年10月号で尾池雄一先生に「Intertissue Communicationによる肥満・糖代謝の制御メカニズム」の特集をご企画いただきましたが,生理活性物質を介した「臓器組織間相互作用」という新しい視点に,たくさんのご好評をいただきました.

通巻400号として刊行した2007年8月号では,鍋島陽一先生と今井眞一郎先生にご企画いただき「老化とメタボリズム制御の理解」と題して世界第一線の研究者に最先端の原稿をご執筆いただきました.また,2009年の増刊号として岡芳知先生,片桐秀樹先生に「エネルギー代謝の最前線」をご編集いただくなど,分子から細胞,細胞から全身のネットワークへと代謝研究は現在も拡大を続けています.

2007年再生医科学の発展とヒトiPS細胞の樹立

実験医学 2007年3月号 Vol.25 No.4

「実験医学」誌面で最初にES細胞を紹介したのは1991年,当時はジーンターゲティングマウスの作製にES細胞が有効である点が取り上げられました.その後1997年12月号では,本庶佑先生,西川伸一先生,吉里勝利先生にご企画いただき「再生医学-21世紀の医療」の特集を紹介し,臓器を再構築する再生医学の現状と展望をご紹介いただきました.

2000年以降は幹細胞の分化機構や万能性の基礎研究の新たな解明が相次いで報告されていきました.実験医学でも2001年2月号には仲野徹先生のご企画の「幹細胞ワールド:再生医学への道」,同年8月号は中辻憲夫先生のご企画で「細胞の再プログラム化と万能性はどこまで可能か」,2002年6月号では岡野栄之先生ご企画の「ここまできた再生医療!中枢神経系の再生に挑む」,その後も定期的に特集を組んでまいりました.

2007年,山中伸弥先生がヒトでのiPS細胞樹立を報告された時のことは,記憶に新しいことと思います.実験医学も,2007年3月号の特集として,山中先生にご企画いただき「多能性幹細胞の維持と誘導」を紹介いたしましたが,それに続く加速度的な進展は皆さまもご存知の通りです.

2009年「次世代シークエンス技術」がもたらしたインパクト

実験医学 2009年1月号 Vol.27 No.1

2003年にヒトゲノム配列が完全解読された当時,27億ドルの予算と13年の歳月が費やされました.しかし,個別化医療への期待の声を受けて,より安価に効率的にシークエンスを行う新たな技術が求められ,2005年頃から「次世代シークエンサー」が登場していきました.

実験医学では,2009年1月号として服部正平先生に「超高速シークエンスが開く次世代の生命科学」の特集をご企画いただきました.次世代シークエンス技術によって,遺伝子発現解析のみならず,染色体構造や機能性RNAの解明,幹細胞研究の進展がもたらされたという報告に,驚かれた方も多かったのではないでしょうか.新しい技術が新しい研究戦略をもたらし,新たな発見を生み出すのだということを,私どもも強く認識いたしました.

※現在,随時更新中です.今後の追加をお待ち下さい.

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