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第1回 論文執筆ではエディターとレビュアーと読者が対面にいる(前編)

谷内江 望
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本連載では,著者(谷内江)が短い(しかしながら現代における)アカデミアでの研究生活の中で見つけてきた豊かに生きるための交渉術,論文・グラント執筆,プレゼン,ジョブハンティングにおける各種テクニックを共有する.

 

本連載のテキストは,実験医学編集部が著者(谷内江)へのインタビューを元に構成したものを,著者が加筆・編集して確定する形式を採用している.編集部ではインタビューでの雰囲気や感じたニュアンスを優先してテキストを作成しており,その結果,傲慢と思われたり誤解を招きかねない表現で著者も看過している部分があるかもしれないため,ご了承いただきたい.

連載のはじめに

「あの研究者は上手くやっているのに比べて自分はなかなか上手くいかないな」「自分の研究は結構良いと思うのだけど,なぜか評価されないな」このようなことを感じたり,考えてみたことは自然科学に携わる学生や研究者であれば何度もあると思う.

私(谷内江)はもう学生時代から数えて20数年アカデミアに身を置いていて,いまだにトップランナーの研究者たちには及ばないものの,ありがたいことに色々な幸運も重なって,今のところ研究と人生を楽しむことができている.成功と失敗を重ねるなかで,2つのことを思うようになった.1つは,特に日本の研究者は,ものすごくハイレベルな研究をできる能力がありながらソフトスキルの発展を軽視するために,研究やキャリアを推進させるチャンスを逃している人が多いということである.2つ目は,そのような研究者生活,学生生活を上手くこなすためのソフトスキルは一見途方もなく沢山あるように見えるが,その実,全く複雑ではないということである.基本的には,研究に真剣に取り組むことに加えて,ある基本的な考え方に軸足を取ると自然発生的にとれる行動が研究生活を豊かにする.逆に,研究能力的に優秀であっても,これから連載で説明するような視点を拒んできた研究者が,不遇をかこってドロップアウトしていく姿も何度も見てきた.

今回,私が拙いながらも身に付けてきた「アカデミアを豊かに生きる工夫」について,実験医学誌の誌面を借りた数回の連載として紹介させていただけることになった.どれも一生懸命考えてきたり発明してきたことなので良いことを書けると思う.とはいえ心がまえ的な内容に終始するつもりは全くなくて,実践的なタスクに対面したときに,それをどのように行動として現すことができるのかを説明しながら,私自身が彫刻を作製するようにアイディアを整理する機会にしたいと思うし,皆さんにはご自身のアート(art:【名詞】特定の分野における技やコツ,熟練した技術)を確認したり,見直したりする機会にしていただきたいと思う.小難しいものにせず,アクセプトされやすくなる図の作り方や,魅力的なレターの書き方など,すぐに使える実践的な技法も紹介してみようと思う.

学生の皆さんと研究者の皆さんの両方に読んでいただきたいと思う.研究生活の中でちらほらと出会ったり,学会で遠くに見えたりする調子の良さそうな若手エリート研究者や大先生たちは,一緒に座って研究生活の裏話をすると水面下で素晴らしい哲学をもって努力されている.私の考えはそういう先生方に及ぶものではないとは思うが,少しでも読者の皆さんの参考になれば嬉しい.

良い研究をする以外の全ての部分は交渉術に尽きる

詰まるところ,研究生活を豊かにする鍵は,常に自分の対面に相手がいることを知り,その相手のことを如何に考えられるかということである.若い読者は社会人のかけ引き的なことはまだ関係ないと思われるかもしれないが,そんなことはない.論文を書くとき,グラントや奨学金の申請書を書くとき,ジョブハンティングに打って出るときなどあらゆる面でこのことを意識すると上手くいく.

交渉の基本はロールプレイ

人間は社会生活を営むうえで一人では生きられない.そして交渉からは逃れられない.これは上司と部下のような関係だけを指すのではなく,論文を投稿したり,学会で発表したり,大学組織対自分の中で幸せになる方法なども含む.

楽しみながら,良い交渉をこなせればアカデミア生活は絶対的に良くなる.そして場面に応じた巧みな交渉というのは難しくない.まず,相手の立場にたって「ロールプレイ」することが第一歩となる.相手が欲しいものを的確に想像して試してみることが交渉である.

例えばグラントやフェローシップの申請書を書くときは,自分が審査員や査読者だったら,と考える.その査読者は一日に何十件もの申請書を見ていることだろう.多くの申請書は読みにくく,頭に入ってくるのに時間がかかったり,つまらないものである(多くの研究者は正しい申請書の書き方を知らないし,アイディアを他人が面白いと思えるものに昇華できない).仕事を終わらせて一息つきたい.あるいはさっさと帰りたい.シニアの先生方はこんな経験ばかりしている.そんななか,自分の申請書が他のものと対比してすっと頭に入ってくるものだと勝率はぐっと上がる.必ずしも絶対評価で良いものである必要はない(後の回で詳述).

研究者生活に交渉が必要ない場面などない

研究者には交渉術が苦手というか,はなから嫌っている人が多いかもしれない.「無口な実力者」に対する尊敬の念が強いのも一因だと思う.実力主義への傾倒は日本人の美徳だと思うが,「高尚なサイエンスに交渉などという概念を持ってくることは良くない」というのは間違った考え方であると思う.

はじめに,人類にとっての絶対的な価値の序列などというものはない.加えて,人類は仮説を立て実験によって検証するというサイクルを駆使することによって,自然を観察してきたが,自然の全てが観察可能でないのと同じように全ての実験結果を完全に評価するような時間もリソースもない.また自然を数式で表現しきれる数学や物理のような分野でもない限り,実験結果は不完全な自然言語で記述しなくてはならず,その理解は不完全性を補完できる科学者たちの理解に頼らなくてはならない.

したがって,人類は,特に現代社会において,全ての物事にフェアであろうとし社会を発展させているが,どうしても研究成果や申請書をある程度いい加減に(評価者が期待するほどには時間をかけられずに)評価せざるを得ないし,評価の俎上にのってもその評価は完全なものにはなり得ない.だからこそ,人生の時間を使って自分が挙げた成果や積み上げたキャリアは,できるだけ評価者が時間を使いたくなるような良い評価の俎上にのるように伝える必要がある.また,評価の俎上にのったときに,情報は伝わりやすい形で準備されている必要がある.

交渉をクサす人間が高い交渉力を持つことはない

研究自体と同じように,アカデミアを上手に遊泳する力が身に付くと一気に正のフィードバックがかかる.推進力を得て,ポジションを得たり,良い仲間や機会に恵まれる.そういう場所では,研究もさることながら,遊泳術に長けた人間が沢山いて,学べたり,アドバイスを貰えるのでもっと上手になれる.だからといって,自分に今そういう技術がないと諦める必要はない.どんな研究者も最初は誰もそういうことを教えてくれないので,ゼロからはじめているし,こういうことはやってみないと始まらない.また,逆に言うと,もしあなたがいろいろな場面での自分の交渉スキルが低いと感じたり,どうしていいのか分からないと思っているなら,これまであなたの周りが交渉下手な人ばかりであった可能性が高い.交渉にまつわるスキルは,僅かながらに本人の性格が影響するかもしれないものの,ほとんどがアガロースゲルを作って電気泳動する程度のレベルのもので,言われたらなるほどね,と思って貰えるものだと思う.そして,交渉力の高い人の悪口をいっているような環境は注意したほうが良い.ルール違反をしているわけでもないのに,自分の研究のためにそういうことを頑張っている人を(しかも自分は経験してみたこともないくせに)クサす人に交渉が上手い人はいない.ただ,そういうことに気付けば,集団からどんどん抜きん出ることもできると思う.また,交渉に失敗することを絶対に恐れてはいけない.小さな交渉から挑戦してどんどん失敗すると良い.人生を賭けるような大きな交渉にいきなり挑戦してはいけない.

論文を投稿する

さて,前段がずいぶん長くなってしまったが,初回は論文投稿についてである.一生懸命研究をしてデータが出た.次は論文を書いてジャーナルへ投稿である.上に述べたアイディアを現代におけるジャーナルの役割とは何か,エディターとはどういった人々か,レビュアーはなぜいるのか,世界のサイエンスコミュニティはどう発展すべきか,自分はどういう風に貢献できるか,そういったことの一つひとつを考えることで論文執筆から採択に至るまで役に立つヒントがいくつも見えてくる.もしかすると,学生の皆さんには少し敷居の高い話に聞こえるかも知れないが,こういう視点を持つときっと良い仕事ができるし,もう少し後で実践的に役立つかもしれない.

論文を投稿してから掲載されるまでの一般的なプロセスを簡単におさらいしよう:①論文を執筆してジャーナル(論文誌)に投稿する.②ジャーナルのエディター(編集者)がこれを受け取り,ジャーナルへの掲載に興味があるか最初の判断をして,是であるとなればボランティアで査読してくれる3〜4人の査読者をサイエンスコミュニティーから選定し,彼らに送る.③査読者が論文を読み,評価,批判,改善点をエディターに返し,エディターが興味を失わなければこれを著者に返すとともに,再投稿(レビジョン)の機会を与える.このプロセスの過程で論文は不採択(リジェクト)の判断を受けることもある.④著者は,(依然としてジャーナルへの論文掲載に興味があれば)追加実験をしたり,論文を改訂してジャーナルに再投稿する.②に戻り,これが論文が採択されるまで続く.

受験生感覚は捨ててしまう

実験医学読者の皆さんは,日本式の受験競争を勝ち抜いてこられた方も多いと思う.試験の点数のみで明暗が分かれる世界を生き抜いてきた代償として「ルールは絶対,外れるのは悪」の感覚が根本に染み付いていないだろうか.この感覚を研究者に持ち込むと,いうなれば論文投稿は受験,論文誌は大学,エディターやレビュアーは雲の上の採点者で,論文をサブミットしたら祈りながら合格通知を待つといった具合になるし,実際に日本の研究者でこういう風に論文投稿を見ている人は多い.論文投稿をこれから初めてしようという若い読者は特にそうではないだろうか.私が自分がよく使うテクニックについて仲間に紹介すると,大抵返ってくる反応は「えー,そんなことやっちゃっていいの?」「君だからできるんじゃないの?」である.全然やって良いし,経験を積んだ研究者なら誰でもできる.

エディターとは

エディターは自分のジャーナルを育て,良い仕事に関わりたいと思っている

エディターは自分が丹精込めて仕上げた論文が採択に至るまでの最初のゲートキーパーである.ジャーナルにはエディターの役割で分けて大きく2種類ある.1つ目は,プロの専属エディターがいるジャーナルで,サイエンス,ネイチャー,セルというジャーナルやその姉妹誌の一部がこれにあたる.これらのジャーナルではエディターに給与が支払われ,彼らは特に高いインパクトの研究をジャーナルのために選定して,掲載することでサイエンスの発展に貢献しつつ,そのブランド価値を高めたり広告収入を得ることに繋がるように働いている.2つ目は,大学の先生などの研究者がボランティアや謝礼でエディターを兼任するというものである.学会誌などの専門誌がこの形を取ることが多い.ここでも,エディターたちには自分の雑誌が良いものになって欲しいという思いや,その研究分野により盛り上がってもらいたいという願いがある.

細胞生物学の黎明期にセル誌が創刊されたころから,その雑誌にばかり論文を発表し,「セルを良い雑誌にしたいから自分はセルにしか論文原稿を送らない」という大教授の話を最近どこかで聞いたことがある.皆さんは,この話を聞いて「それはそのすごい大教授だけに許された発言だな」と思うだけだろうか?「セルはそういう人たちにも支えられた幸運な雑誌なんだな」とも思わないだろうか.

あるジャーナルのエディターが仕事の説明をいろいろしてくれたときに,「私はあなたのジャーナルを購読している.私は美術館に行って静かにアートを楽しむのが好きだ.アートの世界に例えるなら私たちは作品を作り続ける芸術家,ジャーナルは美術館,エディターの仕事はさまざまな作品の中からテーマ,インパクト,歴史的・社会的背景を考えながら作品を選ぶキュレーターだと思う」と伝えると,「そういう風に言ってくれて本当に嬉しい」と言ってくれた.今はインターネットが普及して,プレプリントサーバーに査読前の論文も発表できるようになって,査読付きジャーナルに論文を発表する意味や特定のブランド価値をもったジャーナルに論文を発表しようとする行為に懐疑的な声も聞こえるようになってきた.それでも私は美術館の一室でキュレーターたちが絶妙に並べた作品たちとその解説を読むことで,一つひとつの作品の背景にある芸術家の情景が目に浮かんで作品への理解を深めるのが好きである.願くば,理想が高いと笑われても,私は科学の一幕に存在して「科学の美術館」に登場するような研究者になりたいし,ジャーナルのエディターや私が関わる論文を審査する査読者たちにはそういう風に私の仕事を評価して欲しい.

自分の論文を査読者に送るか判断するエディターが,あちら側に血の通った人間として存在していて,その仕事に情熱を持っているかもしれないことを想像するのは大切なことである.

エディターは信頼できる研究者と知り合いたいと思っている

研究者からするとエディターは少し遠くにいて,こちら側の研究を吟味してオポチュニティをくれる人であると感じるかも知れない.しかしながら,エディターの仕事はその動機がなんであっても,ジャーナルを成功に導くことである.したがって,情報収集が必要だし,情報をくれたり,ジャーナルの査読者として質の高い貢献をしてくれる研究者が増えて欲しいと思っている.彼らは積極的に学会に出かけて,最新の研究や動向についての情報を集めようとするし,常に一対一で研究者と対話する機会を伺っている.ところが学会における研究者との対話は,陳情に近いようなコミュニケーションを取りたい研究者が流れ込んでくるという悩みが伴う.またエディターはジャーナルのもつ予算に限りがあるなかで,足を伸ばせる学会の数も限られているので,国際会議などで旅費付きでエディターを招待するセッションなどがあると嬉しい.

こういうことを半分は勝手に想像しながら私がやることの一つに,自分の大学にエディターを招待するというものがある(実際にやる人が多い).大学にはるばる来てもらって,ジャーナルが求める論文の方向性や審査プロセスに関する説明をしてもらうのと同時に,自分の同僚研究者たちとの一対一のミーティング(一回30分程度)をセットする.学部や大学の単位でホストすることもできる.オーガナイズするなかでエディターと連絡を取ったり,一緒に食事したりしながら,より彼,彼女らについてやジャーナル,最近の研究動向,他のトップ研究者(とそのゴシップ)について理解を深めることもできる.特に,人生で一度は行ってみたい(あるいは何度も訪れたい)日本や,私が今住んでいるカナダのバンクーバーは喜んで来てくれる.

私はブリティッシュコロンビア大学で大学院生向けのキャリアディベロップメントのコースを一学期間担当している.そこで,毎年ジャーナルのエディターを2日間にわたってホストしている.1日目は,エディターが誘われると話すことがお決まりの「ジャーナルについてと求める論文について」の講義をしてもらう.エディターもこの手の講義はいつもやるので,スライドを一式持っている.2日目は学生向けのキャリアディベロップメントのコースで,研究者になる以外のキャリアとして,エディターになった経緯や,エディターの一日について話してもらう.これはいつも頼まれたことがないと驚かれるが,若い学生たちと交流して喜んで帰ってもらえる.2日間あるので,その間,大学内や近隣の20名くらいの研究者と一対一で会ってもらえて,大学で進んでいる最新の研究動向を知ってもらい,研究者には論文執筆に向けたアドバイスももらうことができる.ランチは学生たちにホストしてもらう.

こういったコミュニケーションを取っておくと,後でそのジャーナルに自分が論文を投稿するときに圧倒的に有利になる.一対一のミーティングの時にジャーナルが興味を持ってくれそうか聞いてしまうなんて野暮なことはしてはいけない.大体研究の話を紹介して,反応が良い場合は向こうから「うちに投稿しない?」とか「もう少しこういうことをやって投稿しない?」とか言ってくれる.向こうもせっかく足を伸ばして来るのだから何か良いものを見つけて帰りたいとは思っている.大体「ええ,考えておきます」と返事をしておく.

エディターが去ってしばらくして,研究も進めて,そのジャーナルに興味があればメールを書く.手短に「先日ありがとう!あのあと,こんな風に研究が進んでこういうデータが出たんだけど,Zoomでアドバイスもらえない?」大抵はZoomしてくれる.論文がリジェクトされたときも,手短に「いや,あの査読者のコメントは厳しいものだけど,全部コメントに対応できると思うんだよね.追加実験するとさらにこういう風にインパクトも上がる,云々」これでリジェクトの判断を何度かひっくり返すことができた.

こういう関係を続けると,そのジャーナルや姉妹誌から山のように投稿された論文の査読依頼が来る.絶対に断らない.ジャーナルとサイエンスに査読プロセスをもって貢献しようという思いはもちろんだが,将来に向けた下心もあるし,次回以降に回すが,査読者の側の経験を積むことで良い論文とはどういうものかがどんどん見えてくる.

こういったエディターのコミュニケーションが,ジャーナルに取り入って自分の論文を採択させようという下賤でなかば卑怯な行為に感じる方もいるかもしれない.私はそうは思わない.エディターに気に入られたからといって論文は採択されないし,エディターは強権を持っていない.査読者が納得するまで評価,改訂プロセスを続ける.査読者が怒り始めればジャーナルの評価は地に落ちるので,エディターは特定の科学者に絶対に肩入れしない.確かにエディターは「論文通貨」を評価のあらゆる場面で使う現代のサイエンスにおいて一番出口に近いところにいる.しかしながら,上に論じたように,ジャーナルとエディターはともにサイエンスを循環させ,発展させる仲間であるし,そういう意味では研究者仲間と築く信頼関係とコラボレーションも同じである.また,忘れてはならないのは,皆さんもおそらく耳にしたことはあるように,欧米・中国の研究者は特にアクティブにエディターとの関係を築いて自分たちのオポチュニティを開拓するし,リジェクトの報をもらったら私のようにすぐエディターに電話をかけて抗弁する.

日ごろ大勢の研究者から送られてくる論文の相手をしているエディターの立場になれば,どの仕事が信頼に足りてどの仕事がそうではないかを初見で見分けるのは難しい.実際に会ったり,言葉を交わしたことのある人間の仕事にオポチュニティを広げやすいということは改めて意識して悪いことはない.また,荒っぽくいうと,そういうものであるし,トップジャーナルに年間何百も送られてくる論文を全て丁寧に吟味して完全な絶対軸でフェアに評価できる人間がいないことを当たり前に思い出せば,そういったジャーナルに論文が掲載されることは素晴らしいことでありさえすれ,特定のジャーナルだけに採択されなかった事実を特段気にする必要もない.

さて,初回なので,とても長くなってしまったが,この辺で一旦閉じさせて頂き,次回から(はより短く)さまざまな実践編に移る.次回は,カバーレターの書き方,論文原稿のフォーマット,リバイスの作法について書く.

谷内江 望:ブリティッシュコロンビア大学Biomedical Engineering教授,大阪大学WPIヒューマン・メタバース疾患研究拠点(PRIMe)特任教授,東京大学先端科学技術研究センター客員教授,慶應義塾大学政策・メディア研究科特別招聘教授.2009年に慶應大学において生命情報科学の分野で学位取得後,ハーバード大学とトロント大学のFrederick Roth博士の下で研究員として合成生物学の研究に従事.2014年より東京大学准教授,2020年よりブリティッシュコロンビア大学准教授,2023年より現職.